地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

経済停滞の中、暮らしはどうなるか

2024-04-16 04:01:43 | 暮らし
熱帯睡蓮のティナ

 若い人達はこれからの生活をどうしたら良いのかと、日本の長い停滞期の中で、不安だろうと思う。私が若い頃は、これからどんどん暮らしは良くなると思えたし、実際に多くの家がそうだった。そもそも大学に行くのに、自活できたのだ。フランスに行く資金も自分で貯められたのだ。50年前の日本は今よりも豊かな時代だった。

 ここ30年間徐々に時代は厳しいものになっている。若い頃にはまさか年々暮らしが厳しくなるなど思いもしなかった。それもあって自給生活に入る事ができた。自給の御陰でその厳しくなってゆく、生活の大変さの直撃を受けないで済んだ。自給が出来るようになったのが停滞の30年より前だ。食べるものが自給できれば、後はぎりぎりでも何とかなった。

 いよいよ到来の物価は値上げの春で、さらにものの価格は上がり始めた。値上げしたらものが売れなく成るという不安を企業は捨てたようだ。これからは、遠慮無くあらゆるものの値上がりして行くと見なくては成らない。それでも農産物は安いと思う。おにぎり一個のお米だけの価格は30円ぐらいだ。

 一方収入の方は、大企業や都会の給与所得者はともかく、末端の地方経済や、個人営業者まで収入が増えたわけでは無い。つまり、これからますます格差が広がって行くことは覚悟しておかなければならない。そして、格差が差別社会になって行くおそれがある。

 格差される下層の固定化が起こる。貧困に陥れば、そこから抜け出すことは厳しいことになる。問題となるのはその時の格差を受けた下層の意欲の低下である。この差別を戦って壊さなければならないという、意欲自体が削がれてしまう。すでにその兆候が社会に感じられる。

 怖い時代が近づいている。能力がないから、貧困である事も仕方がにという社会がはっきりとしてくる。すでにそんな空気が広がりつつあるように感ずる。農家になろうという人が少ないのも収入の少ない下層なのだから当然である。収入の良い企業への就職が、上の階層への登竜門になる。

 株価は4万円超えとかで、いかにも日本の経済が良いかのように見えるが、これはあだ花のようなもので、国が盛んに株を買い支えているために、おきた一時的な現象だ。日本政府が株価が下がれば、お金を増刷して株を買うだろうと、見られているから、投資家は株を買う。

 外国人投資家は危ない日本経済を承知で、円安の日本株を買っている。確かに政府は株式投資の御陰で、莫大な財政赤字にも関わらず、しのげているのかもしれない。しかし、不労所得でかろうじて成り立つような、政府がまともなわけが無い。

 日本は世界から、製造業の世界で後れを取り始めたのだ。この現実を認識しておいた方が良い。そして、当分この状況を抜け出ることは無い。日本は観光立国のような、少し製造業を国の本とする国とは違う国になるのかも知れない。日本人が変ったのだから、国柄はそれに従うことだろう。日本人は以前よりも人当たりは良くなった。犯罪も減少した。

 円安である。外国人投資家にしてみれば、日本の株は安いのだ。中国の不動産投資が怪しくなった分、日本の株に投資資金が向かってきたに過ぎない。確かに中国で不動産投資するよりは、まだ日本の企業に投資した方が良いと考えるのは当然かも知れない。

 日本で土地を買えば、安いという感覚は中国人にはあるかも知れない。マンション投資で利益を上げた中国富裕層が日本の株や土地を買うのはリスク分散と言うことだろう。しかし、日本人が株価上昇に惑わされては、まずいことになる。

 株はますます、きわどいものになっている。生活が危ういのに株式投資をするというようなことは、生活の破綻に80%ぐらいは繋がるだろう。生活を確かなものにするには、不労所得を当てにしてはだめだ。先ずは堅実に生活を立てることが、基本だ。

 このさきの日本の危うい状態を考えると、ますます、自給生活の意味が重要になっている。好きなことをして生きて行く、その根底を支える自給生活である。自給生活と言っても、グゥアム島で脱走兵生活をしていた横井さんがしていたような自給生活では無い。

 社会に認知され、むしろ歓迎される自給生活である。地方には消滅して行く集落が相次いでいる。昔は普通に暮らすことが出来た場所が、現代社会では暮らせない場所になっているのだ。人口が五万人で停滞している石垣島でも北部地域は人口が減少し、学校が閉校になっている。

 先日少し書いた、「五島市移住」などの誘致案内を読むと、しっかりと暮らして行く覚悟があれば、素晴らしい場所だと思う。例えば新上五島町では地域おこし協力隊員を5名給与25万円で募集している。この仕事で働きながら、地域で暮らしを立てる方策を見付けることが出来る。

 友人には何人かこの制度で、地方移住をした人がいる。その他の仕事でも、身体を使って働く気持ちがあれば、地方には様々な仕事がある。消滅して行く地域には、若い人を待っている仕事がある。地方には仕事が無いからと言うのは、肉体労働しかないという意味である。

 石垣島は暮らしやすいことは確かだ。年三回お米が取れる場所なのだ。100坪の土地があって、一日1時間自給のために農作業をすれば、食糧自給は出来る。ただし、助け合い、協働する気持ちが必要だ。一人の自給はかなり厳しいものになる。

 自給は一人では大変なことだ。もちろん一人でもできる人は居るだろうが、ひとり出来たならば、今度はみんなの自給にすすで欲しい。みんなの自給は一人の自給の半分の労力で可能になる。一人の自給は一日2時間の労働時間になるが、みんなの時間なら1時間で可能だ。

 いずれにしても食糧自給は農業技術次第だ。科学に基づいた、正しい技術で農業に向わなければならない。変な宗教まがいのエセ科学に惑わされないでやらなければならない。農業技術とは、誰がやっても同じに必ず再現されるものだ。分からない人は是非「あしがら農の会」か「のぼたん農園」に参加して貰えば学ぶことが出来る。

 

 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アメリカにオベッカする岸田... | トップ | のぼたん農園水源の森作り »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

暮らし」カテゴリの最新記事