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あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

丹沢の雪型(神奈川)

2008-02-16 21:51:59 | Weblog
 今日も首都圏は好天が続きました。地図愛好者グル
ープの例会で、神奈川県民の水源のひとつ、津久井湖
のそばにある城山(津久井城跡)に出かけました。



 明日も出かける予定があるので、詳細レポートは別途
とし、数枚の写真のみ紹介します。

 JR横浜線の橋本駅からバスに乗り、津久井湖畔の
クラブ前バス停で下車しました。

 津久井湖を背にした南に向かい、ちょっとした峠を越
えて、県立津久井湖城山公園の西端、パークセンター
に入ります。

 ここから丹沢山塊の蛭ヶ岳と塔ヶ岳の間に馬の形の
雪型が見えました。

 城山に上がる遊歩道の途中の、展望広場まで上がっ
て見た雪型です。写真中央部ですが分かりますか?


 展望広場の木のベンチで昼食にしました。

 さらに城坂を上がり、車坂を上がれば頂上に行ける
のですが、皆さんは、もう雪型を見たからと満足され、
帰るとのこと。それではと記念撮影を。

 私は山頂に上がることにして、ここで皆さんと別れま
した。車坂(男坂)を上がって飯縄神社への分岐となる
峠に出て、西にちょっと上がると城山(375m)山頂。

 山頂は、津久井城の本曲輪(くるわ)跡。木の間越し
に、雲が増え逆光となっものの、丹沢山塊もよく見え、
雪型もまだ確認できました。


 西北側は、津久井湖の上流が見下ろせます。


 さらに場所を少し移動すると東方の展望も得られ、
はるか新宿など都心のビル群も確認できました。

 写真ではちょっと分かりにくいかもしれませんが、遠方
のグリーンの帯の上です。

 飯縄神社を経て北に下り、津久井湖畔の「花の苑地」
と呼ぶ、桜の多いエリアに出て、地元産品などを販売す
る津久井湖観光センターにも寄りました。

 さらにバスの往路だった国道413号から県道506号
へ。町田街道を経てJR横浜線の北隣駅、相原駅まで
歩き、16時半近くに着きました。
コメント (2)
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四国遍路での宿(6)

2008-02-15 21:28:32 | 四国遍路あれこれ
 今日午前、新所沢の映画館で、松竹映画「母(かあ)
べえ」を見てきました。

 時代は、昭和15年(1940)から第2次大戦の始ま
った昭和16年です。

 あのような、自由にものも言えない時代が再び来る
ことの無いようしなくては、と思いました。

 しばらく途絶えていた、「四国遍路での宿」をお届け
します。これからも途切れ途切れになるかもしれません
が、あと何回かご紹介できると思います。

======================

【ときわ旅館】43番明石寺から20.5㎞、44番大宝寺
へ47.2㎞、大洲(おおず)市の中心街。

 古き良き旅館のたたずまいを残す。部屋は暖かくなっ
ていて(12月上旬、2月中旬)、ふとんも敷いてある。

 洗濯機に入れておくと、洗濯後乾燥してきちんとたた
んで若ご主人が持ってきて下さる。

 食事をした部屋。ちょうど1年前の昨年2月17日に
2度目の宿泊をしたときは、ひな飾りが出ていた。



 夕食は旅館らしいきめ細かな味と飾り付けでおいしく、
若ご主人の心のこもった温かいもてなしと合わせて、お
勧めの宿。

 上は2度目の遍路で前半最後、下は後半最初の日の
夕食。


 マスク、竹炭入りカイロ、ばんそうこう、まち針、綿棒、
あめなどの入った袋をお接待いただく。44番大宝寺ま
での宿の資料や、付近の案内地図などもいただく。

 朝食もおいしくいただいた。

 朝食7時、夕食メモ忘れ、
 1泊2食6500円

【ふるさと旅館】43番明石寺から24.5㎞、44番大宝
寺へ43.1㎞、大洲市新谷の別格霊場十夜ヶ橋の近く。
 道を挟んで食堂のある新館と宿泊棟の旧館とに分か
れている。部屋の暖房が効きすぎるくらいで暑かった
(’04年3月中旬)。
 夕食17時半、朝食6時30分
 洗濯機無料
 1泊2食6000円

