中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

長野市内で街頭宣伝

2007年06月24日 23時16分49秒 | 活動日誌
(ジャガイモの花だよ。もう少し咲くと、花びらがカタクリの花みたいに後ろへひっくり返る、その前の状態です。)

 市会議員、県会議員とともに長野市内各地で街頭宣伝、訪問活動をしました。

 梅雨に入って今日は雨模様、日中も18度と肌寒いくらい。

 街頭からの訴えでは、愉快な場面がたくさんありました。
 
 交差点では、話しに聞き入っていた車が、青信号になっても動かず「プップー」と催促されていたり、信号待ちでじっとこちらを向いていて、青になったら顔だけはこちらに向けて、人にぶつかりそうになりながらわたって行く人もいました。
 
 ベンチで背中を向けていた方に挨拶にいったら「聞いていました。いいことを言うと思っていました。よくわかったので、入れますよ」と握手、信号待ちの中年の女性は「住民税、ひどいですね。あがりました」と青になってもやり過ごして話をしてくださるなど、共産党への期待が、日々強くなってきてきていることを実感しました。
 
 さて、昼ちょっと前に「新日本婦人の会」のお祭りに顔を出し、12時からは約1時間、青年カエルネットと合流、長野駅頭でハンドマイクで宣伝でした。
 青年が6人、次々リレートークしました。これがgood! 6人がみんな率直で飾らず、青年の実態と思いがよく伝わってきたトークでした。


(女性の青年が訴えています)

 「僕たちはものではない。ちゃんと働きたい!」
 「学生の時、有事立法が決まって、今は憲法が・・・戦争には行きたくない」
 「殺したくない、殺されたくない」
 「福祉の現場では、ひどい使われ方をしています」
 「公明党と学会は一体ではないか、憲法違反!」
 
 若い方が注目してゆきました。
 青年がトーク中、私は通行人にご挨拶、若い人の反応はとってもまじめ。

 ある若い女性は「戦争は絶対いやです」、男性は「仕事がほしい。オレもフリーターなんです。くらせません」
 同じ場所で会社のチラシ配りをしていた女性は「頑張ってください」と握手。

 最後に「元青年、今は母親、いずれバーバ」の私が訴えました。

 夜は市会議員「宮崎利幸さんを励ます会」が地元で行なわれ、和田明子県議とご挨拶させていただきました。
 親戚の方や、なんとしても宮崎さんの当選をと願っている地元宮崎ファンクラブの方々50人。
 参議選おえたあとの9月には、長野市会議員選挙なのです。
 
 第一部を終えて、交流会のご挨拶にたった会長さんの挨拶がすばらしかった。
「沖縄の集団自決否定の問題は、沖縄だけではない、われわれ日本の問題。安倍首相の美しい国は許さない。参議院選挙勝利、そして市議選勝利!」
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全国いっせい決起集会・演説会2箇所・小宮山量平氏と懇談

2007年06月24日 00時10分33秒 | 活動日誌
               (佐久市演説会  花束をいただきました。)

 
 井上さとし参議院議員を迎えての一日でした。

 午前中、全国いっせい決起集会をCS放送で見る。参加者は「頑張れば勝てる情勢、しかし、油断すれば議席減もありうる。暮らし、平和を守る旗を掲げられるのは共産党だけ」との決意を新たにしました。
 井上さとし参議院議員も来長し、CS放送のあとの決起集会で激動の国会状況の報告、私も決意を述べました。井上さんとは、終日行動をともにしました。

 12時から長野駅前での緊急街頭国会報告の街頭演説を行ないました。青年カエルネットも応援。ちらし配り隊もたくさん出て、旗も華やかにたなびき、井上さんの報告に足を止める人も多くいました。
 「こんなひどい国会はかつてない!」と井上さん、強行採決が当たり前になっている国会は異常です。しかも、禁じ手の会期延長をやりました。

 駅のカレーショップで昼ごはんを食べて新幹線で上田駅へ、午後、上田で演説会。「税金を取り立てる住民税増税の通知は出すくせに、国民に払う年金の納付通知書は出そうとしない」との井上さんの言葉に、私も「そうだ!」と共感。

 「初めて共産党の演説会に参加しました」と言う若者は「国会議員はのらくら、ちっともわれわれのことをわかっていないと思っていましたが、今日は熱っぽくてきらきらしていて、心が伝わってきました」と、なんてうれしい感想でしょう。
 閉会の後、出口で挨拶したときに話してくださいました。


(左小宮山量平さん、井上さん、私、高村県議)

 夜は佐久市での演説会、その間に、小宮山量平氏との懇談がかないました。大歓迎で迎えてくださった小宮山量平氏は、91歳とはまったく思えないお元気さ、ヒューマニズムにあふれた深いお話にすっかり引き込まれました。

 小宮山さんが10歳のころの「自由学校」の写真を見せてくださいました。先生を真ん中に囲んで、先生も生徒も屈託のない、本当にいい笑顔です。
 「教育3法は、こんなにいい笑顔を子どもからも先生からも奪ってしまう」「視野狭窄になってはいけない」とご自分が弾圧を受けた経験をまじえながら、広く総合的な観点で歴史を捉え、今大切なことを見据える大切さを語ってくれ、「大いに頑張ってください」と励ましてくださいました。

 夕食をとって佐久市へ車で移動。佐久市の演説会には420人が参加、小さいときに付き合っていたFちゃんも車椅子で参加してくれました。今は作業所でパンとクッキーを焼いています。すっかり、美人さんになっていました。

 家にかえって、昨年、小宮山量平さんが出した本「地には豊かな種を」を引っ張り出しました。改めて、ぺらぺらとめくり、今日の話の余韻に浸りました。

 「終わりに」に記されていた「かの魯迅が語っているように絶望の深さをくぐりぬけるたびに、希望は巨きく育つのでしょう」の一行。
 
 魯迅の「故郷」の最後の一節「希望はもともとあるものとのいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば道になるのだ」を思い出し、暮らしと平和への希望への道はずいぶん多くの人によって踏み固められてきたが、今ここでまた多くの人と、新たな希望への道を作ってゆくときと、新鮮な気持ちになりました。

 91歳の小宮山さんに足元にも及ばないけれど、今の瞬間は、人生のあり方を選挙勝利のために使いたいと思いました。

 

 

 
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