春の大型連休が終わった翌日の5月7日(水)から9日(金)まで、山陽路への短い旅
に出かけた。
2014年5月7日(火)
== 潮待ちの港町 鞆の浦へ ==
5時44分に自宅を出て、東京駅7時33分発の東海道新幹線ひかり503号に乗る。
新大阪で10時59分発山陽新幹線さくら553号に乗り換えて車中で軽い昼食を済ませ、
12時02分に福山駅で下車した。
広島県の東南部に位置し広島市に次ぐ県内第2の都市、「百万本のバラの町」を目指し
ているという福山市の玄関口、福山駅前から鞆鉄(ともてつ)バスに乗り、12時50分
に鞆の浦(とものうら)バス停で下りる。
瀬戸内海の中央、福山市の沼隈半島南端に位置する鞆の浦は、万葉の昔から風待ち、潮
待ちで栄えた港町。江戸時代から続く町並みには、歴史に名をはせた人物の足跡が残って
いるという。その町並みを、3時間余りで巡ろうという計画である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/19/985cb91b795a62d576733c1d9995ffa4.jpg)
バス停前の平屋には、鞆の浦観光のみやげ品などが並ぶ。「鞆の浦観光情報センター」
もあり、一角がミニ鉄道資料館。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/58/d43d7d064cc370f533099f0a47da3385.jpg)
大正12年(1913)から昭和29年(1954)まで福山~鞆間12.5㎞を運行し
た鞆鉄道の、SLの写真や当時の資料、道具などが、こじんまりと展示してあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/62/b2f4074a53ed7586cd3c6b60412e1b87.jpg)
海沿いの道路を南へ向かい、福山市の鞆支所や消防署の横を通過する。仙酔島行き渡船
のりば↑のそばの崖下に「むろの木歌碑」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/03/bd8b8d25ef9dba63f4bf8ceb5968ca17.jpg)
万葉の時代、鞆の浦には遣唐使や遣新羅使(けんしらぎし)などが立ち寄り、幾つもの
歌が詠(よ)まれたようで、歌碑は天平2年(730)に太宰府の任を終えて立ち寄った大
伴旅人の歌だという。そばに「鞆の浦」と「福山城」と名付けられたバラが、花を開いて
いた。
その崖地の上にあるのが、天暦年間(947~)の創建と伝えられる福禅寺(ふくぜん
じ)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/a0/3ef1319fc219cb657a7738b8b7fc902f.jpg)
本堂や隣接する対潮楼(たいちょうろう)は、元禄年間(1688~)の建立で国史跡
になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/9c/eed94225f458102c31a9fae806d2ddbb.jpg)
対潮楼は江戸時代、朝鮮通信使の迎賓館や宿舎となり、窓枠を通しての弁天島や仙酔島
などの眺めは素晴らしく、正徳元年(1711)の朝鮮通信使は、「日東第一景勝」と賞
賛したという。いろは丸沈没をめぐって、坂本竜馬と紀州藩士との話し合いが行われた場
でもあるらしい。
弁天島などの島々や観光船を眺め、楼内の展示品なども見て本堂に参拝し寺を去る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/29/345a0f23cdee36aa1a977ccd2dacb8bf.jpg)
観光船 平成いろは丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/12/267c48af41561a0c3543b5ac0296f96e.jpg)
古い家並みの続く細い路地を西に抜けて、T字路を右折してその先の駐車場横を上がり、
「鞆の浦歴史民俗資料館」↓に回った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/2a/bd5f04358585acb89f5c4d0350629fc6.jpg)
館は、戦国時代に毛利氏によって築かれ、関ヶ原合戦後に安芸・備後領主となった福島
正則により大改築されたという鞆城跡に造られ、鞆の浦の歴史や祭りなどの資料が展示さ
れているようだが、連休後の休館日だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/da/a6b21d0202d33e524473d0ca141fd54b.jpg)
建物前の広場からは、鞆湾や古い家並みなどの展望が広がり、新緑みずみずしい木の下
に父親が鞆町出身という箏曲の楽聖・宮城道雄の座像があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/f6/462c46ae3a4f1a87a5ff3fe93d8e10f8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/9d/5c0e85eb0d3bbd6d6fe62711f2fdaf2e.jpg)
背後の山並みや公園の豊富な新緑の彩りも気持ちよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/57/6d25aeb5a67acb5a9c9219e6e20c228e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/1d/f71ad4093606405129edaf8323f02bcd.jpg)
花壇に様々な花の咲き競う横を南西に下る。そばの地蔵院の墓地には、サクランボが実
