あるきメデス

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秩父札所午歳総開帳ハイキング⑤準拠 西武秩父駅~白久駅(埼玉)

2014-05-26 18:31:54 | ウオーキング
 2014年5月23日(金)

 5回目の秩父札所巡りに行く。西武鉄道と秩父鉄道共催の札所巡りハイキングは済んで
いるので、今回もひとりで回ることにして、9時11分に西武秩父駅に下車した。

 ハイキングのスタート地は秩父鉄道影森駅だが、乗り換えの秩父鉄道御花畑駅発の下り
電車まで少し時間があり、最初の26番円融寺(えんゆうじ)までの時間はあまり違わな
そうなので、西武秩父駅をスタート地として9時19分に出発した。

 国道140号を南へ、秩父鉄道の踏切の手前で国道に分かれ、線路の東を平行する旧道
を進む。


 家並みの間から武甲山を眺め、八幡町を経て大沼町にある26番円融寺に入る。

 本堂や境内を囲む塀は、再建間もないようで新しい。本尊聖観世音立像は、かつては奥
の院である南側の山の中腹、岩壁に覆われた岩井堂に安置されていたという。

 岩井堂はハイキングで何回か通過してるので今日は省き、次の札所に向かう。近くの長
福禅寺に入る交差点際に、移設したらしい古い地蔵や念仏供養塔、巳待塔(みのまちとう)
などが並んでいた。
    

 1㎞足らずで27番大渕寺(だいえんじ)の門前に着く。地蔵堂に大きなお地蔵さんが
祭られ、その横に安政4年(1857)に当時の名主が私財で通じたという、県史跡「影
森用水」の説明板が立っていた。

 山門に向かうと、正面の琴平丘陵のハイキングコース上にある大きな護国観音像が望ま
れる。
                    ↓護国観音像  
     

 大渕寺は明治・大正と2度の大火で堂宇をすべて焼失し、現在の宝形屋根の観音堂は平
成7年(1995)の再建とか。


 境内は緑豊富で、本堂前に観世音菩薩のお恵みという延命水が流れ落ちている。「この
水を飲むと三十三か月長生きする」と伝えられているようなので、私も冷たい水を2杯い
ただいた。
    

 少し進むと、秩父鉄道の線路と、南に平行する石灰岩採掘場への専用線際に出る。

 秩父鉄道を跨線橋で越えて少し迂回し、次の跨線橋で再び秩父鉄道の南側へ。

 その先400mほどは、やはり採掘場への専用線の廃線跡を活用した琴平ハイキングコ
ースの歩道になっていて、架線用に用いられていた古い鉄柱も残っていた。
     


 県道73号に入ると、すぐ先に「秩父市立浦山歴史民俗資料館」(入館無料)があった
ので入館し、この地、浦山の獅子舞、養蚕や林業など浦山の古くからの暮らしの写真や用
具、秩父市と浦山の獅子舞の写真などを観覧した。
    

 その先、秩父市水道部の浄水場のそばに「影森用水の碑」と「影森水道之碑」があった
が、何れも文字が霞んでいて読めない。
    

 県道に分かれて県道の高い橋の下を通過し、鍾乳洞もある巨大な岩壁下の斜面にある
28番橋立堂(はしたてどう)の石段を上がった。


 お堂は、高さ80mある石灰岩の直立した岩壁下に江戸中期に建立されたとか。本尊馬
頭観世音座像は鎌倉時代の優秀な作で、昔は縁日には近在からの馬を曳(ひ)いた参詣者
で賑わったという。
    

 観音堂の横に、白馬の木像を祭った小さいお堂があり、周辺のモミジがよい彩り。境内
には、そばなどを味わえる茶店が2軒あった。

 少し戻り、県道の高架下付近から左に下る杉木立の間の小路へ。


 民家風の光西寺横を通過し、浦山口駅の南を走る旧道に入る。眼下に橋立キャンプ場を
見下ろし、久那の集落に入って左に上がる細道へ。民家の前にお地蔵さんが立ち、古い道
しるべ石もあった。

