地場・旬・自給

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食品の安全とは何か。

2011-06-16 04:05:24 | 自給
放射能汚染が広がって以来、食の安全についての問い直しが起きている。食の安心安全、という言葉を農水省まで言うようになって、農薬化学肥料に対して、曖昧な垣根が出来たように思う。普通の農家にしてみれば、国に許可された資材を使って、安心安全じゃないというような差別を受ける不愉快な感じがあるだろう。それでも何十年の時間経過があり、、ある程度住み分けが出来ていた。一般に有機農産物を選択する消費者は、美味しいからというような、もう一つのすっきリはしない基準を、口にしながら選択してきた。そんな状況に、地産地消と言うような違う枠組みがさらに登場して、混乱や混同が起きて、今に至る。地場だから安心と言うような言葉が一般的である。福島のテレビニュースでは、福島の地場産市場で取材して、買い物客が「やっぱり地元のものは安心安全だから」と、あえて言わせたりしている。一体、安心安全は何か。放射能が政府の言う、500ベクレルが基準が分かりやすいとは言えない。つまり、高いとも言えるし、低いともいえる。

放射線カリュームでいえば、以前から500ベクレルを越える食品もあったことが分かった。今後こうした食品は売られないようになるのだろうか。原子力を聖域にするために、放射能の安全性について政府は触れないで来た。一方、食品は自己判断だというのが、自給思想の根本にある。人間の生きる安心安全の一番の根底は、食べるものの確保ということだ。世界では今のいまも飢餓で死んでいる人が居る。日本のお米を飢餓地域に援助して、カドミ米だからと、拒絶されたことがあった。私ならお腹が減れば食べる。カドミの害が、1%の人にあるなら、99%を選択して食べるだろう。食べなければ100%死ぬのである。まずは食べるものがあるとことが、安心安全の必要条件だ。その意味で、小麦、トオモロコシの価格が倍に成るような高騰が起きていることは、この先、世界の食糧問題はたやすいことでないことが予測される。放射能汚染は日本一国の問題ではない。フランスやアメリカはベトナムに、中国に原発を作るだろう。又どこかで原発事故が必ず起こる想定である。

日本政府とアメリカ政府はこのどさくさの中で、日本のTPP加盟を画策している。これは食糧確保と言う、国家の安全保障上大きな不安定をもたらすことになる。アメリカのいいなりにしかなれない国に、日本をしようと言うことに成る。食糧のない国とは独立のない国である。そのことをひとまず置いて置くが、むしろ現状の深刻さはそこにある。放射能汚染問題を考えると、安全基準と言うものに大きな開きがあることが分かる。まず年齢差、男女差、これで全く基準が違う。たばこやお酒と同じという風に考えたらいい。しかも、大多数のものには関係のないことが、1000人に一人とかには命にかかわることもあるというリスク。この分かりにくい問題少し具体的イメージで言えば、大気汚染の連想。子供たちには、化学物質過敏症の人位の割合で影響がある。というなら、小田原も入る気がする。大半の大人にはない。福島に行けば、三宅島の火山ガスくらいか。流山あたりで、川崎のひどかった時代ぐらいか。

生きていることは、常にリスクの中にいると言う自覚。飢え死にする場合さえ想定した方が良い。食料の安全は、やはり各々が決めるしかない。政府など信頼しない方が良い。疫学的には放射能でがんで死ぬ人の比率が増えるだろう。それは食品添加物の影響を受ける人と受けない人が居るように、人によって違うとしか言えない。それは農薬の害でも同じだ。そうしたことは原理主義的に避けたいとするなら、すでにこの地球に住める場所も食べるものもない。全体が改善しない限り、一人だけ放射能シャエルターに逃げ込むことなど出来ない。つまり、原子力発電所が世界から一基も無くなる道以外、人間の安心安全はない。福島の原発事故からのイタリアや西ドイツの人達の判断である。日本人はどうか。相変わらす、ほとぼりが冷めたらまた原発に戻ろうという勢力がある。再軍備論によく似ている。原発の廃絶を本気でやらなければ、結局は人類が滅びる。損をしても自分達はやる。こういう国や人もいるのだ。

昨日の自給作業:麦刈3時間 累計時間:27時間
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6月の農作業

2011-06-15 04:47:45 | あしがら農の会
田植えが着々と進んでいる。6月に入ってすぐに始まって、11日と12日が田植え集中日であった。今度の18日19日に最後の山があって田植えは終わる。そうなると最初の田植えから2週間、コロガシが始まる。田んぼが一段落するということはない。この間麦刈である。今日これからである。実は少し倒れている。先日の豪雨で一部が倒れてしまった。そこにイノシシが出てきたような感じもする。麦刈は梅雨時と言うのは例年のことで、雨をぬっての作業と言うことが難しい。麦刈をして、一気にハ―ベスターにかけられる位乾いていればいいのだが、そんな年は少ない。今回もうまく進めばいいと祈るような気持である。少しでも乾かしながら進める以外にない。今回は少々多収を狙った。と言っても普通の農家並みには採りたいということである。反当たり400キロぐらいは最低でも必要だと考えている。それでなければ農業と言えない。

収量の問題はお遊びではないということを、具体的に示すことである。どうせ市民がやるのだから、いい加減なものに違いないとみられている。適当な畑になれば、ほら見たことかということで信用ががた落ちに成る。市民がやるからこそ、立派な畑にしなければ始まらないと考えている。それはもう一つに、化学肥料、農薬を使わない。使わないことで収量が下がれば、これまたほら見たことかとなってしまう。使わないでも、地域の平均収量を越える。この線に行かなくてはならない。要するに稲は麦の収量は誰にもわかりやすいことだからだ。そこから病気が広がるという不安もある。共同防除をしない困った奴らだという見方もある。そういう意味でも、病気も虫も出さない農業にしなくてはならない。

技術である。やる気があれば十分できることである。田んぼの草取りにしても、早め早めに手を打つことである。ソバカス抑草を完成しなければならない。昨年初期対応に手抜きをしてしまい。若干草がでた。今年は苗が小さいために深水が出来ないという悩みがある。田んぼの土の変化を観察していると、昨年と違うのは、イトミミズが増えてきたことである。ミジンコは膨大に出現するのだが、イトミミズはなかなか出なかった。それが今年は結構出ている。この調子でトロトロ層が形成されれば、雑草の発芽は抑制されると思う。現在、30体位2,5畝で撒いた。この後跡10体位まで撒きたい。雨でどうしても流れ出てしまう量があるので、撒いている数の割には実際の量は少ないだろう。

