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地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

水彩人講習会

2006-11-15 06:06:53 | 水彩画
バラの花を80本買った。おまけにもう少しくれたから、90本ぐらいあるだろう。小野月世さんに水彩画を描いてもらうためだ。15・16日と都美術館で、水彩人の講習会を行う。50名ぐらいの人が参加する。いつもは大勢で、写生の講習会を行う事が多いのだが今回は、静物画の研究をする。

都美術館には、アトリエがある。割合とちゃんとしたアトリエが、4つある。ここを3つ借してもらい。絵を描いてもらう。水彩人のメンバーが、夫々分担して、モチーフを持ち寄るのだが、私の担当が、バラの花を持ってゆくことだった。バラの花は、稲毛さんというバラ園を経営する方から、いつもくず米を頂いているので、今回の事をお願いした。

黄色い花がいいと思って、お願いしておいたのですが。その辺は伝わらずに、様々な色がある。揃わなかったのか、色々在った方が綺麗だと思ったのかは分からないが、ちょっと描きにくいかもしれない。葉っぱが少ない事、軸が短い事、この辺も少し困ったが、今更しょうがない事だ。何度も電話で言ったのだが、どう言う事か。

二人の講師になるのだが、もう一人が、川村良紀さんだ。二人とも水彩画で、最も活躍されている方々なので、定員はあっという間に埋まってしまった。その後も、電話で入れて欲しいという方が何人もあっつた。水彩人の会場でのみ受付けたので、そこに来なかった者は仕方が無い。

今回の企画は、二人の人にそれぞれ、制作をしてもらう。そしてその制作途中に、何故、今そこをそう描くのかを、根掘り葉掘り聞いてゆこう、というものだ。だから、描くものは、答えながらで、大変であろうかと思うが、案外に製作中に、声がかかったからと言って問題が無い人が多い。

描いて居る時は、大体は作業で、結論が出ているから、描いている。集中しなければならない線を引くと言う事もあるでしょうが、合間合間に声がかかても大丈夫と本人も言っている。私も、その点は全く大丈夫だ。小野さんと、川村さんが、その制作を公開し、疑問に答えながら進めてくれるという機会は、多分これが初めてで、今後も無いと思う。

私は、二人に質問をしてゆく係りだ。責任は重大。みんなが聞きたいところを、あるいは知らないとならないところを上手く、掘り出してゆく。これが、技術的な、あるいは、絵を描く要領のようなくだらない事に向かわないよう。本質的なところにどう向けてゆくか。どの一筆も、作家としての意味がある。それが絵作りでなく、その精神にどう関わっているのかを、探りたいと思っている。制作者自信が無意識で、行っている作業を解きほぐす役割だと思っている。

おおよそは感性で描いている。感性というものが、その人間のこころのどの部分にかかわり、その人の思想をどう表現してゆくのか、この辺の過程を、一部でも感じられるような、講習会にしたいと思っている。私が企画した以上、責任を持っていい講習会にするつもりだ。
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子供達の状況

2006-11-14 05:54:43 | Peace Cafe
全ての矛盾は子供に現われる。教育原理の授業で、小松先生が言われた。この言葉を思い出さざるえない、大変な事件が相次ぐ。今日本で表面化してきた、子供を取り巻く状況は、日本という社会の悲鳴だ。毎日のごとく、親から虐待を受け、殺される子供がいる。地獄のような事だ。これほど辛いことは無い、最も愛情を注いでくれるはずの親が、子供を虐待する。一方、学校でのいじめを苦に、自殺する子供も相次いでいる。何とも悲しい事だ。いたたまれない気持ちになる。

社会の仕組みが、ぎりぎりの所で悲鳴を上げている。例えばこうした状況に対し、報道の姿勢というものは、感じられない。逃げる管理者を、追及することが、報道の正義のように、奇妙な、不思議な形で盛り上げているだけ。その結果、子供の自殺が、親の虐待が、更に続く事になる。何をさておいても「子供を守る事」そのためには静かにして、もっと遠回りしなければならない事もある。

日本的仕組みが、崩壊を始めている。それは良い意味でも、あるのだが、新しい組織を作る方法を、見つけられないでいる。批判承知で、書くのだが江戸時代の社会の仕組みを、近代の仕組みの問題点を通して、批判的に(ここが難しいのだが)過去の仕組みを見直し、再構成する必要がある。何かを決める方法を失っている。学校での心ある教師は、大変困難な中にいる。追い詰められた心境で、辛い毎日を送っている。その辛さも感じない、心を閉じる事を選択した教師は、今起きている状況も、全く認識も出来ずにいる。

役所も同様だ。普通に事業を進める方法を見失っている。県・市の提案する、里山事業に参加しているが、全く方法を行政は提案できないでいる。過去のやり方の反省はある。しかし、新しい方法を知らない。タウンミーティングのやらせが出ている。国民・市民を愚弄したような方法しか、思いつかないのだ。市民の為に事業を進めるのでなく、上司に、市議会に、市長に、法律に、命令されたので事業を行う。心を閉じる事で、人間としての思いを捨てる事で、状況を乗り切ろうとしている。そうでなければ、耐えられない社会になっている。

子供達にその矛盾が集中的に現われている。もう日本という社会が耐えられなくなっている。小手先の手法で、事を収めたところで、根本のあり方が間違っている。一言で言えば、拝金主義だ。明治以降の、富国強兵、立身出世。こうした意味の無い考え方だけが、今の社会を形成している。その結果、価値観の喪失、イデオロギーの喪失。社会が方向を見失う時、拝金主義だけが目立ってくる。要領よく立ち回り、お金を得る。これだけが、生きる目標になる。

愚痴っているわけではない。これを大転換する以外、平和な暮らしは来ないと言う事。自給自足に生きることを選択することは、社会からの逃避ではない。社会に対し、自分の生き方を通し、転換を迫ろうとしている、つもりだ。極めて遠回りではあるが、他人を食い物にしなければ、勝ち残れないような、競争社会を止める以外今起きている子供達の問題は、根本的には解決が出来ない。校長を、教育委員会を、文部省を、政府を、何処を責めたところで、一人ひとりの暮らしの方向が変わらない限り、弱い子供達に矛盾が集まってゆく。
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笹鶏肉の燻製の作り

