あるきメデス

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JR東日本「駅からハイキング」で国分寺駅周辺を歩く(東京・国分寺)

2019-05-06 18:58:20 | JR東日本駅からハイキング
 2019年5月4日(土)

 平成から令和へと年号代わりの10連休後半の今日は、『【JR国分寺駅開業130周
年記念】こくぶんじの恋と歴史と文化をめぐる春の探訪』というJR東日本の駅からハイ
キングに参加した。

 ちなみに、国分寺駅は中野、武蔵境、立川各駅とともに1889年4月11日の開業で、
今年同日に開業130年を迎えている。

 JR中央線国分寺駅と西武国分寺線・多摩湖線国分寺駅のある北口のビル5階の、
cocobunjiプラザルの総合案内で受付を済ませ、10時33分に北口をスタートする。



 本町四丁目商店街を西へ、本町四丁目交差点を北に少しで、最初のポイントの「恋ヶ窪
東遺跡」へ。

 野川(のがわ)の源流のひとつ、さんや谷に面した台地上の旧石器・縄文時代の遺跡で、
約4千年前の「柄鏡形(えかがみがた)敷石住居跡」復元模型がある。



 もとの通りに戻り西へ、緑が豊富な日立中央研究所の南側、西武国分寺線、JR中央線
沿いに進む。


 西武線の架道橋をくぐって住宅街の車道を進み、道標に従い遊歩道を進むと「姿見の池」
に出た。

 鎌倉時代、遊女たちが鏡代わりに姿を池に映していたという伝承が名前の由来のよう。
遊女が鎌倉武士・畠山重忠を慕ってこの池に身を投げたという「恋ヶ窪伝説」も残ってい
るという。
    
 池の対岸に大きなアオサギが姿を見せ、池の周辺にキショウブやシャリンバイ、コデマ
リなどが咲き、クワの実もふくらんでいる。周辺の新緑も気持ち良い。
    

         

 西側の車道に出るところに「恋ヶ窪用水(恋ヶ窪村分水)の由来」のパネルが目に入る。
玉川上水から引水して恋ヶ窪村を潤し、村の収穫量が増加して村人の暮らしが豊かになっ
たことなどが記され、そのイメージを復元したという流れが遊歩道沿いにある。
     

 府中街道に出て、JR中央線西国分寺駅上を陸橋で越えて線路の南側を東へ。


 日本芸術高等学園の手前を右折して、南に延びる幅広い歩道、「東山道武蔵路(とうさ
んどうむさしみち)跡」を進む。

 東山道武蔵路は、7世紀に律令制の確立に伴い造られた官道の一つで、当初は東山道の
本道の一部として開通し、のち支路となった。

 上野国(こうずけのくに)・下野国(しもつけのくに)から武蔵国を南北に通り、武蔵
国国府(府中)に至る幅12mの直線道路跡約300mを歩道として整備保存している。

 中ほどに、写真や地図入りの詳細な説明パネルが設置されていた。


 南下して武蔵国分寺公園の西側入口を過ぎる。すぐ先の国分寺消防署西元出張所の角を
東に入ると国分寺公園。

 忠魂碑や慰霊碑など三つの大きな碑の横に「土師竪穴(はじたてあな)住居跡」の説明
板があり、この周辺で土師器を使用していた時代の竪穴住居4棟が発見されたという。

 すぐ西側が「国分寺薬師堂」。薬師堂は、建武2(1335)年に新田義貞の寄進で国
文寺の金堂跡付近に建立されたと伝えられ、現在の建物は宝暦年間(1751~63)に
この地で再建されたよう。

 堂内に安置された木造薬師如来坐像は、平安末期か鎌倉初期の製作と考えられ、国の重
要文化財に指定されている。

 うっそうとした境内を南に下って仁王門を出る。仁王門も宝暦年間の建立で、金堂跡付
近にあった旧薬師堂のものを再利用したことがうかがえるという。


 南側、広い草地に桜などが伸び伸びと枝を広げた一帯が「国史跡 武蔵国分寺跡」である。

 奈良時代中期の天平13(741)年、聖武天皇が諸国に命じて建立したもので、規模
は全国64の国分寺の中でも最大級とか。中枢付近は近年の整備を終え、市の歴史公園と
なっている。