以前草ぼうぼうにして、草取りに追われた。ヘトヘトニなって草取りをやり切ったが、草を出したことがそもそも農業者として、能力不足なのだ。それ以来、草を生やさない事には心掛けてきた。麦畑も初期に1度の草取りで、何とか乗り切ったが、これももう少しの工夫が居る。以前のみかん畑だった時のナギナタガヤが結構雑草化して再生してくる。この後、堆肥の実験圃場にするので、雑草地にならないように進めたいと思う。今度購入したハンマーモアーを上手く使いたいと考えている。今年は、キャベツが良くできていて、まだまだ切れないで食べられる。窒素分を減らして作ると、蒸しの来る量が少ないということが良く分かった。トウモロコシは遅れていたが、このところ急に伸び始めた。昨日収穫したじゃがいもは我が家としては豊作の方だろう。草負けしたタマネギはやはりあまり良くなかった。ニンニクはまあまあ。トマトはまだいいのだが、茄子キュウリが駄目。
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現代農業7月号

2011-06-14 04:07:19 | 
今月の現代農業は「水&エネルギー自給」特集。雨水利用法。太陽熱利用法。夏を涼しくする法。発電法。燃料の自給法。どれも、農家自身が取り組む自給技術である。ペットボトルを黒くして温水器を作るなど、ちょっと笑ってしまう工夫が満載である。自給は工夫である。アイデアである。日々の工夫を楽しんでやれることに尽きる。屋根に散水して涼しく。これは洋ランをやっていた時随分やったものである。温室の屋根を水が流れるようにする。その水を雨樋で集めて地下の貯水槽に戻す。そして又屋根から落とす。半地下温室も何回か試みた。大地の持つ夏涼しく、冬暖かいという力を利用しようということである。水のタンクを地中に埋め込み。この水の安定している水温を利用する。雨水を井戸水に変換しようというのである。だいたいはアイデア倒れであったけど、やってみること自体が楽しいのである。

よしず、打ち水、すだれ、蚊帳。風鈴、うちわ、鈴虫、金魚。冷房機の普及は何よりではあったが、風情がない。ああ暑い暑いでどっぷり暑さに暮らす事も、一夏を楽しむ極意である。そりゃー涼しい方が良い。それで失ったこともある。農家は炎天下、否でも草取りをした。子供の頃これだけは十分やらされたと人に言える。一つの自慢である。厳しいお爺さんだったから、泣いてもやらされた。つらかったが、いま思えば有難いことだ。除草剤の登場で無くなった。確かにらくになった。庭に撒いた除草剤が雨で池に流れ込み、池の鯉が全滅した。又草取りが始まった。便利になることは、何時もリスクが高くなる。自給エネルギーなどと言うと、すぐコスト計算に成る。この本に出ている工夫は、楽しんだ分得になったという工夫である。緑のカーテンにコストはない。ゴウヤが何本取れたからいくら得したとか、堆肥にいくらかかったから損だ、など、二の次のことだ。楽しんで自給できれば、コストはない。

カラーページは大豆の苗作りのすごい工夫である。これは是非やってみる。よくもここまで大胆なことをしたものだ。根も切り捨てるし、芽も切り捨てる。この大胆さに脱帽である。反収600キロの大豆と言うから、驚異的である。ちょとした工夫がばかには出来ない。自給農業とはそういう農業のことだ。プランテーション農業と対極にある。土を育み、自分の存在を循環に織り込んでゆくすがた。実はこの大豆記事は去年も出ていた。しかし、カラー特集でインパクトが増した。余りの事に文章だけでは信じ難かった。少しの工夫が地球を救うという思想。今回の特集は、原発対応である。原発を止めるには暮しを変えなければ。そう言う思想だと思う。実は私も原発に関する記事を書かせていただいている。現代農業と同じ考えだ。国際競争力のある農業の道は、プランテーション農業の道であり、リスクの高い原発への道に成る。

いわき市の薄上さんが好塩菌という微生物の事を書かれている。塩類を取り除く菌を培養していたので、津波被害の地域の人に無料配布されるという。薄上さんとは中国に同行させていただいた。学ぶ所が沢山あった。農業者は次の時代を作り出す可能性を持っている。まだ伝承を身体の中に貯めている。伝承そのものと言うより、物を見る目を伝承から育てている。農業には日本が再生する、力が秘められている。「大丈夫だよ、にっぽん。」現代農業はいい雑誌である。農家の知恵を足で集める今どき珍しい雑誌である。私自身東京で絵を描いて行き詰まり、もんもんとしていた時、救いをこの本に見ていた。いつか、こんな暮らしをしようと漠然と思っていた。チェリーブロッサムである。幸い、セールスマンとして死なない内に、自給生活を目指す決意が出来た。
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欠ノ上でのお神楽

2011-06-13 04:07:06 | 地域
子ノ神田んぼの井関さんが、お神楽を子ノ神社に奉納したいということから始まった。まごのりさんが地元の方と調整をして下さり、今回はその予行演習として、公民館で舞ってもらうことが出来た。お神楽と言うものを生で見たことがなかった。テレビのニュースなどで流れているものを偶然目にしたぐらいのことである。正直言ってそう言うことに興味もなかった。今回見せていただいて、原発事故以来の、大変な気持ちが展開できそうな気がした。大げさだが、新しい時代が来るような気がした。それは嬉しかった。再生と言うような事なのだと思う。農地が汚されてしまって本当にがっかりした。そのやり場のない不快感が、受け入れられそうな気がした。何故お神楽を見てそう思ったかは分からないが、たぶん欠ノ上の方々がと一緒に成ってみることが出来たからだろう。舟原に来て10年が経つ訳だが、ご先祖から確かに400年この地に暮らす人たちとは、そもそも異なるのは当たり前だ。

日本に生きる人間は、ご先祖とつながって生きていた。それは仏教とか、神社とか言う以前の、日本人の生きる根本の精神を支えてきた、共感する思いのようなものであったのだろう。ご先祖さまに申し訳がない。ご先祖様が見ているぞ。ご先祖様と同じ暮らしをしている。同じ農作業をしている。同じ田んぼを耕している。この土でご先祖とつながって許されている安心感のようなものが、土地の者の暮らしである。それを日本人は失った。失うことは止むえないことではあったのだろうが、この欠落感を埋められないできた。埋められないから、その穴埋めに経済的豊かさを競争した。心の空白を埋めるには、物の豊かさしかなかった。おかしなことに、お神楽を見ながら私だってここの場所で許されると感じられた。許されるは意味がおかしいかもしれないが、この後生きている間位なら、居ても良いぐらいの感じである。

お神楽を見て何故そう思ったかはわからないが。お神楽の姿が百姓の姿を彷彿させたのだ。日本人の原型のようなものを感じた。井関さんが何故、農業をやってみたくなったのかが少しわかった。田んぼをやらない限り、分からない動きと言うものがある。昨日も初めて田植えをした人が沢山いた。45人の人が参加していた。どうやって足を田んぼから抜くのかと言う質問があった。確かに田んぼで歩けなくて普通だ。ところが何年かすると、歩けるようになる。その動作は、腰のかがめ方は、知らぬうちに似たようなものに成る。抜いた足で、足跡を消しながら前に進む。おかしな動きである。お神楽と言うものも、随分とおかしな動きである。田植えを抜け出て、いやいやお神楽を見に行ったのだ。田植えを切りを付けたい。気も急いている。それを中断してお神楽を見に行った。お神楽は田楽と言うものともつながっているのだろう。田植えの日に行われた意味がわかった。

