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コロナ5類移行から1年が経過

2024-05-15 04:25:23 | 暮らし


 コロナが5類に移行されて一年が経過した。この一年、コロナの爆発的な増加はなかった。しかし、無くなったわけではなく、潜在化して一定数の感染はは広げている。年寄には今でもきお付けるべき病気である事は変わりがない。でもまだ有料になったワクチンは打っては居ない。

 7000円がワクチン費用というのだが、驚いたことは以前厚労省が見積もったものは、ワクチン代3260円。接種費用3740円。あわせて、700円だったものが、ワクチン代がいきなり11600円に跳ね上がった。そのため15300円になった。なかなか高価なワクチンになってしまった。

 仕方がないので、政府が補助金を上乗せして、7000円で打てるようにすると言うことになった。なぜ3260円だったものが、11600円になるのだろうか。どこで誰が間違えたのだろうか。円安のためこういうことになったのか。製造数が激減して、製造コストが高くなったのか。

 コロナパンディミックで何が起きたのだろうか。令和4年の男性の平均寿命は 81.05年、女性の平均寿命は87.09年となり前年と比較して男は0.42年、女は0.49年下回った。平均寿命が前年を下回るのは、令和3年に続き2年連続で、下回り幅はR3年よりも拡大している。

 令和5年度も、間違いなく寿命が短くなりそうだ。コロナパンディミックで年寄の死亡が多くなったためであろう。短くなった寿命よりもさらに短くなるのだから、かなり深刻な事態と考えなければ成らない。年寄の残された10年が1年短く9年になってしまったのだ。

 コロナパンディミック四年間で2年近く寿命が減ってしまったのかも知れない。ずいぶんの逆戻りである。2年も生きる年限が短くなると言うことは、あれこれ考えも変える必要もある。福祉的予算は大分助かったはずだ。寿命がまた長くなれば、いよいよコロナが収まったと言うこととに成るのだろう。

 年寄には相変わらず深刻な感染症の流行と言える。友人にも感染した人が数名居るのだが、後遺症に苦しんでいる人が居る。鼻と呼吸器が調子が悪く、倦怠感に悩まされている。老人だから仕方がないと言うこともあるが、直接的にはコロナの影響と言える。

 年寄が早く死ぬようになったと言うことは、国の財政としては良いことなのだろう。保健や医療費の問題がいくらか先延ばしになるのだろう。しかし、それ以上に深刻な問題が、子供の方に起きている。免疫力の低下である。コロナの対応を世界中が間違えたのだ。

 子供が感染症対策をしたために、様々な病原菌を遠ざけた。そして子供時代に得るべき免疫の機会を逸した。その結果今までとは違う病気の流行が起きているのだ。プール熱やインフルエンザの流行はかつてない数になっている。さまざまなウイルスが同時に流行し、以前の流行状況のパターンと変わってきている。

 子供達は大変だが、免疫力を高める以外に対策はない。子供はウイルスが危ないから、マスクをしたり人混みを避けたりしているよりは、免疫を高めることを考える以外に対策はない。よく寝て、良く運動して、何でも食べる。家でゲームなどして居ないで、外に出て活動的な生活をする。

 老人はとことんマスクをする方が良いが、若い人は又別だ。汚いを避けてばかり居れば、一見衛生的だが、病気になりやすくなる。世界は無菌室ではない。そこそこ汚い世界の中で人間は生きるように出来ている。それが免疫力である。免疫力を得るためには菌の力が必要なのだ。

 免疫力を付けるためには体力を付けなければならない。野外を走り回れるような子供の方が免疫力が高まる。子供の体は「自然免疫」と「獲得免疫」によって、ウイルスや細菌などの病原体から守られている。自然免疫とはヒトが生まれながらにして持っている免疫システム。

 獲得免疫とは後天的に形成される免疫システム。子供はこれを獲得していかなければならない成長時代だ。免疫力の弱い子供は様々な方法で、獲得免疫を高めて行かなければならない。ヒトは生後10ヶ月頃~5歳頃までに、約300もの病原体に感染する。病原体に感染するなかで獲得免疫を強化してゆく。

  子供の身体は、抗体を作る際に重要な働きをするT細胞やB細胞などのリンパ球は、大人よりも多いい。とくに1歳~4歳までは大人の3倍もあるといわれている。その間にたくさんの病原体に感染して、抗体を得ることで獲得免疫を強化して免疫力を高めて行く。

 赤ちゃんほど病気にかかりやすいかというと、そこは旨く出来ていて、お母さんから抗体を受け継いでいる。また母乳を飲むことによっても免疫力を高めている。そのために赤ちゃんの内は病気に成りにくくなっている。これは動物一般にそうなっている。

 子供の免疫力を高めるためにはやはり食事である。多様な食事を取り、腸内細菌を増やして行くことだ。特に子供のうちに腸内細菌を増やさなければ、生涯免疫力が高めにくくなる。子供こそ、何でも食べ、腸内細菌を多様に増やして行く必要がある。

 ヨーグルトや納豆や味噌や漬物などの発酵食品、野菜や豆類などの水溶性食物繊維を含む食品、バナナや大豆などのオリゴ糖を含む食品は積極的に食べると良いのは大人と変らない。食べ物から取り入れることが重要で、子供にサプリを飲ませるなどもってのほかのことだ。

 免疫細胞の活性化には、タンパク質やビタミン、ミネラルなどの万遍ない栄養素が必要なので、これらの栄養素を含む食物を、少量多種バランス良く摂取すること。偏食やばっかり食、あるいはジャンクフードを子供時代に食べることは、弱い身体にしてしまう可能性がある。

 よく寝る。よく寝るためには良く運動をする。朝食、昼食を中心に考えて、夕食は軽めにする。体温調整能力は汗腺の数が影響している。感染の数は子供時代の生活で決まる。野外で汗をかいて運動することは、体温調整能力を高めることになる。

 子供もきれいは汚い。汚いはきれいで、泥に触れるような遊びが必要なのだ。泥の中には様々なきんがいて、免疫力を高めてくれるものもある。朝日や夕日を浴びる事は特に良いことだ。早朝、朝日の中を昆虫採集を市に行くような子供は免疫力を高めて行く。

 子供は良く発熱をするが、できる限り薬を使わないほうがいい。特に抗生物質で発熱を下げるようなことは止めた方が良い。、熱を出して免疫力を高めていると言うこともある。抗生物質は良い菌も殺してしまう。折角高まってきた免疫力を下げてしまう可能性がある。

 コロナ時代の子供達は、乳母日傘で育った箱入りの子供だ。免疫力が低く育ってしまった可能性が高い。今からでも、免疫力を高めるための暮らしをさせた方が良い。コロナ対策を世界中が間違ったのだ。老人の外出禁止だけの対策が、良かったのだ。
 
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環境省3分間で、発言制止は何故起きたのか。

2024-05-13 04:05:15 | 暮らし


 今月1日、水俣病の犠牲者を追悼する慰霊式のあと、患者や被害者でつくる8つの団体の代表が伊藤環境大臣と懇談する場で、団体のメンバーが国への要望などをマイクで発言している途中、環境省の職員がマイクを切ってしまった。この映像がテレビで流れた。

 悲しみと怒りがこみ上げてきた。同席した熊本県知事によるとあれはつるし上げの場だとの認識。いつまで経っても変らないのだ。人間は情けないものだ。環境省の優秀なはずの官僚が、公害の被害者に対してこんな機械的な態度を行う。この気持ちの悪い感触。上級国民。階層社会。人間の喪失。ああ、クソッタレ、、、

 熊本県の木村敬知事が10日、同席していた知事自身の対応について説明する際、紛糾した懇談の様子を「事実上、つるし上げになっていた。大臣も環境省も」と表現した。知事も患者側に立たずに、まさかの環境省目線でいるのだ。国も、市も、水俣病問題を根本から学んで欲しい。患者の苦しみに思いを寄せて貰いたい。悲しくなる。この知事や大臣には苦海浄土を読んで貰いたい。

 環境省は各団体に発言時間は3分と事前に通知していた。制限時間になったらマイクを切ると係の人が決めていたという。水俣病被害者に対して、何故こんな発想をしてしまったのだろうか。今回、2つの団体の代表が制限時間を超えたことからマイクを切られてしまった。

 8組織が、3分ずつで24分が制限時間と言うことらしい。環境大臣の気持ちを忖度して、上手く懇談を40分程度に、まとめる筋書を立てたのだろう。それが有能な官僚の役割と自覚。あくまで大臣という上の方だけを見て、考えている官僚の姿。それが出世をする心得。知事の吊るし上げだ発言を見ればよく分る。

 3分に話をまとめるなど出来るだろうか。感情が高ぶり、長くなることがある。国会の議論だって延びがちである。お年寄りに、3分だけ大臣に意見を申し上げても良いというような、発想が何故出てきたのか。この行政職員のまとめれば良いという、傲慢さが悲しくなったのだ。

 自分たちは国の環境省の役人様であると言う意識が、こんなところで出てしまったのだ。公僕とは言わないが、患者の苦しんできた歴史を考えれば、3分だけなどという発想が出てくるはずがないだろう。大臣や知事に十分の時間を取って貰うように担当者は、むしろお願いすべきだろう。たしかにそんな担当者は出世は無理なのかもしれないが。

 水俣病の歴史は長い。日本窒素肥料によって、1932年から有機水銀の垂れ流しが続いてきた結果起きた事件だ。日本の公害事件の原点とも成り、それによって、環境省が出来たとも言われているようなものである。100年近く続いた事件が、未だに全面解決には至っていないのだ。

 最初の水俣病の患者が存在したのが、昭和16年1941年まで遡ることになる。しかし、国も窒素肥料も、患者を水俣病と認めるまでに27年後の1968年になってである。この長い期間の患者の苦しみと怒りは続いたのだ。未だにその苦しみが継続しているのが水俣病の恐ろしさだ。

 水俣病問題は終わったわけではない。今も、水俣病認定を求めて裁判が行われている。裁判には様々な判決が出ているが、発病まで行かない人であっても、水銀が遠因となる健康被害は無限にあるだろう。窒素によって垂れ流された膨大な量の水銀は、地域の人全体の健康を脅かし続けてきたのだ。

 例え、水俣病と認定されたとしても、すでに発病から10年が経過している場合は、請求権が消滅されているというような判決も出ている。加えて、認定された患者以上に、その瀬戸際にいる被害者が多いはずである。こんな悲惨な公害を何十年も否定して、見逃してきた責任の大きさを、国は忘れたのだろうか。

 そして、水俣病と証明できない患者がまだ何百人もいる状態なのだ。こうした状況で、患者に寄り添うべき環境省が、水俣病患者の皆さんの問題を、忘れてしまいたい、他人事のような感覚になったのではないか。もしそんな気分がいくらかでもあるなら、環境省を辞めて他に移動してもらった方が良い。

 患者は誰を信頼し、頼れば良いのか。国ではないのか。環境省ではないのか。国は3分だけしゃべらせてやるというような、冷たい対応では、敵対するものに対するような、心ない対応になっている。この嫌な感覚がテレビの画面から伝わってきて、耐えがたかった。

 今回は報道が懇談会会場を撮影していたからこのひどさがに世界に公開された。しかし、多くの場合見えない場面で似たようなことが行われている。私も第2東名高速道路の公聴会で、時間制限で発言できなかった体験がある。

 そして行政は忖度の時代になった。出世するためには、上の顔色ばかりを見ているのだ。3分制限を企画した職員を、なんてことをするのだというような、県知事であり、環境大臣でなければならない。選挙で選ばれた人は有権者の代表であって、別段上級国民では無い。

 言いたいことを押し殺し合う人間関係。仮面対応しか不可能な社会に成りつつある。だんだん社会の感触が悪くなって行く。能力主義の結果と考えて良いのだろう。要領よく上の階層にのし上がって行く人間が、はびこり評価される時代。

