2014年5月18日(日)午後
続カタツムリ歩行の散会後、私はひとりで午前中通らなかった東側を回って、北朝霞駅
に戻ることにして、13時12分に溝沼2丁目の滝の根公園を後にしました。
公園の西側から北方に向かいます。溝沼5丁目には、古くからお住まいらしいりっぱな
邸宅が残っていました。
豊富な緑を残す家並みも続きます。
溝沼6丁目の光善寺に行ってみましたが、檀家や関係者以外は入山禁止の立て札があり、
境内には入れません。門前から眺め見る本堂はコンクリート造り。
門のすぐ内側に、近くから移転したらしいお地蔵さんが並んでいました。
さらに北側の溝沼7丁目には、庭中バラに彩られたお宅があり、近所の方か、たくさん
の人が訪れていました。
第六小入口交差点に出て城山通りに入り、東武東上線を越えて岡2丁目交差点で城山通
りに分かれ、西側を平行する旧道を進んで、参道の新緑がまぶしい東圓寺に行きました。
山門を入って右手には、新しい鐘楼が目につきます。
正面の本堂手前には「一夜塚供養塔」が立っていて、昭和18年(1943)に東京空
襲を避け疎開児童が増えた学校の拡張を図るため、隣接の一里塚を壊してしまったことを
悔やみ、お詫びに建てた供養塔をその後ここに移したこと、などが記されていました。
ここも、コンクリート造りの大きな本堂。その前にあった市の保存樹木になっているボ
ダイジュの古木は、たくさんの花を見せています。
広い境内は緑豊富で、気持ちよい新緑にあふれています。
りっぱな植栽は、よく手入れされていました。
境内には、やはり近くの道路改修か何かで移転したのか、庚申塔などがまつられていま
した。
左手のものには、享保17年(1732)と刻まれています。
北側の小さめの門を抜けて、新緑のモミジと竹林の間を北に下る斜面には、ここだけで
一巡できる八十八か所めぐりの石塔が転々としていました。
下の方の斜面には、たくさんの石仏が並んでいます、説明板などはありません。
そばに不動堂があり、その下から「不動ノ滝」と呼ぶ細い流れが落下していました。
境内の東北端最低部には、不動の滝の水を引いた弁天池があり、弁天堂もまつられてい
ます。
本堂正面の山門まで戻って寺を出て、弁天池の横を走る旧道を下ることにしました。近
くの農家らしいお宅には古くからの納屋が残り、横にりっぱな土蔵が並んでいます。
旧道を下りきったところに朝霞市博物館があったので、入館しました。入館料は無料で
す。
展示室に向かうガラス張りの廊下からは、屋外に設けられた水車が見られます。
常設展示室にも水車のコーナーがあり、黒目川沿いには以前幾つもの水車があって、水
車を利用した伸銅工業が盛んだったことなどが記されていました。なお、館内は撮影禁止
です。
常設展示室ではほかに、復元した縄文時代の竪穴住居、「遺跡が語る朝霞」、「リクの
道と水の道」、「水となりわい」、「朝霞の美術・工芸」、川越街道膝折宿(ひざおりし
ゅく)の模型などが展示されていました。
ギャラリーの企画展示は「川越街道を歩くⅡ」で、中山道の脇街道だった川越街道に今
も残る当時の面影の写真などが並んでいました。
博物館を出て、畠の中を北西に延びる市道を駅に向かいます。すぐ北側は東洋大学朝霞
キャンパス。
建物北側には幾つかのグランドがあり、一番大きなグランドでは、アメフトの親善試合
らしいのが行われていました。
県道112号和光志木線際に信泉寺別院があるので回ってみましたが、ここも「檀家と
関係者以外は入山禁止」の立て札があり入れません。
すぐぐ北側の、黒目川がカーブする岡橋際から再び左岸堤防を進みます。
次の水道橋の歩行者用側道を渡って駅に近い浜崎1丁目へ。
住宅の垣根のそばに、紅白のカルミヤが咲いていました。
15時ちょうどにJR武蔵野線の北朝霞駅に着き、10分後の下り電車で帰路につきま
した。
(距離 4㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 朝霞市、続カタツムリ歩行との
合計距離 8㎞、合計歩数 14,400)
アウトドア ブログランキングへ
にほんブログ村
続カタツムリ歩行の散会後、私はひとりで午前中通らなかった東側を回って、北朝霞駅
