あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

カタツムリ歩行・JR武蔵野線東所沢駅(埼玉)

2008-02-17 22:50:46 | カタツムリ歩行
 2008年2月17日(日)

 JR武蔵野線沿線を歩き続けている「カタツムリ歩行」、
18年目に入って最初の第171回例会は、昨年12月と
同じJR東所沢駅集合でした。

 私は、前回は不参加だったカントリーウオークの仲間、
I さんと一緒に歩きました。

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 10時前に東所沢駅前をスタートして南側に回り、本郷
集落の台地上に広がる畑作地帯に出た。

 畑のあぜ道からは、奥多摩や奥武蔵の山並みはよく
見えたが、前回見えた富士山は、雲が多めではっきり
しない。


 東側の道路に出て、前回も入った本郷の東福寺へ。
新しくて大きな観音像の背後から入り、墓地の間を下っ
て本堂に参拝する。


 本堂前にある大きな石灯ろうは、正徳6年(1716)、
東京・芝の増上寺に奉納されたもの。

 所沢市周辺の寺には、このような増上寺の石灯ろう
が移設されているところが多い。

 境内の東側に小さい神社があり、背後の斜面には、
「南無三十六童子」と呼ぶ童子像が並び、一周できる
遊歩道ができていた。

 明治初期に、時の住職が成田山(千葉)から分身を
受けたものが、百年を経て痛んでので、修復して平成
10年(1998)に開眼供養したものだという。


 遊歩道のある斜面からは、不動滝が流れ落ちている。

 東福寺の背後から続く斜面林はまだ枯れ枝だが、付
近の紅梅はほころびはじめており、この林が芽吹きを
迎えるのもそう遠くはないことだろう。


 東に進んで、12月例会のゴールだった氷川神社にも
寄る。そばの家は、なかなか趣のある造り。


 反対側の家には、所沢市の巨樹・巨木に認定された
カシの老木が立っていた。この辺りの古くからの民家
の多くには白壁の土蔵が見られる。

 東に進み、次の信号の南側にあった小さい社の下組
稲荷神社には、大きな乳棒の垂れ下がったイチョウが
あった。


 次の三差路から斜面林を上がり、堀割を走るJR武蔵
野線を越えて台地上に出る。

 この辺りの地名が「城」になっていることから、近くに
城跡があるはずだと気づく。

 交通量の多い県道の北側に回り、民家の方に聞き、
場所が分かった。

 県道をさらに進み、城山神社への標識に従い南に進
んでこんもりとした林に入る。

 滝の城跡で、狭山丘陵の一角が低地に向かって落ち
る急ながけを利用し、東南方を流れる柳瀬川を防御線
とした平山城。敷地は約6万6千㎡という。

 滝の城は、北条氏照の持ち城と考えられ、永禄13年
(1570)の戦いの後、東京・八王子城に移った滝山城
の支城といわれているようだ。

 本丸跡には、城山神社があった。

 神社の前からは、JR武蔵野線の高架の向こうに、都
県境の柳瀬川を挟んで東京・清瀬市の集合住宅などが
展望できる。



 周囲を巡る遊歩道を、竹林の下に出ると、緑に恵まれ
た城山公園があり、運動場なども設けられていた。

 再度台地上に上がる。雲が増え風も出て、スタート当
時に比べちょっと寒くなってきた。

 畑の間に民家の散在する城集落を北西に進み、JR
武蔵野線東所沢電車基地の北側に回る。

 亀ヶ谷公園の北西端にある今日のゴール、亀ヶ谷神
社に12時ちょうどに着いた。

 杉やカシなどに囲まれた社殿は珍しく北向き。すでに
到着していた皆さんは、社殿のそばや公園で昼食中
だった。


 食事を終え、記念撮影とミーティングをして、13時前
に解散となる。

 私は、新郷から松郷へと国道463号の南側の畑を
貫く農道を西に進む。

 新郷の畑の中にあった墓地には、第2次大戦後、こ
の地に入植して開拓したことを記した「開拓の碑」が
あった。


 国道の北に出て、若松町の北側からコブシ団地を抜
け、所沢航空記念公園に入る。新所沢まで回って買い
物をして、15時半ころ帰宅した。

 (天気 晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行
 地 所沢市)

  

 


  

    

 

 

 

 
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