2014年11月14日(金)
前回から1日空けて、秩父札所巡りの最終回に出かけた。
西武秩父駅8時30分発のバスに乗り、一昨日は暗くなって着いた小鹿野町の松井田
バス停に9時5分に下りる。今朝は冷え込んだが快晴で風も無く、結願(けちがん)
(札所巡礼をすべて終える)の日にふさわしい巡礼日和である。
国道299号を西へ、赤平川の赤平橋を渡り、500mほど先の泉田集落の交差点で
国道に分かれて北に向かう。
二十二夜堂のそばの柿畑から、秩父のシンボル、武甲山(1,304m)の北面が望ま
れる。
奈倉集落の東側の山並みが色づきはじめ、民家の広葉樹の彩りもよい。
小さい社殿の妙見宮の横を通過して、再度赤平川の奈倉橋を渡る。
小坂下集落の畑では、秩父の特産シャクシナを収穫していた。
次の桜井集落に、33番札所菊水寺がある。本尊の聖観世音菩薩立像は平安時代末の
もので、埼玉県文化財彫刻部門の指定第1号だという。
本堂の格天井には、古い千社札(せんじゃふだ)がたくさん貼られていた。境内には、
芭蕉句碑や新しい歌碑がある。
さらに向かう北方には、緩やかな山並みが長く東西に延びている。取方(とりかた)
集落に、「星音の湯(せいねのゆ)」と呼ぶ日帰り温泉施設が出来ていた。
取方交差点を左折して吉田川右岸沿いに回り込み、次の橋を渡り北に向かって緩やか
に上がる。
西から南への展望が開け、日本百名山の↑両神山(1,723m)や、奥秩父の稜線が
くっきりと望まれ、周辺の木々は晩秋の彩り。
新志(あたらし)集落の清泉寺には、山門を入ったところで本堂に参拝するのみに留
める。
すぐ先の県道との交差点際にあった「道の駅龍勢会館」に立ち寄り、地元産品の直売
場で少しの買い物をした。
上郷から元郷へと進み、木製鳥居の神社の前を過ぎる。山ろくにある社殿は小さめだ
った。
県道37号に合し、お堂としては珍しい、平石(ひらなめ)馬頭尊堂下まで進む。
弘化4年(1847)の竣工で、お堂の周囲や正面の向拝(こうはい)を飾る精巧な
彫刻は、当時の熊谷の腕利きの彫刻師の作らしい。やはり歩いて34番水潜寺(すいせ
んじ)に向かうという、ご夫婦と単独行の男性が休憩していた
お堂の横を左折し、南西に向かう車道は緩やかな上り道。路傍に古い百万遍供養塔な
ど、3体の石仏が並んでいた。
1車線の車道はその先の藤芝集落でV字状に折り返すのだが、供養塔の先から右へ、
ショートカットする巡礼道の表示があったので、小さい流れの橋を越えてその斜面を上
がることにする。
新しい双体道祖神の前を通過し、巡礼道はジグザグに上がる。笠を被った石塔の先で、
ショートカットした車線に戻った。
車道を下って最後の小集落、母沢(たのぶさわ)に入った。家並みの尽きる辺りま
で上がると、34番水潜寺への巡礼道の標柱が立っている。
札立峠(ふだたてとうげ)までは標高差約170mの上り。小休止して持参のパンを
食べ、水分補給をする。
明るい広葉樹林の中の上りが続くので、息の上がらぬ程度のペースでゆっくりと進む。
一か所だけ樹林が切れて、奥秩父の山並みの展望が開けた。
峠の近くは杉林が増え、細い流れの水場を過ぎる。ほどなく巡礼道最後のピーク、標
高約550mの札立峠に、予想より早い12時25分に上がることが出来た。
峠からの展望はない。東に延びる破風山(626.5m)への稜線に少し上がり、目
の上の紅葉を眺めながら昼食にした。
25分で昼食を終え、北に伸びる水潜寺への下りにかかる。少し下って、昼食中に破
風山から下りてきたハイキンググループがゆっくり下るのを追い越し、さらに別の小グ
ループも抜く。
夏の大雨で崩落したのか、たくさんの杉の倒木の横を通過する。
小さい流れ沿いとなり、渡渉したりしてさらに下ると、眼下に水潜寺の屋根が見下ろ
せ、新しいお地蔵さんがねぎらってくれていた。
秩父三十四霊場、日本百観音霊場(西国、坂東、秩父)の結願寺である水潜寺に、
13時24分に着いた。
3月12日(水)に秩父鉄道和銅黒谷駅をスタートして、1番札所から始めてから延
べ7日間の秩父札所巡りも、無事歩き終えて結願の日を迎えることが出来た。
観音堂に上がり、室町時代の作と伝わるご本尊の千手観音に御礼の参拝をして、納経
所で御朱印をいただく。観音堂の傍らに流れ落ちる「水くぐりの長命水」でのどを潤し、
そばの「水かけ地蔵」に3杯の水をかけて、もう少し元気でいられるようあわせて祈る。
北向き斜面で陽の差さぬ境内の一隅に、冬桜が開花し始めていた。13時37分に寺
を後にする。