お神楽を通して、ご先祖と繋がったような気がした。自分の祖先が百姓をしていた事に、迂闊にも思いが至らなかった。先祖も日本の土を耕していた。流されたこともあっただろうし、冷害にもあっただろう。豊作で喜んだり、来年の工夫に思いを巡らしただろう。別段それ以上でもなく、それ以下でもない。暮らしを深めて行くということが、新しい出発であるということを実感した。もう残された時間がそうある訳でもない。あと10年田んぼが出来れば御の字である。大したことが出来る訳でもない。自分の理想とする人間にどこまで近づけたか。そう言うことが急に湧いてきた。去年と同じ一年を送り、同じであることを喜べる人間。最近のつらかった一日一日が、やはり自らの蒔いた種だったこと。そしてまだ懲りずに、原発の再開を願う人が居ること。こうした悲しい受け入れがたい現実。日本人の受容する力に付け込んでくる、拝金主義。今日の豊かさを有難く思える心。お神楽はもろもろ良かった。
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生ごみリサイクル交流集会IN多摩

2011-06-12 05:31:53 | 環境関連
日野市役所まで出かけた。「生ごみリサイクル交流集会IN多摩」が開催された。多摩地区はごみ先進地区である。挨拶に立たれた日野市の市長はごみ0を明確に言われていた。素晴らしい報告が6件あった。北本市、小田原、三鷹市、立川市、小平市、日野市と順番に20分づつ報告した。行政がされた所もあるし、市民が報告した所もあった。ごみオタクがこれほど勢ぞろいしたら、変な原理主義集会に成るのかと思いきや、とても聡明な知的な雰囲気の集まりになった。ごみについても、私より上の世代と若い新世代とでは、かかわり方が大きく違っている。何か自己アピール度合いの濃さのような気がする。多摩地域の若い人は身のこなしがきれいで、洗練されている。無理なく運動が進んでいるような気がした。そういう意味では、小田原方式は又別の雰囲気で、これはこれでいいものだと再確認した。

ともかく盛りだくさんで、素晴らしいアイデアが満載だった。まず記憶に残っていることだけでも、メモしておく。聞いたこともあるし、思いついたことも混ざっている。1、段ボール堆肥は、回収販売の流れが必要だ。2、夏休みの自由研究。の広げ方。3、立川方式は小田原の第3ステージである。4、小平市の方式は第2ステージである。この方式は、5人組方式。7、ステッカーで取り組みの世帯数の把握。8、竹パウダーの機械は140万円。ただし音がすごい。9、竹パウダーの実証実験。何かを共同研究することは良い。10、堆肥ボックスの設置。11、市民農園との関連ずけ。床の取り組みももう少し掘り下げて伺えれば、参考になるところ満載であろう。

特に気になった日野市のせせらぎ農園。ここは午前中に見学が行われたようだ。まちの生ごみ生かし隊。と言う組織がある。事務局の佐藤美千代さんと言う方が報告されたのだが。ともかく内容が皆参考に成る。小田原でみんなでお話を伺えれば、勉強に成ると思った。都市農業の問題と、生ごみの堆肥化が繋がっていること。暮らしが変わってきているのに、農地法の方が旧態依然としてかわらない。その為に循環が絶たれてしまうことをとても残念がっていた。生ごみの堆肥化が、ごみ問題で終わらず、暮らしの見直しに繋がっていることが良く分かった。何時か日野の百草園の方に友人が居るから、普通の市民がどう感じているかも聞いてみよう。いただいた資料に「あなたに最適な生ごみ処理法は?」と言うのがあった。。スタートからイエス、ノウで答えて行くと。電動式生ごみ処理機にたどりついたりする。この電動、日野市ではエコじゃないので補助は止めたといわれていた。小田原でも、一日も早くやめてもらいたい。あれがホームページに載っているだけで、エコを理解していない町と言うことを強調することに成る。これはもうごみにかかわれば誰にもわかることである。

小田原方式の良いところは、お金がかかっていないところだ。そんなこと言ったって、段ボールコンポストを配布する費用があるだろう。こういう意見があった。生ごみが減ればその程度の費用は、行政に還っている。つまり小田原では、お金をかけずに生ごみの焼却を減らしている。これは誇れると思う。どこの町でも1軒の生ごみに1万円以上かけている。これでは良くない。財政が豊かであるから出来るというような方式は、限定的である。ごみの有料化とリンクさせて、経済合理性のある方式を厳密に模索する。生ごみがリサイクルされたけれど、結局財政を圧迫したでは良くない。日野市の市長が言われていた。ごみは小さく身近で処理の原則。これが基本であろう。
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田んぼの再生

2011-06-11 04:58:10 | 稲作
このところ子ノ神田んぼのアラオコシと代かきをしている。全部で2反はあるようだ。昨年は欠ノ上で3反の田んぼを戻した。戻してみて分かったことは、機械力もない時代に、こうした田んぼを作り出したすごさである。土木力、百姓力。どちらの田んぼも久野川の北側の斜面である。田んぼの中に巨大な石がある。全体が河原だったのだろう。石を積み上げて、棚状に直して、そこに土を運び込んだはずだ。江戸時代初めのようだ。それは、坊所からの山を掘りぬいた水路や、一つ上の集落である舟原の溜め池の構築が万治年間と言われている。1650年ころのことか。その頃、土木工事熱が盛り上がっていたようだ。この欠ノ上に始まる水路は、とても長いもので、ずっと下の平野部まで導かれている。しかも上部は、掘り抜きの暗渠の水路である。当然崩れ始めていて、あちこちが落っこちてしまっているようだ。場所によっては危険で困ると地域の人が言われていた。

私たちの使わせてもらっている水路も、相当に壊れかかっていて、先日の大震災では石垣が崩れてまった所もあった。それでも何とか、水路の確保できてやっと代かきに入った。代かきに入ったら、代かきをしている最中に、あちこちが抜けてしまい、一大事である。有難いというか、幸いにも下によその方の田んぼがあるような所でないので、抜けて川に水が流れ込むという状態である。今年のところは、田んぼを一回り小さくして、応急処置と言うことである。もう一つ困ったのは、田んぼを止めてから畑をやった時代があったのだろう。耕盤が無い場所がある。代かきをしていてトラックタ―がぬめりこむ。これが怖い。危ないので人に任せられない。少しずつ慎重にである。今年は何とか田んぼになればそれで良しとしなければならない。6枚の棚田の、水路の経路が確定できないことも今後の水管理の課題に成るだろう。