【さかえや旅館】(遍路地図には徳岡旅館とも記されて
いる)43番明石寺から46.9㎞、44番大宝寺へ
20.3㎞、内子町突合(つきあわせ)の三差路際。

 古くからの遍路宿らしいひなびた宿。部屋は急階段
を上がった2階。風呂は脱衣所と洗い場、浴槽の間に
仕切りがない。2階のトイレの間取りは四角でなく変形
で、落とし便式。
 ご夫婦で対応して下さり、お二人とも適度な話し好き。
室内からは携帯電話の通話圏外(’04年11月)そば
の橋の上からは通話可能。
 夕食は、サトイモ、シュンギク、シイタケなど地元産
の煮物と、サンマ焼き、アジ焼き、卵とじうどんなど
盛りだくさん。食後のデザートも地元産の柿だった。
 朝食5時25分、夕食メモ忘れ
 1泊2食5000円

【ふじや旅館】43番明石寺から51.1㎞、44番大宝
寺へ16.1㎞、45番岩屋寺ルートにもよい。
内子町小田(旧小田町)の中心街。



 料理店も兼営なので、夕食は大きな土鍋に盛りだく
さんの鍋物、刺身、とろろいもなど食べきれないほど。

 夕食18時、朝食6時
 洗濯機無料、
 1泊2食6500円、弁当300円

【古岩屋荘】45番岩屋寺から2.5㎞、46番浄瑠璃寺
へ26.2㎞、久万高原町古岩屋、もとは国民宿舎で、
鉄筋の大きな建物。窓から名前の通り古い大岩が望
まれる。2回とも宿泊した。

 源泉13℃の温泉を沸かしているが、温かくてツル
ツル。

 初回では食事メニューは3種類あったが、1番安い
のでも8品あり十分。上は初回、下は2回目の夕食。

 夕食18時45分、朝食7時
 コイン洗濯機200円、乾燥機100円
 1泊2食6800円

【民宿長珍屋】45番岩屋寺から28.9㎞、46番瑠璃
寺そば、松山市浄瑠璃町。

 コンクリート造りで、団体遍路用の旅館と個人遍路
用の民宿を経営し、玄関は別になっている。

 上は宿泊した部屋、下は食事をする大広間の床の間。

 風呂は泡風呂、夕食は大広間で団体客も一緒。
 コイン洗濯機150円
 朝食6時、夕食メモ忘れ(大人数の時には2回に分
ける)
 1泊2食6825円 
                       (続く)

                  
コメント (2)
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西武鉄道小手指基地の新型車両

2008-02-15 09:50:02 | Weblog
 1月29日の当ブログにて、西武鉄道池袋線小手指
(こてさし)電車基地に、新型車両30000系が入庫
したことを書きましたが、昨日(2月14日)午後、同基
地でもう1度見ることができました。

 今度は一般車両に並んで、基地の中でも1番本線
寄りに近いところに入っていました(右側車両)。

 西側の道路からは少し離れているので、この程度
しかアップできませんでしたが、ファンの方にお知ら
せした次第です。

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カントリウオーク見沼(さいたま市)

2008-02-14 19:26:58 | カントリーウオーク
 昨日は北風が冷たく寒い1日でしたが、今日は風
も治まり、埼玉県内はは穏やかな日和となりました。

 今日のレポートは、15年前から埼玉県内を中心に
カントリーウオークしているグループの、15周年記念
例会の模様です。

======================

 2008年2月11日(祝・月)

