あるきメデス

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秩父札所巡り⑥ 三峰口駅から31番と32番札所へ(埼玉)(その1)

2014-11-15 17:02:57 | ウオーキング
 2014年11月12日(水)

 5月23日以来中断していた秩父札所巡り、11月18日の午歳総開帳(うまどしそう
かいちょう)の終了が迫ってきたので、残り4か所を回ることにした。

 今日は、秩父鉄道の終点、三峰口駅から31番と32番札所を巡り、小鹿野町(おがの
まち)までの予定。結願(けちがん)となるあと1回を含め、最長の25㎞以上になりそ
うだ。


 自宅から約2時間をかけ、8時41分に秩父鉄道の終点、三峰口駅に着いた。2両編成
の電車から降りたのは私を含めて5人。だが、秩父札所巡礼らしい人はいない。

 雨は心配ないが、曇り空でうす寒い駅前を右へ、線路沿いに進んで荒川の白川橋を渡る。
荒川渓谷の広葉樹は、かなり色づいていた。


 県道140号を少しで秩父往還贄川(にえがわ)宿に入る。贄川宿は、大宮郷(秩父市
中心部)に次ぐ秩父甲州往還の宿場。三峰社講中や諸国商人衆の定宿として江戸初期から
賑わったという。現在も、往還沿いには当時の雰囲気が残る。


 往還の東端付近の三差路際に、「みどうかね地蔵」と呼ぶお地蔵さんが祭られていた。
        
 宝暦7年(1757)の建立で、地元や近隣の人々、秩父札所巡礼者などが祈願し、そ
の功徳や御利益の数多いことが伝えられているようだ。

 荒川西小近くまで上がると、荒川の谷を隔てて南側の、荒川白久方面の家並みや山並み
の展望が広がる。小学校の先は家並みがほとんど無くなり、車のすれ違いが出来ない細い
トンネルを抜ける。


 次の古池集落に入り、大きな純和風建築の横を通過した。色づいた実がいっぱいの柿の
木もある。


 合併で広がった秩父市から小鹿野町(旧両神村)に入る。少し古そうだが「注意 熊出
没」の張り紙があり、交通量も少ないのでちょっと気になる。近くの東下野沢集落にはセ
ントバーナード犬など80頭在舎という「ワンワンランド」があり、犬の鳴き声が賑やか。

 隣接の白沢集落には柿の木が多く、何れも鈴なり。


 小森川を渡り、左からの県道367号と合した小森バス停のY字路際に、古い洋風建築
が残る。近藤酒店の建物で、背後には醸造所らしい大きな建物も見えた。


 材木の積まれた「両神林産加工」の工場横を過ぎ、間もなく「道の駅 両神温泉薬師の
湯」があったので立ち寄る。

 大きなスペースを占める日帰り温泉薬師の湯のほか、農林産物直売所↑、道の駅案内所、
ふるさと体験処などがある。

    
 農林産物直売所をのぞいたが、特に購入したいものはなかった。直売所横のドウダンツ
ツジが色鮮やか。
    

 すぐ先の法養寺薬師堂は、今日最初の社寺。両神山・四阿山(あずまやさん)の山ろく
に平安時代に創建されたと伝わり、山の薬師、目病に霊験あたらかな薬師として、神奈川
県伊勢原市の日向薬師、愛知県新城市の鳳来寺薬師とともに「日本三体薬師」の一つに数
えられるという。
     

 天正年間(1573~92)にここに移築されたと推定され、県内に残る中世の代表的
建造物として、県有形文化財となっている。


 拝殿には、眼病治癒を祈る人達の奉納らしい、「め」の字の納め札がたくさん奉納され
ていた。
    

 隣接して両神神社があるが、先を急いで石段下で手を合わせるに留めた。


 交番や郵便局のある旧両神村中心部のY字路を左折し、旧役場↓前を通過する。


 背後の両神小の西側を回って、古くからの巡礼道だった林間の小道を下る。


     
 薄川の木の橋を渡り、対岸の坂戸集落へ。ここにもあった薬師堂の横から、背後の稜線
に向かって車道を緩やかに上がる。


 薬師堂のそばには、大きな実をつけた柿畑があった。


 「竹内いしの墓」の説明板があったが、墓のあり場所は分からない。周辺のモミジがよ
い彩り。小さい峠にも「注意 熊出没」の新しい表示が貼られていた。


 峠から上飯田の集落↑に向かって下る。集落背後の山裾には、県無形文化財の鉄砲祭で
知られる飯田八幡宮の社殿が見えたが、ここも寄らずに通過する。


        
 三田川郵便局の先の三差路に立つ、古い「三十一番道」の十部?供養塔↑の横を進み、
岩殿沢の宮平橋を渡って岩殿沢集落に入る。

     
 家並みの終わる辺りで朱塗りの橋を渡ると簡素な大日堂ががあり、そばの「たらちね観
音」ののぼりの並ぶ光珠院の方が目に付く。

 沢沿いを上流への道は、31番札所、観音院への往復路なので、参拝の自家用車やバス
が増える。


 観音院への参拝者で賑わう「観音茶屋」↑のすぐ先は地蔵寺。沢を挟んで両側の斜面に、
おびただしい数の水子地蔵が祭られている。


 お堂の近くには、青銅の水子地蔵尊も祭られていた。



 すぐ先の地蔵トンネルを抜けてさらに500mほど緩やかに上がり、12時40分に
31番札所、観音院の仁王門下に着いた。


 そばの駐車場は、ご開帳終了まで1週間なので、参拝者の自家用車やバス、マイクロバ
スでいっぱい。

     
 山門をくぐり、細く急斜面の階段をつづら折れに何度も曲がり、巨岩に覆われるように
建てられた観音堂まで、ひと汗かきながら上がって参拝する。


 本尊の聖観音は行基の刻といわれ、畠山重忠により本堂を建立せしめたとのこと。その
後盛衰あり、幕末の頃にさざえ堂式の本堂や宝篋印塔(ほうきょういんとう)を建立した
が明治26年(1893)に焼失し、長らく仮堂のままだったのを、昭和47年(1972)
4月に現在の本堂が再建されたという。


 本堂の左手後方岩上から、落差20m余りの「清浄の滝」が落ち、巨岩の下部には、室
町時代ごろの制作と推定される「鷲窟磨崖仏(しゅうくつまがいぶつ)」と呼ぶ、小さな
磨崖仏がたくさん浮き彫りされていた。

 磨崖仏は、県指定史跡である。

    
 石段沿いに立つ、たくさんの句碑を見ながら山門に下った。観音堂と書かれた建物でお
茶の接待をいただき、駐車場の隅にあったベンチで遅い昼食をする。  〈続く〉



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