あるきメデス

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JR東日本駅からハイキングで縄文遺跡の里 一戸を歩く(岩手・一戸)  

2018-07-06 14:09:32 | JR東日本駅からハイキング
 2018年6月26日(火)

 宿泊した弘前駅前のビジネスホテルを7時過ぎに出て、JR弘前駅7時26分発奥羽本
線下り電車に乗る。

 新青森駅から東北新幹線上りはやぶさ12号で二戸(にのへ)駅へ。

 さらにIGRいわて銀河鉄道の上り電車に乗り換え、次の一戸(いちのへ)駅に9時
44分に着いた。


 駅の出札口で駅からハイキング「一戸町並みアートを巡る」の受付を済ませ、9時52
分にスタートする。


 ちなみに、一戸町は岩手県内陸北部に位置し、北上山地と奥羽山脈に囲まれた丘陵地。
総面積三百㎢中のうち山林・原野が61%とか。一級河川馬淵川が町のほぼ中央部を北に
向かって貫流し、市街地はその河岸段丘上に発達しているという。
       
 一戸の由来は諸説あるようだが、平安末期から名馬の産地として知られ、その牧場を一
から九の戸に分けたことからといわれているようだ。

 線路に沿って東側を南北に走る県道二戸一戸線の、すぐ東を平行する旧道に入って南へ。
家並みの間から学校の尖塔やその近くのドーム屋根などが望まれる。



 細い十字路際にあった「フードショップまつだ」には、交通安全の大きなカエルが立っ
ていた。
       


 近くの民家の庭には、どこも花が咲き競っている。



 旧道は県道に合してすぐ先で馬淵川が近づく。

           
 県道とのT字路にかかる碧(みどり)橋には、田村史郎氏作のブロンズ像「春夏秋冬の
像」が橋桁の四隅に立っていた。
        



            
  
        

 一戸町は美術の町なのだろうか、近くの掲示板には近く開催される「一戸美術展」のポ
スターがある。
       

 信号のある交差点で県道を離れて東へ。すぐ先、一戸南小のコンクリート造りの建物は
安藤忠雄氏の設計とか。

 離れて見る場所がないので全体像は分かりにくい。


 道路を挟んで北側の狭い境内には関屋大日堂が祭られていた。鎌倉後期から南北朝時代
のものと考えられる板碑が2体あるというが、どれなのか確認できなかった。


    


 学校の東で馬淵川の岩根橋を渡ると緩やかな上り道となり、Y字路で帰路となる道と合
する。少し先に、古くから地元の人に親しまれていたと思われる理容店がある。



 周辺の庭先にアジサイやバラなどがきれいに咲き競う。


 道路下の民家はもう冬の準備だろうか、まきがたくさん積み重ねられていた。



 国道4号線の下を四角いトンネルで抜けて、さらに緩やかな上りが続く。左手急階段上
に見える稲荷神社を過ぎると住宅が減り、ウグイスがしきりにさえずる。

 墓地と町営火葬場の間を進み、御所野縄文公園の入口に10時45分頃着いた。

 御所野縄文公園は、縄文時代中期後半(4000~4500年前)の大規模な集落跡で
ある御所野遺跡につくられたもの。

 御所野遺跡は、7万5千㎡に及ぶほぼ全面にわたり800棟以上の竪穴住居が見つかり、
平成5(1993)年に国指定史跡になったという。

 御所野遺跡や青森県の三内丸山(さんないまるやま)遺跡など、岩手、青森、秋田3県
と北海道の「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」は、世界文化遺産の暫定リストに
登載されている。


 2003年にグッドデザイン賞を受賞した木造の長い釣り橋「きききのつりはし」を進
むと、御所野縄文博物館の入口に着く。

 今日一番の見どころを思われるので観覧することにした(300円)。


 1階の展示室1「焼けた住居の発見」では、ガラス張りの床下に4000年前の焼失住
居跡を展示し、さらに国内外の復元した竪穴住居や遺跡から出土した土器などを展示して
いる。




 展示室2「御所野縄文ワールド」では、季節ごとの縄文人の生活の紹介と、出土した土
器や石器など生活道具、まつりの道具などが展示されていた。




 2階の展示室3「火とまつり」は、町内の蒔前(まくまえ)遺跡と山井遺跡から出土し
た、縄文晩期の精巧な亀ヶ式土器などが並ぶ。

    
     蒔前遺跡から出土した鼻曲り土面(国重要文化財)




 その横の展望室からは、遺跡公園内に広がる遺跡などが展望できる。


 30分ほど観覧して博物館を出て、西側一帯に広がる公園内を一巡することにする。


       


 博物館に近い「東むら」のエリアには、いくつかの竪穴住居と掘立柱建物が復元され、
各々の内部も見られる。



 南側には「縄文体験施設」と呼ぶ大きな竪穴式の建造物もある。



 広い芝生地を中央部に進むと「中央むら」で、復元住居も一番多く、掘立柱建物も幾つ
か並んでいる。



 復元住居の周囲には大きな栗の木が何本もあり、豊富な花を見せる。








 南側の周遊路沿のヤマボウシも白い花がいっぱいで、遠くからも目についた。



 西端近くの「西むら」には、平成11(1999)年の縦穴建物の火災実験跡↑がその
まま保存されていた。ここにも数棟の復元建物が並んでいる。




 正午近くなったので、西むらにあった木のベンチに腰を下ろし、間近にウグイスの声を
聞きながら12時まで昼食をした。



 公園の北側の周遊路を博物館前まで進んで「きききのつりはし」を入口に抜けて、12
時10分に御所野遺跡公園を後にした。

 往路は下り道、国道4号のトンネルの先まで戻ってY字路を右に上がり、沢田集落を北
へ進む。

 T字路で広い町道に出てすぐに左折してさらに北へ、町内で比較的開けたエリアのよう
で、薬王堂と呼ぶ薬局や県立一戸病院↓など大きな建物が続く。



 一戸病院の北側の花の丘公園には、舟越保武氏作の「春」と「濤」と呼ぶ若い男女のブ
ロンズ像が立っていた。
   

        

 すぐ先、十字路の北西側には図書館と一戸町コミュニティセンターの入るドーム屋根の
独特なデザインの建物が目につく。建物は木造のよう。



 広い道路を北東に向かうと一戸小が近づく。スタート直後見えたのが、この小学校の尖
塔とコミュニティセンターだと分かる。

 時計を見て次の下り電車に間に合いそうなので、少し近道をすることにした。一戸小の
手前の細道を下り、馬淵川の西方寺橋を渡り、一戸駅に12時50分に着いた。


 13時発IGR岩手銀河鉄道下り電車で次の二戸駅まで戻る。二戸から東北新幹線上り
はやぶさ20号で盛岡駅まで行き、次のはやぶさ22号に乗り換える。大宮駅に16時6
分に着き、自宅には17時30分に帰宅した。

(天気 曇、距離 6㎞、地図 駅からハイキング地図(2万5千分の1 一戸)、
 歩行地 岩手県一戸町、歩数 13,000)





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