 立春が過ぎても厳しい寒さが続くこの冬だが、この
日は好天で風も無く、絶好のウオーク日和となった。



 集合は、いつもより1時間早い9時に、さいたま市
立浦和博物館前。JR北浦和、さいたま新都心、東
浦和駅からのバスなどで集まったのは18人。

 出発前に博物館を観覧し、記念の昼食パーティの
みに参加の2人に見送られ、9時9分に出発した。
 
 さいたま市立病院前を東に抜け、見沼代用水西縁
(みぬまだいようすいにしべり)に下る。

 
 北面の土手には、9日の降雪が残っていた。

 桜並木の続く左岸の遊歩道を700mあまり進み、
樹木畑の広がる見沼田んぼを北に向かう。


 中間を貫く芝川の橋を渡って片柳一丁目の台地へ
上がり、まず熊野神社へ。

 杉やカシなどに囲まれた境内の日陰にも、雪が残
っている。正面の石段下には、真っ直ぐに伸びた太
いクスノキが立つていた。

 樹木畑と斜面林の間を西に向かう。車も通らず昔
ながらのカーブのままの古い道で、緑もいっぱい。


 「山」集落に入り、杉木立に囲まれた山邑(やまむ
ら)神社前を通過する。

 このような名前の神社は初めてだ。

 もとは養鶏場だったという想い出の丘霊園のトイ
レを借り、樹木畑や屋敷林など、さいたま市内とは
思えぬ静かな里道を進む。


 ちょっとした林間を上がって御蔵集落の旧家、尾
島家を訪ねた。

 広い屋敷の中に、さいたま市天然記念物のクマガ
イソウとイカリソウの自生地がある。

 竹林のクマガイソウは約3000株あり、県内最大
の自生群落だという。開花は4月中旬から5月上旬
ころになる。


 御蔵の、屋敷林を背にした民家や、10㎝前後に
伸びた麦畑、枯れ枝の樹木畑などの間を進み、カシ
に囲まれた愛宕神社前に出る。

 神社には算額が奉納されているというが、社殿内
で見えなかった。

 県道65号を横断し、近くの中山神社へ裏手から
入った。旧中川村の鎮守で、大宮の氷川神社と浦和・
三室の氷川神社の中間にあり、中氷川神社ともいわ
れている。

 本殿の背後にあり、覆い屋に保護された旧社殿は、
板葺(いたぶき)きで前方の屋根が長い二間社と呼ぶ
造り。

 桃山期のものと考えられ、旧大宮市文化財に指定
されていた。

 境内はうっそうとした森に囲まれ、西に延びる長い
参道は300m以上あり、鳥居までの間を第二産業
道路が抜けていた。

 さらに西へ進み、中川集落の円蔵院に入る。遠く
からも目につくのが境内の中心にある大イチョウ。

 高さ23m、幹回り4.7mあり、大きく枯れ枝を広
げていた。

 ここは、猛暑だった14年前の7月3日の例会で、
イチョウの木陰で暑さを避けて昼食をした想い出の
場所。その時には気づかなかったが、地蔵堂前に
はりっぱなシダレヒガンザクラもある。

 境内の樹木はよく手入れされ、紅梅の1本が見ご
ろになっていた。

 台地を下り、再び見沼田んぼへ。この辺りには、
名前の通りの水田が残り、その向こうに首都高さい
たま線の高架と、さいたま新都心の高層ビルが近づ
いてきた。

 田んぼを南に進み、首都高が並行する芝川の左
岸堤防へ。流れは汚れているが、コガモ、オオバン、
ヨシガモなどの姿が見えた。

 上山口新田まで進み、芝川の西側にあるさいたま
市下水処理センターに入る。

 広い構内の一角に、ビオトープになっていて池に
沿って遊歩道で巡れる自然庭園と、みぬま見聞館と
呼ぶ建物がある。

 見聞館2階の展示室には、見沼の自然を紹介した
パネルなどがあり、自然庭園が一望できる。


 見沼代用水西縁のあさひ橋際に出て、用水沿いを
南に進む。


 JRさいたま新都心駅に向かう道筋にあるイタリア
料理店「イルクオーレ」に12時半に着いた。

 直行で参加の5人を加え、奥の部屋を借り切って
のパーティが始まった。

 おいしいイタリア料理のコースを味わいながら話が
はずむ。

 半ばからは、一人ひとりが15年の思い出や感想
などを述べる。15時に宴は終了した。


 店の横の広場で寄せ書きと記念撮影をして散会する。

(参加 18人、距離 10㎞、地図 浦和、歩行地 
 さいたま市)
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関東百駅巡礼歩行竜ヶ崎駅(茨城県)

2008-02-13 21:35:52 | 関東百駅巡礼歩行
 2008年2月9日(土)



 やまさんの「関東百駅巡礼歩行」第42番は、関東
鉄道竜ヶ崎線の終点、竜ヶ崎駅に集まった。

 関東鉄道竜ヶ崎線は、JR常磐線佐貫(さぬき)駅
から竜ヶ崎駅までの全長4.5㎞である。

 中間に無人の入地駅だけの短い路線を、1両のデ
ィーゼル車が1時間に約2往復している。


 集まったメンバーは15人。昼過ぎには雨の予報
だが、しばらくは持ちそう。11時12分に駅を出て、
市街地を東北に向かう。

 寺後にある消防署の東側の通りを進み、用水沿い
に出る。少し東に回って北側から、大屋根の本堂が
目につく般若院に入った。

 本堂裏手に、高さはさほどではないが枝を大きく
広げた、しだれ桜がある。

 樹齢約450年のエドヒガンの園芸品種で、茨城県
天然記念物。樹高約10m、目通りの幹回りは約5m。
開花時には毎年、大勢の花見客が訪れるようだ。

 般若院は天元元年(978)に創建され、大永4年
(1524)現在地に移り、土岐氏の祈願所になり、
のち仙台領になって伊達家の位牌所(いはいしょ)
として寺領3石を与えられたという。

