2008年2月9日(土)
やまさんの「関東百駅巡礼歩行」第42番は、関東
鉄道竜ヶ崎線の終点、竜ヶ崎駅に集まった。
関東鉄道竜ヶ崎線は、JR常磐線佐貫(さぬき)駅
から竜ヶ崎駅までの全長4.5㎞である。
中間に無人の入地駅だけの短い路線を、1両のデ
ィーゼル車が1時間に約2往復している。
集まったメンバーは15人。昼過ぎには雨の予報
だが、しばらくは持ちそう。11時12分に駅を出て、
市街地を東北に向かう。
寺後にある消防署の東側の通りを進み、用水沿い
に出る。少し東に回って北側から、大屋根の本堂が
目につく般若院に入った。
本堂裏手に、高さはさほどではないが枝を大きく
広げた、しだれ桜がある。
樹齢約450年のエドヒガンの園芸品種で、茨城県
天然記念物。樹高約10m、目通りの幹回りは約5m。
開花時には毎年、大勢の花見客が訪れるようだ。
般若院は天元元年(978)に創建され、大永4年
(1524)現在地に移り、土岐氏の祈願所になり、
のち仙台領になって伊達家の位牌所(いはいしょ)
として寺領3石を与えられたという。
本堂前には、りっぱな宝篋印塔(ほうきょういんと
う)が幾つか立っていた。
南側の山門を出て、歩行者レーンが小豆色に塗
られた通りに出る。
撞舞(つくまい)通りと呼び、市内栄町にある八坂
神社の祇園祭に行われる雨乞いと五穀豊穣、無病
息災を祈願する神事「撞舞」を描いたタイル画が埋
め込まれていた。
その通りを南東に進むと、龍ヶ崎二高がある、こ
んもりとした台地の下になる。
台地は、16世紀後半、江戸崎城主・土岐治英が
築いた龍ヶ崎城跡である。
龍ヶ崎城は、秀吉の関東攻めで佐竹氏の支配に
服し、その後、徳川領の一時期を経て伊達政宗の
配下となり、仙台領1万石が支配したという。
南側を回って保健所横から城山通りと呼ぶバイ
パスを横断、やはり裏手から「龍ヶ崎観音」で知ら
れ、茨城百景にも選定されている医王院に入る。
安産・子育て・厄除け・開運の観音様として親し
まれ、開放的な境内には、たくさんの水子地蔵や、
年彼観音、母子地蔵などの石仏が多い。
小さいお堂には、人形や玩具の風車、千羽鶴など
がたくさん奉納されていた。
ポツポツしてきたので本堂の屋根下を借りて昼食
にする。しかし本降りにはならなかった。
商店街大通りを横切り南へ。江川に出て右岸沿い
を西に向かう。道路が途切れたところは雑草地や民
家の裏手を抜ける。
1㎞余り先で川を離れ、広々とした田園地帯に出
た。
田起こしの済んだ田んぼの間を南西に進み、論所
排水と呼ぶ流れも越える。
周囲を田んぼに囲まれた前新田集落には、かなり
朽ちたかやぶき屋根の廃屋が残っていた。
小さい社の天神社横から、北側の長沖新田町集落
へ。これも小さい社の厳島神社の狭い境内に、円形
の鉄のふたで保護した4.4mの三角点があった。
「ク」の字状に大きな弧を描く小貝川の旧河川に出る。
中間辺りを横断、内側の高須町集落に入り、南西
端から旧河川の橋を渡った。
河川沿いには道がないので、アシなどの雑草地や
田のあぜを進んで大留町集落の阿弥陀寺に裏手か
ら入る。
本堂は鉄筋の四角い近代建築だが、古い鐘楼が
あり、境内のミツマタが咲き出していた。
ここで小休止する。
旧河川の南岸沿いに小貝川左岸堤防に向かう。旧
河川には、漁に使ったらしい木の小舟が幾つか放置
されている。
流れ沿いの道が無くなり、最後は少し雑木林の中
を突っ切り、小貝川左岸に出た。
取手コミュニティバスの大留バス停付近から堤防
に上がり、「利根川合流点から2・75㎞」標識を経
て、冷え冷えとした小貝川の流れを見下ろし、高須
橋まで進む。
途中から、再び雨が落ちてきた。
橋のすぐ先、杉やカシ、竹などの豊富な樹林に囲
まれた熊野神社社殿は、旧藤代町指定文化財。現
在は合併して取手市内である。
神社や高須町の屋敷林の北側を少し東に進み、北
に向かう。雨が本降りになってきたのでピッチを早め、
道仙田集落や川原代小横を経て、15時40分に中間
の無人駅、入地(いれじ)駅にゴールした。
15時58分発上りで佐貫駅に向かう。
(天気 曇後雨、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 龍ヶ崎、
歩行地 龍ヶ崎市、取手市、歩数 15900)