2006-11-13 08:36:21 | 自然養鶏
少し寒くなってくると、鶏肉が美味しくなる。燻製を作ることは冬の間の楽しみだ。自家繁殖していると、半分生まれる雄鶏に困る。雌鳥が毎年100羽必要となれば、当然100羽の雄鶏が生まれる事になる。工業的養鶏では、この生まれたばかりの雄鶏は、焼却処分されたる。それは良くないと、もったいないというので、豚のえさにしているという話も聞いたことがある。

一時何とか、雌だけ生まれるように、卵で鑑別する事を試みたが、ダメだった。いずれにしても、生まれてくる雄鶏は大切に食べるしかないと思う。8ヶ月から12ヶ月の短い命と言う事になるが、誕生させる以上、食べてあげる事が唯一できることだ。1年近く育てると言う事は普通の養鶏ではありえない。一日、3円の飼料を食べるとしても、900円になる。これに、肉にさばく為には、250円。これが原価。だから、労賃は別にしても、1500円になる。

何故そんなに長く飼うのか。せめてそのくらいは育てたい気持ちがある。肉も一応鶏肉の味が出てきて、まだ普通に食べる事ができる硬さだ。私自身が食べるなら、3年経った雄鶏を、これが鶏肉だなと味わうが、1年ぐらいが丁度いいところだ。

笹鶏肉の好きな食べ方の一つが、燻製だ。燻製も色々作り方はあるようだが、醤油、味醂、日本酒、この組み合わせの漬け込み液をつくる。野菜は入れない。スパイスも、オールスパイスを少し使うだけだ。笹鶏の味を生かすには、余り野菜の味を入れてしまわないほうがいい、素朴で美味しく感じる。

①鶏を4ばらしにさばく。
②9日の夕方に塩(クリスマス島)をすり込む。
③調味液に漬け込む。冷蔵庫に保存する。
④毎日一回裏返す。
⑤12日夜に物干しに干す。(写真)乾くまで8時間
⑥13日燻製にする。温燻法と熱燻法の中間ぐらいで行う。1時間30分から2時間
現在、60度前後で、燻製を続け、3時間30分です。もう少し温度が上がるかと思いきや、上手く、調整が出来て、60度になっています。だから、温燻法で通しました。そこで、時間をのばして、4時間やるつもりです。その後、しばらくそのまま置きます。

ドラム缶で作った、燻製器です。温度調整が難しく、もっと上がると思ったのですが、上手く行きました。チップはウイスキー樽を使ったヒッコリーです。いつもは桜です。桜より煙の味が弱いように思いますが、こちらの方が、鶏の軽い味には良いようです。食べる前にもう一度、火を入れて温かいところを食べるのもいいと思います。

燻製は中々面白い食べ方で鶏だけでなく、魚介類が特に面白い。買ってきた干物なども、燻製して食べると、すばらしい味になります。保存法なのでしょうが、一度燻製にした物を、しばらく保存して、寝かせて味を馴染ませて、それから食べると、これが又良い。青ヶ島には伝統食の燻製があります。縞鯵の大きい奴を燻製にして、保存しておき、これを囲炉裏で暖めて食べる。思い出しても、唾がたまるほど美味です。
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ペットボトル回収世界一

2006-11-12 07:16:35 | 環境関連
飲料などの業界団体でつくるPETボトルリサイクル推進協議会によると、2005年度の市町村や事業者による使用済みペットボトルの回収率は前年度比1・4ポイント増の63・7%に達した。欧州連合(EU)加盟国を含む欧州の平均(34・6%)を大幅に上回る世界最高水準としている。
 
これはすばらしい。日本もやるじゃないか。うれしくなるニュースだ。
でも待てよ、ちょっと怪しいところもあるな。怪しいところを調べてみた。

一つは、日本のペットボトルの利用の増加だ。1・4%回収が増えても、全体がもっと増えていたら、燃やす量が増えているかも知れない。
もう一つ、EUと較べるところがなんともな。EUじゃなるたけペットを使わないんじゃなかったかな。
更に一つは、リサイクルとリユースはどうなっているの。確か、ペットボトルからペットボトルを作る技術というのはあったけど、それぐらいなら、リユースはどうなの。
更に更に気になるのが、ペットボトルは中国に輸出されているんじゃなかったか。

ペットボトル1本を作るのに、10円ぐらいかかると見ておけば良いらしい。
これを相当量燃やしてしまうわけだから、大変な事だ。以前ペットボトルなどを、集めて、燃料にしている製紙会社を、見学に行ったことがある。「ここはバーレーンなんです。」この言葉が印象的だった。

○ペット自体の生産量の増加は1年で。2万トンぐらいある。だから、1.4%リサイクルが増えるても、焼却量は変わってはいない。
この原因は、市町村分別収集にある。こう見えるように業界団体では書いているが。これは大して意味が無い。自動販売機脇のゴミ箱に入れれば事業系。家庭ごみの分別で出せば、市町村分別ゴミ。醤油と、清涼飲料水の違い。これが、スーパーマーケットに戻る事もあるし、こんな事は大したことではない。全量のうち、86%が清涼飲料水。これが事業系の増えた理由。

○EUも一人当たりで見ると、実は同じ量のペットボトルを使っている。しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナもEU加盟25カ国だ。モルドバ共和国ってどこにあるんだろう。今や、欧州連合を1カ国として扱って、ヨーロッパの環境先進国という扱いはおかしい。スイスはほぼ全量リサイクル、リターナブルらしい。

○リターナブル、これはやらない国が多いい。所が、タイ・フィリピンはリサイクルをやらずに、リターナブルだけ。そう言う事かもしれない。私は、水彩画を描くときの水入れは、アルミのお茶が入っていたボトルだ。口の大きい奴だ。これを数本用意すると便利だ。画材屋にある水入れより使い勝手がいい。ただで手に入る。たとえお金を出しても、120円は安い。画材屋で買うと、中身が空で、400円はする。リユースは暮し方の問題だ。

