2014年10月8日(水)
JR東日本の「横浜えきまつりへ行こう!鉄道発祥の地横浜をハイキング」というハイ
キングに参加した。
スタートは、JR根岸線の関内(かんない)駅南口。駅構内で受付を済ませてコース地
図をもらい、10時02分に出発した。
すぐ東側は、横浜DeNAベイスターズの本拠地、横浜スタジアムのある横浜公園。
横浜スタジアム外野スタンドのそばから噴水の方に回る。この円形噴水塔は、関東大震
災の復興事業として昭和3年(1928)に完成したものとか。
近くには、明治元年(1868)に政府の招聘(しょうへい)で来日して日本沿岸各地
に灯台を建設し、横浜公園や日本大通りを設計した英国人土木技師R・H・ブラントンの
胸像がある。
公園の東北側中心部から真っ直ぐ延びるのが、その日本大通り。
りっぱなイチョウ並木の通りを進むと、神奈川県庁↑と相対するところに、横浜開港資
料館があった。
その旧館↑は、昭和6年(1931)に英国総領事館として建てられ、昭和56年
(1981)から横浜開港資料館として使われている。入館して開港当時の資料や地図、
写真などを見る(入館料200円、館内は撮影禁止)。
企画展示室では、「スイス使節団が見た幕末の日本」という興味深い企画も開催されて
いた。
そばの開港広場を抜けて、大さん橋のつけ根で階段を上がり、山下臨港線プロムナード
へ。このプロムナードは、新港地区から山下公園にかけて残されていた旧国鉄臨港線の廃
線跡を利用した遊歩道。
右への緩やかなカーブが、廃線跡であることを感じさせる。
プロムナードからは、行く手にに横浜税関↑、カーブの先にみなとみらい新港地区のビ
ル群や横浜赤レンガ倉庫などが、右手の大さん橋には、外国の大型旅客船が望まれる。
さらに進むと、高さ296.3m、70階建てのランドマークタワーも近づく。
線路の残る鉄道橋を渡り、赤レンガ倉庫の南側を港に沿って右手に回り込む。大型旅客
船が間近になり、英国籍の「ダイヤモンド プリンセス」という客船と分かる。
帰宅後にネットで調べたら、日本で建造された最大の客船で、乗客定員は2,670人、
乗組員数1,100人、総トン数115,875トン、全長290m、全幅37.5m、巡
航速度22ノットで、建造は2004年だという。
赤レンガ倉庫の東側に停泊していた、海上保安庁の巡視船「あきつしま」↑のそばを回
ると、旧横浜港駅のプラットホームと線路が残っていた。
横浜港駅は、明治44年(1911)に横浜税関構内の荷扱所として造られ、大正9年
(1920)7月23日に「横浜港駅」となり、東京駅から初の汽船連絡列車が乗り入れ
たという。
赤レンガ倉庫の西端付近から、山下臨港線プロムナードの延長上の遊歩道を進み、横浜
ワールドポーターズビルの南端から、西に延びている「汽車道」に入った。
汽車道は、昭和62年(1987)に廃止された東海道貨物支線(横浜臨港線)のうち
の、東横浜駅~横浜港駅間の約500mを遊歩道として公開したもの。
その東端付近の花壇に、大きないかりが飾られていた。
汽車道には線路が残り、両側には桜並木が続く気持ちよいプロムナード。
途中には二つの鉄道橋が残り、最初の橋からは「よこはまみなと博物館」のクリーム色
の建物や、よこはまコスモワールドの大観覧車などが望まれる。
二つ目の鉄道橋は「港一号橋梁」と呼ばれ、明治42年(1909)に鉄道院により架
設されたとか。
橋を渡った右手の狭い入り江には、大型練習帆船 日本丸が係留展示されている。
JR桜木町駅に向かう広い道路に、横浜らしいデザインのマンホールふたやタイル絵が
たくさん埋め込まれていて、これらはほかの通りでも幾つも目にした。
桜木町駅南側のガードをくぐると、小緑地に「鉄道創業の地記念碑」が立っている。
明治5年(1872)5月にこの地に初代横浜駅が開業したことを記念して、昭和43
年(1967)10月に竣工したもの。その後、当初の位置からは少し移転しているらし
い。
近くの歩道橋で大岡川を渡り、馬車道交差点を左折して、南西に延びる通りへ。
通りには「近代街路樹発祥之地」碑が立っていた。(続く)