北に少し下ると日野沢川沿いの車道に出た。バス停そばの数本のモミジがよい彩り。
沢沿いの車道を東に向かう。
廃校になった校舎らしい建物↑のある若浜集落から、日野集落へと進む。集落の東端付
近に、日帰り温泉「満願の湯」がある。12年前の巡礼結願の時には立ち寄ったのだが、
今回は通過する。
日野沢川の流れに合わせてS字状に回る車道の途中に、大きな馬頭観世音碑が立って
いた。
幕末の頃、ここ下日野沢村には百頭以上の馬が飼われ、人馬の往復が盛んだったとい
う。しかし当時は道路が悪く、がけから転落して犠牲になる馬も多く、その霊をいたわ
り建てたものらしい。
この馬の字の点は、三つしか無い珍しい文字。馬が働いているときは足の1本は必ず
浮いていることから、生き馬の安全を祈り三つの点にしたのだという。
Sカーブが終わり、T字路で県道44号に合して根古屋橋を渡る。柴岡集落を通過し
て琴平下集落に入り、右からの車道と合するところにあった国神(くにがみ)神社で、
最後の小休止とする。
社殿の両脇に立つイチョウの古木がよい彩り。
右からの県道37号を少し進むと、「くりやぜ園」と呼ぶぶどう園がある。駐車場か
らは東から南の展望が広がり、荒川の向こうに穏やかな山容の美の山↓が、その右手に
は逆光の武甲山が望まれる。
武甲山
荒川を渡る車道の栗谷瀬橋の、上流に平行する歩行者専用橋を渡る。橋の周辺からも、
荒川の流れや周辺の秋色の展望がよい。
この辺り、皆野町は秩父音頭発祥の地。マンホールのふたのデザインも秩父音頭にな
っていた。
皆野中の南側の間道を進み、秩父鉄道親鼻駅に15時21分に無事到着し、春からの
7日間の秩父札所巡礼、距離にして約107㎞をすべて歩き終えた。
(天気 快晴後晴、距離 17㎞、地図(1/2.5万) 皆野、歩行地 小鹿野町、
皆野町、歩数 30,800、累積標高差 上り約600m、下り約660m)【完】
帰宅後、32番法性寺で入手してきた「甲牛歳総開帳記念散華(さんげ)」用の台
紙に、それぞれの札所で納経印と一緒にいただいてきた散華34枚を貼る。
2度目の秩父札所総開帳を巡ったよい記念品となった。
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前回から1日空けて、秩父札所巡りの最終回に出かけた。
西武秩父駅8時30分発のバスに乗り、一昨日は暗くなって着いた小鹿野町の松井田
バス停に9時5分に下りる。今朝は冷え込んだが快晴で風も無く、結願(けちがん)
(札所巡礼をすべて終える)の日にふさわしい巡礼日和である。
国道299号を西へ、赤平川の赤平橋を渡り、500mほど先の泉田集落の交差点で
国道に分かれて北に向かう。
二十二夜堂のそばの柿畑から、秩父のシンボル、武甲山(1,304m)の北面が望ま
れる。
奈倉集落の東側の山並みが色づきはじめ、民家の広葉樹の彩りもよい。
小さい社殿の妙見宮の横を通過して、再度赤平川の奈倉橋を渡る。
小坂下集落の畑では、秩父の特産シャクシナを収穫していた。
次の桜井集落に、33番札所菊水寺がある。本尊の聖観世音菩薩立像は平安時代末の
もので、埼玉県文化財彫刻部門の指定第1号だという。
本堂の格天井には、古い千社札(せんじゃふだ)がたくさん貼られていた。境内には、
芭蕉句碑や新しい歌碑がある。
さらに向かう北方には、緩やかな山並みが長く東西に延びている。取方(とりかた)
集落に、「星音の湯(せいねのゆ)」と呼ぶ日帰り温泉施設が出来ていた。
取方交差点を左折して吉田川右岸沿いに回り込み、次の橋を渡り北に向かって緩やか
に上がる。
西から南への展望が開け、日本百名山の↑両神山(1,723m)や、奥秩父の稜線が
くっきりと望まれ、周辺の木々は晩秋の彩り。
新志(あたらし)集落の清泉寺には、山門を入ったところで本堂に参拝するのみに留
める。
すぐ先の県道との交差点際にあった「道の駅龍勢会館」に立ち寄り、地元産品の直売
場で少しの買い物をした。
上郷から元郷へと進み、木製鳥居の神社の前を過ぎる。山ろくにある社殿は小さめだ
った。
県道37号に合し、お堂としては珍しい、平石(ひらなめ)馬頭尊堂下まで進む。
弘化4年(1847)の竣工で、お堂の周囲や正面の向拝(こうはい)を飾る精巧な
彫刻は、当時の熊谷の腕利きの彫刻師の作らしい。やはり歩いて34番水潜寺(すいせ
んじ)に向かうという、ご夫婦と単独行の男性が休憩していた
お堂の横を左折し、南西に向かう車道は緩やかな上り道。路傍に古い百万遍供養塔な