 人間らしい社会が一年一年失われて行くようだ。感情を捨てロボット化すことで耐えている社会。能力差別の時代。能力がないのだから仕方がないだろうと差別され、底辺で生きろという社会。能力があるから権力を振るって良いという社会になりつつある。

 弱者はしおらしく、従えという権力の意識。確かに足をすくわれないように、慇懃無礼で卒はないが、心もない。おとなしく要領よく立ち回れば悪いようにはしない。上の方の社会にこんな空気が蔓延してきた気がして成らない。こんな社会にしたのは、アベだ。

 アベが人事で人を動かし、良いなりになる人間だけを優遇したのだ。学術会議問題も結局、人事の撤回をしない。これを曲げれば、学術会議を自由に操れないと考えているからだ。裁判官の人事で司法に圧力をかけるなど、トランプのやり方と日本も同じになってきた。

 上の方はどうももうだめそうだから、自分たちの回りだけでも、人間の社会にしたい。一人はみんなのために、みんなは一人のために。これは農協を作った人の言葉だ。戦後社会は理想主義がどこかにはあったのだ。もう一度原点に立ち返り、人間らしい社会を作ることだ。
 
 のぼたん農園がそういう物でありたい。助け合うことで暮らせる社会。弱者も強者も、能力の高い人も、能力の低いものも、変らない関係である仲間。一人が大切にされ、回りのみんなのことが配慮できるような関係性。人を責めたりしないなかま。補い合い、助け合える仲間でい無ければ成らない。

 効率など無視して良い。ゆっくりとそれぞれの早さで進むことで、食糧自給は可能なのだ。仲間が助け合えば、だれでもが食糧を自給して生きて行けるのだ。そんな自分のことだけではない場にのぼたん農園をしなければならない。心して、のぼたん農園の冒険を進んで行くつもりだ。

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小田原ジャンパー事件を思い出す

2024-05-03 04:48:51 | 暮らし

 
 小田原市職員が「HOGO NAMENNA 」などとプリントしたジャンパーを2007年から作り10年間、受給者を訪問するときなどに着用していた事件である。4,5人の人がジャンバーを着て出かける様子を見たことがあるので、何か気持ちの準備が必要な時に着ていたような気がした。

 生活保護悪撲滅チームを意味するという意味不明な「SHAT」はSWATを模したものと言われたが、何かノリが高校生のような感じだ。これを考えた人は良く知っているひとだ。とてもいい人なのだ。ただ、あの人なら悪意なく、軽い考えで仲間を盛り上げようと、そういうことをやりそうだとも思う。

 「わたしたちは正義だ。不正受給してわれわれを欺くのであれば、あえていう。そのような人はクズだ」と言う英文も書かれていたという、このアイデアは英文があった方が格好がいいというので、何か英文が必要なので、他の人が加えたのではないかと思う。

 悲しいあの事件から大分立つのだが、時々この事件を思い出す。この事件の背景にある根深い問題を、つまり差別の問題を思い出すからだ。社会もこの事件を記憶していて、時々思い出すように取り上げる人が居る。すると、つられるように、あのときの悲しさが蘇る。

 感じたのは市役所内に、部署に寄っての差別があることだ。それを分かっていたので、課長もよくは分からないが、元気が出るのであればやった方がいいと、部下からの提案を受け入れたのだと思う。考えが足りなかったのだが、悪意がなかったが、見せられる側からしたら、ひどい差事だった。私もそのジャンバーを作った話を聞きながら、気づかなかったのだから、同罪だと思う。その痛みは今でもある。

 小田原で長く養鶏をしていて、障害のある人に働いて貰って居た。生活保護を受けている人と多くの交流があった。そういうこともあって、知り合いの職員がこんなジャンパーを作ったんだと、話してくれたこともあったのだ。何が印字してあるかまで、考えなかった。

 やはり、生活保護世帯の所に行くことは、大変な仕事なのだと思えた。迂闊だったが、出掛けるときに着る服なのか程度の認識だった。やはり刃物を振るわれた事件以来、ケースワーカーとして保護者を訪ねることは、気が重いことになっていたのだ。

 友人が、路上生活者のパトロール活動をしていて、それに協力をしていた。また障害者施設での養鶏の支援をしていたので、今でもその施設とは関係が継続されている。小田原市の生活保護課の課長は、農の会の関係で友人でもあった。

 その課長を役所に夕方訊ねた時に「あんなジャンパー作ったのだけど、早くやめなければならないんだ。」とぽつりと言ったことを後から思い出した。それでも私には、何のことだからわからないかった。私がそのジャンパーは止めた方がいい、と発言するのを期待していたかもしれないとあの時何度も思い出した。

 だから、この事件が世間でセンセーショナルに、小田原の生活援護課の悪評が、あれこれ意地悪く出てきたことに、何かが違っていると感じざる得なかった。また自分が攻められて居る気もした。何かが根本的に違っている。世間というもののゆがみが、この事件に2重3重に覆っていると思わざる得なかった。

 第一に思うことは、「差別」である。私自身、生活保護を受けている友人がいて、彼が援護課職員からいじめられていると再三、主張するので相談に乗っていた。彼自身の主張する内容は、精神障害があるために、働けないで生活保護を受けていると言うことだった。

 彼は一人でアパートを借りて暮らしているが、母親は近隣の市に暮らしていて、戻ってきて欲しいと考えている。彼にはそれが出来ない。その理由も明確ではないが、障害のためだと話していた。そして問題は、生活援護課の担当の職員が家を訪ねてきて、部屋に入り込むのを、止めてくれと言うことだった。

 保護課の職員に話を聞いてみると、障害があるのかどうかの判断が難しい事例だというのだ。確かに日常は普通の問題の無い青年である。働けないような障害があるのであれば、病院で見て貰った方が良いし、病院の医師の指導や判断が貰えるのでは無いかと言うことだった。

 所が当人は病院に行きたくないというのだ。以前病院に行ったのだが、ひどい誤解をされたまま、間違った診断が行われ、薬を投与されたので、二度と行きたくないと言うことだった。たしかに、その精神科のある病院を受診した人から、問題がある病院だと他でも聞いていた。

 友人がやっていた、精神科の病院がほかにあるので、そこに行ったらどうだろうかと言うことも話したのだが、あそこはさらに悪い評判があるとのことだった。私は友人としてその病院長と接していて、むしろとても良い人なので、何故そんなことを言うのか、おかしいことだと思っていた。

 結局その辺りで行き詰まってしまった。生活援護課職員に、アポートの中を見られることが恐怖なのだそうだ。この点では病的におびえている。私が、アパートを訪ねることは可能だから、必要なチェックはさせて貰うので、何とか職員は見ないで保護を継続して貰えないかとお願いした。

 結局それは一時しのぎと言う形で、保護は継続していたし、自立のための努力もしていた。時々合うと元気そうで、仕事の方もかなり良い方向に進んでいた。しかし、またぶり返すように、問題が再燃して仕事に行かなくなり、相談を受けたのだが、私には解決をすることが出来なかった。

 私のところで働いてくれていた人が、問題を起して、結局止めて貰わなければならなくなったときに、友人の課長はその障害者の側に立ち、様々養鶏場の問題点を追求した。私としては私を信じてくれない友人に腹が立ったわけだが。その問題が事実かどうかを、障害者の側に立って確定させた。

 簡単にまとめてしまえば、小田原市の職員がこのジャンバーを作ったのは、市役所に生活保護を受けていた人が、支給を止められて、市役所の窓口に押しかけて3人に対して刃物を振るって、けがをさせた事件があってからのことだった。生活援護課職員が息苦しくなり、その気持ちを発奮させる目的で作られたジャンパーだった。

 その時にジャンパーを作るという発想は、歪んでいたのだが、何かそんな気持ちになりかねない、追い込まれたものがあったのは、私にも感じられていた。実際は小田原市の援護課の職員は、とても熱心で親身になって援護する人が多いいので、評価していたのだ。

 路上生活者の老人が、自殺をし小屋を燃やしたときには、その後遺体を心をこめて、綺麗にして納棺し、その小屋を片付け、葬儀までしたのも、職員であった。あの人たちが、あれほど一生懸命なのに、仕方がないとはいえ、舐めんなシャツで、背景も把握しないまま、ぼろくそに言われるのは援護課の職員に対する差別に思えた。
 
 差別は、保護する側にも、保護される側にも存在する。正義をかかげて小田原ジャンパーを叩く報道も、実は保護している職員を追い詰めていたのだ。もう退職したその人にも傷を残している。その周辺にいた様々にかかわり、応援していた人も居たたまれないことになった事件だった。
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サプリメントは危険食品と考えたい。

2024-04-18 04:36:31 | 暮らし


 日本食品安全協会では、紅麹サプリ問題が起きた後、協会のウェブサイトで緊急に情報発信している。3回目のサプリ問題である。何度もで、申し訳ないが、これは以前からと手も気になっていた問題で、紅麹菌サプリ被害のこの機会に、気付いて貰いたいと思う。

「要約すれば健康食品の範疇であるが、有効成分として入っている物質の本体は医薬品である。医薬品が医薬品名で届けたらダメなのに、医薬品を含む総称名なら機能性表示食品の場合OKという事実に私は違和感がある」
「機能性表示食品には同じように医薬品を含んでいて総称名で届け出が受理されている物が他にもある」とある。

 サプリを今でも飲んでいる人は、一度協会声明を読んで欲しい。一般人の私がどれほど注意喚起したところで、サプリはなくならない。サプリが今も日本人の身体をむしばんでいる。問題はサプリ全体に存在するのであり、紅麹菌にあるのではない。

 サプリメントの国内市場規模は1兆678億円 と出ていた。金儲けのためならば、不要なものをいくらでも生産する。テレビも新聞も盛んにこんなおかしな物の広告で儲けている。健全な大企業が自らの信用を使って、サプリに進出する。背に腹は変えられないのだろうが、今に痛い目に合うだろう。

 1兆678億円という数字があまりにも大きくて実感がないが、膨大な量のサプリが飲まれていると言うことだけは分る。医薬品市場は10兆円超えと言うから、医薬品の中の飲み薬部門と比べて見れば、かなり大きな市場規模と言うことが分る。

 サプリのような危険なものがこれほど広く出回ってしまった、日本人の安全意識と日本社会が恐ろしい。と言ってサプリ先進国はアメリカだそうだ。アメリカ人ならそうかと思うが、それが日本人にまで波及してきた。日本人がアメリカ人貸しているのだろう。一人当たりで考えれば、いまでは日本人の方が飲んでいるのかも知れない。

 どれくらいの人が何らかのサプリを飲んでいるのかという調査では成人80%のの人が飲んでいるというデーターもあった。背景にあるのは健康志向と考えて良いだろう。年寄が増えて、何時までも元気に暮らしたいという思いが、サプリ市場の拡大になったと考えて間違いが無いだろう。

 病気というわけではない。市の健康診断にゆく。保健婦さんからの指導で、いくらか血圧が高いから、食事に気を付けて下さいね。など、言われるのだ。病気というほどではないのだから、お医者さんから薬を貰うのではなく、サプリを飲んでおくぐらいが丁度良いのではないかという、健康意識である。

 誰だって健康診断でこの数値が問題がある、あの数値は気をつけて下さい。など言われれば、何か健康のためにしなければと当然思う。病院で見て貰うほどでない。未病と言われる訳の分らない範疇に入れられる。そんなことを言えば、人間みんな未病だ。だから健康診断には行かない。健康自己診断である。

 全くどこも悪い所のない人間など居るわけがない。だからいつかは死ぬのだ。生きているのはそれまでの過程なのだ。膝が痛い腰が痛いは農家の年寄なら当たり前の事だ。それをだましだましやっている。そこにサプリだ。インターネットで記事を読んでいれば、何度でもサプリの広告を見せられる。

 今、ウクライナとロシアの戦争の状況を読んでいたのに、ついつい1ヶ月分無料だから、飲んでみてください。などと、割り込まれてしまう。良い兆候がなければそれでいいが、何かの加減で、いくらか痛みが和らいだら、これはまずい。今ならこの定期コース送料無料の定期購入ですという電話きっと入る。