っていた。細い通りに入り、こちらにも残る古い家並みを眺める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/a7/4ea46af9da091554343fcea77df1ace2.jpg)
古い井戸ポンプと道しるべの立つ三差路から、西側の山腹を南北に走る通りへ。通りに
沿って寺院が幾つか並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/83/c91bc650f4d6b29b9a0acfa14ea803c5.jpg)
独特の山門を入った南禅坊の本堂前にも、サクランボが実る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/9e/d22914ddd2b8bbc48561373ed8dffe2e.jpg)
隣の阿弥陀寺には「鞆の浦古寺めぐり」ののぼりが立つ。「鞆の大仏」で知られた寺の
ようで、境内の一隅でテッセンが大きな花を見せていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/da/207b2bcd8c89f3a85f81fafe5b1ab054.jpg)
三差路を右折して西側高台にある医王寺に向かう。中腹の妙圓寺(みょうえんじ)の山
門には、花飾りを背に乗せた白象の像が立っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e8/5813d18646d25e1f269d0d8bd74c72ec.jpg)
通りの左手石垣に、「景観茶房セレーノ」の看板があり、挽きたてのコーヒーが味わえ
そう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/e0/e20343961c286bbbbf7cbee2c8d98c4c.jpg)
立ち寄ることにして、迷路のような小路を二度ほど曲る。民家の間の曲がり角に、壁面
にツタを這わせたその茶坊があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/34/d3af2083fd51ea0d195b1b79ec363a5d.jpg)
狭い玄関を上がると、鞆湾が一望できるテラスにテーブルと椅子が並び、展望を楽しみ
ながらゆっくりとくつろげる空間がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ff/c1dcad6450523150945285d4e563243a.jpg)
コーヒーと手作りケーキを注文し、爽やかな風を感じながら島々や行き交う船、鞆港や
鞆の古い家並みなどを眺める。
店主の高橋善信さんが、間近に見える島々や、今日は霞んで見えないが対岸の四国各市
や石鎚山の方角、季節により移り変わる月の上がる方向などを教えて下さる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/83/77afb9eda7413b50b307c18398c1d881.jpg)
鞆湾に計画された道路について聞くと、湾の半分以上を埋め立てられてしまい、古くか
らの景観が全く消えてしまうことが分かった。
なんと、高橋さんは「鞆の自然と景観を守る会」の事務局長をされ、道路計画が中止に
なるまでは反対運動でご多忙だったとか。お陰でこの素晴らしい歴史的景観が残されるこ
とになったのだ。
当然鞆の歴史にも詳しく、関連の活動で全国を回られ、川越市での会議にも行かれたと
いう。お若い頃には9年?ほど、首都圏での生活もされていたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/30/4710096ed42f20f5f11b6b6605b3f3d5.jpg)
室内のテーブルには、地元や各地で求められた小さい焼き物や置物などが並び、8段飾
りの古いひな人形も飾られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/8b/7e5a65fc2aa1d3c5fa438eab78c08b96.jpg)
「2階に上がるとさらに眺めが良い」と言われたので上がり、より広がる視界を一望す
る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/7e/3b510e9f23978d6ef1ccfba88a0c9c24.jpg)
高橋さんも協力されたという「鞆の浦を歩く」という冊子を分けていただき、1時間
20分近く滞在したセリーノを後にした。
南側の崖沿いの細道を、医王寺の仁王門に向かう。中ほどに「平賀源内生祠(せいし)」
という三輪塔が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/98/6a09b750e71a5fbf26f3c11d78fd0749.jpg)
江戸時代の蘭学者・平賀源内が、長崎で学んだ帰りに鞆の浦の溝川家に立ち寄って陶土
を発見し、源内焼の製法を伝えた。瀬川家は感謝して生存中に神としてまつる生祠をここ
に立てたのだという。
医王寺の仁王門には、大小のわらじがたくさん奉納されていた。医王寺は弘法大師の開
基と伝えられ、本尊木造薬師如来立像は県の文化財。鐘楼は寛永20年(1642)の建
立、本堂は貞享2年(1685)の再建と伝えられているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/dc/68b84db6d38fdfe4861aa78856e0d116.jpg)
本堂前にはツツジが花盛りで、愛宕台権現の建物は独特の造り。鐘楼付近からは鞆の浦
の景観が一望でき、眼下には鞆のシンボル、常夜灯も見下ろせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/c5/8ba15788eaa07daf95095fcf717b1dad.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/01/1b646d851e5b1153b26f9e0dac88e61a.jpg)