○中国への輸出、把握は困難。どうも一本の価格0.5円くらいで引き取り、中国へ輸出されているらしい。これが何と、アルミ缶より高価なのだ。これじゃ、集めて輸出に廻る。事業系で回収されたペットボトルが、経済原理に従い、中国へ向かうと、見るのが自然ではなかろうか。
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最小限の家 実施計画の検討

2006-11-11 11:21:29 | Peace Cafe
今日11月11日夕方4時から最小限の家の集まりだ。いよいよ、最小限の家は実施計画の段階に入った。一年余りかかって、一棟目を建ててみるところまできた。まずは笹村の家の裏山に建ててみる。地目は山林。水道電気は、すぐ引ける場所。ともかくやって見なければ分からない事が多いだろうから、試行錯誤するつもりで進めてみる。

進める中で起きてくる事を、確認する為に建ててみる。だから、行うことを出来る限り記録して、後に生かすようにしたい。先ずどの部分に人手がいるか。一人で出来る部分はどのくらいで、どれだけの手間暇がかかるか。製材のようにプロに頼んだ方がいい事が他に無いか。こうしたことも整理したい。

話し合って見たいのは以下のことなど。
①一棟目を建てる事で、計画を目に見える形にする。記録法、広報。
②行政への連絡、確認はどのように対応するか。
③今後の建築の協力体制をどのように決めてゆくか。

実施法
①製材、現在乾燥中の檜を大山木材さんで製材してもらう。その手順と費用
②構造、設計の具体化。板倉構造がいいか、2バイ4がいいか。
③建設は個別に行える仕組みを作る。道具の貸し出しなど検討課題。
④下作業を事前にやるとすれば、どんな形迄進めるのが良いか。
⑤基礎の構造。高床式の床下倉庫の作り方。基礎構造との考え方。
⑥発展して行く家になるから、応用性、柔軟性を重視し、その基本形を探る。

確認点
農の会のが目指す家は、生産現場であるだろう。(杉本先生指摘)

質素なくらしを表現した家。 →農の会的暮らしの方向を検討。本質的な意味で豊かな暮らし。
自然に馴染んだ家。    →美しく風景を形成するような、家でありたい。耕作地との融合。畑の意味、小道の意味
循環する合理的な家。   →利用可能時間を決める必要がある。2・3年か10年ぐらいか。100年か。
必要最小限の家。     →生産現場としての家、四畳半に1人。1間半のキュウブを基本にしたら。高床式。テラス的機能部分。屋根の意味。床下収納による断熱。倉庫としての機能 床下が家畜小屋。
安心して眠れる家。    →これが案外難しい。シェルターとしての家。窓や扉の構造
センターハウス      →各戸にいらない機能を、何処か別に設ける必要がある。
トイレ、炊事の別棟
地域で入手できる材料の家。→竹は注目。廃材やガラス等どう考えるか。
自然エネルギーの家。   →今後の課題。ライフライン。別個部会を設ける必要がある。建てる場に応じて考える。
費用のかからない家   →100万円以内で出来る家
簡単に出来る家     →1ヶ月で自作できる家

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タウンミーティングのやらせ

2006-11-10 04:50:03 | Peace Cafe
タウンミーティングがやらせだった。当然といえば当然のことが明らかになった。国民の声を聞く振りがしたいだけで。国民を愚弄しているのは、このタウンミーティングのホームページを見ればよく分かる。政府の政策を説明する為の、場作りだ。

行政の手法に、一応、市民国民の声を聞くという段階が、マニュアルの中にある。条例を作る、法律を作る。何かを行政がやるときには、少なくとも聞いた振りをしなくてはならない。そうしたルールがある。ところが、本当に聞いていたら仕事にならないと、行政は考えている。だから、聴いた振りをするという、一ページがシナリオに加わることになった。

これは何処の行政のホームページを開いてもある。今なら、「小田原市国民保護計画の意見募集のお知らせ」こういう形で、意見が募集される。私は農水省のものにはよく意見を出す。小田原市のものにも出す。出したからと言って何かが変わるということは無い。そんな経験は無いのだが、民主主義は根気だと思い、何かしら出し続けている。地域関連のタウンミーティングも出て意見は述べる。だからと言ってどうにかなるとは、正直思っていない。慌ててもしょうがないが、意見が無いから止めるといわれるのも困ると思ってきた。

民主主義の問題だ。行政は市民を甘く見ている。本音では愚弄している。これは常日頃接して感じているところだ。慇懃無礼な態度で、心を閉じていることが良くわかる。「閉じていなければやっちゃいられねぇー。」というのが本音だと思う。仕組みが悪いのだ。市民の声を聞きたくたって。まじめな人は、最初は一生懸命聞く。しかし、聞くのは上からの声だけにしなければ、おかしな奴になってしまうのが、今の行政だ。

「パブリックコメント」大体この馬鹿にしたような言葉で始まった、形式主義がよくない。今のところ、法律にあるので仕方なく行われる仕組みだ。私は第2東名高速道路建設計画に対して、意見を出したのが最初だと思う。作るべきではない、と書いた。まだ、聞いてくれるのかもしれないと、思い込んでいた頃だ。山北町の町長懇談会では、「ゴミ焼却場と、町営水道の取水口が、接近しているのは、問題ではないか。」こう聞いた、なんと「山北の焼却場の灰は畑に撒けるぐらい綺麗だ。」町長の答えだ。こんなレベルだから、担当者はやらせをやらざるえないのだ。

民主主義という方法論が、いよいよ理解されていない。議論をする。批判をする。そうした経過が、民主主義には不可欠だ。批判しあうことで、より高いレベルの達する、という考えが忘れられた。人の話を利かないのは、行政だけでなく、最近の日本人の特徴なのかもしれない。相手の話を聞き理解するということがヘタになった。良い話し合いには、時間がかかる。そんな暇が無いのだ。社会が慌しくて、ゆっくり話すことが出来なくなった。江戸時代の話し合いは、3,4日かかるのを当然と考えて、泊り込みの覚悟だったそうだ。
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団塊サミットin丹沢