に戻ることにして、13時12分に溝沼2丁目の滝の根公園を後にしました。
公園の西側から北方に向かいます。溝沼5丁目には、古くからお住まいらしいりっぱな
邸宅が残っていました。
豊富な緑を残す家並みも続きます。
溝沼6丁目の光善寺に行ってみましたが、檀家や関係者以外は入山禁止の立て札があり、
境内には入れません。門前から眺め見る本堂はコンクリート造り。
門のすぐ内側に、近くから移転したらしいお地蔵さんが並んでいました。
さらに北側の溝沼7丁目には、庭中バラに彩られたお宅があり、近所の方か、たくさん
の人が訪れていました。
第六小入口交差点に出て城山通りに入り、東武東上線を越えて岡2丁目交差点で城山通
りに分かれ、西側を平行する旧道を進んで、参道の新緑がまぶしい東圓寺に行きました。
山門を入って右手には、新しい鐘楼が目につきます。
正面の本堂手前には「一夜塚供養塔」が立っていて、昭和18年(1943)に東京空
襲を避け疎開児童が増えた学校の拡張を図るため、隣接の一里塚を壊してしまったことを
悔やみ、お詫びに建てた供養塔をその後ここに移したこと、などが記されていました。
ここも、コンクリート造りの大きな本堂。その前にあった市の保存樹木になっているボ
ダイジュの古木は、たくさんの花を見せています。
広い境内は緑豊富で、気持ちよい新緑にあふれています。
りっぱな植栽は、よく手入れされていました。
境内には、やはり近くの道路改修か何かで移転したのか、庚申塔などがまつられていま
した。
左手のものには、享保17年(1732)と刻まれています。
北側の小さめの門を抜けて、新緑のモミジと竹林の間を北に下る斜面には、ここだけで
一巡できる八十八か所めぐりの石塔が転々としていました。
下の方の斜面には、たくさんの石仏が並んでいます、説明板などはありません。
そばに不動堂があり、その下から「不動ノ滝」と呼ぶ細い流れが落下していました。
境内の東北端最低部には、不動の滝の水を引いた弁天池があり、弁天堂もまつられてい
ます。
本堂正面の山門まで戻って寺を出て、弁天池の横を走る旧道を下ることにしました。近
くの農家らしいお宅には古くからの納屋が残り、横にりっぱな土蔵が並んでいます。
旧道を下りきったところに朝霞市博物館があったので、入館しました。入館料は無料で
す。
展示室に向かうガラス張りの廊下からは、屋外に設けられた水車が見られます。
常設展示室にも水車のコーナーがあり、黒目川沿いには以前幾つもの水車があって、水
車を利用した伸銅工業が盛んだったことなどが記されていました。なお、館内は撮影禁止
です。
常設展示室ではほかに、復元した縄文時代の竪穴住居、「遺跡が語る朝霞」、「リクの
道と水の道」、「水となりわい」、「朝霞の美術・工芸」、川越街道膝折宿(ひざおりし
ゅく)の模型などが展示されていました。
ギャラリーの企画展示は「川越街道を歩くⅡ」で、中山道の脇街道だった川越街道に今
も残る当時の面影の写真などが並んでいました。
博物館を出て、畠の中を北西に延びる市道を駅に向かいます。すぐ北側は東洋大学朝霞
キャンパス。
建物北側には幾つかのグランドがあり、一番大きなグランドでは、アメフトの親善試合
らしいのが行われていました。
県道112号和光志木線際に信泉寺別院があるので回ってみましたが、ここも「檀家と
関係者以外は入山禁止」の立て札があり入れません。
すぐぐ北側の、黒目川がカーブする岡橋際から再び左岸堤防を進みます。
次の水道橋の歩行者用側道を渡って駅に近い浜崎1丁目へ。
住宅の垣根のそばに、紅白のカルミヤが咲いていました。
15時ちょうどにJR武蔵野線の北朝霞駅に着き、10分後の下り電車で帰路につきま
した。
(距離 4㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 朝霞市、続カタツムリ歩行との
合計距離 8㎞、合計歩数 14,400)
アウトドア ブログランキングへ
にほんブログ村
先月のとねるずの歩きで入った時は知らずに写してしまいました。
おまけにブログにまで載せてしまったなんて!
何か所かに表示がありました。