ど、3体の石仏が並んでいた。
1車線の車道はその先の藤芝集落でV字状に折り返すのだが、供養塔の先から右へ、
ショートカットする巡礼道の表示があったので、小さい流れの橋を越えてその斜面を上
がることにする。
新しい双体道祖神の前を通過し、巡礼道はジグザグに上がる。笠を被った石塔の先で、
ショートカットした車線に戻った。
車道を下って最後の小集落、母沢(たのぶさわ)に入った。家並みの尽きる辺りま
で上がると、34番水潜寺への巡礼道の標柱が立っている。
札立峠(ふだたてとうげ)までは標高差約170mの上り。小休止して持参のパンを
食べ、水分補給をする。
明るい広葉樹林の中の上りが続くので、息の上がらぬ程度のペースでゆっくりと進む。
一か所だけ樹林が切れて、奥秩父の山並みの展望が開けた。
峠の近くは杉林が増え、細い流れの水場を過ぎる。ほどなく巡礼道最後のピーク、標
高約550mの札立峠に、予想より早い12時25分に上がることが出来た。
峠からの展望はない。東に延びる破風山(626.5m)への稜線に少し上がり、目
の上の紅葉を眺めながら昼食にした。
25分で昼食を終え、北に伸びる水潜寺への下りにかかる。少し下って、昼食中に破
風山から下りてきたハイキンググループがゆっくり下るのを追い越し、さらに別の小グ
ループも抜く。
夏の大雨で崩落したのか、たくさんの杉の倒木の横を通過する。
小さい流れ沿いとなり、渡渉したりしてさらに下ると、眼下に水潜寺の屋根が見下ろ
せ、新しいお地蔵さんがねぎらってくれていた。
秩父三十四霊場、日本百観音霊場(西国、坂東、秩父)の結願寺である水潜寺に、
13時24分に着いた。
3月12日(水)に秩父鉄道和銅黒谷駅をスタートして、1番札所から始めてから延
べ7日間の秩父札所巡りも、無事歩き終えて結願の日を迎えることが出来た。
観音堂に上がり、室町時代の作と伝わるご本尊の千手観音に御礼の参拝をして、納経
所で御朱印をいただく。観音堂の傍らに流れ落ちる「水くぐりの長命水」でのどを潤し、
そばの「水かけ地蔵」に3杯の水をかけて、もう少し元気でいられるようあわせて祈る。
北向き斜面で陽の差さぬ境内の一隅に、冬桜が開花し始めていた。13時37分に寺
を後にする。
北に少し下ると日野沢川沿いの車道に出た。バス停そばの数本のモミジがよい彩り。
沢沿いの車道を東に向かう。
廃校になった校舎らしい建物↑のある若浜集落から、日野集落へと進む。集落の東端付
近に、日帰り温泉「満願の湯」がある。12年前の巡礼結願の時には立ち寄ったのだが、
今回は通過する。
日野沢川の流れに合わせてS字状に回る車道の途中に、大きな馬頭観世音碑が立って
いた。
幕末の頃、ここ下日野沢村には百頭以上の馬が飼われ、人馬の往復が盛んだったとい
う。しかし当時は道路が悪く、がけから転落して犠牲になる馬も多く、その霊をいたわ
り建てたものらしい。
この馬の字の点は、三つしか無い珍しい文字。馬が働いているときは足の1本は必ず
浮いていることから、生き馬の安全を祈り三つの点にしたのだという。
Sカーブが終わり、T字路で県道44号に合して根古屋橋を渡る。柴岡集落を通過し
て琴平下集落に入り、右からの車道と合するところにあった国神(くにがみ)神社で、
最後の小休止とする。
社殿の両脇に立つイチョウの古木がよい彩り。
右からの県道37号を少し進むと、「くりやぜ園」と呼ぶぶどう園がある。駐車場か
らは東から南の展望が広がり、荒川の向こうに穏やかな山容の美の山↓が、その右手に
は逆光の武甲山が望まれる。
武甲山
荒川を渡る車道の栗谷瀬橋の、上流に平行する歩行者専用橋を渡る。橋の周辺からも、
荒川の流れや周辺の秋色の展望がよい。
この辺り、皆野町は秩父音頭発祥の地。マンホールのふたのデザインも秩父音頭にな
っていた。
皆野中の南側の間道を進み、秩父鉄道親鼻駅に15時21分に無事到着し、春からの
7日間の秩父札所巡礼、距離にして約107㎞をすべて歩き終えた。
(天気 快晴後晴、距離 17㎞、地図(1/2.5万) 皆野、歩行地 小鹿野町、
皆野町、歩数 30,800、累積標高差 上り約600m、下り約660m)【完】
帰宅後、32番法性寺で入手してきた「甲牛歳総開帳記念散華(さんげ)」用の台
紙に、それぞれの札所で納経印と一緒にいただいてきた散華34枚を貼る。
2度目の秩父札所総開帳を巡ったよい記念品となった。
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