2006-11-09 05:49:22 | 身辺雑記
第3回「団塊サミットin丹沢」 団塊パワーで地域創造を!12月2日から3日秦野市文化会館で開催される。基調講演が、「立ち上がれ、団塊人よ!」残間里江子氏。丹沢ドン会が中心になって準備している。ドン会のコーディネート力はずば抜けているから、きっと準備万端ということだろう。

私は第二分科会「緑と農の元気作り」にパネリストとして参加する。農の会での活動を話すことになると思うが、どうも、お年寄り(怒るだろうな)に空元気を与えるようで、実態を具体的にアドバイスできるか。この辺の事を考えている。

年寄り(本人は間違いなくそう思ってい、ない)と言うのは本来足手まといなもので、若い人達が主力でやっていることの障りにならないと言うのが、第一の姿勢だと思う。だから企業社会のように利益第一のところでは定年と言う形で、引き取ってもらうのだろう。全てはそういう大前提がある話だ。

立ち上がれ!とか、地域創造を!とか、セカンドライフをどう生きる!など。発破をかけるのだろう。元気がないから励ましたい、と思うのだろうか。どうもこういうところに参加する、青年のつもりの人の実態を理解していないように見える。元気があるから、秦野まで行って見ようとする。大抵、年の割りに元気すぎる。来るからには具体的な情報を知りたいと思っているのだろう。精神論は今更いらない。

57歳3ヶ月だ。団塊の世代の最後の辺りに居る。一時、定年帰農ということを、農文協が主張していた。そのときも私は、止したほうが良いのに。と言っていた。農業は若い人がやることだ。体力が勝負の世界だ。まして、若いときに百姓の身体ができてない者が、無理すると必ず身体を壊す。壊し方は様々だが、良く無い結果をたくさん見てきた。

生涯貫く仕事は1つだ。そうあれこれは無い。若いとき選択できなかった者が、今更フォークが歌える飲み屋で、歌手気取りでギターを鳴らしたところで、歌手になれるわけではない。小椋桂という銀行員だった歌手の人がいたが、結局途中退職した。でも、銀行員だった頃のほうが、いい曲作っていたのは何故だろう。

絵を描くということを貫きたくて、様々なことをやっているのだと思う。自分の絵を描くには、会社に行く人も居るし、農業をやる人も居る。そんなことは他人が評価することでも、もちろんとやかく言うことでも無い。今更他と比較して云々ではない。自分が納得行くようにやれればそれでいいと思ってきた。この際心機一転というのは、ダメだ。余裕で何かをやろうと言う精神が良くないのだ。何かをするというのはいつも、背水の陣だ。

こんな感じで精神論に繋がるんだな。少しでも時間と余裕があるなら、ぜひ農の会を手伝ってほしい。若い人が農業を、立ち上げる為に、大変な苦労をしている。その上に様々な雑務がある。会計とか、書類の提出とか、農業者になるために書類が山ほどいるなんておかしいけど、そんな雑務を引き受けてほしい。人が居れば、助かることは山ほどある。農家になるなど、無謀だ。その周辺で役立つことを考えてもらいたい。

養鶏業はあと2年9ヶ月のつもりで居る。60歳まではもう一頑張りのつもりでいる。体力が、気力が、知力が、徐々に衰える。大きなボロが出ない前に、引き上げをしたい。それで、自給自足の体験の場作りのほうに、進みたいと思う。
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あしがら農の会「研修制度の検討」 

2006-11-08 06:01:14 | あしがら農の会
あしがら農の会が、「地場・旬・自給」の理念を掲げ、活動を続けてきた背景には、放棄農地の増加と、足柄での新規就農者の希望がありました。

現在、新規就農者は増えました。市民農の増加も、着実に継続していると思われます。一方、放棄地の増加はとどまりません。各行政も、耕作放棄地の減少を政策課題に挙げ、対応しています。そうした状況を背景に、更に新規就農者がこの地を選択し、訪れることが予測されます。会の目的からしても、受け入れを推進することには、異論の無いところかと思います。

しかし、現在のように一定のレベルを確保しつつある農業者の中に、仲間として加わる為には、それなりの栽培技術や、農業者としての考え方が必要でしょう。又、会の理念に対する認識、あるいは会の持つ言葉には出来ない空気なども、体感してもらう必要があると思われます。一定期間、研修生として参加してもらうことは、互いにとって有意義と思われます。

研修施設は全国に様々存在します。研修を受ける側の立場に立つて考えてみると、研修の目的は多様なものです。純粋に農業技術を習得したい。と言う人も居るでしょう。また、憧れとしての、農的な生活を味わって、確認したい人も居るでしょう。中には、自給自足的生活を体験したいと言う人も居るかもしれません。農業者になる糸口を探していると言う人も多いです。

一言に農業研修と言っても、多様です。各県に一つぐらいは行政が主導する、技術研修所があるようです。あるいは、各地にきわめて優れた農業者が個人的に主宰する研修施設もあります。しかし、それで充足できない研修分野が、あしがら農の会には生まれてきていると思います。

国の行った研修機関に3000人が参加し、農業者になった人は、10人に満たなかったと言う話です。農業技術は伝える事ができても、農家になるまでの道筋を伝える事は、行政には難しいことだと思います。また、カリスマ的な農業者一人に学ぶ場合は、農家のあり方を限定的な範囲で考えがちでは無いでしょうか。

一番望ましい環境は、実際に道を切り開こうとしている、多様な先達が居る事です。様々な形で、道を切り開こうとしている実際を見ることです。農の会には、多様な人材が集まり始めています。農業者として、又建設業者として、極めて優秀な人が顧問であり、協力していただける、環境もあります。これらの要素を生かし、研修制度を検討してみることは、重要なことではないかと考えます。

具体的な形は今後検討してゆくことになるでしょう。中心としては3ヶ月から半年ぐらいの期間の研修がイメージとしてあります。長くて1年でしょうか。それ以下では、受け入れ側の負担が大きいでしょうから、謝礼を貰って行う研修になるでしょう。また、1年を越える期間になると、むしろ費用を払って、手伝ってもらうと言う事になるでしょう。