 サプリはすべて薬と考えるべきだ。昔なら、身体を直すものは等しく薬。薬なら、効果が無ければ許可にならないが、サプリは効果が無ければ、もう少し続けている内に効果が出る可能性が高いですと言うことになる。百害あって一利なし。

 サプリで直るなら、医薬品と同じではないか。いや、これは自然由来だから心配ありません。無添加のどこにでもある草が原料です。草を発酵させたものだから安全この上ないです。そうとも言えないことが、紅麹菌で分ったでは無いか。他にだって見えないだけで、何らかの被害は必ず出ている。

 発酵では、その過程で未知の成分が出現する可能性があるのだ。もちろんそれは自分で作ったものだって同じような危険度はある。しかし、食べる量が全く違うのだ。食事から取る量なら知れている。普通の食品を身体を損なうほどの量を食べることはない。

 納豆を作って食べている。ヨーグルトを作って食べている。様々な発酵過程で何かおかしな事が起こらないとは、確かに言えない。それは紅麹菌の事件でよく分ったことだ。しかし、納豆を毎朝食べるナットウキナーゼの量など、サプリに含まれる量から言えば、桁が違う。

 それは発酵食品でなくとも、あらゆる食品が同じことだ。ごまが良ければ、ごまを食べれば良いだろう。シジミが良ければ、シジミを食べれば良いはずだ。どこか気になるところがあるならば、サプリではなく薬を選択すべきだ。

 まず病院に行き、薬を貰えば良い。そうでなかった薬局に行って薬を買えば良い。薬の方がたいていの場合、はるかに安い。日本の医療レベルは高いと思う。紅麹菌の健康被害をしてきした医師の方々は、さすがに良く気付いてくれたと思った。

 サプリを止めて、まずお医者さんに見て貰うことだ。サプリなどと言う中途半端なものが、一日500円はする。その分を食料品にかけるべきだ。良いものを少量多種食べる。それが健康の基になる。確かにサプリよりも面倒くさいかも知れないが、それだけの意味がある。


 

 
 
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経済停滞の中、暮らしはどうなるか

2024-04-16 04:01:43 | 暮らし
熱帯睡蓮のティナ

 若い人達はこれからの生活をどうしたら良いのかと、日本の長い停滞期の中で、不安だろうと思う。私が若い頃は、これからどんどん暮らしは良くなると思えたし、実際に多くの家がそうだった。そもそも大学に行くのに、自活できたのだ。フランスに行く資金も自分で貯められたのだ。50年前の日本は今よりも豊かな時代だった。

 ここ30年間徐々に時代は厳しいものになっている。若い頃にはまさか年々暮らしが厳しくなるなど思いもしなかった。それもあって自給生活に入る事ができた。自給の御陰でその厳しくなってゆく、生活の大変さの直撃を受けないで済んだ。自給が出来るようになったのが停滞の30年より前だ。食べるものが自給できれば、後はぎりぎりでも何とかなった。

 いよいよ到来の物価は値上げの春で、さらにものの価格は上がり始めた。値上げしたらものが売れなく成るという不安を企業は捨てたようだ。これからは、遠慮無くあらゆるものの値上がりして行くと見なくては成らない。それでも農産物は安いと思う。おにぎり一個のお米だけの価格は30円ぐらいだ。

 一方収入の方は、大企業や都会の給与所得者はともかく、末端の地方経済や、個人営業者まで収入が増えたわけでは無い。つまり、これからますます格差が広がって行くことは覚悟しておかなければならない。そして、格差が差別社会になって行くおそれがある。

 格差される下層の固定化が起こる。貧困に陥れば、そこから抜け出すことは厳しいことになる。問題となるのはその時の格差を受けた下層の意欲の低下である。この差別を戦って壊さなければならないという、意欲自体が削がれてしまう。すでにその兆候が社会に感じられる。

 怖い時代が近づいている。能力がないから、貧困である事も仕方がにという社会がはっきりとしてくる。すでにそんな空気が広がりつつあるように感ずる。農家になろうという人が少ないのも収入の少ない下層なのだから当然である。収入の良い企業への就職が、上の階層への登竜門になる。

 株価は4万円超えとかで、いかにも日本の経済が良いかのように見えるが、これはあだ花のようなもので、国が盛んに株を買い支えているために、おきた一時的な現象だ。日本政府が株価が下がれば、お金を増刷して株を買うだろうと、見られているから、投資家は株を買う。

 外国人投資家は危ない日本経済を承知で、円安の日本株を買っている。確かに政府は株式投資の御陰で、莫大な財政赤字にも関わらず、しのげているのかもしれない。しかし、不労所得でかろうじて成り立つような、政府がまともなわけが無い。

 日本は世界から、製造業の世界で後れを取り始めたのだ。この現実を認識しておいた方が良い。そして、当分この状況を抜け出ることは無い。日本は観光立国のような、少し製造業を国の本とする国とは違う国になるのかも知れない。日本人が変ったのだから、国柄はそれに従うことだろう。日本人は以前よりも人当たりは良くなった。犯罪も減少した。

 円安である。外国人投資家にしてみれば、日本の株は安いのだ。中国の不動産投資が怪しくなった分、日本の株に投資資金が向かってきたに過ぎない。確かに中国で不動産投資するよりは、まだ日本の企業に投資した方が良いと考えるのは当然かも知れない。

 日本で土地を買えば、安いという感覚は中国人にはあるかも知れない。マンション投資で利益を上げた中国富裕層が日本の株や土地を買うのはリスク分散と言うことだろう。しかし、日本人が株価上昇に惑わされては、まずいことになる。

 株はますます、きわどいものになっている。生活が危ういのに株式投資をするというようなことは、生活の破綻に80%ぐらいは繋がるだろう。生活を確かなものにするには、不労所得を当てにしてはだめだ。先ずは堅実に生活を立てることが、基本だ。

 このさきの日本の危うい状態を考えると、ますます、自給生活の意味が重要になっている。好きなことをして生きて行く、その根底を支える自給生活である。自給生活と言っても、グゥアム島で脱走兵生活をしていた横井さんがしていたような自給生活では無い。

 社会に認知され、むしろ歓迎される自給生活である。地方には消滅して行く集落が相次いでいる。昔は普通に暮らすことが出来た場所が、現代社会では暮らせない場所になっているのだ。人口が五万人で停滞している石垣島でも北部地域は人口が減少し、学校が閉校になっている。

 先日少し書いた、「五島市移住」などの誘致案内を読むと、しっかりと暮らして行く覚悟があれば、素晴らしい場所だと思う。例えば新上五島町では地域おこし協力隊員を5名給与25万円で募集している。この仕事で働きながら、地域で暮らしを立てる方策を見付けることが出来る。

 友人には何人かこの制度で、地方移住をした人がいる。その他の仕事でも、身体を使って働く気持ちがあれば、地方には様々な仕事がある。消滅して行く地域には、若い人を待っている仕事がある。地方には仕事が無いからと言うのは、肉体労働しかないという意味である。

 石垣島は暮らしやすいことは確かだ。年三回お米が取れる場所なのだ。100坪の土地があって、一日1時間自給のために農作業をすれば、食糧自給は出来る。ただし、助け合い、協働する気持ちが必要だ。一人の自給はかなり厳しいものになる。

 自給は一人では大変なことだ。もちろん一人でもできる人は居るだろうが、ひとり出来たならば、今度はみんなの自給にすすで欲しい。みんなの自給は一人の自給の半分の労力で可能になる。一人の自給は一日2時間の労働時間になるが、みんなの時間なら1時間で可能だ。

 いずれにしても食糧自給は農業技術次第だ。科学に基づいた、正しい技術で農業に向わなければならない。変な宗教まがいのエセ科学に惑わされないでやらなければならない。農業技術とは、誰がやっても同じに必ず再現されるものだ。分からない人は是非「あしがら農の会」か「のぼたん農園」に参加して貰えば学ぶことが出来る。

 

 
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動禅体操とゆる体操とヨガ 2

2024-04-03 04:12:51 | 暮らし


 動禅体操が乞食禅状態から抜け出るためには、何かが必要な気がしてきている。ヨガのことを考えていたら、ヨガにある目的の要素が煩わしいと言うことになる。ヨガは乞食禅なのだと考えると分りやすい。乞食禅丸出しの私が書くのも何なのだが。別段ヨガに因縁を付けようと言うことではない。

 こういう乞食禅的、欲しい欲しいの浅ましい修行法は、やはり商業主義から生まれたものだろう。ヨガでも、今や禅でもカルチャーセンターである。生徒を集めるためには、先ずは効能の宣伝である。禅を行っても何かを得られるわけではない。本来の禅の修行では只管打坐である。

 ヨガにある効能が先に来る考え方は、インド哲学の要素なのではないだろうか。インド的に言えば、行動するには観念的な裏付けが必要なのだ。呼吸法に様々な尾ひれが付く。この最もらしさが、ヨガ教室が広がっている理由でもあろう。目的を持たないではヨガの世界には入れない。

 ヒーリングヨガとか、ホットヨガいう言葉を聞くと、ちょっと近づきたくはない。ヒーリングヨガとは心を癒やすヨガと言うことらしい。ホットヨガは汗をかくことで様々な効能があるヨガと言うことらしい。私が考える動禅体操とは随分と違う。

 何んの目的も無い。効能も考え無いと言いきれるものにこそ、修行の本質がある。この逆説的な考え方に、生きると言うことの意味が潜んでいる。それが中国にヨガがもたらされて、禅に変わったということだろう。無になること。目的を捨て、達成することすら忘れ、ただ座ると言うことだけがある。

 執着を無くそうという執着すら手放す。何かを目的にすることによる不純が、修行を台無しにすると言う考え方になる。修行に目的を持つと修行が歪んで行く。何かをしようとすること、あらゆる目的を放棄する。ただ、心を無にしているだけの状態を保つ。それが何かになるという事ではない。

 しかし、心が無になるという事でも無い。無になることは悟りではなく。例え無の心境に到達したとしても、無という状態になったと言うだけのことだ。それがどうしたのかと言うことになる。無が偉いのかと言うことになる。無になって何が出来るのかと言うことになる。

 悟りと言う目的すら持たないことが禅の修行。とすれば、仏教の修行が、無になることの訓練であるとすれば、修行の自己矛盾が始めから存在する。座禅といった無意味な行為をひたすら行う修行は、無になることの訓練とみなすことはできる。無になったところで何もないと言う修行の姿。

 無になろうとする訓練である限り、決して無になることはできない。禅は無をも目的化しない。無になろうという意識から抜け出す事を目的にして、矛盾しながら坐禅をする。無になるという理論は、目的論を完全に放棄している。無は目的として設定される限り自己矛盾する。

 何かややこしいことを書いているようだが、禅に於いてこの点が一番重要な分岐点であった。それで私は禅の修行が継続できなかった理由になった。愚かな私にはその無目的の意味を、受け入れることが出来なかった。どこまでも乞食禅だったのだ。

 ヨガから入れば目的のあるヨガにはまったのかも知れないが、禅寺で生まれたと言うことがあった。祖父の黒川賢宗老師は確かに僧侶としての生き方を、見せてくれたと思う。藤垈の集落からも離れた山中の寺で、自給自足の生活をしていたのだ。禅僧が何かを示すとすれば、日々の生き方だけだろう。

 禅の理論はなんの目的も設定しない。禅とは「ただ禅に生きること」である。その一瞬をどれほど深く感じて生きる事ができるか。坐禅の無目的化はそのことを意味している。「あらゆることを手放すこと」でなければ、その時に生ききる事が出来ないと言う事であろう。

 ゆる体操では体操中にあくびが出ることを「良いですねぇー。その状態ですよ。」という。心がたるんでいるような、どうでも良いような状態に成ることを大切にする。身体を緩めることで、心を緩めることに至る。多分ゆる体操の本来の姿なのであろう。緩めた心を意識的に作り、味わうという体操。この考え方はおもしろい。