 本堂前には、りっぱな宝篋印塔(ほうきょういんと
う)が幾つか立っていた。

 南側の山門を出て、歩行者レーンが小豆色に塗
られた通りに出る。

 撞舞(つくまい)通りと呼び、市内栄町にある八坂
神社の祇園祭に行われる雨乞いと五穀豊穣、無病
息災を祈願する神事「撞舞」を描いたタイル画が埋
め込まれていた。

 その通りを南東に進むと、龍ヶ崎二高がある、こ
んもりとした台地の下になる。

 台地は、16世紀後半、江戸崎城主・土岐治英が
築いた龍ヶ崎城跡である。

 龍ヶ崎城は、秀吉の関東攻めで佐竹氏の支配に
服し、その後、徳川領の一時期を経て伊達政宗の
配下となり、仙台領1万石が支配したという。 

 南側を回って保健所横から城山通りと呼ぶバイ
パスを横断、やはり裏手から「龍ヶ崎観音」で知ら
れ、茨城百景にも選定されている医王院に入る。

 安産・子育て・厄除け・開運の観音様として親し
まれ、開放的な境内には、たくさんの水子地蔵や、
年彼観音、母子地蔵などの石仏が多い。


 小さいお堂には、人形や玩具の風車、千羽鶴など
がたくさん奉納されていた。


 ポツポツしてきたので本堂の屋根下を借りて昼食
にする。しかし本降りにはならなかった。 

 商店街大通りを横切り南へ。江川に出て右岸沿い
を西に向かう。道路が途切れたところは雑草地や民
家の裏手を抜ける。

 1㎞余り先で川を離れ、広々とした田園地帯に出
た。

 田起こしの済んだ田んぼの間を南西に進み、論所
排水と呼ぶ流れも越える。

 周囲を田んぼに囲まれた前新田集落には、かなり
朽ちたかやぶき屋根の廃屋が残っていた。


 小さい社の天神社横から、北側の長沖新田町集落
へ。これも小さい社の厳島神社の狭い境内に、円形
の鉄のふたで保護した4.4mの三角点があった。

 「ク」の字状に大きな弧を描く小貝川の旧河川に出る。


 中間辺りを横断、内側の高須町集落に入り、南西
端から旧河川の橋を渡った。


 河川沿いには道がないので、アシなどの雑草地や
田のあぜを進んで大留町集落の阿弥陀寺に裏手か
ら入る。

 本堂は鉄筋の四角い近代建築だが、古い鐘楼が
あり、境内のミツマタが咲き出していた。

 ここで小休止する。

 旧河川の南岸沿いに小貝川左岸堤防に向かう。旧
河川には、漁に使ったらしい木の小舟が幾つか放置
されている。


 流れ沿いの道が無くなり、最後は少し雑木林の中
を突っ切り、小貝川左岸に出た。

 取手コミュニティバスの大留バス停付近から堤防
に上がり、「利根川合流点から2・75㎞」標識を経
て、冷え冷えとした小貝川の流れを見下ろし、高須
橋まで進む。

 途中から、再び雨が落ちてきた。

 橋のすぐ先、杉やカシ、竹などの豊富な樹林に囲
まれた熊野神社社殿は、旧藤代町指定文化財。現
在は合併して取手市内である。

 神社や高須町の屋敷林の北側を少し東に進み、北
に向かう。雨が本降りになってきたのでピッチを早め、
道仙田集落や川原代小横を経て、15時40分に中間
の無人駅、入地(いれじ)駅にゴールした。

 15時58分発上りで佐貫駅に向かう。

(天気 曇後雨、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 龍ヶ崎、
 歩行地 龍ヶ崎市、取手市、歩数 15900)
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JR明覚駅(埼玉県)