欠ノ上田んぼの苗がとても良かったことである。さすがに岩越さんの管理技術の良さもあると思うが。水温の違いもあるかもしれないが。結局種籾の違いのようだ。舟原の種籾はいつも良くない。同じ欠ノ上の苗床で、作った岡本さんの苗は、種もみが舟原のもので、苗が小さいという。やっぱりそうかである。舟原のお米は粒が小さい。考え方として、良い種もみが良い稲作に成るとは言えないという考えできた。舟原でも良くできた場所もある。そう言うところで種籾を選ばないできた。平均的な所の稲から種籾は採ることにしている。どうしても良いところは水温の高い所になる。それでは長年の間に、偏りが生じ状態が悪くなるという風に考えてきた。今年、岡本さんと隣り合わせで作る。欠ノ上の種籾の井関さんの田んぼを、比較して見ることはとても興味深いことに成る。その結果をよく観察して、今後の種籾の考え方を整理したい。

子ノ神田んぼでは、御神楽を奉納する。井関さんが御神楽を舞うそうだ。とても楽しみである。楽しみは田んぼにどれだけ効果があるかである。これで豊作になれば有難い。祈りが通ずるというようなことだけではない。地域の方と一緒に成って田んぼが出来るようになれば、これは違う。水路のごみを一つ拾う。こんなことが田んぼを良くして行くのだと思う。欠ノ上集落には、神社があり、観音堂がある。その信仰も今に繋がっている。欠ノ上は地域としての完成度が高い。1650年に田んぼが作られたとして、360年、300回目を越えた田んぼだろう。土も立派な田んぼの土である。棚田にしてはとてもいい粘土状態に成っている。3年もやれば最高の田んぼに成るに違いない。ここまでにした、ご先祖方に感謝をしなければならない。久野川の田んぼも1町歩を越えた。まだまだ、作られていない田んぼはある。
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生ごみの堆肥化計画

2011-06-10 04:58:37 | 環境関連
10日(金)2時から、久野区民会館で久野地域での段ボールコンポストの配布と説明会が行われる。
もし新しくやってみたいという方が居たら、ここに来ていただけば登録配布がしていただける。どんなものか一度見てみようという人も構わないのでいらしてください。今年は原発事故の不安感があって、新しいことを始めようという気に成れない。配布は現在500件くらいである。背中を押される一押しが必要な状況だ。あの福島の6つのコンクリートの箱より、段ボールコンポストである。国民の多くが段ボールコンポストをやれば、あの6つの壊れたコンクリートの箱はいらなくなる。ちょっと暮らしを変えれば、全く変わる。我が家で変えたことと言えば、節電である。この程度の節電でどのくらい電気が減るのだろうと楽しみにしていたが、4月、5月、20%近くの節電をした。

11日には、日野市で「生ごみリサイクル交流集会」がある。ここで段ボールコンポストの話を少しさせてもらう。小田原の取り組みは全国で注目されている。数からいえば最大の規模になろうとしている。小田原の取り組みの宣伝に成るので、本来小田原から外に出ないことを基本にしているのだが、今回は例外。小田原方式が評価されれば、行政の人には張り合いがあるだろう。私の思いとしては、市民の10%が取り組むようになった時に、何かが変わり始めると考えている。まだ、3%程度だ。10%までやれるだけのことをやるつもりだ。以下、話すつもりの事を整理しながら書いてみたい。まずが大きな枠組みとしては、4段階を考えている。

1、 小田原市において、生ごみ堆肥化に今後取り組んでゆく、具体的手順と方法を提案する。
生ごみの堆肥化の取り組みでは4つステージを想定することで、市民にもわかりやすく、またどの段階でも問題が検証できる、最善の方法と考え提案する。
・ 第1ステージ 各家庭の生ごみ消滅型の推進とサポート(2010年度の段ボールコンポストを中心にしたモデル事業)
・ 第2ステージ 地域やグループや農家が堆肥化に取り組む広がった活動の支援
・ 第3ステージ スーパー、商店街、学校、集積場へ、家庭からの生ごみ持込による堆肥化の推進とサポート
・ 第4ステージ 地域ごみステーションでの収集と、堆肥化センターでの全量堆肥化

10%の家庭が生ごみの堆肥化を行う暮らしになること。これは市民自身が挑戦するべき課題。生ごみをたい肥化するということは、そこに暮らす人たちの方向を表している。生ごみがを燃やしている社会は、消費的社会である。循環するのでなく、一方向に物を消費して行く社会。循環に成っていない社会構造が、どこかで行き詰まることは明らかである。循環する社会とは、循環しないものは作らないという社会である。本来であれば、通いのリターナブルビンが良い。しかし、経済合理性に欠けるということで、ペットボトル隆盛である。しかし、ペットボトル自体が悪いのではなく、ベットボトルを循環する道を作り出さなければいけないということだ。しかし社会自体が変わらなくて、市民一人一人にはどうにもならないことも多い。だから、まず生ごみを市民が堆肥にしていこうではないか。こういう呼びかけである。
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小田原市6月議会

2011-06-09 04:19:19 | 地域
小田原市では新しい議員が選ばれて最初の議会が開かれる。大いに期待するところだ。質問の一覧が出ていた。当然のことだと思うが、質問は大震災と、原発事故後の小田原市の対応について質問が集中している。是非とも聞いてもらいたいことは、放射能の汚染状況の把握である。新茶は手遅れになった。新茶の前の早い段階で測定すべきだった。その反省をするより、どこのどいつが測定などやっちまったのだ。と言うのが本音だとおもう。静岡の県知事の態度を見ればよく分かる。空間線量については、行政は良く計る。すでに低くなっているので、安全の材料に成るからだ。問題は、作物そのものと土壌調査である。福島県の調査では、空間線量と土壌放射能は必ずしも比例していない。市民の為に特に子供たちの為に、現状の把握を徹底的に行わなければならない。線量計では土壌の放射能は見えてこない。小田原の3200ベクレルの荒茶に、県の使って居る測定器と同じタイプのものを押し付けたが、0,09マイクロシーベルトだった。

小田原市の現在の解答は県に責任がある。各市町村が勝手に測定をやれば、混乱してしまう。等と行政的言い訳をしている。環境事業センターの管理運営は小田原市の責任である。ここは小田原市が放射能測定をやるべき施設だ。ここの焼却灰の測定をしていないことは、怠慢そのものである。職員や周辺住民の深刻な健康被害が想定される。隣接地のフラワーガーデンのの土壌の測定も緊急に行ってもらいたい。環境事業センターの前には、フラワーセンターがあり、市民農園がある。確かにバグフィルターである程度は取り除ける可能性はある。しかしダイオキシン類より放射性物質は、より細かい塵である。外にすりぬけて出る量もかなりあるだろう。電気集塵機は併設されているのだろうか。なければ放射能のすりぬけの可能性はさらに高い。6項目の測定が必要。焼却灰。飛灰。洗煙水。洗浄汚泥。排ガス。廃棄物そのもの。まずこの関連性を把握すれば、他の地域の焼却炉の問題も見えてくる。