 日常の緊張をゆる体操で緩めると言うことのようだ。日常を緩めるために、ゆる体操をすると言うことではないようだ。緩んだ日常を目的にすると言うのであればおもしろい。体も心も緩んだ状態を身につければ、日常の暮らしの味わい方が変る。

 緩んだ心の意味とはなんだろう。緩んでいるから事で解放されると言うこともある。緩んでいると言うことと平常心と言うことは違うのだろう。緊迫感の無い状態の日常であれば、だめなだけだろう。言葉で説明すれば、心を緩めて、無限な世界に対して開くと言うことではないか。

 緩んで当たる柔軟性。緩んで心を開いて、楽観して事に当たる。緊張して身構えて事に当たるよりも、優れていそうだ。緩んでいると言うことは、前提条件がないと言うことであり、平明に事に当たれると言うことになるだろう。身体を緩めることで心を緩める。

 動禅体操は緩んで行うことでも無い。緊張はしていないが、頑張る気持ちがいくらかある。頑張る気持ちは悪いわけでもない。健康で働ける身体ののためというような目的を持って、がんばる。動禅体操は気持ちを統一させてゆくものだ。緩めるよりは集中させるという方向だろう。

 しかし、動禅体操も緩めているものもある。スワイショウを100回行えば、身体も頭も緩む。スワイショウも力を入れる動きと、緩める動きを組み合わせると良い。膝を曲げて、腰を低く落とせば、腰の回転に力が必要になる。力を込めて回し、力を緩めて戻す。

 八段錦も、太極拳も、力を入れるところと、力を抜くところを作っている。この緩急の動きが重要になる。心拍数は上がるようであれば、すぐ休む。疲れたらどこのタイミングでも休み、また動きたくなるまで待って動く。心拍数は100よりは上がらない。そのくらいの動きが良い動きになる。

 動禅体操は緩急の体操と言うことになる。緩めるところと、緊張をするところを併せ持つ。そして常に楽なものでなければ成らない。大変だったら、楽になるまで休んで続ける。嫌になる部分や辛い部分がどこにもないのが理想とする動禅体操だ。
 
 楽しいからまたやりたい。気持ちが良いからまたやりたい。そういう気分になれる体操であれば、いつでもやりたくなる。マッサージは誰でも気持ちが良いからやって貰いたくなる。そういう体操に動禅体操が成るのが目標になる。
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心拍数を100より上げない動禅体操

2024-04-02 04:36:21 | 暮らし


 東洋の体操である太極拳は心拍数を上げない運動法である。太極拳は本来体操と言うよりも、精神修養法と考えた方が良いものだったはずだ。オリンピック種目にするなどおかしな事だ。西洋の運動が身体の健康を目指すものであるならば、東洋の運動は精神の健康を目指すものである。

 自分の健康を考えるときに、この2つの方法の採り入れ方を間違えないようにしている。健全な肉体に健全な精神が宿るとするのが、西洋的な考え方である。東洋の肉体に対する考え方は、精神に重きを置き、肉体を消滅させるというような考え方になる。

 不老長寿法になるための断食というような、西洋の医学から見れば不健康極まりない方法が、自然治癒力を高める健康法として取り揚げられている。小田原にも断食道場があったが、それは宗教法人が行っていた。断食は宗教における修行法になる。

 西洋流で言えば、74歳で慎重170㎝の男性であれば、一日何カロリーの食事をするのが良いと言うことになる。健康のための一般論が存在する。しかし、自分の身体健康は全く個人的な特殊解である。一般論は全く無意味なことだ。自分の精神にどんな食事が良いかは、考案しなければならないものだ。

 禅宗の食事が不健康で危険なものだからと言う理由で、アメリカの禅宗の道場で禁止されたことがある。カロリーの少なすぎる食事が健康を害するというのだ。確かに西洋の医学でみれば、禅堂の食事は偏食であり、少なすぎるものに成るだろう。普通の人が真似をすれば、栄養失調になるに違いない。

 食事も修行の一つであって、初めて成り立つものだ。心拍数を上げない暮らしなのだと思う。そもそも、仏教では午前中しか食事を取らない。身体の健康などそもそも、精神の修養のためには問題にもされない。健康のために夕飯も食べたるという薬石などという考え方では、修行は達成できないと考えられてきたのだ。

 西洋の科学的な思考法では、不健康であるはずの禅宗の修行によって、精神的な安定した心境への到達が得られる。それは、孔子の論語にある、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と言う考え方に見られるように、東洋の人間の生き方の根底にある精神重視の考え方。

 健康のために生きているのではないと言うことだろう。道を究める為に生きている。道を究める方法が、命を削るものであるとしても、かまわないという考え方。その極限の修行が、千日回峰行のようなものだろう。修行に挫折するときは死ぬときなのだ。

 道を究めることで、不老不死に至る。精神が完成されることで、死ぬことがなくなる。死ぬことがないと言うことは、健康の完成である。精神を極めることが生きて行く目的になる。しかし、千日回峰行をしたから、精神が極められるという精神は何を意味するのだろうか。苦行にはたえられないし、興味も無い。

 苦行より楽行である。やりたいことをやり尽くすことを行とする。そのことが人間や世界に繋がっていなければ嫌だ。苦行をやり遂げて、仙人になり、宗教を開き、信者にその教えを広める。そういう生き方は大嫌いだし、むしろ害があると思っている。 

 宗教というものが人間にとって良いものとはあまり思えないのだ。私自身が曹洞宗の僧侶でありながら、全くこういうことを書くのはおかしいかもしれない。しかし、宗教教団の存在が好ましくないのは、統一教会も曹洞宗もあまり変わりが無いと考えている。

 それよりもやりたいことをやり尽くすことが、世のため人のために繋がっている生き方が好きだ。楽行の先が人様に繋がっていたい。その楽行が健康にも繋がっていると考えている。心の欲するところに従えども矩を踰えず。楽しいと思うことを、精一杯やって居れば、心身健康。

 話ははずれたわけでは無く、心拍数を上げるような厳しい激しい運動は、私には良くないことなのだ。高校生の頃は陸上競技部にいた。弱い選手ではあったが、練習では日本一だと思って、厳しくやっていた。強くは成らなかったが、限界まで練習はした。

 それで、走りすぎて脚を痛めて走ることが出来なくなった。くるぶしが2つになるような瘤が出来た。これ以上走れば歩けなくなるとお医者さんに言われてしまった。身体が弱かったのだろう。それでも走って、ついに歩けなくなり、走ることは断念した。

 走ることを修行だと思ってやっていたから、かなり悔しい結果だった。受け入れるほか無いことだった。つまりだめな奴だと言うことを受け入れるしか無かった。座ることも出来ず、走ることも出来ず、どうなるのだろうかと途方に暮れた。相変わらず絵を描くことは好きだった。それで絵を描くことに逃げ込んだような気分だった。
 
 結局、やり尽くすことなく、やり遂げることはもちろん無く、何の革新も無いまま、曖昧なまま絵を描くことだけは続けてきた。絵を描くことが逃げ場だった。今だって大きくは変らない。自分の中に絵を持ち出すことで安心があるからだ。それが絵を描くこと好きと言うことなのかもしれない。

 心拍数を上げるような運動は、身体に合わない。心拍数を100より上げない、楽な静かな動きが良い。気持ちよく出来ることが最も大切である。自分の身体に聞いて確かめた、最大の心拍数は100までである。それ以上になることは身体にとって良くない。このことは自分の身体で確認して確信している。

 それは農作業がそうだ。心拍数を上げるような動きでは、長く続けることが出来ない。ゆっくり身体になじむように気持ちよく動く。心拍数が100を越えそうになったら、さらにゆっくりと動くか、休むようにする。そうすれば一日中農作業が出来る。

 一日中動いていても、疲れないような動きが理想的な動きである。百姓働きである。昔のお百姓さんはのろのろ動いていた。キビキビ急ぐようなことは無かった。のんびりのんびり空を見上げては、身体を伸ばしていた。百姓働きは休み休みである。

 動禅体操も同じである。これ以上はゆっくりは動けないぐらいゆっくりで合えば理想である。それではゆるすぎると思えば、重心をその分落とすことにする。低く動けば、動きに負荷が強くなる。ゆっくりと低くを目標にして、心拍数が上がったら、体操の途中で動きを止めれば言い。

 止めて、いくらでも休む。休んで動きたくなるのを待って、次の動きを始める。運動が終わっても、心拍数が上がっていない。疲れるどころか、十分休憩を取ったような落ち着いた状態に成るように進める。良い動禅体操の方角は、楽しく自分に合わせてである。

 具体的に書いておけば、74歳の私の場合は、心拍数が100以上になるような運動はしないことだ。農作業をしていても、時々スマートウオッチを見て、どのくらいの動きで心拍数が100になるかを確認する。田植えや稲刈りでもそうだが、100を越える状態では、むしろ身体を痛めることになる。

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「紅麴」菌で健康被害

2024-03-28 04:30:31 | 暮らし

C放牧地

 小林製薬(大阪市)の製造した「紅麴」原料を使った製品が、相次いで自主回収される事態になった。小林製薬「紅麹コレステヘルプ」腎疾患の患者が死亡 生前に約3年間サプリを摂取 死亡との因果関係を調査 会社側26日に遺族と面談予定、現在50人が入院中。100人以上が入院。摂取との関連が疑われる死者数は計4人に増えた。 

 サプリの危険については、前から繰返し書いてきたことだ。サプリメントの中には肝臓や腎臓に負担をかけるものがあるはずだ。今回その不安が的中した。サプリばやりで、これほど沢山のサプリがあれば、危険も増加している。

 あらゆるサプリに問題が潜んでいる可能性はある。サプリには薬のような審査体制がない。サプリで済ますという安易さに問題がある。紅麹菌が良いものと考えたならば、紅麹菌を使った料理を出来るだけ食べるぐらいにしておくべきだ。

 健康に成るためには普通の食事を重視することだ。普通の食事を普通に食べる。それが健康に繋がる。普通の食事を食べることで、高血圧や高血糖にならないようにすることだ。普通の食事とは多様な食材を食べると言うことになる。好き嫌いなしに、多種少量食べる。これが食事の基本だろう。

 ともかく、サプリメントは飲むことは止めた方が良い。食品から食事ではとれない程の一つの物質を、取ることなどそもそも出来ないのだ。どれほど良いものだとしても、そんな極端なことが良い結果を生むはずが無い。当然肝臓に負担がかかるはずだ。血圧が下がっても肝臓が悪くなれば、元も子もない。

 そもそも紅麹菌が、それほど悪いわけでは無い。むしろ沖縄では長寿食の豆腐ようは紅麹菌を使っている。私も食べたことがあるが、おもしろい食べ物であった。普通に食品の色づけに使う程度であれば、問題になるほど肝臓を痛めることはあり得ない。

 すべての食品が安全で身体に良いだけではない。それぞれにいくらか問題はあるものを人間は食料にしている。人間はあらゆるものを食料にして生き延びてきた動物だ。まんべんなく色々を食べることで、欠点をつぶし合うのが良い食事だ。紅麹菌を悪者にしたところで何の解決には成らない。

 その意味で、良い食事は多様な食事と言うことになる。同時にサプリはいわば偏食を意味する。バカッカリ食どころか、普通は絶対に食べられないほどに変ったものを食べてしまうことになる。それを毎日食べるのだ。何か改善されるかもしれないが、身体に良いわけが無いだろう。

 今回の被害でも、紅麹菌を使った食品による健康被害は、今のところ出ていない。紅麹菌を利用した、小林製薬「紅麹コレステヘルプ」を飲んでいた人に健康被害が出たということのようだ。食品に利用する量と、サプリメントで飲む量では桁が違うからだと思われる。

 紅麹の「ロバスタチン」という成分にはコレステロールを低下させるとされ、そこに「シトリニン」が含まれる場合があり、基準値を設定しているということだと書かれている。 小林製薬によると、今回の報告を受けて成分を分析したところ、「シトリニン」は検出されなかった。