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JR東日本の「横浜えきまつりへ行こう!鉄道発祥の地横浜をハイキング」というハイ
キングに参加した。
スタートは、JR根岸線の関内(かんない)駅南口。駅構内で受付を済ませてコース地
図をもらい、10時02分に出発した。
すぐ東側は、横浜DeNAベイスターズの本拠地、横浜スタジアムのある横浜公園。
横浜スタジアム外野スタンドのそばから噴水の方に回る。この円形噴水塔は、関東大震
災の復興事業として昭和3年(1928)に完成したものとか。
近くには、明治元年(1868)に政府の招聘(しょうへい)で来日して日本沿岸各地
に灯台を建設し、横浜公園や日本大通りを設計した英国人土木技師R・H・ブラントンの
胸像がある。
公園の東北側中心部から真っ直ぐ延びるのが、その日本大通り。
りっぱなイチョウ並木の通りを進むと、神奈川県庁↑と相対するところに、横浜開港資
料館があった。
その旧館↑は、昭和6年(1931)に英国総領事館として建てられ、昭和56年
(1981)から横浜開港資料館として使われている。入館して開港当時の資料や地図、
写真などを見る(入館料200円、館内は撮影禁止)。
企画展示室では、「スイス使節団が見た幕末の日本」という興味深い企画も開催されて
いた。
そばの開港広場を抜けて、大さん橋のつけ根で階段を上がり、山下臨港線プロムナード
へ。このプロムナードは、新港地区から山下公園にかけて残されていた旧国鉄臨港線の廃
線跡を利用した遊歩道。
右への緩やかなカーブが、廃線跡であることを感じさせる。
プロムナードからは、行く手にに横浜税関↑、カーブの先にみなとみらい新港地区のビ
ル群や横浜赤レンガ倉庫などが、右手の大さん橋には、外国の大型旅客船が望まれる。
さらに進むと、高さ296.3m、70階建てのランドマークタワーも近づく。
線路の残る鉄道橋を渡り、赤レンガ倉庫の南側を港に沿って右手に回り込む。大型旅客
船が間近になり、英国籍の「ダイヤモンド プリンセス」という客船と分かる。
帰宅後にネットで調べたら、日本で建造された最大の客船で、乗客定員は2,670人、
乗組員数1,100人、総トン数115,875トン、全長290m、全幅37.5m、巡
航速度22ノットで、建造は2004年だという。
赤レンガ倉庫の東側に停泊していた、海上保安庁の巡視船「あきつしま」↑のそばを回
ると、旧横浜港駅のプラットホームと線路が残っていた。
横浜港駅は、明治44年(1911)に横浜税関構内の荷扱所として造られ、大正9年
(1920)7月23日に「横浜港駅」となり、東京駅から初の汽船連絡列車が乗り入れ
たという。
赤レンガ倉庫の西端付近から、山下臨港線プロムナードの延長上の遊歩道を進み、横浜
ワールドポーターズビルの南端から、西に延びている「汽車道」に入った。
汽車道は、昭和62年(1987)に廃止された東海道貨物支線(横浜臨港線)のうち
の、東横浜駅~横浜港駅間の約500mを遊歩道として公開したもの。
その東端付近の花壇に、大きないかりが飾られていた。
汽車道には線路が残り、両側には桜並木が続く気持ちよいプロムナード。
途中には二つの鉄道橋が残り、最初の橋からは「よこはまみなと博物館」のクリーム色
の建物や、よこはまコスモワールドの大観覧車などが望まれる。
二つ目の鉄道橋は「港一号橋梁」と呼ばれ、明治42年(1909)に鉄道院により架
設されたとか。
橋を渡った右手の狭い入り江には、大型練習帆船 日本丸が係留展示されている。
JR桜木町駅に向かう広い道路に、横浜らしいデザインのマンホールふたやタイル絵が
たくさん埋め込まれていて、これらはほかの通りでも幾つも目にした。
桜木町駅南側のガードをくぐると、小緑地に「鉄道創業の地記念碑」が立っている。
明治5年(1872)5月にこの地に初代横浜駅が開業したことを記念して、昭和43
年(1967)10月に竣工したもの。その後、当初の位置からは少し移転しているらし
い。
近くの歩道橋で大岡川を渡り、馬車道交差点を左折して、南西に延びる通りへ。
通りには「近代街路樹発祥之地」碑が立っていた。(続く)
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