 その中の金堂跡↑、講堂跡↓、鐘楼跡などに基壇などが復元され、各々の説明パネルと合
わせ、当時の建物の大きさをうがかい知ることができる。




 公園から北に進むと国文寺楼門が立っている。この門は、米津出羽守田盛の元菩提寺と
して建立された東久留米市の米津寺の楼門を明治28(1895)年に移築したもの。

 国分寺境内の諸建築物とともに、国文寺の変遷を知る上で重要な建物だという。


 楼門の北側が現在の真言宗豊山派の武蔵国文寺。最初に参拝した薬師堂もこの境内西側
で、本堂周辺には万葉植物園がある。

 昭和25(1950)年から13年かけて当時の住職が採集した万葉集に詠まれた植物
が所狭しと植えられ、現在約160種あるという。


 豊富な新緑に包まれた植物園の草木の下に、幾つかの小さな花が目に入る。
         

 門の西側、目の上には、名の知れぬ黄色の花がたくさん咲いていた。
         

 国文寺の前から、東に延びる「お鷹の道遊歩道」に入る。江戸時代の寛延元(1748)
年、国分寺市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定され、慶応3(1867)年に廃止さ
れるまで村人の生活に多くの影響を与えていたとか。

 崖線(がいせん)下の湧水を集めて野川に注ぐ清流沿いの小道は、いつの頃からか「お
鷹の道」と呼ばれ、昭和47(1972)~48年に国分寺市が遊歩道として整備したと
いう。


 そのお鷹の道を少しで「武蔵国分寺跡資料館」へ。南側の「史跡の駅おたカフェ」↑で、
館内の「おたかの道湧水園」との共通入園券を購入(100円)し、入口である立派な旧
本多家(ほんだけ)住宅長屋門を入る。

 この長屋門は、国分寺村の名主を歴任した本多家の屋敷地南側に、表門と先代名主の隠
居所を兼ねて江戸時代後期に建築したもの。


 まずはこの建物に入って1階の建物を眺め、2階に上がって本多家の歴史パネルや資料、
養蚕や衣装などの展示を観覧した。


 敷地内東側には、武蔵国分寺七重塔の10分の1の推定復元模型がある。
     


 奥の建物が武蔵国分寺跡資料館で、史跡武蔵国分寺跡の出土資料、市内の文化財、史跡
武蔵国分寺整備事業などの展示があった。




    
 敷地内に咲くツツジやシャクナゲなどの花を見ながら北側の崖線下にある湧水観測ポイ
ントへ。数㍍先の木の根の下が湧水元のようだが、湧水らしいのは見えなかった。
        

    

         

 敷地の西側に旧本多家住宅倉が残されていた。明治33(1900)年に新築し、昭和
8(1933)年に改修したもののよう。
        

 お鷹の道を先へ、別の本多家の広い庭先から見たことのない花が咲いていた。行き交っ
た人も初めてで、名も知らないという。
    

 その先、北側の崖線下は都指定名勝の「真姿(ますがた)の池湧水群」で、お鷹の道と
ともに環境省の名水百選に選定されている。

 平安時代、絶世の美女・玉造小町が重い病を患い、薬師如来に祈って池の水で身を清め
ると、もとの美しい姿に戻ったという伝説が池の名の由来のよう。
      
 左手に弁天堂を祭る湧水池があり、崖線の下からもきれいな湧水が流れ出ている。流れ
沿いにはカラーの花が咲き出し、その東側には、野菜や柿などの無人販売をする本多園が
ある。


     


 13時を過ぎたので昼食をと考えたら、すぐ南側に「うどん」の看板が出ていた。小さ
な手造り風建物の店だったが入り、冷たいねぎとろうどん(700円)を注文し美味しく
味わった(少し食べてからの写真)。
    

     
 旧建設省の「手づくり郷土賞」のパネルが埋め込まれた岩の横からお鷹の道をさらに進
む。すぐ先、立派な長屋門を活用した建築研究所前を通過し、間もなくお鷹の道が終わる。



 その先は住宅地の中を東北東に進み、源流から間もない野川の不動橋を渡る。橋の北側
に「不動明王」と刻まれた石橋供養塔と庚申塔が並んで祭られていた。

 不動橋は以前は石橋で、石橋供養塔は天保3(1832)年の造立のよう。庚申塔は延
享2(1745)年の銘があり、造立者として国分寺講中と11人の名が刻まれているよ
うだ。