 一方で、「シトリニン」とは別の未知の成分の存在を示す分析結果が得られたということで、「意図しない成分が含まれている可能性が判明した」としている。つまり製造過程で、違う物質が生成され、それを飲んだために健康被害になったと言うことはあり得る。

 紅麹菌は機能性表示食品とされている。機能性に関する科学的根拠について国が製品を個別審査していない。食品メーカーが自らの責任で機能性を表示できるものである。とくほ食品は国が効能と安全性を審査して、指定されたものである。

 今回のことで、黒麹も問題だ。あるいは麹菌そのものが問題だ。風評被害が広がることが怖い。麹は素晴らしい食材である。それは紅麹でも同じだ。サプリにして大量に摂取することで、問題が起きただけで、麹菌としての利用に問題がある訳ではない。何千年食べられてきた紅麹菌に問題がある訳ではない。

 実際にコレステロールが下がるようだから、小林製薬は医薬品として研究すべきだっただろう。そうすれば、何故製造過程で、シトリニンが発現するかも調べられたはずだ。まして、不明の生成物が現われることなどまで、徹底して調べられたはずだ。

 こうした発酵食品は健康に良いという情報だけが、一人歩きしている。食べる側が、判断力を備えた上で食べるべきものだ。常に自分の身体は自分で管理しなければならない。自己管理能力が下がっていることにも問題がある。サプリを飲むなら、注意深く調べる必要がある。

 私は緑内障で目薬を2種類目に挿している。眼圧を下げる薬だ。直る訳ではない。徐々にだが、視野は狭くなってきている。そしてその眼薬は目の周りをかゆくする。眼にだけ挿すようにと言われているが、目の回りの痒さは最近ひどい。これも何か薬害なのだろう。

 しかし段々程度がひどくなるので、治す薬ならともかく、眼圧を下げて何になるのかと情けない気がしている。しかし、見えなくなれば暮らすことも相当に不便なになるから、痒さぐらい耐えなければと思うが、今度先生に相談してみよう。

 これから、老人はさらに増えてゆく。老人を対象に考えるおかしな商品も増加するだろう。良いと思う事が健康被害になるなどという事はますます増えるはずだ。老人こそインターネットをやるべきだ。インターネットで正しい情報を探す能力を高める必要がある。

 
 
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動禅体操とゆる体操とヨガ

2024-03-25 04:44:27 | 暮らし

 
 ハヤトウリが延びてきた。この向こう側に1番田んぼがあり、3m位の崖になっているので、崖を利用した懸垂造りにしたい。見た目もおもしろいかもしれない。肥料の無い場所なので、良く延びるように、少し堆肥でも入れておこう。ハヤトウリは漬物煮にすると美味しい。

 動禅体操は気持ちの良さを追求する体操である。硬くなった身体をほぐして行くことは気持ちが良いものだ。だからマッサージ店は石垣島にも沢山ある。台湾にも沢山あった。観光客はマッサージが好きなのだ。マッサージを自分でやるのが、動禅体操だと思えば一番近い。

 身体に力を込めて筋力を使う。そして緩めて、筋力を休める。この張りと緩めるを上手く動きに取り入れると、身体が気持ちが良いと感じるものだ。体操の序破急である。痛いと気持ちよいの境辺りにマッサージの良さがある。動禅体操も同じで、大変だと極楽だの間にある。

 ただ体操というものは個人差がある。私に良い体操が、人に良いとは限らない。人が良いという体操も、やってみて私には合わないものがある。良いというのでスクワットをやって、腰を悪くすると言う人は多い。万人に良いという形に体操をしてしまうと、今度はあまり役に立たない体操になる。

 ゆる体操というものがある。身体を緩めるために様々な動きをしながら、とことん緩めて行く体操である。良い発想だと思う。何年かゆる体操の教室に通ったことがある。あしがら農の会の仲間が教室を開いていたのだ。身体を緩めるというのは出来そうで出来ない動きだと知った。

 一通り動きを覚える所まではやった。しかし、忘れるところまではやらなかった。体操というものは動きを忘れて、小脳化するまでやらないと分からないから、ゆる体操は半分までで、分からないまま終わった。緩めるのは悪くはないと思ったが、緩めてどう強めるかという所が物足りなくなった。

 何故半分で終わってしまったかというと、序破急(じょはきゅう)である。緩めるだけよりも力を込めて筋肉を張ることがあって、それから緩めると気持ちが良いだろうと思ったのだ。身体の緩急である。プラス方向と、マイナス方向に、行ったり来たりすることが、身体には良いのだと思っている。

 確かにスワイショウは良いと思う。しかしスワイショウだけでは何か足りない。スワイショウだけ1時間やれば、ある種の陶酔に至る。それはそれでいいと思うのだが、却ってそこがどうも私にはついて行けない。静止がないと言うのはどうも行けない。

 静止というのは、呼吸で言えば止めているときのことだ。呼吸法では空気の吸い方と、空気の吐き方が問題にされるわけだが、もう一つ呼吸を止めるという事も考えたい。吐ききって止める。吸いきって止める。この2つは当然肺にしてみればまるで違う。

 この違いを極めるようにしてみている。口をとがらせて呼吸をすると、息を出し切ることが出来る。同じように息を吸いきることも出来る。限界まで呼吸して、止める。この休止しているときにこそ、肺の方は頑張っている。肺を鍛えるにはここが肝心。

 それは太極拳も八段錦も、気持ちよさのすべてでは無いように感じる。そこで、どうすれば楽しく気持ちよく、体操が続けられるかを求めてきたら、緩急にさらに「静止」も加えた、動禅体操に行き着いた。坐禅は静止だけで、それだから辛いばかりだ。苦行よりも遊行の方が長続きする。

 動禅体操はどこでも止められる。どこから始めても良い。すべてをゆっくりやると50分ぐらいである。寝てやる体操も加えると、全部で1時間少しだろう。そんなに毎朝体操している時間も無いから、全部やると言うことは少ない。そのくらい適当が動禅体操らしくて良い。

 強くやろうと思えば、腰を落として動けば良い。低く動けば、太極拳もきついものになる。ゆっくり動けば、またさらにきついものになる。中国の太極拳は曲芸師のような動きになっている。いかにも常人離れした不自然な動きである。不自然さは何か違う。

 当たり前の動きの中にこそ、人間の基本となる動きはある。そう考えて太極拳も、八段錦も、自分の身体に合わせて変えなければ、動禅体操には成らない。そのためにもう私のやっているのは、太極拳とも、八段錦とも、スワイショウとも言えないようなものになっている。

 何故、こうまで中国の太極拳や八段錦がおかしな動きになってしまったことには、原因がある。今の中国社会の方向が反映しているのだ。商業主義である。より目立とうという競争意識がある。人には出来ない動きに意味を求めようとした。

 本来の動きにある、当たり前のものが忽ちの間に失われた。それが一番目立つのが、動きが速くなったところにある。本来能の動きのように、静かな力を感じさせ無い重心の移動であったはずだ。ゆっくりと、重心を低く動くことに留まることが出来なくなった。

 当たり前である事、特別では無いことの中に、日常の永続性がある。日常の暮らしの中の一コマである事が、太極拳の本来の姿であったと思う。少林寺の修行の中から日常の暮らしの体操になっていったのでは無かろうか。暮らしの上質を支えるもの。

 インドからヨガが、少林寺に伝わる。中国の仏教では、ヨガから坐禅が取り出され修行の基本になる。ヨガで言う瞑想が、ストレと言うように言われる。と言うように言われる。本来のヨガとは変化したのだと思う。これもヨガが、商業化したためだろう。

 ヨガは修行の姿であり、料金を取って、指導するようなものではない。その結果日本でのヨガが観念的なものになった気がする。耐えがたいほど思わせぶりな、意味づけが伴う。ヨガに意味づけが多いのは、インド的な哲学なのだろうが、中国で仏教の禅の修行になり、東洋的な老荘思想を伴うようになる。

 観念を抜け出ることを修行の方角にする。無念無想であり、只管打坐である。結果を求めないものになる。動きに意味を考えない。目的意識を捨てる。ヨガにあったような、何かのための修行法では無く、禅そのものであるだけの無目的の修行の意味。

 意味づけを求めてしまう人間の浅はかさから、中国的な飛躍があったと思う。老荘思想のあった中国では、仙人化する人間の在り方がある。悟ることで、すべてを失う。修行の結果何でも無くなる。何にも目的を持たない修行であるからこそ、主張になるとする。ヨガからの離脱。

 ここまで書いたら続きの方が多くなってきた。もう一度書いてみる。

 
 
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バンライフ大学生

2024-03-22 04:13:47 | 暮らし


 昭和女子大に通う女子大生が、バンライフという車上生活をしているという。車上生活者というと、家賃が払えなくなり仕方がなく車上生活をしている人である。ところがバンライフ女子大生というと印象が変る。出来ればバンライフ大学生ぐらいにして欲しい。女子大生というブランドがあるのが嫌だ。

 やはり女子大生というところで、特別おしゃれなケイバンキャンピングカー生活らしい。親が居るとすれば、何か心配な気分ではなかろうか。私もアトリエカーで寝泊まりしていたことは何度もあるが、どことなく不安が無いわけでもない。慣れてしまえば何でも無いことではあるが。

 昭和女子大は三軒茶屋にある。長く住んだ場所なので、写真にある車の止めている場所がなんとなく分かる。駐車料金も馬鹿にならないはずだ。下宿と変らない費用がかかりそうだ。と思いきや大学には、4年生でほとんど通わないで良いらしい。週一ぐらいで三軒茶屋の駐車スペースに止める。

 大学生の時にこういうことに気付けば、間違いなく実行していた。惜しいことをした。金沢大学が金沢城趾にあった1970年代なので、学内に車を停めておける場所がいくらでもあったから、快適バンライフが出来たはずだ。学食で食事も出来た。通学時間はいらない。お城から出るのは風呂屋に行くくらいで十分である。

 と言っても、学生の頃は運転免許を取ると言うことなど、考えもしなかった。生涯車に乗るようなことは無いだろうと決めていた。車に乗っている学生というものも少なかった。車に乗るなどあり得ないと、敵視していたのだ。今思えば惜しいことをしたものだ。車のような大企業生産品など、間違っても使うものかと考えていたのだ。

 と言っても私は旧軍隊の馬小屋の中に、使わなくなったゲバルト立て看を運んできて小屋暮らしをした。畳屋で捨てられる畳を貰い、部屋を造り楽しく暮らしていた。家賃無しで大学内に暮らしていたこともあったのだ。学園祭でアクセサリー屋をやって資金を稼いだ。そこでシルクスクリーンのポスター工房
もやっていた。

 バンライフの話だった。人間至る所青山ありで、老いて野垂れ死にの覚悟ができれば、遊行生活になる。人生の最晩年は何もとらわれずに、遊ぶ心境で生きるというのが、インドに生まれた遊ぶ行の思想だそうだ。遊ぶことを行と出来れば、怖いものはなにもない。

 これを大学生時代にやってみようというのだから、なかなかの強者である。まわりの人が就職活動をするときに、就職しない暮らしを考える。考えてみれば、学生の時に就職するなどみじんも考えなかった。絵描きになろうと言うより、絵を描いて生きていたかっただけだった。

 地方が過疎化するこの時代に、バンライフをするつもりになれば、チョトスゴイ暮らしが出来そうである。農地を借りて、畑の脇でバンライフすればいいわけだ。畑のあるところにはアパートはまず無い。それならキャンピングカーを畑に止めて暮らせば言い。完璧では無いか。

 社会の中に巻き込まれず、独立して生きる道が見えてくる。そういう暮らしから、次の時代が見えてくるだろう。現代の無政府主義者はバンライフ革命家。畑の脇だから、是非軽トラの荷台に暮らすべきだ。軽トラハウスをいつでも車に乗せられるようにしておけば、普段は下ろしておいても問題がないだろう。

 この場合は軽トラよりも、ボンゴトラックが良いかもしれない。荷台面積Gが、2、480×1、585㎝あるから、かなり自由なものが出来る。地上高が75㎝とあるから、眺めも悪くないだろう。トラックのあおりの中に家を作れば、完全に家は荷物になる。