2008-02-12 22:50:54 | 鉄道
 冷たい雨が夕方まで続いた今日は、埼玉県とき
がわ町での葬儀に出かけました。

 参加者の話の中で、情報連絡とかコミュニケーシ
ョンの善し悪しが、生死を分けることになるかもしれ
ないという事例を2つ聞き、情報の大切さを再認識
した次第です。

 それはそれとして、今日の話題は、ときがわ町の
鉄道の玄関口、JR明覚(みょうかく)駅のことです。



 明覚駅の開業は、昭和9年(1934)3月24日、
国鉄八高(はちこう)線越生(おごせ)駅~小川町駅
間の開通と同時。まもなく74周年になるところです。

 当時の駅舎は、どこにでも見かけた木造平屋の
建物。私も小さい頃から何回か、この駅に乗降して
いたので、よく覚えています。

 ところが、昭和63年(1988)11月、火災により
全焼してしまいました。

 翌年の平成元年(1989)9月に、当時の都幾川
(ときがわ)村特産の木材を使用した、現在の駅舎
が完成しました。



 ログハウス調のユニークな建物は、1997年に
第1回「関東の駅百選」のひとつとして選定されま
した。




 そばに並ぶトイレも、小さいながら同じようなスタ
イルです。


 待合室のイスには、地元の方の手作りでしょうか、
きれいな座布団が敷き詰められています。

 今日のような寒い日でも、作った人のぬくもりが
感じられ、寒さを忘れさせてくれます。




 待合室には、昭和40年代(1965~)まで走って
いたSLやディーゼル機関車牽引の列車や貨車な
どの写真が展示されていました。

 上りホームから見た駅舎。

 上りホームのそばには、古木の桜があり、花の
時期にはみごとな花が楽しめます。

 明覚駅は、坂東三十三観音霊場第9番札所、慈
光寺への玄関口でもあります。

 もし八高線に乗る機会がありましたら、明覚駅の
駅舎と桜にぜひご注目下さい。 


 
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見沼をカントリーウオーク(さいたま市)

2008-02-11 21:44:06 | カントリーウオーク
 建国の日の今日、埼玉県内を中心に、カントリー
ウオークを楽しむグループの15周年記念例会が、
さいたま市の見沼地区で開催されました。

 2003年2月12日にスタートし、150回目の例会
です。

 明日も早出の用事があるので、今日も速報版で
お届けし、詳細は別途アップします。

=====================

 集合地は、さいたま市三室のさいたま市立浦和
博物館でした。


 9時過ぎスタートし、見沼代用水西縁(みぬまだい
ようすいにしべり)を少し進みます。

 桜並木が続き、4月はじめは花見の人で賑わうとこ
ろです。

 見沼田んぼと呼ぶ、もとは田んぼだったところを横
切ります。いまは田んぼは少なくなり、樹木園が広が
っています。

 東側の台地に上がって2つの社寺をめぐり、御蔵
集落にあるクマガイソウ自生地に向かいました。

 近くにも樹木園が多く、さいたま市内とは思えぬ静
かな地域です。


 さらに台地を西に進み、円蔵院に寄りました。

 境内の中心にある大イチョウは、高さ26m、目通
り4.5mというみごとなもので、ギンナンも落ちて
いました。

 再び見沼田んぼを横切り、芝川沿いを進み、12時
半頃、JRさいたま新都心駅に近いイタリア料理店
「イルクオーレ」に着きました。

 ここで、15周年の記念パーティ。美味しいイタリア
料理を味わいながら、15年の思い出などを語り合い
ました。

 今日の参加メンバーです。

 ほとんどのメンバーは、15年近い年月、毎月会っ
ており、いまでは離れた兄弟や親戚以上の突き合い
を重ねております 


 
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関東百駅巡礼歩行で龍ヶ崎へ

2008-02-09 21:41:11 | ウオーキング
 今日、2月9日で、当ブログは開設2周年となりま
した。皆さんには、いつもご覧いただきありがとう
ございます