都合の良い労働力という見方は、お互いにとって良く無い。又、手取り足執り指導を行う、学校形態も負担が大きい。研修を受ける人に、宿泊場所を提供する。行う作業を提案できる。希望があれば、研修用の自分の畑を提供する。出来る限り、研修する人の自主的な活動にする。又、研修を経てこの地に就農する場合の農地の確保、販売の協力。こうしたことも、考えて置くことが大切になるだろう。
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無防備地域宣言

2006-11-07 06:56:53 | Peace Cafe
昨日、マロニエで無防備地域宣言の学習会が在った。関西でいくつかの運動の中心となっている。澤野義一氏(大阪経済大学法学部教授)の講演と質疑。小田原では以前から、Kさんが呼びかけてきた。藤沢の取り組みのときには、署名活動まで参加されていたと言われていた。9条の会の集会の時も、このことを繰り返し言われていた。

イラク市民レジスタンスの人達が、藤沢に見えたときに参加した。中心に動いているのが、MDSの人達だ。MDSと言う組織がどんな組織かは知らないが、無防備地域宣言の神奈川の運動では、積極的に呼びかけている。今回の集まりでも、MDSの機関紙が置いてあったので、やはり、何らかの関連はあるのだろう。Kさんが2度やった、イラク戦争の写真展もやはりMDSが関わっていた。
上部組織のある活動と言うのは全貌が見えないと、関わる気がしない。KさんがMDSの会員と言う事なのだろうか。

無防備地域宣言の活動趣旨は、平和をめざす者にとって、理想的やり方で異論は無い。問題は、いつも出てくる運動論だろう。9条の会が5000を越えて広がっている。当初共産党関係の人は、この活動を敬遠していたように見えた。小田原でもやりましょうと、私がよびかけた頃は、やらないとはっきり拒絶された。しかし、今は活動の中心に居る。上部の運動方針が変わったのかな。など想像している。

もし小田原で取り組むとなると、憲法9条改定の国民投票までにいたる、道筋の問題が一番であろう。様々な形で、平和運動が行われるのは望ましい事だ。互いの活動を、否定する必要は無いが、力量的に一人にとっては何かを選択しなくてはならない。Kさんもその心配を昨日の集まりので発言していた。

「9条の会で無防備地域宣言を呼びかけたが、9条の会では自衛の為の軍備は容認する人も居て、憲法の理解が間違っているのではないか。」こう言われていた。多分この辺が、整理しないと混乱する点だろう。到達点の違いというか、運動論の違い。どちらも平和を願いながら、対立することになりかねない。憲法改定国民投票が用意されている。互いの違いは違いとして、評価を、信頼をどのように高めるか。ここが大切な事になるだろう。

無防備地域宣言の内容については、リンク先で読んで頂く事にして、署名活動になる。地域の2%の人の署名を集める事になる。その上で、条例制定を住民請求する。しかし、条例が制定される可能性は無い。と考えた上でやる活動だ。この辺のジレンマがある。目黒区では現在、署名活動が進んでいる。本日20筆、トータル3435筆(目標10000筆・法定数4400筆以上)もう少しで、直接請求が出来る。目黒区も、小田原も人口的には近い。4000人の署名を小田原で集めることは可能だろう。

この活動に取り組むことで、主体的に一人一人の暮らしが見直され、平和な暮らしに向かう事になることが、大切なのだろう。
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竹林の作業

2006-11-06 04:40:53 | あしがら農の会
2回目の苅野の孟宗竹の竹林の整備を行った。前回に引き続き、9人で行ったが、まだやっと手をつけたという程度だ。全体で、3反位の広さの竹林。孟宗竹の管理がどれだけ大変かがよく分かった。何かいい方法は無いものだろうか。

作業の手順は前回の経験から、大分変わった。上に上げて処理すると言うのは、止めた。燃やすのも止めた。少し低くなったところがあったので、そこにできる限りを置いていった。最初は、確かに切り難かった。倒しす方向も間々なら無らず、曳きずり出すのも、3人がかりと言う状態だった。それでも段々空間が出来てくると、かなり作業がしやすくなり、一気に進んだ。

当然の事だが、竹は根本の方を持って引きずらないと、枝が引っかかっていけない。所が、いい方向に倒すと言う事が、簡単では無い。こんなことが、いちいちに真竹とは違う。18日にある、赤田の真竹の作業は、そんなことで苦労は無いはずだ。切り倒すのも、のこぎりでかまわない。2人一組で、あちこちで切っては、曳き出して問題が無い。孟宗竹はのこぎりでは時間が掛かりすぎる。チェーンソウが必需品。こんなことでも、やってみないとわからない。

孟宗竹と、真竹の見分け方は見た目には中々難しい。ところが、地元の人で一目でそれが分からないような人は居ない。田んぼの稗と、稲の違いではないが、子供の頃に体で覚えた者で無いと、理屈で判別法を作らないとならない。それが、竹の節のところの違いだ。箱根湿生花園の学芸員の高橋さんに教わった。所が、昨日もこれを逆にみんなに伝えていて、更にこんがらがってしまった。付け焼刃は恥ずかしい。真竹は節のところの線が、二重。孟宗竹は1本。

孟宗竹の由来、来歴が又面白い。孟宗竹は清国→琉球→九州と伝播し、江戸に持ち込んだのは寛永元年(1624)のこと、廻船問屋山路治郎兵衛勝孝がもたらした。薩摩藩の江戸屋敷にあったもが流出した。と書いたものもあった。承応3年(1654年)宇治黄檗山万福寺に明国の僧隠元が孟宗竹の母竹を携えて 来日し、これが西山の麓一帯に定着して、たけのこが食されるようになったとも。21代島津吉貴は、仙巌園に琉球国から得た江南竹(孟宗竹)を植えた。と書いてもある。元文元年(1736年)に琉球を通じて2株が鹿児島の島津家二十一代吉貫公に贈られたのが栽培の始めとされています。などなど。