当事者と言うものは、行政にかかわらず逃げたくなるものである。農の会だって当事者として、放射能汚染など直視したくはない。しかし、現状を把握しないことには、一歩も前に進めない。今の状況がわからにかぎり、次に進むことは出来ない。農の会関連のお茶畑は4反が使えない。この農地は地主さんにお返しすべきかどうかだって、情報がない限り判断が出来ない。農地の徹底した測定をすべきだ。それが前向きにこの問題を乗り越える第一歩である。それは農業者自身の行うべきことでもあるし、行政も同時に行わなければならない。農地を測定して高い値が出たら、困るではないか。これが行政の判断である。お茶に関する平塚市のデーターでは、古い枝葉に1000ベクレルを越えるセシュウムが蓄積されているということだ。これを持ち出すこと。持ちだして穴でも掘って埋める。これでお茶畑の農地としての状況がだいぶ改善される可能性がある。燃やしている人がいるが、それではいつまでも周辺に存在することに成る。

今回の原発事故に至った道は、私自身の歩んだ道に感じられて耐え難いものがある。世界に対し原発を止められなかった責任を痛感する。子供のいる人たちの不安に出会うと、申し訳なく消え入りたい思いだ。何としても、原発は止めるべきだ。地震の少ないだろうドイツですら、原発の廃絶を決めた。地震国日本の海岸線に立ち並ぶ原発は危険性が高すぎる。原発再稼働を海江田経産大臣は主張している。節電をがっばってやるので、それだけは許して欲しい。小田原市の議会である。一か所に剪定枝は集めること。そして堆肥化して行く。堆肥化したものは、穴を掘って埋める。解決ではないが、それ以外拡散しない方法はない。空間線量の測定でお茶を濁して、ごまかされないことだ。焼却炉の灰の測定まで、議員の皆さんの頑張りに期待したい。
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グリンカーテンを作る。

2011-06-08 04:38:40 | Peace Cafe
小田原市では、夏を少しでも涼しく過ごすためにグリンカーテンのプロジェクトを始めた。時間の余裕はなかったのだが、ゴーヤの苗の配布を行ったところ、170人が応募したそうだ。私も応募しゴーヤの苗を6株も頂いた。今日窓辺の花壇に4株を植えて、プランターに2株植えて、こちらは移動式にしようと考えている。当然、段ボールコンポストで出来た堆肥を使った。段ボールコンポストの堆肥は、窒素分が多く葉が茂るという意味では、グリンカーテン向きの堆肥だと思う。植え方はいつものことだが、下層に段ボールコンポスト堆肥を入れて、中層は畑土と混合した。そして上層は畑土だけにした。この窓辺の花壇はそもそも、グリンカーテン用の花壇である。いつもの夏は、夕顔の花が植えられる。沖津さんの奥さんが全国に送っている夕顔の苗を頂いたのが始まりである。

大長レイシと札が立っていた。多分これはそうとう苦いタイプではないだろうか。ニガウリでも割合苦くないものが最近出回ってきた。わりと使いやすい。このキュウリにいぼが付いたような、長いタイプは苦すぎて食べれなかった記憶がある。ゴウヤとどこが違うのかは分からないが、ゴウヤと言われて、サツマイモを緑にしていぼを付けたような奴は案外に苦くない。炒め物程度なら結構食べれる。今年はこのゴウヤが、市が配らないうちから人気で、床の種苗店でも品切れが多かった。ほど良い苦みのゴウヤは人気者である。それでもレイシの方だけは、残っていたからみんなあの苦さに懲りているのかもしれない。味は食べてみなければわからないが、とにかく丈夫すぎて困るようなものだ。ポットから外してみると、根がとても少ない。これは皆さん苦労しそうである。苗作りも見た目が重視されて、葉だけを化学肥料で促成する苗もある。そういえばケイヨウD-2立派な無農薬の苗が大量に売られていた。化学肥料は使って居るのかどうか。もし使って居ないであれほどの苗が作れたら、素晴らしい技術である。教わりたいものだ。

苗が根づいて、成長を始めたら、竹を組んで風情のある棚を作ろう。もしかすると9月ごろには、グリンカーテン・コンテストをやるかもしれないそうだ。そうして交流会が持てたら、とてもいい。グリンカーテンを育てる者同士、仲間意識が芽生えれば、もっともっと広がるかもしれない。小田原には様々な緑のカーテンがあって、グリンカーテンめぐりだけでも楽しめるという、素晴らしい小田原のまちづくりに成る可能性がある。来年は金子みすずをしのんで、夕顔の苗など良いかもしれない。そうなれば沖津さんは大喜びだ。きゅうりとかトマトと野菜物の種類を増やすのも良い。当然市が配るというのではなく、農協のドレミファーミーあたりで、グリンカーテン企画を共同で行い販売したらいい。その際市のプロジェクトに登録してもらうと、生ごみ堆肥がもらえるというぐらいでどうだろうか。

グリンカーテンと段ボールコンポストの組み合わせは、とてもしっくり行く組み合わせだ。プランターでの栽培は、移動式をやってみたい。衝立のように仕立てて、あちこち移動する。もちろん、生ごみサロンでも展示する。段ボールの展示説明のイベントにも持ってゆく。そして南側の窓辺に置いておく。是非学校でも取り組んで欲しい。一階から3階まで、大きなネットを張って、どの高さまで行くか挑戦すると良い。どんな土づくりをしたら、上まで行った。こういうことを子供たちが知って欲しい。そして、暑い夏を乗り切る。冷房が切れるようになれば、原発などなくても暮らせるようになる。そうか小田原市役所でも是非始めてもらいたい。小田原市民へのアピールである。
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焼却灰の高濃度汚染

2011-06-07 04:10:30 | Peace Cafe
川崎の汚泥の焼却灰が高濃度汚染していた。朝日新聞によると焼却灰から1万3200ベクレルとある。これが事実としたら、大変なことだ。至急汚泥の焼却を止めなければならない。これだけの放射能が焼却灰としてあるなら、当然煙は放射能を噴き上げているはずである。周辺住民は大変な危険が迫っている。と言うことは、小田原の焼却場も同じではないかと推測される。緊急に調査が必要である。小田原でお茶から放射能が検出された時点でも、焼却場では大量の剪定枝の焼却が続けられてきた。中止すべきとここにも書いた。環境政策課には生ごみクラブの事務局会議において申し入れた。回答のないまま、焼却は今も続けられている。周辺住民の健康被害が起こりかねない。どうしたらいいのか。ともかくこのままを市長への手紙に送りたいと思う。あらゆる植物が、枝葉に新芽に放射能を集中している可能性がある。それを刈り取った剪定枝の焼却を中止し、至急焼却灰の測定をしてほしい。