 これからもウオーキングレポートを中心に、続けて
参りたいと考えておりますので、ご支援のほど、よろ
しくお願い申し上げます。

 今日は、カントリーウオーカー「やまさん」の「関東
百駅巡礼歩行」の42番目、関東鉄道竜ヶ崎駅から
龍ヶ崎市内(茨城県)を中心に歩いてきました。

 詳細レポートは別途とし、速報版をお届けします。

=======================
 
 JR常磐線佐貫(さぬき)駅で乗り換え、関東鉄道
のホームから、龍ヶ崎行きに向かいます。

 1両だけですが新しい車両でした。

 午後は雨か雪の予想、寒空ですが東京、神奈川、
埼玉、栃木の各都県から15人集まりました。

 竜ヶ崎駅で出発前に記念撮影をして、11時12分
にスタートです。

 市内を東に向かい、最初に寄ったのが般若院。
樹齢400年という見事なエドヒガンザクラが本堂の
裏手にどっしりと立っていました。

 花どきにもう1度、来てみたいものです。

 次のポイントは、市街の中心に近いところにあり、
茨城百景のひとつ、龍ヶ崎観音。パラパラ上から落
ちて来たので、本堂のひさしを借りて昼食に。

 開放的な境内には、ユニークな石仏が幾つか立っ
ています。
 
 市街地の南側に出て江川に沿って西に回り、広々
とした田園地帯に出て西へ、大きくカーブする小貝
川(こかいがわ)の旧河川沿いを進みます。


 小貝川の左岸堤防に上がり、広い流れを見下ろ
しながら北へ向かいます。


 高須橋の北で川を離れ、雨になった田園地帯を
北に進み、関東鉄道のただひとつの中間駅、入地
(いれじ)駅に15時40分に着きました。
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手賀沼から印旛沼へゴーゴー55㎞ウオーク(第3日)

2008-02-07 22:20:59 | ウオーキング
 2008年2月3日(日)



 最終日は1日中雨か雪の予報。京成臼井駅に集ま
った全天候型メンバーは5人。雨の完全装備をして
9時2分に出発した。

 京成電鉄の線路北側沿いを東北に進む。周辺は
少し白いが、出発直後はミゾレ模様。

 印旛沼浄水場横を進み、通行止めの柵を越えて
西印旛沼の南岸に出る。沼は雨に霞み対岸の展望
ははっきりしない。


 沼辺に沿って、県道406号になっている印旛沼サイ
クリング道路を東に向かう。

 右カーブしたところにあった佐倉ふるさと広場に寄
る。サイクリング道路の飯野休憩所でもある。

 広場のシンボル、オランダ風車の小屋に入る。若い
案内人が一人、ストーブ前で待機していた。入口の
温度は2℃。

 風車は、1994年春、佐倉市制40周年記念にオラ
ンダで製造し、オランダ技師により建設した。

 「リーフデ(友愛)」と名付けられた水くみ用の風車
である。

 風車の回りの田んぼにはチューリップが植えてあり、
4月にはチューリップ祭りが開催されるという。

 そばにある「佐蘭花」と呼ぶ建物にも寄る。地元特
産品を販売し、佐倉の観光パンフレットなどが置いて
あり、レンタサイクルもあるという。


 西印旛沼に流入する鹿島川の橋を渡る頃から、ミゾ
レは本格的な雪になった。

 小さく折りたたんで持っていた地図も濡れて破れは
じめたので地図ケースに収め、このあとはもっぱら
やまさんのナビに頼ることにする。

 名喰戸(なじきど)集落に入る頃には積雪で地面も
白くなってきた。民家の傍らに咲き出した紅梅も雪に
濡れている。

 台地に上がって畑作地帯に出た。北の土浮(つちう
き)方向に進むつもりが西に回り込み、「印旛沼サン
セットヒルズ」と呼ぶオートキャンプ場のところに出た。
トイレを借りて小休止する。