やまさんの「関東百駅巡礼歩行」第42番は、関東
鉄道竜ヶ崎線の終点、竜ヶ崎駅に集まった。
関東鉄道竜ヶ崎線は、JR常磐線佐貫(さぬき)駅
から竜ヶ崎駅までの全長4.5㎞である。
中間に無人の入地駅だけの短い路線を、1両のデ
ィーゼル車が1時間に約2往復している。
集まったメンバーは15人。昼過ぎには雨の予報
だが、しばらくは持ちそう。11時12分に駅を出て、
市街地を東北に向かう。
寺後にある消防署の東側の通りを進み、用水沿い
に出る。少し東に回って北側から、大屋根の本堂が
目につく般若院に入った。
本堂裏手に、高さはさほどではないが枝を大きく
広げた、しだれ桜がある。
樹齢約450年のエドヒガンの園芸品種で、茨城県
天然記念物。樹高約10m、目通りの幹回りは約5m。
開花時には毎年、大勢の花見客が訪れるようだ。
般若院は天元元年(978)に創建され、大永4年
(1524)現在地に移り、土岐氏の祈願所になり、
のち仙台領になって伊達家の位牌所(いはいしょ)
として寺領3石を与えられたという。
本堂前には、りっぱな宝篋印塔(ほうきょういんと
う)が幾つか立っていた。
南側の山門を出て、歩行者レーンが小豆色に塗
られた通りに出る。
撞舞(つくまい)通りと呼び、市内栄町にある八坂
神社の祇園祭に行われる雨乞いと五穀豊穣、無病
息災を祈願する神事「撞舞」を描いたタイル画が埋
め込まれていた。
その通りを南東に進むと、龍ヶ崎二高がある、こ
んもりとした台地の下になる。
台地は、16世紀後半、江戸崎城主・土岐治英が
築いた龍ヶ崎城跡である。
龍ヶ崎城は、秀吉の関東攻めで佐竹氏の支配に
服し、その後、徳川領の一時期を経て伊達政宗の
配下となり、仙台領1万石が支配したという。
南側を回って保健所横から城山通りと呼ぶバイ
パスを横断、やはり裏手から「龍ヶ崎観音」で知ら
れ、茨城百景にも選定されている医王院に入る。
安産・子育て・厄除け・開運の観音様として親し
まれ、開放的な境内には、たくさんの水子地蔵や、
年彼観音、母子地蔵などの石仏が多い。
小さいお堂には、人形や玩具の風車、千羽鶴など
がたくさん奉納されていた。
ポツポツしてきたので本堂の屋根下を借りて昼食
にする。しかし本降りにはならなかった。
商店街大通りを横切り南へ。江川に出て右岸沿い
を西に向かう。道路が途切れたところは雑草地や民
家の裏手を抜ける。
1㎞余り先で川を離れ、広々とした田園地帯に出
た。
田起こしの済んだ田んぼの間を南西に進み、論所
排水と呼ぶ流れも越える。
周囲を田んぼに囲まれた前新田集落には、かなり
朽ちたかやぶき屋根の廃屋が残っていた。
小さい社の天神社横から、北側の長沖新田町集落
へ。これも小さい社の厳島神社の狭い境内に、円形
の鉄のふたで保護した4.4mの三角点があった。
「ク」の字状に大きな弧を描く小貝川の旧河川に出る。
中間辺りを横断、内側の高須町集落に入り、南西
端から旧河川の橋を渡った。
河川沿いには道がないので、アシなどの雑草地や
田のあぜを進んで大留町集落の阿弥陀寺に裏手か
ら入る。
本堂は鉄筋の四角い近代建築だが、古い鐘楼が
あり、境内のミツマタが咲き出していた。
ここで小休止する。
旧河川の南岸沿いに小貝川左岸堤防に向かう。旧
河川には、漁に使ったらしい木の小舟が幾つか放置
されている。
流れ沿いの道が無くなり、最後は少し雑木林の中
を突っ切り、小貝川左岸に出た。
取手コミュニティバスの大留バス停付近から堤防
に上がり、「利根川合流点から2・75㎞」標識を経
て、冷え冷えとした小貝川の流れを見下ろし、高須
橋まで進む。
途中から、再び雨が落ちてきた。
橋のすぐ先、杉やカシ、竹などの豊富な樹林に囲
まれた熊野神社社殿は、旧藤代町指定文化財。現
在は合併して取手市内である。
神社や高須町の屋敷林の北側を少し東に進み、北
に向かう。雨が本降りになってきたのでピッチを早め、
道仙田集落や川原代小横を経て、15時40分に中間
の無人駅、入地(いれじ)駅にゴールした。
15時58分発上りで佐貫駅に向かう。
(天気 曇後雨、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 龍ヶ崎、
歩行地 龍ヶ崎市、取手市、歩数 15900)