上田耕一郎・元共産党副委員長が死去した。81歳。
上田は不破哲三元議長の実兄。東大の日本共産党細胞1期生で、党機関紙「しんぶん赤旗」編集長や共産党宣伝局長、政策委員長などを歴任。昭和48年に「民主連合政府綱領」を提案し、独自路線を主張する日本共産党中央幹部の中では他党との関係を模索する立場をとっていた。49年の参院選に当選し4期連続で参院議員を務め、平成10年の参院選に出馬せず議員を引退。その後も、しばらく党副委員長を続けた。
@宮本顕治と並んで旧ソ連から資金援助を受けGHQの手先となって占領政策を推し進め、日本をでたらめな国にした一人だ。
上田は不破哲三元議長の実兄。東大の日本共産党細胞1期生で、党機関紙「しんぶん赤旗」編集長や共産党宣伝局長、政策委員長などを歴任。昭和48年に「民主連合政府綱領」を提案し、独自路線を主張する日本共産党中央幹部の中では他党との関係を模索する立場をとっていた。49年の参院選に当選し4期連続で参院議員を務め、平成10年の参院選に出馬せず議員を引退。その後も、しばらく党副委員長を続けた。
@宮本顕治と並んで旧ソ連から資金援助を受けGHQの手先となって占領政策を推し進め、日本をでたらめな国にした一人だ。