 その横で車道に出てそばのY字路を左へ、緩やかに左カーブする坂道を上がり分寺駅南
口のビル前に出た。

 右折した東側は「都立殿ヶ谷(とのがや)庭園」沿い。少し先に入口があり、「本日入
園料無料」の張り紙が。駅からハイキングのポイントではないが入園することにした。

 この庭園は、南満州鉄道副総裁や貴族院議員を務めた江口定條(さだえ)が大正2
(1913)年に別荘を構え、のち三菱合資会社取締役・岩崎彦弥多が買い取り、主屋を
建て替え国分寺崖線下の湧水と園地を結んで回遊式庭園としたとか。

 昭和49(1974)年に都が買収して整備後、有料庭園として開園したという。同時
代に造られた武蔵野の別荘庭園中でも風致景観を最もよく残し、芸術上の価値が高いこと
などから、国の名勝に指定されている。

 東側に下がる斜面一帯を覆う、豊富な新緑の園内を時計回りに一巡する。




 広々とした芝生地、みずみずしいモミジや松、ケヤキなどの新緑、咲き残るフジの花、
伸びてきた竹林のタケノコ、池と流れ落ちる滝、木々の下に咲く草花などを眺め、30分
余りが経過した。
     



 南町二丁目交差点から北へ、JR中央線を殿ヶ谷立体陸橋下で抜けて緩やかに上がる。
国分寺本町一丁目交差点を過ぎ、早稲田実業高校の正門近くの広場に、「日本の宇宙開発
発祥の地」碑があった。

 1955年4月、東大生産技術研究所の糸川英夫教授を中心とした若い研究者により、
日本初のペンシルロケットの水平発射実験がこの地で行われ、その50周年を記念して設
置した記念碑のよう。

 記念碑の地下には、2005年に子どもたちが夢見た「50年後の宇宙ロケット」のデ
ザインや、「50年後の人々へのメッセージ」がタイムカプセルに収めて埋められている
という。


 その先さらに正門に近いところには、王貞治氏の「ホームラン756号世界新記録達成
第1号国民栄誉賞受賞記念」碑があり、王さんのサイン「力」が刻まれた黒いボールが碑
の上に乗っていた。

 上空に黒雲が広がり、殿ヶ谷庭園辺りから時折雷鳴が聞こえ、いつ降り出すか不安に駆
られる。

 第七小と第二中の北側を進み、本多公民館図書館西交差点で広い通りへ。駅への道と勘
違いして少し前後を行き来して時間を費やす。

 すぐ先の細道を南下して最初の四つ角に「電車開通 札之丘十五年 記念道路碑」と刻ま
れた大正11(1922)年11月建立の石碑が建っていた。
     


 次の十字路でひとつ東を平行する車道に回り、15時08にJR中央線国分寺駅にゴー
ルした。


 手前の西武国分寺線に乗り、駅を出た頃から雷雨となり、自宅の最寄り駅に下りたらヒ
ョウが降り、駅で20分ほど雨宿りする。

(天気 晴後曇 距離 7㎞、地図 駅からハイキング地図、歩行地 国分寺市、歩数
 15,800)
 




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2 コメント

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Unknown (とんとかいも)
2019-05-09 22:57:34
お世話になっております、所沢メンネルコールのとんとかいもです。
国分寺は、昔高校生の頃住んでおりましたが、下宿住まいで学校との間を行き来した程度でしたので、ほとんど町中を歩いたことはありませんでした。
唯一知っていたのは、ボクサーの輪島浩一さんのお店でした。(だんごやさん)
いろいろご紹介ありがとうございます。
今度時間を見つけて歩こうかと思っております。

さて、所沢メンネルコールは7月28日に定期演奏会を開催いたしますが、昨年の第32回定期演奏会で演奏しました「永久ニ」の動画をYouTubeにアップロードいたしました。
今後も少しずつとなりますが、よい演奏だったものをアップロードしてまいります。
お時間がありましたら、ご視聴宜しくお願いします。
ご視聴されましたら、チャンネル登録をしていただけますとありがたいです。
宜しくお願いします。
返信する
チャンネル登録は初めて (saikoroat)
2019-05-13 10:14:39
写真に写っていた「だんごの輪島」の店は、やはり輪島功一さんの店だったのでしょうか。
You Tubeのチェンネル登録というのは初めてでしたが、なんとか登録できたように思われます。
返信する

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