緊急事態である。まず、焼却灰と周辺の土壌放射能の測定を行わなければならない。焼却場は小田原市のものだ。そこが放射能をもしまき散らしていたとするなら、誰に責任があるのか。焼却灰の処理をしている職員が、高濃度汚染をして居る可能性もないとは言えない。管理者としての測定の義務が小田原市にはある。裁判に備えて、周辺の土壌を採取をしておきたい。なんという恐ろしい事態が起きていることか。久野川の魚の大量死もすぐ焼却してしまった。証拠隠滅とも言えないこともない。放射能は見ないふりは出来ない。周辺の土壌を保存しておけば確固たる証拠となる。そして、例の根府川の唯一の土壌調査の結果ですませている、事なかれ主義では次の世代への責任が果たせないことを、自覚して欲しい。焼却場周辺が際立って高ければ、その責任は小田原市にある。久野は農業地帯である。農地を汚染させられることは、大変なことだ。これを何とか食い止めなくてはならない。焼却場灰の調査を至急行うこと。それまでは剪定枝や草は燃やしてはならない。

これは全国の焼却場に起きている危機である。放射能汚染の可能性の高いものを燃やさない。これを徹底しなければならない。命を守るためだ。放射能を軽く見てはならない。私はこのことを気付いていた。この危険を気づいていたにもかかわらず、また、その日に追われて、追及が甘くなった。この姿勢が結局原発を許してしまった結果である。身の回りの危機。久野に小田原の剪定枝が集まり燃やされる。ただでさえ高濃度の放射能が降り注いだ可能性がある箱根東斜面である。周辺の放射能汚染は気に成るところである。小田原の市会議員など、一体この事態に対して行動をしているのだろうか。被災地に行ってボランティアをしていますなど、ご立派に誇らしげに書いているが、足元がそれどころではない。市会議員の第一の仕事は小田原市民の暮らしを守ることだ。政策として行政に要求することが役割である。放射能に対して、どう行動しているのか。調べた範囲では、共産党の市議団が、汚染の測定を要請したということぐらいだ。

昨日からこのことが気に成り、居たたまれない。何が出来るか、どこから手をつけたらいいのかも分からない。実は土壌調査の結果も出ている。それに基づき小田原市の農政課には、農地を広く測定して欲しい事はお願いした。お願いしたというより相談した。県が統一して測定を行うことに成っているらしいからである。県に対しても、今日行ってみるつもりだ。ともかく都合の悪い事実であれ、事実を知ることしか始まらない。身をこごめて通り過ぎるのを待っていたとしても、放射能は消えない。小田原なら、対応できる範囲だと思いたい。剪定枝を野焼きしている人すらいる。放射能をまき散らしているのだと冗談で言っていた。全く冗談にもならない、恐怖である。我々には冗談だが、次世代にとっては許しがたい裏切り行為である。戦後世代はすべからく日本を放射能汚染した、責任を負わなければならない。後はどこまで、被害を小さく食い止めたらいいのか考えるしかない。
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2011の田植え

2011-06-06 04:09:28 | 稲作
今年の田植えは、20名の参加。子供が5名。赤ちゃんが2名。天候は曇りの田植え日和。線引を6時から初めた。8時から田植え開始。午前中に上段の田んぼと、下段の田んぼが終わる。昼食後に中段の田んぼをやって、3時ころには終了。とても集中した良い田んぼで、小さい苗で植えにくかったのだけど、見事な田植えになった。線引は、山ちゃんと私とでやったのだが、水の残っている部分をはっきりと引けず、田んぼを平らに排水口に向かって、代かきをする。これが重要なことを改めて感じた。来年こそと思う。これもまた、いつものこととなるが。土が変わってきたことがうれしい。粘りが出てきた。始めた4年前とはだいぶ違う。この違う感じは田植えで田んぼに入ると良く分かる。足の田んぼからの抜け方が違う。ベターっとひっついてくる感じが強くなった。もう一つは手で擦ってみて、ざらつき感が減った。

苗は小さかったが、数は十分であった。セルトレー200枚使って2反5畝である。10枚余裕があるという感じだ。苗が小さかった理由がもう一つ分からないのだが、根がセルトレーを突き抜けて、苗床に入り込んでいる長さが少なかった。これからの生育と言う感じがした。来年は種まきを一週早くすると言うことだろう。麦刈が、この後に成るのでその前に田植えをどうしても終わらせたい。この順序は昔なら、同じ場所でやる2毛作なのだから、麦が終わらなければ田んぼの準備は出来ないのだから、今のところ同じ場所でやりきる実力はない。畑がこれだけあいている状態なので、麦と大豆とか、昔と違う組み合わせをして、田んぼは緑肥を作るということが合理的なことに成っている。腐植を増やす事が土づくりの基本。これを外から持ち込むのでなく。その場で作って行くということは合理性もあると思う。

今年はアラオコシ段階で大量のアマガエルの卵があった。今年はおたまじゃくしがすごいことに成りそうである。オタマジャクシが育つような田んぼにしたい。その意味でも干し田を遅らせて一回にする位が良いだろう。田んぼの生き物の観察は続けたい。こういう知識がないのは残念なので、少しづつでも勉強をしたい。苗が小さいので、どうしても草は出るだろう。早めにコロガシをすることはしたい。現段階でも減水深がだいぶ改善されてきている。それが雑草の発芽を促進してしまう可能性もある。これも観察の継続。ソバカス抑草も徹底してみる。どういうことに効果があり、又効果がないのか。このあたりも十分の観察。苗代部分の土は、腐敗臭が若干していた。田んぼの土の匂いの変化も注意深く見て行く。

みんなが自分の田んぼという意識でやっているので、田んぼの隅々まで気持ちが通る。大抵のことは、誰かが気がついて直してくれるので、心の通った田んぼに成っている。長く続けることで、生まれてきたものがたくさんある。今年は放射能で一時は、田んぼすら危ぶまれた。田んぼの空間線量は、0,05マイクロシーベルト。実は土壌表面の放射能もどの程度か推定できる資料は届いた。この数値なら、田んぼの責任者として、田んぼを行って問題ないと判断している。もちろん、子供も参加する田んぼだから、判断はそれぞれがしなくてはならない。小田原の中でも久野地区はどちらかと言えば高い値の地域である。行政に対して、土壌の測定を行うように働きかけて行きたい。

昨日の自給作業:線引、田植え、8時間 累計時間:24時間
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荒茶の規制値

