あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

春の彼岸に京都と彦根へ① 京都・渉成園とその周辺(京都市)

2024-04-03 23:12:10 | 京都を歩く
 3月も後半になってからの寒気の到来で、サクラの開花予想も中断となった彼岸の後半、
気温は真冬並みとの予報だが予定していた京都に行くことにした。

 春の観光シーズンに入っていることもあり、京都市内で常宿にしていたビジネスホテル
も全て満室なので、宿泊地は彦根に予約して出かけた。

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 2024年3月21日(木) =京都・東本願寺の飛地・名勝 涉成園へ=

  自宅を8時前に出て、西武池袋線上りと山手線外回りで東京駅へ。東京駅10時03分
発の東海道新幹線ひかり507号に乗る。

 
 10時30分頃の車内の運行表示板には、9時08分頃栃木県南部発生の地震で震度5
を観測した地域もあり、上越新幹線や北陸新幹線が運行休止中のテロップが。

 その中、北陸新幹線の東京駅~長野駅間の表示中「~長野駅間」のはずが「~長野駅幹」
になっているのに気付いた。

 今朝は青空が広がり、途中の新富士駅周辺からは富士山がよく見えた。


 少し早いが名古屋駅周辺から昼食をすることにして、東京駅中央通路の駅弁屋で購入し
たJR根室本線 厚岸(あっけし)駅の「氏家かきめし」を。
    

 

 次第に雲が増え、昨日は降雪のあったらしい伊吹山の山頂付近は雲に覆われていた。


 12時37分に京都駅に着き、北口地下のコインロッカーにザックなど不要荷物を預け
て、烏丸通りを北へ、東本願寺方向に向かう。


 どんよりした曇天で、気温も5℃前後かと思われ寒い。本願寺前に並ぶ仏具店の前には、
花やナンテンなどがきれい彩りを見せる。
     

          
 
 東本願寺の御影堂門↓前辺りから東に延びる通りを進む。


 古くからの建物の前に小さな地蔵堂があり、きれいな衣装をまとったお地蔵さんが祭ら
れていた。
     


 その通りの突き当たりが、今日の目的地、国名勝の「涉成園(しょうせいえん)」で、
まずは門前の説明パネルを。


 13時30分頃、敷地の西側中央部にある西門から入門する(入園料500円)。

 入口近くにあった園内マップに従い、左(北)から上(東)へと時計回りで一巡する
ことに。




 門を入った突き当たりには高石垣があり、長い切石や礎石、石臼、山の石や瓦などを巧
みに組み合わせて築かれたという。


 近くで、ユキヤナギが咲き出していた。


     
 左手の塀沿いに進むと、トサミズキやアセビが咲き始め、モクレンの花芽が膨らむ。
  

     




 庭園北口門を入り、左手(北側)の小さい池の周辺にある臨池亭(りんちてい)や滴翠
軒(てきすいけん)と呼ぶ建物や池を眺める。




 代笠席(たいりつせき)と呼ぶ茶室


 敷地の西北端周辺の木々


 
 あとで回る予定の、中央部にある傍花閣(ぼうかかく)の手前に咲くユキヤナギ


 南東側のほとんどを占める印月池(いんげついけ)に向かう。


 一番大きな中の島に架かる侵雪橋(しんせつきょう)


 池の北端に沿って進む。


 中の島には、縮遠亭(しゅくえんてい)と呼ぶ茶室がある。

 
 池の北側の斜面は、丹楓渓(たんぷうけい)と呼ぶ楓(かえで)を主木とした木々が茂
り、紅葉の美しい渓谷を模しているという。


     
     その東端辺りからは小さな流れがあり、セリのような草が花を見せていた。


      
   近くには3つの歌碑があり、高浜虚子、大谷句佛、河東碧梧桐の句が刻まれていた。


     