 車の荷台と同じ高さの家を載せる土台を作って置き、普段はそこにずらして乗せて大きなボルトで留めておけば良い。普段はそこで暮らしていて、家ごと移動するときだけトラックに乗せれば良いだろう。このやり方で違法性は無いはずだ。4WD車で200万円くらいだ。中古なら100万円もある。

 今はのぼたん農園に、朝になるとアトリエカーで出掛けて、夜になると家に帰ってくる。もし家が無ければ、間違いなくアトリエカーで寝泊まりして、一日中のぼたん農園にいることが出来る。石垣島の好きな場所に出掛けていって、絵を描いていても良いだろう。

 まだまだ家に依存している分、遊ぶはあって、行が無い。修行が足りなくて、学生に負けている。まあこの学生の話でも実家が出てくるから、実家との関係が切れてしまっても、バンライフが出来るのかには、まだいくらか距離はあるかもしれない。私の場合でも一人暮らしであれば、又違うだろう。

 家などないほうが良い。この気持ちは分からないではない。現代の崩壊して行く社会の中で、どう自立して、あるいは孤立して、生きるかをバンライフは示しているのかも知れない。ただ、これからのことだ。大学を卒業して、車上生活になるか、バンライフになるかはまだ未知数だ。バンライフ女性社長に変っていた。

 バンライフ案内によると、10万円あれば暮らせるとある。食費 4万 ガソリン代 2万 入浴代 1万 通信費 1万 洗濯代と雑費 2万。実際にはこのほか車購入費や保険費用や車検費用や車両税も居るだろう。普通車であれば確かにケイバンが良いとおもう。邪魔になりにくく、目立たないところがいい。

 ケイバンで絵を描いていると、一番顰蹙を買いにくい。多分ケイバンでの旅行ならば、変な話だが見逃してくれる。見知らぬ豪華なキャンピングカーが来たら、用心されてしまう。畑のそばで絵を描いていて、消毒を始められたという経験が何度かある。

 これからの時代は家を捨てる時代だ。日本人は家というものに未だに縛られている。私の名前は「出いずる」である。笹村の家から出て貰いたいという気持ちで、父が付けてくれた名前である。笹村の家から出たのかどうかは分からないが、出家はした。

 次の時代の自給生活は、バンライフ農家なのかも知れない。家ごと畑に移動しているなら、一番合理的だ。農園には宅急便も配達をしてくれる。郵便や新聞配達だって、可能だろう。畑にいれば害獣の番にも成る。湧き水のある眺めの良い農園が良いだろう。のぼたん農園ならすぐにでも可能だ。

 すぐにもみんなが真似てくれると思った、アトリエカーさえ普及しない。バンライフ農家も普及しないかも知れない。どうも私が良いと思うようなことはいつも少数派だ。3%の人しか興味が無い。少数派だからおもしろいのが人生だ。

 
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健康重視の暮らし

2024-03-16 04:38:45 | 暮らし

C放牧地

 健康オタクだろうという自覚がある。何としても100まで絵を描くつもりだからだ。そのためには日々の暮らしを考える必要がある。最近あまり色々のことに興味が行かなくなって、ほぼ365日同じ暮らしの繰返しで、少しも飽きることが無い。

 コロナパンディミックは収束したわけでは無い。コロナが流行を初めて4年が経過して、日本人の半数が感染した。死亡したのは10万人だが、その大半が年寄と考えて良いのだから、老人のコロナ感染対策が今こそ重要だと考えている。

 感染者がマスクもせずに普通に暮らしている状態が出現している。それでも社会的にそれ程違和感なく、目立たぬようにやって行かなくては成らない。肺は弱い。コロナ感染は危険だと考えている。免疫力を高めて、できる限り危うきに近づかずである。

 感染したことは無い半数の側だが、有料になるワクチンをどうしようかと考えている。7000円ぐらいに成るらしい。インフルエンザワクチンは過去一度も打ったことが無いが、インフルエンザに感染したことは一度も無い。それぐらい用心深い方なのだ。

 ワクチンも良いけど変異に対して、どこまで対応
しているのかが、頼りないものである。インフルエンザワクチンを打たないのもそれが主たる理由だ。ワクチンは身体に入れるものだから、無駄なことはしたくない。結局の所感染予防を徹底するほか無いのだろう。

 世間が感染予防を終わりにしているので、難しいところがある。先日も東京から来た友人とライブハウスに行ってしまった。飲み屋にも行かなければ義理を欠くと言うこともある。少し前まではコロナがあるので飲み屋での集りは無かったのだが、最近は良くある。断りにくいものもある。

 コロナは実のところ、オミクロン株の1種の「JN.1」という変異ウイルスが世界的に増加しつ つあり、流行は過去2番目の多さになっている。石垣島もかなりの流行だとみている。病原性があまり高くないが、大きく変異をしていて、免疫をくぐり抜けるらしい。

 コロナウイルスは人間の間の感染連鎖で変異が大きくおきている。こういうウイルスは珍しい。多分ワクチンによる対策の結果だ。それでもコロナは終わったことに社会的にはされている。それは仕方がないにしても、死んでいるひとは少なくないのが実態である。

 ワクチンで死んだなどと言うのは統計的に言えば、0とみても良いくらいの数だ。インフルエンザで毎年死ぬひとの数は、推計の数字で1万人程度。これは老人に集中と言うことでも無いらしい。コロナはこの3倍くらい死亡する。しかも老人中心なのだ。相変わらずコロナはインフルエンザよりも3倍も危険な病気なのだ。

と言ってがんで死ぬひとは一年で30万人だから、コロナの10倍も恐ろしい。ガンも感染してがんになる割合はかなり高い。癌研ではがん予防の方法を提案している。それ程効果が高いとも思われないものだが、参考には成る。

 「禁煙」「節酒」「食生活」「身体活動」「適正体重の維持」の5つの改善可能な生活習慣に「感染」を加えた6つの要因 とされている。

 まず「禁煙」はしている。受動喫煙は最近少なくなってありがたい。禁煙をもう少し広く考えれば、悪い空気を吸わないと言うことにもなるだろう。都会よりも田舎暮らしの方が良い。田舎でも黄砂が飛んでくるような場所は良くない。汚染物質に近いものに電磁波があるが、未解明すぎて何とも言えない。

 「節酒」禁酒と言わないところがいい。酒の害はそう大きくない。強い酒をぐいぐい飲むのではガンになる。強い酒は60mlまで。ほんのちょっとだが、たしなむ程度で、酒量を増やさないことだ。強い酒は水割り、そうだ割。禁酒は出来れば良いが、現状では無理。

 「食生活」これは何でも食べるが、少量が良いということと考えている。小食で、ばっかり食を避ける。好きだからと言ってご飯ばかり食べるのは感心しない。あらゆるものをすこしづつ食べれるのがいい。少しという意味では、塩分や脂肪も砂糖も減らした方が良い。良い食べ物であっても、偏食していれば問題が起こる。

 「身体活動」適度な運動がよい。あくまで適度である。一日1時間程度。スポーツ選手ほどの運動は不健康である。心拍数を140まで上げると良いなどという健康法は、私には間違っている。心拍数が上がらないくらいの身体の動きを、継続的に、まんべんなく行うことが重要。東洋人の身体はそのように出来ている。

 「適正体重」適正とは自分が動きやすい体重と言うことになる。健康法はいつも個人的なことになる。お医者さんが良いと言うことでも、あくまで一般論である。自分が一番快調な体重を決めてそれを維持することある。私であれば、54キロから55キロの間。BMI値で19ぐらいで痩せすぎ。体脂肪率で19%台。

 そして「感染」たとえば B型・C型肝炎ウイルス、ピロリ菌など に感染してがんを発症することがある。色々のウイルスに感染して、それががんの原因になることは案外に多い。ガンの2番目の原因とされている。これは避けがたいところがあるが。免疫力を高めて対応する。

 先日東京に行ったときに驚いたことは、マスクの復活であった。電車の中のマスクの着用率が、80%ぐらいあった。あれはコロナもあるが、インフルエンザ対策の方が、大きいのかも知れない。実はあのマスクはかなり、花粉症が含まれている。

 私もこういう環境だと違和感なくマスクができて言い。花粉症の季節は悪くないが、石垣島では杉花粉症はないから、季節が違う。結局の所、免疫力を高めることになる。そういえば、睡眠の重要性が抜けている。よく寝ることは免疫力を高める。
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労働と不労所得の問題

2024-03-09 04:13:14 | 暮らし



 日本は世界でビリクラスの格差社会になってしまった。よく富裕層のことが言われる中国やアメリカと大差ない格差社会になってしまったのだ。日本では2022年、上位10%の高額所得者が全所得の44.24%を占めた。今はさらに少し進んでしまっただろう。

  池田内閣のもとで所得倍増計画が打ち出された1960年には34.88%だった。 多分この頃が日本の社会の均等化が一番進んだ社会だったと思う。江戸時代を試算すると50%位と書かれている。これは当時の世界で見ればむしろ格差は少ない方だった。当時の世界としては、権力者が富を独占していなかったのだ。

 戦後の日本社会は農業も食糧増産で元気で、一次産業でも普通に暮らせた時代だった。こういう時代に育つことが出来たことは幸せなことだった。身体を使って働くことが出来れば、何とか成る社会が見えていた。肉体労働を嫌う空気など無かった。健全な一次産業の労働に誇りの持てた時代。

 格差社会を推進したのは失われた30年と言われる、自公政権である。大企業優先の政策。国際競争力の重視。食料生産の軽視。株式投資に対する税制優遇を行っている。金融取引に関わる利子課税、配当課税、株式譲渡益課税などは20.3%に固されている。その結果1億円を超えるような所得の人に対する税制優遇になっている。

 所得金額が1億円を超える人は、財務省の統計によると令和元年段階で約2.1万人だったが、これは納税者全体の0.3%程度だった。このように飛び抜けた富裕層が税制面で優遇されることは、所得上位10%が全所得の44.23%を握る構図を生むことになった。

 一方で貧困層が形成され、貧困からの脱出が難しくなっているのだ。貧困の固定化が起きている。日本の相対的貧困率が米国や韓国にも抜かれ、先進国で最悪の数値となった。「2022(令和4)年 国民生活基礎調査」で、2021年の相対的貧困率が15.4%と示され、先進国最悪の状態が確認された。 
 
 日本が30年間停滞した原因は格差を広げる政府の考え方にあった。大企業や富裕層を優遇する原因は、自民党と富裕層の持ちつ持たれつの関係だ。パー券キックバック方式による裏金の莫大な蓄積。そのお金で行う選挙買収操作である。貧困層でありながら騙されて自民党や公明党に投票してしまう人がいるのだ。

 政府の投資立国を推進である。こんな馬鹿げた政府は無いだろう。学校教育で、投資が奨励されるような洗脳教育は、歪んだ格差社会が奨励されていると言うことになる。学校教育ではむしろ、不労所得は良くないことだと、教えるべき事だ。子供の頃まではそういう社会倫理だった。

 それは憲法に書かれている義務規定に基づく。日本国憲法第二十七条一項は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」としている。これが、「国民の三大義務」のうちの一つである。「教育を受けさせる義務」と「納税の義務」がある。「教育の義務」は国の義務である。

  仕事をすることが重要な社会参加であるという考え方は、勤労を義務とみなす考え方の基本となる。社会は誰かの労働で形成されている。働かざる者喰うべからず。不労所得で暮らそうなどと言う人間の考え方には、健全な社会を作るためには困ることなのだ。

 働かないで投資で暮らしている人間が、富裕層として形成されているとすれば、健全な社会とは言えない。それは倫理の問題だけではない。人間の肉体ははそうできているのだ。身体を動かすことが健康の基本だ。健康な身体を作るぐらいに身体を使って働くことが良い暮らしだ。