 雪はかなり激しくなり、ボタン雪が間断なく落ちて
くる。

 キャンプ場の北側は野鳥の森。鳥の観察舎があっ
たが、この雪では鳥の姿は全く見えない。

 森の北端まで進んで下り、ちょっとしたぬかるみを
突っ切って沼のほとりに並行する車道に出る。

 左に田んぼ、その向こうにサイクリングロード沿い
の桜並木を見ながら進み、右手の台地に向かって
上がる。

 土浮坂上バス停を通過して少し下り、竹林の間を
上がると正福寺があった。

 11時半を過ぎたのでここで昼食とし、拝殿に腰
を下ろした。


 境内はすっかり白くなり、古い六地蔵も雪帽子を
被って寒そう。


 正午に出発して土浮集落を東に抜け、西印旛沼
の南側を進む。

 沼の東端まで進み、佐倉市と印旛村の境になっ
ている中央排水路を通過、印旛村に入った。

 印旛沼東岸バス停際に、サイクリングロードの山
田休憩所があり、数mの展望台からは印旛沼の展
望がよい。

 双子橋を渡って江川集落の台地へ。右手にかや
ぶき民家が見えたので、そばに行って撮る。

 雪のかやぶき民家は、何十年か前にタイムスリッ
プしたようで、なかなか趣がある。

 さらに進むと、左下に印旛沼が見下ろせる台地上
に出た。

 雪に煙る印旛沼や集落を眺めながら進み、花台
大川岸集落の三差路を右折する。


 次の郷集落の三差路際にあった宗像神社で休憩
した。

 すぐ先の車道は車の交通量が多い。りっぱな本堂
の見える2つの寺の横をバイパスして国道464号を
横断する。

 雪の重みで垂れ下がった竹林や林間を進むと、通
行止めの表示があり、谷間を東西に貫く北総鉄道の
延長工事現場に出た。

 日曜で工事は休んでいるので現場を横切り、雑草
地や田んぼと斜面林の間の土の道を進み、松虫集
落の東側と思われる地点に出た。

 谷地田を横切ると松虫寺の道標があり、それに従
い谷間を上がって、北側から松虫寺に入った。

 豊富な樹林に囲まれた境内、りっぱなお堂が2つ
ある。ひとつは本堂(上の写真)で、左奥は瑠璃閣
(下の写真)と呼ぶ宝物庫らしい。

 鐘楼もあり、朱塗りの山門が歴史を感じさせる。
拝殿上に大凧(たこ)の奉納されている本堂で休憩
した。
 
 やまさんはここで一考、今日は十分、雪の印旛沼
や静かな集落を巡ることができたので、当初予定の
ゴール、JR成田線安食(あじき)まで行くのは止め、
近くの北総鉄道の終点印旛日本医大駅をゴールに
変更することにした。


 記念撮影をしてゴールに向かう。この頃から雪は
雨になった。

 松虫集落の南に下り、北総鉄道の延長工事現場
に並行する北側山すその農道を進む。

 新興住宅ができつつある一角に上がり、15時30
分、印旛日本医大駅に着く。

 3日間の完歩者は4人だった。

 雪の中の歩行で革手袋がびしょ濡れになり、何回
となく絞って水切りを繰り返したが、歩いている間は
冷え性の私も手は冷たくならず、寒さも感じずに
完歩することができた。

 雪中のちょっと長目のウオークは初めてだったが、
それだけに後々まで思い出に残ることであろう。

(天気 雪一時雨、距離 17㎞、地図(1/2.5万) 佐倉、
 小林、歩行地 佐倉市、印旛村、歩数 27400)
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手賀沼から印旛沼へゴーゴー55㎞ウオーク(第2日)

2008-02-06 19:04:58 | ウオーキング
 2008年2月2日(土)



 2日目のスタートは、北総鉄道千葉ニュータウン
中央駅。昨日よりもメンバーが増え、9時10分に
スタートした。

 南口の新しい商業ビルや住宅地を少しで、県立
北総花の丘公園へ。斜面林に沿って遊歩道が続き、
斜面林下には南北に長い戸神川調整池がある。

 鳥の観察舎が見えたので下りてみた。調整池に
はカモがたくさん泳ぎ、対岸の木々が真っ白にな
っている。

 何の仕業なんだろうか。

 住宅地の南側に回ると、畑で作業をしている人
がいた。そばに積んであるのはワラと馬糞で作っ
た堆肥だという。

 後から来た新住民から、市役所を通してネギの
消毒剤の匂いなどについての苦情があるとか。
「もう長くは農業を続けることができないだろう」
とも言った。

 調整池の木が白いのは、カワウの糞だと教えて
くれた。

 公園の南端まで行ったが、その先に下る道がな
い。雑草地を下って斜面林と田んぼの間の土の道
に出た。


 戸神集落の手前で戸神川を飛び石で渡り、新し
い道路の高架橋下を進む。


 斜面林と田んぼの間を南東へ、竹林などの間を
抜けて船尾集落の火の見やぐらそばに上がった。

 船尾交差点先の宗像神社で最初の休憩。境内は
カシなど豊富な広葉樹林に囲まれている。


 そばの三差路に、変わった姿の女人講碑があっ
た。新しい船尾コミュニティセンター前を通過、馬場
(ばっぱ)集落から谷地田の先に進んで、新しい道
路が開通した中郷集落へ。