 陰月池の東北端近く、中の島に架かる屋根付きの橋は回棹廊(かいとうろう)。



 橋際のモミジは、芽吹きが始まっている。


  橋を渡った中の島からの眺め。




     南側の侵雪橋の向こうには、京都タワーが。
     

          


 印月池の北側沿いに、回棹廊などを眺めながら園内の中央部に向かう。


 もう一つの橋、侵雪橋を渡って中の島へ。

 

 何本かのアセビが花盛り






 中の島の高台にある縮遠亭(しゅくえんてい)の南側には、変わった手水鉢が。
     
 「塩釜の手水鉢」と呼ばれる手水鉢(ちょうずばち)の一形式で、全国の庭園にある「塩
釜の手水鉢」の手本になるものとか。

 いわゆる「本家」(オリジナル)といわれ、涉成園の景物として最も重要なもので、鎌倉
時代の制作とみられるという。

 中の島の東端からは、小さな中の島に立つ「源融(げんゆう)ゆかりの塔」が望まれる。
     
 源融とは嵯峨天皇の皇子だが臣籍に下り、「源氏物語の」光源氏のモデルのひとりともい
われている人で、その供養塔のよう。

     

 中の島の南側から、池の西側にある一番大きな建物、閬風亭(ろうふうてい)。


 中の島の西端、侵雪橋際に立つ「碧玉の石幢(へきぎょくのせきどう)」。



 侵雪橋を渡って中の島から園内中央部に戻る。傍花閣の近くに咲くボケ






     閬風亭のそばには、明治天皇御小休所の標石が。
     

     
     近くに咲き出したハナモモ
 


 池の西南端辺りから、近くの漱枕居(そうちんきょ)と呼ぶ建物↑や池を一望する。



 
 
 
 折り返して入口方面に向かうことにして、閬風亭の前を北へ。

 明治天皇は、閬風亭で1880(明治13)年7月14日に休息されたという。


 中央部にある独特の建物、傍花閣前を過ぎる。

 この庭園では珍しい楼門造りで、左右側面にある階段は山廊と呼ばれ、階上には四畳半
の部屋が設けられているよう。


 そばの色濃い桜が見ごろになっていた。





 北側のせせらぎ際にはツクシが。


 庭園を出て北西側の塀沿いに戻り、西門入口の北側にある休憩所で小休止した。

 この頃になるとようやく日差しが増えて、寒さが幾分緩む。
 
 休憩所近くのミツバツツジ。


 14時30分頃に西門から退出した。


 まだ少し時間があるので、東本願寺前から西本願寺方面に回ることにして、東本願寺の
御影堂門↑や阿弥陀堂門↓の門前を南下する。


 南側の七条通を西へ、七畳堀川交差点を右折して北西側すぐの興正寺に入る。




 北側に西本願寺を接する真宗興正派の本山のよう。


 門を入ると正面の大本堂と、回廊で北に接する建物がある。


 さらに境内北東隅には蔵造りの建物が。


 そして南東側には鐘楼堂が立っている。


 15時20分を過ぎたので、西本願寺に回るのは止めて京都駅に向かうことに。

 京都駅まではわずかだが、ラッシュにかからぬよう七畳堀川交差点近くからバスで京都
駅に戻った。


 コインロッカーに預けたザックを出して改札を入り、東海道本線上りの2番ホームへ。

 16時00分発 新快速 敦賀行に乗ったが、すでに通勤通学客が多く、かなりの混みよ
うで、しばらくは立ったまま。
 
 16時49分に彦根駅で下車した。


 彦根駅東口


     
 彦根城などのある市の中心街とは反対の、東口近くにある今日の宿、東横イン彦根駅東
口には17時頃到着した。

 



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2 コメント

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写真 (H.T)
2024-04-04 09:39:47
写真拝見致しました。
日本の美しさ心に響きました。
素晴らしいです。
今回は日本庭園巡り (saikoroat)
2024-04-05 11:11:36
真冬並みの3日間でしたが、この後も京都と彦根の日本庭園を中心に巡りました。

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