 だから富裕層はスポーツジム通いをする。しかしどう考えて農業生活の方が健全である。それが日本人としての暮らしだ。パソコンの前で株式投資をしているような暮らしよりも、田んぼで働く事ができる方が、身体にも心にも良いにちがいない。それが健全な人間の生活というものだ。

 どんな富裕層でも、自分の食糧を自給してみれば良い。すこしは不労所得の不健全さが分かるはずだ。お金がお金を生むようなことは、健全な労働では無い。犯罪とまでは言わないが、こうした職業に健全な人間が奨励されるような世の中は間違っている。

 日本人の労働意識が変化してきたのは、階層が顕著になってきた事による。働いても豊かになれない階層と、働かなくても豊かになる階層が出来たのだ。その結果働くことが馬鹿馬鹿しいと感じる若年層が形成された。労働義務感や不労所得への忌避感が、若年の低所得者層で低下している 。

 働くことで人間的な成長があるという、考え方が失われてきている。不労所得で巨万の富を得る人が、社会的に持てはやされる姿が背景にある。金さえあればかまわないのであれば、楽して肉体労働などしないで、儲けるのが一番だという浅薄な考え方が広がったのだ。

 これは同時に、貧困層に対する差別意識を生み出しても居る。貧困を自己責任とする考え方が生まれた。要領が悪いから、貧困になる。能力が低いことを悪とする、競争主義の考え方だ。能力差別は乗り越え無くては成らない差別だ。未だ能力差別は問題にもされることがほとんど無い。

 仕事の自立性の問題がある。自分の力でおおよそその仕事が達成されるものであれば、自分の内的な成長を生むことが出来る。こんな仕事が出来たという達成感が生まれるからだ。所が自分の労働が、細分化され、機械の歯車化されることで、労働が人間の成長が繋がらなくなったのだ。

 働くことでの自分の位置がよく見えなくなったことが、不労所得でもかまわないというちゃちな考えを生んだのだろう。不労所得の考え方が、健全に働くという、地道な生き方を蔑む気風が生まれていることが、怖いことだ。金持ちが偉いという間違った考え方。

 まず政府の洗脳教育を止めさせることからだ。当たり前の事では無いか。憲法に労働の義務は示されている思想なのだ。教育をゆがめては成らない。不労所得は健全な労働とは言えない。そんな生き方を間違っていると国は宣言する必要がある。

 動じに健全な肉体を使う労働を尊い労働としなければならない。頭を使う仕事が国際競争力を高める労働で、富が集中している。しかし、身体を使う労働にもっと富の配分をするべきだ。それが健全な国家を作る基本的な考え方になる。
 
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腰が痛くならない農作業

2024-03-08 04:20:10 | 暮らし


 日本の農業者の数は116万人、平均年齢は68.4歳で、年齢構成でみると70歳以上の層が ピークになっている。肉体労働の年寄仕事は未だかつて無いし、多分人類にとって食料生産を老人がになう、初めての社会が出現したのではないか。 

 74歳の私が現役の農業者である事が、それ程不自然には思われない状況である。若い人の場合生活がかかっている。農業で家族の生活を支えるのは難しくなった。国の安全保障と言われる農業が、年金生活者がやるほか無いような仕事になったのだ。

 農業者の大半の人が年寄だから、腰が痛くて困っている人が極めて多い。農業の仲間でも、腰が痛くて止めたという人が何人も居る。国の安全保障が、腰痛にかかっている。幸い、私は腰が痛いということが無い。腰が痛くなったらば、農業も終わりだと思っているので、腰痛にならないように最善を尽くしている。

 腰に負担をかけないためには、持ち上げ重量を23kg未満とするようにと提案されている。農業ではこれよりも重い物を持ち上げることは普通だろう。腰椎の損傷リスクは年齢にも比例するとも指摘されている。歳をとると、骨が弱くなるし、力が衰える。高齢化が進んでいるから、腰痛は一層重要な問題となっている。

 腰痛調査では、腰痛をもたらす作業で最も多かったのは収穫。確かに手刈りの稲刈りは腰に来る。しかし、今そんな作業をやるのは私たちぐらいだろう。次いで荷運び、剪定、植付け、掘り取り、皮剥き、選別、除草となっている。これらに共通する姿勢は、前屈みの長時間の変化の少ない作業姿勢である。

 「前かがみのであるくこと、人類が二足歩行を行うようになった時から、腰痛は逃れることの出来なくなった健康障害の1つであり、多くの現代人がこの腰痛に悩まされている 」このように立って歩くことすら、腰に負担があるのだから、前屈みで長時間作業は厳禁である。

 だから除草剤を使わない訳にはいかないことになる。農業では除草は最大の課題になる。草は生やしてしまえば、もうだめだ。生やす前に抑えるようなことを考える。あるいは叢生栽培と言うことなのだろうが、それで農業経営が上手く行っている事例は滅多に無い。

 農業者の腰痛率は約83.0%と高く、言われているように前屈や中腰といった姿勢、重量物の取り扱い動作が原因していることが分かっている。 苗の植え付けや収穫時には、中腰姿勢を長時間続ける。出荷作業の際、収穫した農作物を運搬することになる。1袋の目方はできるだけ減らしている。

 腰痛を避けるためには農業を止めるほか無いとも言える。農作業は命を繋ぐ方法なのだから、一年でも長くやりたい。そのために、辛いほどの作業は避けることにしている。休み休みしかやらない。中腰でいるくらいなら、地ベタに座り込んでしまう。腰を下ろしたままずるずる動いている。

 極めてみっともないが、その御陰で腰痛になったことが無いと思っている。希有な農業者17%の一人である事は確かだ。重いものを持つ場合、腰で持たないで膝を曲げて、膝の屈伸で持ち上げる。中腰よりも膝曲げである。膝曲げで動くと、大腿筋という強い筋肉が利用できるからだ。

 膝を使わないでものを持ち上げると、腰の屈伸だけで持ち上げることに成り、負担が分散できないことになる。すべての動きを膝に余裕を持たせて、動く。ドジョウすくいのようなみっともない動きである。百姓働きは格好は悪いが、身につければ腰など悪くしない。

 そして、毎朝の動禅体操である。できる限りゆっくりと腰を落として動く。心拍数が上がらないような動きである。歩数計も動かないような動きだ。ペイの数値も変らない動きだ。東洋の動きは走って、心拍数を上げるようなことではない。

 内に込めて行く動きである。内臓で動きを意識する。スワイショウに於いては、腸で身体を回す、意識。本当は腸に筋力があるわけではないから、腸で身体は回せない。しかし、腸を意識して、確かめながら、腸で身体を回すんだとする。この意識を変えることが重要である。

 呼吸法も重要である。息を吐ききる。息を吸いきる。口をとがらせて、限界まで行う。手も使い最後まで呼吸をする。そして、さらに重要なことは呼吸を限界まで止めると言うことだ。吸いきって止める。吐ききって止める。動きの中で、静かにこの限界を見極める。

 5数える間動きを止め、呼吸求める。数を数えるときには心拍数に併せる。ゆっくりした心臓の鼓動を感じながら、ひとーうつ、ふたーうつ、と数えて行く。心臓の動きをこの時感じ取ることも重要になる。心拍数は早くならないぐらいで保たれている事が大切。安定して、確実な動き。

  すべては内観法である。重要な臓器をこうして内観して行くことで、異常を探る。内臓には感覚神経があるわけではないから、良く確認は出来ないが、感じてみることは無駄ではないと思っている。繰り返して感じようとしている内に、いくらか分かってくるような気になる。

 出来ないと思うことも、繰り返している内に出来るようになっているものだ。動禅の間、目をつぶって行っている。最初の内はふらついてしまうが、いつか安定すると思い、無理せず継続する。出来なかった動きが、半年もすると出来るようになっているものだ。

 石垣島の農業は実に難しい。しかし、いつか出来ると思って挑戦している。出来るまでやればいいだけのことだ。それまで元気で動ける身体でいることだ。去年よりは間違いなく今年の方が良い。田んぼの土壌が良くなっているのが分かる。

 こうして、わずかずつ前進することが大切だ。一度に激変することなど無い。大切なのは方角である。良い方角に向かっていれば、いつかはたどり着けるに違いない。のぼたん農園の冒険は、身体を大切にする冒険でもある。どこまで身体が持つかが、鍵になる。

 身体の衰えは仕方がないことだ。身体を一年でも長く使えることが目標である。腰は重さを感じることがある。思い当たる昨日の作業がある。同じ作業を続けないことだ。年寄の冷や水である。無理せず休み休み身体を使うこと。

 先ずは80歳まで動けば、のぼたん農園の冒険にも目途が立つだろう。それまで腰を痛めないことだ。慎重に、ゆっくりやればいい。方角を間違えずに、ゆっくりと確実に進むことだ。

 
 
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新しい「山の人」に成る。

2024-02-27 04:15:03 | 暮らし


 わかばが留守なので、なんとなく物足りないサクラとのぼたん。

  山の人という言葉は柳田国男の民俗学の中に出てくる。「山の人」とは「原遊動民」と考えて良い。権力から離れた流浪の民である。定住をしないで移動しながら暮らしている人々。国家から離れた自由な集団と考えて良い。これからの時代に、新しい山の人が生きる余地が生まれるのではないだろうか。

 90歳まで生きていると、全国の自治体の半数が消滅しているらしい。地方社会が消えてゆき、どんな社会になっているのだろうか。人口減少から起こる地方消滅は困った問題と言われているが、案外に良い社会のように思う。私のように、山の中で自給自足を体験したものとしては、ずいぶん条件が良くなりそうに見えてくる。

 例えば、新しく開墾して畑を作る場合、山に戻っているにしても、その昔は農地であったところの方が、ずっと農地に戻すことが簡単なのだ。この先、山は荒れ果ててゆくのだろう。イノシシや、クマや、鹿などの野生動物も増えるはずだ。猟をすれば、売ることも出来るだろうし、案外食べ物には苦労しないのかもしれない。

 山菜だってとる人がいなくなれば、いくらでも取れるだろう。採種生活中心で、後は田んぼと狭い畑があれば、何とか食糧の自給自足は出来るはずだ。そこまで覚悟すれば、何も怖いことはない。石垣島でも人口が減少すれば医療は限界が来るかもしれないが、ITを利用した医療が始まるだろう。

 生まれたのは山梨県の藤垈の外れの、山の中にある向昌院という曹洞宗の寺であった。今はいとこが住職をしている。同じ藤垈にあるお隣のお寺は、今では誰も住まなくなり、崩れ落ちたままである。藤垈も私が生まれたころは、外地からの引揚者が沢山いて、人口は一番多かった時期ではないかと思われる。

 日本中の山村や離島の戦後は、そういうところから始まったのだ。明治以降人口が急増して、政府は移民政策を行った。実際は棄民政策を行った。日本の社会が急増する人口を支えきれない状態になった。農家では後継者となる長男以外は家から出てゆく以外なかった。

 橋田寿賀子作の「おしん」の世界が明治の山村の現実だったのだ。明治政府はとんでもない方角に日本を進めた。日本の歴史の中で、最も農民が飢餓に苦しめられた時代だ。先進国に追いつくという発想しかできなかったところに、限界があった。日本は明治帝国主義の競争心で、江戸時代まであった日本らしい良いものを捨てた。

 敗戦後、外地に出て行った人々が日本に引き揚げて、山村や離島に戻り暮らす以外になかった。都会は焼け野原だったのだ。いくらかでも平らな場所があれば、段々畑にされて、藤垈の周囲の山も開墾畑が広がっていった。占領軍が行った農地解放は大きな希望だった。開墾をすれば自分の農地が広げられる制度もあった。

 人海戦術で里山の開墾が進められた。残された里山は薪炭の供給地で、地域のエネルギー源になっていった。あの開墾から、戦後の民主主義社会が始まる。何故か、青年団の人たちの、ばかに明るい、希望に満ちた空気を思い出す。青年団活動や生活改善クラブのお母さん達の取り組み。