 旧道筋に古い3体の庚申塔が並ぶ。ひとつには
明和元年(1764)と刻まれていた。


 旧道際にあった多門院に入る。方形屋根の趣あ
る毘沙門堂があり、堂内の木造毘沙門天と両脇侍
立像は鎌倉期のもので、千葉県文化財に指定され
ているという。

 境内には大イチョウや桜の古木があり、印西大師
50番札所になっていた。

 そばの家で放し飼いの10頭前後の犬がいて、さ
かんにほえ立てる。

 畑の間の農道を進むと、珍しい名の火皇子(ひの
おうじ)神社の前に出た。参道の両側はツバキの
古木に覆われていた。

 その先で道が途切れ、針葉樹林を下って谷地田
に出て、印西市から印旛村に入った。東側の台地
上は林。林の中をやぶこぎして畑の間を貫く土道
の車道端に出た。

 西側眼下に茫々(ぼうぼう)とした田園が見下ろ
せる。

 携帯電話のアンテナ塔横を通過し、泉ゴルフ場の
南側の車道に出て、入場集落に入る。路傍に古い
庚申塔が15基ほど並んでいた。

 正午過ぎ、近くの萬福寺へ。本堂はコンクリート製
の近代的な建築。南側にあった古いお堂の周辺で
昼食をする。

 背後を豊富な広葉樹林に覆われ境内には、新し
い「洗い観音」などがあり、庭もよく整えられていた。

 校倉造りの別荘風建物など豪邸のある家の先で、
ちょっとやぶこぎをして東場集落へ。嵯峨野を思わ
せる竹林の間などを進んで集落を東に抜ける。

 次の谷地田の間を流れる小川は一本橋で渡った。


 新しいグランドの西に回り、台地上の西川を目指す。
ここでも林を抜ける土道が途切れ、畑のあぜをう回
する。

 西方に続く中里集落の泉福寺に入って休憩。境内
に重厚なかやぶき屋根の薬師堂が残っていた。

 弘治2年(1556)に焼失後、再建と伝えられ、室町
時代末期のものと推定されるとかで、県の重文に指
定されている。

 境内に樹木は少ないが、イチョウの古木が4本あり、
印西大師74番の小さいお堂もあった。この寺もそ
うだが、昨日回った寺も真言宗が多く、各々の境内
には四国霊場などの巡拝記念碑が幾つか並んでいた。

 南北に走る車道の東に進むと、太い桜をまき割り
しているご夫妻がおられた。聞くと、イノシシの燻製
造りに使うとのこと。桜のまきがよいのだという。

 ご夫妻は専業農家だが、この集落300戸中に専
業は8戸のみ。だが経営が苦しいので、どこも後継
者が居ないと嘆いておられた。

 いま、中国産ギョーザの薬物中毒問題で揺れてい
るが、日本の食料はどうなるのだろうかと改めて考
えさせられた。

 崩れ落ちそうなかやぶき民家があり、その先の6
差路のケヤキの古木の根元には、3体の古い石仏
が並ぶ。

 小さいお堂もあり、この辺り、昔のままのたたず
まいをよく残している。

 6差路を南東に下る道すじにも、かやぶきの民家
があった。


 印旛沼に注ぐ師戸川沿いの谷地田に下り、中橋を
渡る。東側の台地下を回って西谷集落に上がった。
りっぱな長屋門の渡辺家前を通過し、廣福寺に入っ
て小休止。ここも真言宗で、修行大師(弘法大師)像
が立っていた。

 奈良戸集落の宗像神社や朝園寺の横を回って、川
岸集落へ。印旛沼の北岸台地にあった県立印旛沼
公園に入った。

 千葉氏の一族、臼井氏の居城である臼井城の支城
として14世紀に築かれたという師戸(もろと)城跡。

 園内には、芝生広場や自由広場、花木園などがあ
り、西端の展望台からは、広々とした印旛沼が見下
ろせる。

 廣福寺にザックを置き忘れて戻ったSさんも追い
ついて記念撮影。

 本日の参加者はカメラの私を含め8人である。

 今日の歩き旅も最終コースに入った。印旛村と佐
倉市の境界になるを印旛沼の舟戸大橋を渡る。


 車の交通量が多いが歩道はない。こんなうっとう
しい道は今日初めてだ。

 橋の南、最初の分岐を右に入り、八幡台1丁目から
舟戸へと旧道を抜け、臼井城址公園に上がる。城の
説明板などは見あたらなかった。

 宿の住宅地から坂を上がって雷電為右衛門顕彰碑
をさがす。最初の妙法寺には無く、西に回って少し
下った、幼稚園を経営する妙覚寺前に堂々たる碑が
立っていた。

 雷電為右衛門は、江戸時代の寛政(1789~)から
文化(~1818)年間に無敵をうたわれた名大関(当
時は横綱はない)。等身大画像に書かれた文字は
佐久間象山の筆だという。

 そばに手形もあるが、大柄のSさんでもはるかに
かなわぬ大きさだった。

 妙法寺の東まで戻って国道296号に出て、宗像寺
近くの建物の横にあった細い抜け道を上がる。稲荷
台1丁目の住宅地を進んで、16時50分に京成臼井
駅に着いた。

(天気 曇、距離 18㎞、地図(1/2.5万) 白井、小林、
 佐倉、歩行地 印西市、印旛村、佐倉市、歩数
 26800) 
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