名前の由来としては、古来中国の孟宗君の話し、我儘者の病気の母親が、雪の中竹の子の煮つけが食べたいよぅ。とノタマウノデ、探した所、雪中竹の子があり、食べさせたと言う孝行話から、孟宗竹と命名。
教訓:もっともらしい話ほど信じてはならない。と言う事かな。

一度綺麗にしてしまえば、その後の管理はそれほど困難では無いと思うが、荒らしてしまったものを、きれいにしようと言うのは、やはり大変なことだ。常日頃のちょっとした手入れの積み重ねが、竹林の管理では大切なようだ。私としては中途半端に終わるより、何とかけりがつくまでやってしまいたい気持ちだ。しかし、畑で忙しい、みんなにこれ以上参加してもらうことは、申し訳なくて出来ない。
と言ってわが身を振り返ってみれば、我が家の竹林も何とかしないと。
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朝の散歩

2006-11-05 05:17:57 | 身辺雑記
毎朝犬を連れて、散歩に出る。養鶏場までの1,5キロほどの山道だ。家から出たら、一気に山の方に登る。標高で、100メートルほど登る。そこからは水平道で、養鶏場まで行く。登りは少し大変だが、犬が引っ張ってくれるので、助かる。

裏山へ真っ直ぐ、登ってゆくのだが、最初の段は、今度最小限の家を建てる場所だ。ゆるやかに登りきった辺りに、少し広がった台地がある。ここからの眺めは、中々なものだ。小田原の町が広がり、その向こうに海が広がっている。天気が良いと、房総まで見えることもある。向かいの尾根筋も、日陰の方のが、すそを固めて、今度やる田んぼも見える。

この丘に何軒かが、畑をやってきたらしいが、今は一軒のお年寄りだけが熱心に続けている。放棄されてしまった畑跡は、自然に任せられ、徐々に山に戻ってゆく。笹が入り始めてしまった、更に海側の畑は、ついに無残な手に負えないような状態になってしまった。しかし、さらにその奥には、隠れるように家が最近建てられた。道も迂回して入っているのだが、うまく隠れるように建てられている。みんなが違法建築だと噂しているが、人が住んでいる様子は無い。

唯一畑をやられているのは80は越えた、3軒隣のおじいさんだ。1町分の畑を管理されていると思う。それでだけやられているが、出荷用という訳ではない。あくまで管理のためだ。草刈が、日課のような状態だ。作物は、イノシシとタヌキに随分やられてしまう。お陰さまで、そこが通れて、散歩が出来る。

その先、山に入ると、コンクリートの道に出る。両側、杉の植林がされている。四角いコンクリートの水槽が、点在しているので、ここも昔はミカン畑だったことが分かる。その昔は、麦などを作っていたのだろう。その程度の傾斜だ。やっと残った、一間の道を300メートルほど行くと、ミカン畑が突然現われる。取り残されたように、3反ほどのミカンがやられている。どんな気持ちで、続けられているのか。人に出会ったことは無いので、どんな人かは分からない。以前、大音量でラジオが鳴っていて、人が居る事がわかったが、姿は見たことがない。

ここからは、分け入るように進む、山道だ。山道を散歩できるうれしさは毎日でも、変わらない。夏場は私が草刈をしない限り分け入る事もできない道だ。ここを通る人は私以外、無いのだろう。しかし、この道が意外にしっかり出来ている。ここが石切り場に行く道だからだそうだ。見地石を作っていたらしい。私が養鶏場をやっている辺りは、掘り出した石を整形していた場所らしい。しかし、これも話だけで、何処が石切り場跡なのか、探したが見つからない。地元の人でも現場を見たことがある人は居ないだろう。それぐらい古い話だ。
道は再度コンクリートになる。石を運ぶ為のしっかりしたつくりなので、管理はしないが、崩れることが無い。敷石の上にコンクリートが引いてあるそうだ。ここからは眺望が再度開け、養鶏場に到着する。

毎日往復する。朝の気持ちの良い時間だ。片道20分ほどだが、雨が降らない限り歩く。犬たちが、散歩を権利だと考えていて、何かでいけないと、不当な扱いを受けたということで、心外と言うか、不信な顔で人のことを眺める。眺めるだけなので、ちょっと辛い。。雨の日が微妙で、この程度の雨なら行くべきだと、当然の権利を主張するが、雨だ、と言うと、あっさりあきらめる。犬からは学ぶ事が多い。
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小田原市 市議会選挙

2006-11-04 06:33:11 | Peace Cafe
ピースカフェを一緒に始めた、「佐々木ナオミさん」が小田原市議会選挙に、立候補する覚悟だと言う。佐々木さんはCAPの活動や米飯給食推進活動をしてきた。ともかく子供のみかたということで、いろいろ動いている人だ。

佐々木さんと始めて会ったのは、おしゃべりサロンで農の会の話しをさせてもらった時だ。「私、こんな派手な顔してますが、日本人です。」とかいって、元気一杯で、おしゃべりをしていた。ご主人と、子供の塾をされているということだった。
その場で農の会に入りたい。即決断して、中原さんの田んぼに加わり、味噌の会やお茶摘など、一緒にやってきた。

カンが良くて、積極的で、こんなお母さんが新しい市民社会を作るんだろうな。と思っていた。
思いはみんなにある。でも、誰かが最初に手を上げないとならない。それは、中々、覚悟のいる、大変な事だ。

小田原市の現状はどうだろうか、駅前の再開発と、城下町ホールに大きな予算が割かれ、無理強情に進められている。やはり100億円事業になるであろう、ゴミ広域化処理に伴う、ゴミ処理の再編では、聞きに行っても何も決まっていない。の繰り返しで、全てが決まるまでは、市民には伝えない、こういうやり方だ。

城下町ホールのボタンの掛け違えは、設計をコンペにしたところに始まる。コンペにして、東大の教授に選定してもらう。この背景に起こることを、予見するのが、市会議員だ。背景に起こる、悪意の介在の可能性も見抜かなければならない。市民に変わって、そうしたことを調べ伝えることが、市会議員の仕事だ。