 何か新しい時代への期待が、敗戦を忘れさせてくれたのだろう。映画上映会やお祭りの開催の盛り上がりは、山の中に特別な賑わいが生まれて、まばゆい夢のような出来事であった。今では荒れ果ててしまった河原に何百人の人が集まったのかと、想像すら難しいことだ。

 頑張って働けば誰でも豊かになれる気がした。未来に豊かな暮らしが待っている希望のある社会。努力して農産物を作れば、農業で豊かになれる山村が、一時だけ出現したのだ。開墾しても、充分な農地が手に入らないものは、街に働きに出た。子供が街に働きに出た家は、忽ちに裕福になってゆく。

 むしろ農地が少なかった家の方が、職業転換が早くできたのだ。土建業や建設業などを中心に様々な仕事が、人手を求めていた。村には自動車を買う家まで現れた。村に小さな工場も出来て、そこに働きに行く人もたくさんいた。養鶏を始める農家も現れた。

 戦後の復興期から、高度成長期に入る。もはや戦後ではないと言われたのが、敗戦から10年の1956年である。それからの急速な変化は地方の様子も、都会の様子も、一変していった。1970年までである。万博が開催された年だ。高度成長の方向が危ういものに変わってゆき、この流れは公害を生み、最後についに原発事故に至る。又間違ってしまった。

 あれから、半世紀が経過した。あの急激に肥大化した地方社会が、維持が出来なくなり、消えて行こうとしている。たぶん問題は人間の変貌にあるのだ。戦後の民主主義社会の希望に満ちた社会の中で、頑張れば何とかなると信じて、ひたすら働いたあの人たちであれば、今の地方社会は何とも魅力的に見えるはずだ。

 一番の違いは、今の社会は農地が放棄され、そこで農業をやろうと思えば、手に入ることだ。あの頃の日本人は働く農地がないというので、海外に出て行かざる得なかったのだ。誰だって日本で働きたかったにちがいない。あの頃の青年であれば、希望に満ちて日本の地方の中山間地で、頑張ることだろう。

  日本の問題は、人間の問題なのだ。病院がないから地方社会では暮らせない。学校がないから地方では暮らせない。ないものを数えている人間では、地方でのこの先生活を立てることは難しいだろう。あるものを見れば、豊かな土地が目の前にある。これほどの自分の力で生きてゆくには、良い条件はないだろう。

 社会はIT革命で大きく変わるはずだ。産業革命で世界が変わったように、コンピュター社会になることで、社会の在り様は激変する。今ある職業の半分は無くなると言われている。どんな職業が残るかなどと、つまらない想像をするより、自分らしく生きることを考えるべきだ。

 問題になるのは人間がどう生きるのかという事だけだ。原点にあるものは「食べもを作り生きる。」ここに立ち戻ることだと思う。それが出来れば何も怖れることはない。都会での暮らしよりも、中山間地の暮らしの方が、よほど安全な暮らしだろう。

 現代人はビニールハウスで育った軟弱野菜だ。自然の中で生きることをためらう。あらためて日本の中山間地をみれば、これほど希望のある場所はない。私は今石垣島の崎枝という場所で、3,6haの牧場の跡地を開墾をして、自給の農場を作ろうとしている。借地料は年1反7500円である。

 耕していて、どれほど小田原の農地が恵まれていたかと思う。小田原でも反7500円ならば、貸してくれるところはあるだろう。いや、もっと安く貸してくれる農地があるかもしれない。中山間地であれば、無償で使える場所すらないとは言えない。そうして誘致している地域もあるのだ。

 人間次第だと思う。ビニールハウス育ちが、野外生活に耐えられるかである。その強い肉体があるか。その気力があるか。その捨て身があるか。結局、開墾途上で死んでも構わないと思える覚悟があるか。自分で作ったもの以外は食べないという覚悟を持てるかである。大げさに言えばで、本当は何気なくやればいいことだ。

 35ねんまえ5年以内に自給生活を成し遂げると覚悟をして始めた。そして達成した。その自給自足の安心立命が何より良かった。自己管理をして病気にはならない決意をした。それでも病気になれば死ぬのも仕方がない。運命を受け入れる覚悟だ。幸いあれ以来一度も病気はない。

 そして、一人の自給が出来たら、今度はみんなの自給だ。自分が確立した自給技術をみんなの自給技術にして行く。そうすれば、一人の自給は100坪の土地と、1時間の労働で可能になる。あとの時間は自分の目的に向い生きて行けばいい。みんなの連携が全国に緩やかに広がる。

 まず、便利さの社会を捨てることから始まる。それは精神主義でもないし、宗教でもない。現代の普通の暮らしをしながら、自給生活をしようとすれば、社会に引きづり込まれるのだ。先ずは一時代戻る覚悟ですべてを捨てて、やり始める。

 これから中山間地で暮そうと考えるものに必要なものは、科学的な思考だ。農業高校の教科書を買って読むと良い。当たり前の農業の知識から始めることだ。趣味ではないのだ。命がけのことだ。カリスマの自然農法などにはまらないことだ。趣味の農業に引きづられないことだ。まず食糧自給から。

 新しい「山の人」は軽トラアトリエで移動しているぐらいのイメージである。縄文人のような暮らしをしているわけではない。自給自足をしながら、緩やかな連携を取り合う、同族がいる。その同族間で交流を持ちながらアトリエカーでふと訪ねてきて、技術交流をする。そんな山の人だ。


 

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日本人は無宗教なのか。

2024-02-20 04:10:54 | 暮らし


 一番成長の良い4番田んぼ。転がした後、分ゲツが始まっている。平均で15分ゲツある。

 日本人は宗教を問われて、「自分は無宗教だ。」と答える人が大半だろう。日本人は無宗教という言葉は、私が小学生の頃によく言われた記憶がある。外国では無宗教というと、信用されないという話がされた。私自身も信ずる宗教が無い、無宗教者だと思った記憶がある。このことは日本人の普通の意識だと思うが、果たしてそう言って良いのだろうか。

 何故日本人が無宗教と感じるようになったのかを考えてみる必要がある。私は山梨の藤垈にある向昌院という曹洞宗の山寺で生まれた人間で、しかも、現在曹洞宗の僧侶である。だから、当然仏教徒である。仏教の教えやお釈迦様を信仰しているのか、坊さんとして暮らしているのかと言われると、違うかも知れないと言わざる得ない。

 それでも道元禅師の教えに従い生きているつもりである。道元禅師は宗教家と言うより、哲学者としてとらえている気がする。お寺の住職さんが仏教徒なのかという疑問がある。神社の神主さんが神道の宗教者なのかという疑問がある。日本では宗教者と呼べる人は数少ないのではないか。日本人の宗教という枠組みがどうも、欧米のキリスト教の信仰とは意味が違うと感じる。

 江戸時代のキリシタンの人達は確かに信仰者である。オウム真理教の信者も信仰者である。一向一揆の真宗の信者も信仰者である。統一教会の信者も信仰者なのだろうが、騙されているだけなら信仰者では無い。創価学会の信者なら信仰なのか、現世利益なのか。少し疑問である。

 まず何を宗教と考えるかが明確でないと、宗教の信者であるかどうかは見えないだろう。原始宗教というものがある。多分縄文時代の日本人も祈りの気持ちがあっただろう。アイヌの人達にはアイヌの祈りの思いがある。ここに在る祈りの気持ちは自然宗教と呼ぶものだ。

 この自然宗教を一応外して、あなたは何か宗教を信仰していますかと聞いているのだ。だから、日本人の大半の人は、無宗教と答えるのが当たり前の事になるのだろう。しかし、「日本人とユダヤ人 」山本七平イザヤペンダソン著では、日本人の大半の人は、日本教の信者だと解き明かした。

 日本人は原始から継続する宗教を持ち越して、近代化した希な人種なのだ。柳田国男氏の民俗学がそのことを解き明かしている。多分縄文人も私にも同じ樹木や岩や水に対する畏敬の念があると思われる。このような自然宗教を抱えた民俗の中に、無理矢理あてがわれた宗教が仏教なのだ。

 ややこしいことには、明治政府は無理矢理天皇を持ってきて、国の神にした。そのために神道を国教にしてしまう。廃仏毀釈である。恐ろしい暴挙である。一見村の氏神である神社や祭りと、国の指定した神社とは似てはいるが、まるで違うものなのだ。そもそも江戸時代に神主、神官などと言うものは存在しない。

 明治政府はこの天皇を神とする君主制を、国民に押しつけた。それに合せて神道を国教にしようとしたのだ。教育は臣民教育である。天皇を神として、それに仕える日本人を作り出そうとしたのだ。この明治政府のメチャクチャな手法に、日本の宗教者は仕方がなく、追随したのだ。新たな国教である神道の中心者になった天皇家の菩提を弔い、寺院の継続を手にしたのだ。

 そもそも江戸時代の天皇家は伊勢神宮とは何の関係も無い。明治政府が作り上げた即席の神官に仕立て上げられたものだ。本来の天皇家は神官と言うよりも、日本の伝統文化と、水土技術と、農業技術のしきり役の家、と考えた方が近い。

 この明治政府の急ごしらえの帝国主義のために、日本の宗教はめちゃめちゃな混乱が起きたのだ。特に村の鎮守様と国家神道とは何の関係も無いのだが、なんとなく神社であるから、似た系列ぐらいに受けとらえられるようになる。日本人は天皇家の国家神道を信仰したことなど一度も無いにもかかわらず。

 そのために、日本人は日本教の信者ではあるが、特定の信仰はないという不思議な状態になった。ここに、既成の宗教が存在するので、日本人の宗教はごっちゃで訳の分からない話になる。曹洞宗の坊さんである私が宗教者であると断言することにためらうのもここに在る。

 これは宗派宗教とは異なる。つまり、キリスト教のカソリック○○派の信者ですという意味や、自分はオウム真理教の信者ですというのは、縄文人の祈りとは異なる、教祖が存在する宗派信仰である。日本人の多くの人が、無宗教というのは、オウムや統一教会の信者ではないという気持ちだろう。

 一方から言えば、日本人の心の中には縄文人から持ち越してきた祈りはある。神とは呼ばずとも何ものかに、手を合せる。頭を下げる祈りがある。縄文人も明日は沢山の食べ物が手に入りますようにと、自然を司る何かに祈りを捧げたはずだ。

 こうした原始宗教がそのまま奈良時代まで持ち越されていたところに、仏教が入ってきた。それが沖縄の琉球王国に到達するのは、江戸時代である。各地域地域で仏教の広がりは違ったのだろうが、仏教の流入に従って、徐々に死者の弔い方法が、仏教式になって行く。

 古代社会では死者は恐ろしいものであった。死は理解しがたいものだ。死は感覚的な把握が出来ないものであるから、それを都合良く仏教に任せることにして、死という理解不能なもの、死者という恐怖のものを、仏教に片付けてしまった。奈良時代から仏教での弔いと言うことに、ご都合主義で進められるが、それは原始宗教と混合されたものだった。

 本当に仏教が死を仕切ることになるのは江戸時代の檀家制度の成立以降と考えて良い。奈良時代から戦国時代までの間は、原始宗教と仏教が折り重なり、存在していた時代である。死も死者も死後のことも、理解しがたい恐怖を伴うものだから、お寺に任せて安心しようとした。

  宗教は死という事への向かい合い方だ。死という理不尽で、避けがたいものをどう考えれば良いのか、人間の理解を越えている。すべてが失われると言うことが待ち受けている中を生きている。この絶望をどう受け入れるか。人間の生きる有限性をどう考えるかである。

 それは原始宗教であっても、縄文人であっても人間であれば現代に生きるものと何ら変わりない、大問題である。ただのサルである間は、死というものを想像し考えると言うことは無いだろう。人間が進化し、想像し、思考するようになれば、死は究極の大問題になる。

 その向かい合い方に宗教というような祈りの心情が生まれる。死後の世界を想定してみたり、生まれてくる前の世界を想像してみたり、思考を広げて行く。そして、どうしても理解不能なこの過去と未来を、どのように考えれば良いかという所に宗教が誕生してくる。

 
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