2011-06-05 04:08:47 | Peace Cafe
農水省が荒茶も5〇〇ベクレル規制をすることにした。ああ、静岡茶も規制に入るのか。こう深刻に考えた。所が何と、静岡県知事が検査をしないと発言している。これは一体どうなるのか。理解しがたい不思議な事である。この混乱をお茶を購入する者がどう受け止めるかである。規制値を超えているかもしれないお茶が、どれほど売れるだろうか。第一に販売者には、チェックする責任はないのだろうか。伊藤園は独自検査を発表した。国が規制を出して、それを県が測定しないとしても、すでに生葉の値は出ている。それが5倍の値に成るのだから。生葉で、100ベクレルであればもう出荷できないということに成る。これは、静岡どころでなく、九州のお茶だって不安がないとは言えないだろう。それにしても静岡県知事は元早稲田の政経の教授である。農業分野には詳しい方である。検査拒否がどういうことに成るぐらいは、十分計算しているのだろう。

農水省にはスタンスを一貫して欲しい。食糧の安全において、ごまかしはきかないのだ。ここまで延ばしたこと自体が、政府の危機管理能力の欠落を表している。このように繰り返されるずさんさが絶望感を引き起こしている。補償には万全を期す。これがそうとうに怪しい。農の会でもお茶を生産している。そこで、補償問題を直接東電に問い合わせた。実に低姿勢な、懇切丁寧な対応であった。農の会のホームページを即見てくれて、こういう組織であるなら、組織としての賠償請求をして下さい。申請書類を送るので、申請して下さい。こういう答えであった。ところがすでに何週間もたつがなしのつぶてである。こちらも田植えに入り忙しい。このいい加減な東電とかかわっては居られないので、現状進まない。どこの農家もそうだと思う。あれこれ書類を準備をしろ、電話をしても口ばかり。誰が悪いのか分かっているのだろうか。嫌気がさしてくる。

食品の安全は現在のところ、食べる人自身が恐る恐る決める以外ない。ほぼ無法状態に陥っている。検査をしないで、やり過ごそうという静岡県知事の態度は、逆効果に成る。お茶以外の食品も、検査をしないだけで、実は基準値以上なのかということに成る。不安が不安を呼び、食べるものがない。こういう話を時々聞く。子供に食べさせられないからということで、農の会の野菜の宅配を休みにした人も数件ある。当然のことだろう。小田原でこの状態である。不安で東北、関東の食品は食べられないという人も多数いるはずだ。これは間違っても風評被害ではない。販売されたお茶が基準値を超えていた時、一体だれが責任を取らされるのだろう。疑心暗鬼が広がれば、魚の問題である。静岡知事の対応と同様で、魚も検査が極めて限られている。

東電は周辺の積算放射線量を、やっと発表した。それが何と間違って過小に評価したというのだ。こんなことが、何十回と繰り返されている。燃料棒溶融の結果のテルル132が早い時期に周辺に出ていたことが今に成って公表された。原発自体の設計も不備であった事が判明。壊れたのは地震で、津波ではない。原発がこれほどでたらめな構造の上に運営されていた。農業者はこの被害をどう受け止めればいいのか。持って行き場のない怒り。反対しきれなかったわが身を嘆くしかないのか。静岡県知事も同じ被害者である。浜岡原発の再開は絶対にさせないと誓って欲しい。廃炉にすると宣言して欲しい。土壌でも作物でも、食品はできる限り測定する以外道はない思う。そして、国際基準に従って安全の範囲を決めて欲しい。その上で、農業者の被害を政府の責任で補償してもらいたい。農業者が身をこごめていても、放射能は簡単には通り過ぎてくれない。

昨日の自給作業:苗取り、代かき7時間 累計時間16時間
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「原発をどう乗り越えるか」シンポジューム

2011-06-04 04:35:00 | Peace Cafe
「原発をどう乗り越えるのか」
ー福島第1原発から30km圏内外地域飯館村、いわき市北部、川内村の現状ー

日時 2011年6月19日 13時~16時 (日)
場所 小田原市役所 7F大会議室
会費 無料
小澤祥司 飯館村現状報告 (日本大学生物資源学科非常勤講師)
橋本宙八 いわき市北部の30k圏内生活者 (避難中)
風見正博 川内村自給自足生活者

テーマ 『これからどう暮らし、どう生きるのか』
橋本宙八 風見正博 小澤祥司 他

共催NPOあしがら農の会 NPO新月の木国際協会おだわら NPO エコロジーアーキスケープ
後援 小田原市環境政策課


問い合わせ 岩越松男 m.iwakoshi@suido.sakura.ne.jp FAX 0465-66-1781

第1部 現状報告 13時15分~
第2部 原発を乗り越えられるのか シンポジュウム 14時10分~

アクセス:小田原駅西口2番 伊豆箱根バス
12:20発 12:40発 約8分
*休日の為 南東1回通用口から

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

飯館村の退去が続いている。福島第一原発の放射能の死の灰は、農地を汚し、海を汚し、300キロ圏の小田原の土壌汚染にまで広がっている。飯館では『までいな暮らしの村』を、目指して新しい村作りが進んでいるところだった。その協力者として活動されてきた、小澤さん。そして、漠原人村で自給自足の暮らしをされてきた風見マサイさん。マクロビオテックの食の見直しを提唱していたいわき市の橋本宙八さん。農の会で、あしがら地域での循環する暮らしを実践してきた我々とで、原発によって起きてしまったこの事態を、乗り越えることが出来るのかを、話し合ってみたいと思っています。

それは『地場・旬・自給』を掲げて活動してきた、農の会の方角の確認にもなる。自給的に生きるということ。までいな暮らし。その目指して来た方角と、原発の輸出までしようと言う国の方角。経済競争の行き着く先。能力主義は人間に幸せをもたらすのか。一人が自らの暮らしを考えた時、日々の暮らしに於いて、何が出来るのか。個人の無力感と、国の横暴への個人の姿勢。この原発事故をきっかけに、何が変われるのか。4月、5月と節電をした。25%位の節電である。今までいかに無駄に電気を使って居たかである。電気の恩恵を受けて、消費的に暮らしてしまっていた。一人のわずかが、国の方角を変えられる。この実感が得られるかどうかにかかっている。一人の努力など、無駄なものだという、無力観を植え付けたのは、実は権力である。

個人の力、実はこれがすべてである。これを全く信じていないのが、政府である。官僚もそうなのだろう。国民を全く信じられない現代国家。そこで政治家を選択する人は、プラグマティズム的ということになる。悪いものを見過ぎたというか。人間を信じられなくなっていながら、その中で政治を司ることに成る。「人間が変わることで社会が変わる」という思想は、いかにも宗教的である。自分だけがやったとしても何も変わらない。多くの人がこう感じてきたと思う。言いかえれば、社会までは手に負えないので、自分達の周辺だけでも、同じ価値観で生きよう。こういう動きを求めてきたのかもしれない。その生き方が、原発事故で問われている。

昨日の自給作業:代かき3時間 累計時間:9時間
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原発避難のペット達