もちろん、そんな能力は誰にもある訳では無い。専門家である必要は無い。個人の力など知れたものだ。そこで、大切な事は、聞く耳を大きく持つことだ。その仕組みを議員の背景に持っているかどうかだ。ゴミのことなら、誰と誰に相談して見る。子供のことなら、あのグループと話してみる。こうした、幅広い情報収集能力と、何が問題かを見抜くカンだ。この厚みがどれほどあるかが市会議員の資質だ。

残念ながら、小田原市の大半の市会議員は、その能力に欠けていた。自分で忙しく動いている人はいるが、厚みのあるブレーンを作っていない。だから問題が悪化するまで気付かない。
そして、多くの市会議員は地域代表であり、利権代表だ。地域の集まりというと、意見は出さないが、顔だけは出す。

肝心なゴミのことで質問をしても、全く知識がない。通り一遍な事は答えて、事情通のところを見せようとはする。ところが、基本的な方向を決めている、今という時期の重大さに認識がない。世界全体のゴミ処理の方向、日本の考え方の間違え、そして県の迷走。そのつけが小田原市の現状に表れている。しかし、ゴミ処理は市の専権事項だ。独自の考え方を持つことはできる。

佐々木さんに風穴を開けて欲しい。硬直化してしまった小田原市議会に、おかあさんに出て行って欲しい。因習化した、名誉職のごとき認識の、古臭い市議会の世界を、新風で一新してもらいたい。

私の知る限り、佐々木ナオミさんは、最もふさわしい人でしょう。
是非、佐々木さんを小田原市議会に送り出したい。 そして、小田原の可能性を100%発揮させたい。
来年の4月まで、全力で佐々木さんを推そうと思う。小田原の方には、このことでお願いをいろいろしますが、
ともかく、話を聞いてみてください。
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舟原で田んぼを始める。

2006-11-03 06:10:47 | 稲作
ついに、地元舟原で田んぼを始めた。もうレンゲを撒くぎりぎりのところだったので、慌てて耕運して、レンゲの種だけは蒔いた。3年前に放棄された田んぼだ。お年よりが亡くなられて、30代の若者の兄弟だけが残された。二人とも畑に興味が無いようだし、仕事も忙しいそうで、見かけることも殆ど無かった。の集まりでも、見たことが無かった。

一昨年は貸してくれないかと言う事で、先ず何処の田んぼかなど、ご近所に聞いてみたりしていた。地域に放棄された田んぼが出ると、気が抜けたように次々止めてゆく恐れがあるので、やれるものならやってみようと考えていた。3段に分かれていて、2反5背ぐらいだろう。水が、通年通水のようなので、そこは面白いと思っていた。入水と排水が違う水系になっているのも、この辺りでは珍しい。

カヨ子さんが一緒に太極拳に行っている同じの方と話していて、田んぼのことが出たのだそうだ。向かいのSさんが、その田んぼを管理だけされている、と言うのだ。管理も大変なようだから、Sさんは後見人だから、聞いてみてあげる。と言う事で、何か話が進んだ。先日坊所田んぼの集まりがあったので、皆さんに相談した。参加家族も増えたし、家からも近いので管理もしやすいので、移りたいのだけど、どうか。みんなも、坊所の後を、杉山さん達がやると言うのなら、賛成だと言う事で、了解してくれた。

契約はまだしたわけではないが、レンゲだけはもうこれ以上延ばせないので、蒔かせてもらった。朝から、まごのりさんのところからトラックターを借してもらい、耕した。3年放棄されていたので、状態を見たいと言う事もあった。土は意外に赤土混じりだ。粘土分は少ないようだ。道路わきなので、道路の舗装工事に伴い、土を変えたのかもしれない。石は少ない。でこぼこが多く、これを直すのは一苦労だ。畦も殆ど崩れているので、しっかりと積みなおす必要がある。

三段目の最後の田んぼには何故か排水路が無い。どうも浸透させていたと言うが、ちょっと不思議だ。これも少し工事をして直さなければならないだろう。

夕方から雨になると言うので、急いで、種を蒔いてしまった。その間近所のお歴々が入れ替わり立ち代り、中には終日。見ていた。そんなに暇な人が居るのかと思い。これもビックリした。こういうことから、地主さんがやっぱり貸せないと言う事になることも、よくある。あんな奴に貸す位なら、オレがやる。と言う親戚が出てきたりすることもある。それならそれでいいと思う。

地域の人にとって農地の管理は気持ちの負担になっている。忙しい息子に気を使いながら、休みに手伝ってもらうことが、先ず大変だ。この地区はお婿さんが多いので、それでも手伝うようだが、もう少しで限界が来るのではないだろうか。多くの方が、江戸初期からこの地域に住んでいることが分かっているのだそうだ。先祖代々、守ってきた農地が、山が、いよいよどうなるか。心配している。

私のような他所から来た者が、田んぼをやると言うのは、なかなか難しい。面白くは無いが、仕方が無い。そんなことを話しながら、きっと私が耕しているのを見ていたきがする。笹村さんは気力がある。仲間が居るから。結構上手いんで驚いた。声がいろいろかかった。これから、水利組合、生産組合、と接点が出来てくる。やると決めた以上、覚悟を固めて田んぼをやってゆこう。

農家の方が、何でも綺麗にやる気持ちがわかった。あれだけ見られていたら、いい加減にやって置くという訳には行かない。
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安倍総理の再チャレンジとは何だ。

2006-11-02 06:07:01 | Peace Cafe
安倍総理は、所信表明演説で次のように語っている。「新たな日本が目指すべきは、努力した人が報われ、勝ち組と負け組が固定化せず、働き方、学び方、暮らし方が多様で複線化している社会、すなわちチャンスにあふれ、誰でも再チャレンジが可能な社会です」

OECDによると、日本の現状は、相対的貧困率(所得格差)が加盟国中下から2番目に悪いそうだ。小泉政権時代格差社会と言う事が盛んに言われた。当初はそれを否定していたが、結局は数字がそれを示し始め、認めた。100万の生活保護世帯。そこで、貧困層にも機会を与えようと言うのが、安倍総理の再チャレンジだ。

