あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

岩槻の町並にある社寺や旧跡を巡る(埼玉)

2014-11-19 21:47:12 | ウオーキング
 2014年11月16日(日) 午後

 続カタツムリ歩行の例会が13時15分頃散会となり、私はひとりで午前中に回らなか
ったところを巡り、岩槻駅に向かうことにした。

 ゴール前に通過した、朱塗りの橋のそばから岩槻城城門まで戻る。城門の南側に、ひな
人形をシンボル化した「人形塚」があった。
     
 昭和46年(1971)に、当時の岩槻人形連合協議会が10月15日を「人形の日」
と決め、埼玉県百年を記念してこの人形塚と人形碑を建立したとのこと。

 人形塚は、郷土の日本画家・関根将雄画伯のデザイン。男びなと女びなが仲むつまじく
寄りそう姿は「人」を形象し、世界の平和と郷土岩槻の限りなき発展を祈っているという。

 その横には、移築された「岩槻城裏門」がある。江戸後期の明和7年(1770)に修
造され、文政6年(1823)に修理の記録が、本柱のホゾに記されているようだ。

 近くの岩槻城城門とともに、さいたま市指定文化財である。

 車道を隔てた西側にある硬式野球場の外周をほぼ回り、隣接する市民会館いわつき「イ
グレッタ」の方に回るが、公園内を南に抜ける道は無い。往路の2つの野球グランドの間
から諏訪神社の方に戻った。

 ちなみに、市民会館いわつき「イグレッタ」は、カントリーウオーカーやまさんと、や
まさんののお声がけで21年前の1993年2月にスタートした、埼玉県内のカントリー
ウオークグループの初回例会のゴール地。

 やまさんを初め、この日の参加者とは初対面の人ばかり。イグレッタの会議室で自己紹
介したり、今後のことを話し合ったことが思い出される。

「カタツムリ歩行」も、やまさんが立ち上げたもの。そのやまさんが、最近は不調なのが
気がかり。今日も不参加だった。

 諏訪神社のそばに大きな寺が見えたので、南西側から回ってその浄源寺に入る。本堂は
コンクリート造り。

 創建年代は不明のようだが、開基は曾我兄弟の末裔(まつえい)である河津三郎が出家
して始めたと伝えられているらしい。


 南側の道路を回り、次に浄源寺の南東にある梅照院に行く。山門前に、独特の樹形に刈
り込んだ松の古木が目に入る。本堂は堂々たる構えだが、境内に植栽は少ない。


 梅照院前の通りを南西に向かう。仲町2丁目の、岩槻商高の方から来た通りとの三差路
際には、住吉神社が祭られている。

 享保3年(1718)に岩槻城下下新曲輪町の城山に祭られたのを、明治22年
(1889)にこの地の旧名、林道町の守護神として遷宮されたという。境内は児童遊園
地風の広場になっていた。

 さらに南西に進んで岩槻駅前から伸びる県道324号に入り、仲町1丁目にある火防鎮
護(ひぶせちんご)の神、秋葉神社へ。

 当初は秋葉寺として創建したらしいが明治6年(1873)に廃寺となり、明治13年
(1880)に復興して秋葉神社として創建されたとか。社殿は県道を背にして独特の造
りだ。


 県道に沿ってすぐ先に、新しい白壁コンクリート造りの千手院がある。ここも境内に植
栽は少なく、本堂前の6地蔵だけが目に付いた。
    

 隣接する本町4丁目の県道際には、小さめで独特の社殿の三峰神社が、県道を背にして
祭られていた。

 狭いこの境内も児童遊園地に利用されているようだ。

 県道を挟んが西側は堂々たる構えの真浄寺だが、境内に特に見るべきものはなかった。



 県道の東に戻り、秋葉神社の近くの学蔵寺へ。小さめで方形造りの社殿の横に、保存樹
木の大イチョウが立っていた。
     

 境内に鐘楼はないが、地上に置かれた梵鐘を保護する建物が設けられていた。
    

 学蔵寺前の、天神小路と呼ぶ昔の侍屋敷のあった通りを東北にすぐ、工場のような大き
な木造の和風建物群があった。

 吟醸酒「大手門」や「瑞薫(ずいくん)」の蔵元、鈴木酒造である。

 白壁なまこ壁の建物に「酒蔵資料館」の看板があったので入る(入場無料)。


 鈴木酒造の創業は明治4年(1871)で、今年は創業から143年になるようだが、
酒蔵資料館は創業125年記念事業としてオープンしたもの。


 1階では地酒などを販売していて試飲コーナーもあり、岩槻のひな人形も展示されてい
た。
    

 2階の階段を上がると酒蔵アートギャラリー。書や古い錦絵などが展示されている。


 その奥は民具展示ルームで、むき出しの太い梁の下に民具がたくさん並ぶ。



 一段上がったさらに奥には、酒器や大きな酒樽、米麹(こめこうじ)を作る道具など、
酒造に関わる道具がたくさん展示されていた。



 赤レンガの煙突の立つ工場の横の細道を北西へ。

     
 工場の背後の小さい八幡神社の横を抜けて、突き当たりを左折すると、かやぶき屋根の
平屋で県指定史跡の「岩槻藩遷喬館(せんきようかん)」がある。


 遷喬館は、岩槻藩に仕えた儒者・児玉南柯(こだまなんか)が藩士の子弟などの教育の
ために寛政11年(1799)開いた私塾で、後の文化8年(1811)ころまでに岩槻
藩の正式な藩校となったところ。

 最盛期には梅林を持った広大な敷地に、武芸稽古場や南柯の自宅、築山などもあったよ
うだが、現在は教場の建物だけが残る。

 建物内は無料公開されいるので入ってみた。中には5つの部屋があり、最も大きくて真
ん中の15畳と9畳の間が教場で、40人の藩校生が学んだという。


 館内に展示されていた児玉南柯像。
 

 江戸時代には全国に多くの藩校が開校されたが、現在も残る建物は少なく、県内で残る
のはこの遷喬館だけらしい。

 蛇足ながら、21年前の最初のカントリーウオークの際、地元岩槻のTさんから、地元
では「岩槻に過ぎたるものが2つある 児玉南珂と時の鐘」といわれている、と教えても
らったことを思い出す。

 ここまで来れば駅は近いが、最後に、午前中回った人に聞いた、かやぶき屋根の寺とい
う本町3丁目の願生寺に行く。

 駅の近くとは思えぬ緑の多い静かな境内、かやぶき屋根の本堂前には、ソメイヨシノの
古木が立っている。

 背後の墓地には、室町時代から盛んに行われるようになった「月待(つきまち)供養」
の板碑と考えられ、さいたま市有形文化財の「阿弥陀三尊図像月待供養板碑」が残されて
いた。
         


 10時過ぎにスタートした岩槻駅に15時27分に着き、10分後の電車で大宮駅に向
かう。

(天気 快晴、距離 5㎞(午前からの通算8㎞)、地図(1/2.5万) 岩槻、歩行
 地 さいたま市岩槻区、通算歩数 13,400) 




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