2011-06-03 04:20:16 | Peace Cafe


我が家に来たセントバーナードは2週間が経ち、来た時よりあっという間に5キロも体重が増えた。あおのペットクリニックで見てもらったが、健康状態は良好のようだ。名前は福島から来た『福ちゃん』と言うことに決めた。幸福の福である。とってもかわいい犬で、こんな甘えん坊の犬を飼ったのは初めてのことである。写真を見ていただいても、前回の写真とは全く違う犬に成っていることが分かる、だいたい1歳位のようだ。誕生日は我が家に来た日の5月20日を1歳の誕生日にした。多分部屋飼いの犬だったのだろう。一人に成ると時々甘えて鳴いてしまう。躾はじつに良くされている。犬が飼い方で変わるということが良く分かる。私が飼うと自由な犬に成ってしまう。それが犬の魅力なので、できる限りしつけをしないのである。それでも、飼いやすい犬は有難い。湘南タッズでは、どんどん犬や猫が増えている。一時預かりが広がらないと大変なことに成る。犬舎を思い切って2階建の本格的避難小屋にする計画が進んでいるようだ。

ワイドスクランブルで取り上げられている。UKCジャパンの活動が分かります。タッズ父は細氏のことである。奥さんがタッズ母。タッズにかかわる人はファミリーである。8年前に成るが、京都に訪ねた時に、本気で犬にかかわっている人だとわかった。この人たちがペットレスキューを始めたら大変なことに成ると思っていた。すべて全力のご夫妻である。細氏から福島救出の話を伺った時に、そうだろうと思いながらも、心配になった。その前の九州の時も大変な苦労をされた。今度は国が取り組んだとしても、不可能な仕事である。それをやろうと本気になってしまったのだ。京都から、寒川に移り住んで、福島と往復を続けている。この間、獣医師会や、動物愛護協会の頼りないことこの上ない。建前やきれいごとでは、どうにもならない難事業である。日本の動物愛護精神が世界から問われている状況である。

政府や行政は、動物の命を見捨てている。それは今回ばかりでなく、家畜の扱いでは、淘汰を正義として振りかざし、救える命まで平等を建前に切り捨てる。世界はその姿を注視している。日本人への信頼はUKCジャパンにかかっていると言っても、過言ではない。UKCは主として海外の組織だから、情報は世界に広がっている。実は先日伺った時に、タッズ母から、猫の里親をお願いできないかと言われた。母は普通こういうことはあまり言われない。預かることにして準備をして、昨日迎えに行って来た。飯館村には、沢山の猫がいるのだそうだ。猫は大変である。原発の周辺だって同じはずだ。置いてこざる得なかった人たちはどれほど悲しいことだろう。故郷を離れざる得ない人達の、無限の悲しみを、ペット達も分かってくれているはずだ。

小田原でも南相馬から馬を引き受けようという話が動き出したそうだ。我々が出来ることはそう言うことだろう。家畜であれ、ペットであれ、命は命である。できる限り救えるものを救う。当たり前のことだ。寒川の湘南タッズでは、場所が手狭になり大変な状況に成っている。昨日は雨が降っていた。濡れながら、ボランティア・スタッフの人たちが、必死になって働いている。ここでも若い人たちだ。有難く、尊い。是非とも、猫の一時預かり。犬の一時預かり、里親募集もあります。本気で考えてみてください。しばらくのことです。それは、自分の為のことです。今朝2匹は湯たんぽにくっついて、幸せそうです。この猫は里親募集です。信頼できる人に託したいと思います。生き物は必ず何かをくれます。
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2011年の田んぼ

2011-06-02 04:45:56 | 稲作
田んぼのアラオコシを行った。今年のクリムソンクローバーは出来は普通と言うところ。上の田んぼは良くできたし、下の田んぼは普通で、中の田んぼは良くなかった。全体でみればこんなものかと言うところ。理由については、少し考えなければならない。中の田んぼは苗床に使っている。これが土の状態に影響した可能性。又自家採取の種に問題がある可能性。保存の仕方に問題が無かったかどうか。稲がある間にクリムソンクローバーは種まきしたが、このタイミングが悪かったか。いずれも、ハンマーモアーで細かくしてから、アラオコシをした。ハンマーモアーを使うと、アラオコシの状態まで良くなった。アラオコシをする前に谷側の畔際の土あげをした。水が漏って仕方が無いので、今年は全体を行ってみた。土の移動を行おうとしたが、上手くゆかなかったので、代かきの時にできる限り平らになるように、努力してみたい。


これは2週間前の様子。

苗の出来が良くない。今までで一番悪い。大きくは天候の影響だと思われる。根の伸びが悪い。まあまあ良かったのは、黒米の苗位であった。キヌヒカリは特によくない。昨年の高温で種もみ自体が悪かった可能性はある。特に生育の悪い苗箱20枚は山室さんの田んぼに置かせてもらっておこう。220枚用意して、20枚は予備である。予備は誰かにあげても良いという分である。このように生育が悪いのであれば、種まきをもう少しは止めた方が良いのか。発芽までは調子良かった。そろいも良かったし、遅かった感じではなかった。その後の3葉期までの生育が、とても悪かった。セルトレーの苗土に問題があったか。他所の田んぼも同じ苗土なのだから、このチェックは必要か。山北は独自の苗土のはずである。どういう出来であろうか。

土の状態は雨の間のちょうど3日の曇りで何とか、アラオコシをできる状態であった。一日前でも、一日あとでも、出来なかった。結構良い状態に耕運できた。代かきは4日にやる予定である。そして田植えが5日。今年は苗が小さいから、田んぼをいかに水平にするかが課題である。手間がかかってもこれを行おう。場合によっては、3日に上と下の田んぼだけでも代かきを終えて置き、水平にする作業を4日に入れるという考えもある。苗取りが結構大変だから、予定を少し変えてみよう。余裕を持って、4日には水漏れ個所の直しも行うようにしよう。場合によっては、線引作業も下の一枚だけ、4日の内に行う可能性もある。それなら、早朝からやらないで済む。これは雨が4日の晩に降らないという時のことである。

何だか田植えが近付くと、緊張してくる。頭の中で何度もイメージトレーニングをしている。それで改善点が何か所も見つかる。その見つかったことが、田植えを早める事だった。これは意味不明だが、早くやった方が良いという感じがしてきたのだ。具体的に言えば、小麦の収穫が6月10日前後の晴れ間に成る。とすると田植えを済ませておきたくなった。これは個人的な事情だが、なんとなく天候が早くした方が良いと言っている気がしている。すでに苗も遅れている訳だ。今年も継続して、ソバカス抑草を試行する。去年が田植え後居なかったために継続してまくことが出来なかった。今年はそばかすが充分撒けるように、無肥料状態である。良いタイミングで継続してソバカスをひつこくまいてみたい。去年は8,7俵の上出来であったが、今年は7俵どまりで良しとしなければいけないような気がしている。思い出した。イノシシの罠はやらなくてはならない。

昨日の自給作業:アラオコシなど6時間 累計時間:6時間
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