        
 旧道に合した辺りに「草臥(くたび)れて 宿かる頃や 藤の花」と刻まれた芭蕉句碑
が立つていた。


 正面の切り立つ谷間に浦山ダムの堰堤(えんてい)が望まれ、ダム直下からの細い流れ
を古いアーチ橋で渡る。


 下流眼下に養魚場らしい池を見下ろしながら緩やかに坂を上がると、29番札所長泉院
(ちょうせんいん)である。

 開山は平安中期の正暦元年(990)とか。現在の本堂は、場所を移して天保4年
(1833)に建てられ、本尊聖観音立像は平安時代の慈恵大師の作という。


 道路際のシダレザクラの古木が、豊富な新緑を見せていた。その下を進んで境内に入る。


 本堂前部の濡れ縁に石のだるま像が並び、左手には秋葉堂がある。庭石や石灯ろうを配
した趣ある庭は、木々もよく手入れされていて新緑が気持ちよい。


 納経所のご住職に断り、モミジの下のベンチで昼食をさせてもらう。そばの大きなカル
ミヤが花をいっぱい付け、モミジにも風車のようなピンクの小さい花が咲く。
    

 車道を西に向かう。2本走る送電線の最初の高圧線の下辺りに、「巡礼通りふれあいセ
ンター」の建物があった。

 木造の建物には広い休憩スペースとトイレがあり、団体の休憩所としても使えそう。

 さらに500mほどで南に少し回り、シダレザクラで知られる栃久保集落の清雲寺(せ
いうんじ)に立ち寄る。


 本堂前に市の天然記念物で豊富な若葉を見せるシダレザクラ↑があり、石段を下りた西
側には何本かのシダレザクラが枝を広げている。

 その中央に、県天然記念物で応永30年(1423)に開山した楳峯香(ばいほうきよ
う)禅師お手植えと伝わる樹高15mのエドヒガンザクラが、独特の枝張りを見せていた。
     

 隣接する若御子(わかみこ)神社には寄らずに通過する。隣の船川集落には千手(せん
じゆ)観音堂があり、社殿の前に信頼相撲の土俵が設けられていた。

 観音堂は大同年間(806)に坂上田村麻呂の創建と伝えられ、現在のお堂は明治8年
(1875)の再建とか。天井には、近在の草相撲力士が奉納した相撲四十八手図がはめ
込まれていた。
    

 信頼相撲は、文政年間(1818~)に4代目花籠親方の辻免許を受けて関東三辻の一
つとして栄えたが、実際にはそれ以前から行われていたようだという。現在も毎年8月16
日の縁日に行われ、相撲は二番取りで、一番で勝った者は二番目には負ける慣わしという。


 この地、旧荒川村はソバの里。まだ開花前のソバ畑が増えてきた。花菖蒲の咲く休耕畑
もあり、マーガレットもあちこちに咲き、周辺の新緑の彩りも気持ちよい。

 事上集落で道は90度カーブし、踏切を越えて秩父鉄道の北に回る。国道140号に入
るとすぐ、芦川の深い谷を渡る南側の旧道と秩父鉄道の橋が望まれる。



 国道際に咲き残るツツジの横を上がって武州中川駅前を通過し、西側の踏切を渡って線
路沿いに荒川日野集落を進む。



 道路際に石仏の並ぶ浄光寺の先に、「道の駅荒川」があったので入り休憩する。

 館内には地元産の農産物やその加工品、鉢植えの草木などが並び、車で来た人が品定め
をしている。
    


 隣の「山里自然館」↑では、「秩父観音霊験記」を公開していたので、常設展示の動物
のはく製などと合わせて観覧した。
    

 再度秩父鉄道の北に回ると、ソバ畑の向こうに武甲山の北面が望まれる。



 荒川の対岸、北麓に並ぶ小野原の集落を眺め、花の終わった「カタクリ・ニリンソウの
里」の横を通過する。


 豆早原(ずさばら)集落の西端付近に、「白久(しろく)の串人形芝居」の説明板が立
っていた。幕末の頃からこの集落に継承されている独特の人形芝居で、国選択民俗文化財
と県の無形民俗文化財に選定されている。

 谷津川(やつがわ)と踏切を渡り、白久駅前を通過する。谷津川左岸沿いを南に向かっ
て高度を上げ、橋場集落にある30番法雲寺(ほううんじ)へ。

 開基は13世紀中頃の鎌倉時代で、本尊如意輪観音は、唐の玄宗皇帝の作と伝えられて
いるという。
     
 「浄土庭園」と呼ぶ、池を中心の趣ある斜面に、たくさんのツツジが花を残し、その上
部に方形屋根の観音堂が立つ。朱塗りの堂内には、たくさんの絵馬が奉納されていた。
    

 納経所の前に、梅の古木が立っていた。御朱印をいただいた後、庭の清掃に出てこられ
たご住職に伺うと、樹齢は500年を超えるという。
    

 観音堂の左手には、樹高約26mのヒバの古木もある。


 同じ道を下り、今日のゴール、秩父鉄道の白久駅には15時56分に着いた。


 ホームの前面に広がる気持ちよい新緑の山並みを眺めて電車を待ち、16時20分発の
上り電車に乗る。


(天気 晴、距離 15㎞、地図(1/2.万) 秩父、三峰、歩行地 秩父市、累積標
 高差 上り約390m、下り約330m、歩数 29,500)  




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