これは、負けるものが多数存在することを容認しよう。こう言っているのだ。チャンスがあるのに負けるのだから、貧困であることは本人の問題だ。こういっているのだ。平等の競争を唱えるのは強者の論理だ。

一億層中流社会と言われていた日本。貧富の差が無いところが、日本の活力であり、平和な社会の形成につながっている、と盛んに言われた。農村から離れた、大多数の日本人が、様々な職業に散っていった。求人難、金の卵と言われ、どの職業も収入的には、差がなかった。中卒で、工場や、工務店に勤めても、大卒で、企業や役所に勤めても、収入的には大きな差が生じなかった。これが日本の活力だった。

所が、小泉政権下、大きく変わった。弱肉強食の競争社会を作り出そうとした。これが、規制緩和の構造改革の実態だ。更に安倍政権はこれを進めようとしている、だからこそ、再チャレンジを連呼し、負けるものがどんどん増える事を予見している。この先、更に貧富の差のある社会が到来する事を、再チャレンジと言う言葉で、宣言している。貧困層にもチャレンジできるのだから、良いだろう。こう今から弁解しているわけだ。

先日、島本篤エルンストさんから、神奈川県の外国人労働者の実情を伺った。低賃金が固定化し、労働条件、子供の教育問題、深刻な状況にあるとのことだ。所が、この外国人労働者の中に、日本人が進出してきている。こう言われるのだ。とても日本では生活できない、労働条件なのに日本人がまぎれていると言うのだ。

外国人労働者問題は、実はこの貧富の格差の固定化になる。
私の知る福祉関係に働く若者達は、ボランティアと言ってもいい低賃金で頑張っている。介護関係に就職する、志ある青年達が低賃金のなかで、情熱を燃やしている。しかし、こうした低賃金での継続は難しく。止めざる得ない者も多いい。それでも、ボランティア精神で歯を食いしばり、低賃金に耐えている現状だ。

フィリピンから看護士の受け入れが始まった。看護士数が足りないからではない。低賃金での固定化が行われ、情熱だけでは劣悪な労働環境の中、継続が出来ないのだ。そこに、外国人労働者が入ると言うことは、まさに固定化が行われることになる。これが規制緩和の実態だ。

農業分野も同様の状態がある。企業的農家の支援。中小の農家の切捨て。強者の論理で、効率だけを求めているのが、今の農政だ。企業的農家が、世界の農家と競争すると言うのでは、村祭りの準備など関わっていられないだろう。川掃除も、道普請も、地域を守る全てを、誰が行うことになるのだろう。竹林の管理すら地域できなくなっている。
そんな世知辛い社会は住み難い。
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自給と共同作業

2006-11-01 05:33:21 | 自給
農の会は、「農業をやって見たい。」この思いと、「農業をやってみる。」をつなげてきたのだと思う。農業をやって居ます、こう話すと、大多数の人が、うらやましいですね。そんな暮らしを憧れているんです。こう答える。もちろん農業未経験の人だ。農業者や、農家育ちの人は、「よくやるね。農業だけはやりたくない。」こう答える。

農業をやって見たいという人も、実は本音として、「農業は大変で、とても自分にはできない」と考えている。だから、幸いの事と言うか。やりたいけどやれない、と言う農業を取り巻く現実は、そう悪くない。それをいい事にというか、軽く、「私もやってみたいです。」絶対に出来ないと思いながら、こう言われるのだと思う。

「やってみたい、からやってみる。」への距離を失くしたのが、農の会だと思う。間違って、やって見たいなどといえば、明日から田んぼに行かなくてはならなくなる。そういう状態を作ってきた。農業をやりたければやれる。準備は要らない、思いだけあればスタートできます。こう呼び掛けて来た。

日々の暮らしと「自分の食べる物を作る事」を何処まで接近させられるか。これを模索してきた。今年この壁を、打ち破る出来事に2つ出合った。一つは、福永さんと言う方が行った、60坪の田んぼだ。100キロぐらいのお米が取れた。これを、全て手作業で、しかも、労働時間は合計50時間ぐらいだろう。これは技術の勝利だ。不耕起田植え法で行った。

もう一つは、大豆の会の活動。自分の家の味噌を作る。このためにどのくらいの時間をかけて、大豆から作れるか。種蒔き、育苗、畑の準備、定植、草取り、収穫、脱穀、選別、これを共同で進めている。一軒の必要大豆は、3キロから、6キロ。
参加者が、30家族で充分の収穫になる。これにかける時間が驚くほど少なかった。

いずれも、機械は要らない。手間もかけない。費用もかけない。それで充分な収穫がある。自給の原点だ。味噌と米が確保できる。後は庭先で、少々の野菜を作れば、食の自給が達成できる。いずれも蓄積してきた、技術の、成果だと思う。

「一日2時間で、100坪の土地があれば、自給できる。」これが誰にも可能な状態に近づいている。要するに技術力だ。技術が一番の要素だ。技術はワザではなく、誰にでも再現できる方法だ。野菜についても同様なことがいえる。自分が食べる野菜は、かなり省力化した方法で生産が可能だ。見栄えは悪いし、美味しく無い野菜でかまわない。

やって見たいという思いを、軽々と実現する為には、技術の集積が必要だ。プロの農家が培うワザではなく、誰にでも出来る技術で、体力もいらない方法だ。農の会にはそれが、大分蓄積されてきたと思う。そろそろ、この蓄積を人に伝えてゆかなくてはならないと思っている。農業をやりたい思いを、即、実現できる方法を伝えたい。

こちらはもう少し本格的な農業の方だが、農の会自体も、農業研修の検討に入ろうとしている。これも重要な一歩だと思う。
家の脇に作る、「最小限の家」は最小限の暮らし小屋にしたい。食の自給を、体験してもらう家にしたい。田んぼはこんな方法がありますよ。畑はこんなが良いですよ。鶏はこんな風に飼いますよ。これを実体験してもらう家にしたい。11月11日が、最小限の家の集まりです。
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