境内には、大友旅人の「鞆の浦亡妻挽歌」中の一首を刻んだ歌碑もある。
山門を出て細い参道を下り、鞆港西側の海沿いを走る県道に出た。港の中心の常夜灯に
向かう道筋に、「渡守神社御旅所」があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/3d/cc97da795f6cc86391e7ea1bcbda0082.jpg)
神功皇后朝鮮征伐の折、海中から湧出した霊石ゆかりの地という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/ba/79a33199abd0c04619a41fbe71f4001f.jpg)
もち米と16種の和漢植物などで造る鞆の銘酒、保命酒の醸造元の一つの、塔のような
高い建物や、白壁造りの鞆交番前を過ぎる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/2f/94ad144180fa54d9fe44713f4ed04902.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/0e/423574fe491ec0c497399536793ef691.jpg)
細い路地に昔のままの民家の並ぶ通りを進んで、鞆の浦のシンボル、常夜灯の立つ波止
場に行く。常夜灯は、海中の基礎から高さ約10mあり、石造りの常夜灯としては日本最
大とか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/fd/86ec1efb1015b80d4b39aee6d181d33f.jpg)
安政6年(1859)の建造で灯台の役目を果たしていて、セレーヌの高橋さんの話で
は、夜は四国側からも明かりが見えたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/46/35f505b719c6c893df6b369f9a0aa63e.jpg)
そばに、江戸時代に建てられた大型土蔵↑を利用して、いろは丸事件の資料や沈没・海
底発掘調査の状況を模したジオラマなどのあるという「いろは丸展示館」があるが、時間
が無いので入館は省いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/d6/f1a0834bcd71adde5b82615ed05ac55b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/01/306336148861cc47934685569c5f81eb.jpg)
近くの、尊皇攘夷を主張して都を追われた三条実美など7人の公家ゆかりで国重要文化
財の太田家住宅や、保命酒の店、「鞆町並み つくろい空間」の建物、鞆町出身で森下仁
丹の創業者、森下博氏ゆかりの建物、坂本龍馬談判の町家・旧魚屋萬蔵宅、「鞆ノ津の力
石」の傍らなどを巡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/1d/ce18136592355fe2c871484679c117d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/55/9981ab99372937fe313b34ea28ffce5d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/a4/30683ee9fb90669e9896441c5a72fa7d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/81/2bb7a0537398526e037ede97f2539551.jpg)
予定より1時間以上経過して、鞆港バス停に16時33分に着く。5分後の鞆鉄バスに
乗り、福山駅には17時10分に戻った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e5/ff3982385d8b09d6e7c48de5298da2ed.jpg)
17時28分発山陽新幹線下りさくら56号で広島駅に17時52分に着き、今宵の宿、
南口に近いビジネスホテルに18時過ぎに入る。
夕食に入った駅前のデパートの10階に、ワンフロアを占める大型書店ジュンク堂があ
り、全国の地形図も販売していたので、鞆の浦やこの後訪ねる岩国と周防大島の2万5千
分の1地形図を購入した。
(天気 晴、地図 手作りイラストマップ鞆の浦、パンフレット「福山 鞆の浦」の鞆の
浦マップ、歩行地 広島県福山市)
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2014年5月7日(火)
== 潮待ちの港町 鞆の浦へ ==
5時44分に自宅を出て、東京駅7時33分発の東海道新幹線ひかり503号に乗る。
新大阪で10時59分発山陽新幹線さくら553号に乗り換えて車中で軽い昼食を済ませ、
12時02分に福山駅で下車した。
広島県の東南部に位置し広島市に次ぐ県内第2の都市、「百万本のバラの町」を目指し
ているという福山市の玄関口、福山駅前から鞆鉄(ともてつ)バスに乗り、12時50分
に鞆の浦(とものうら)バス停で下りる。
瀬戸内海の中央、福山市の沼隈半島南端に位置する鞆の浦は、万葉の昔から風待ち、潮
待ちで栄えた港町。江戸時代から続く町並みには、歴史に名をはせた人物の足跡が残って
いるという。その町並みを、3時間余りで巡ろうという計画である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/19/985cb91b795a62d576733c1d9995ffa4.jpg)
バス停前の平屋には、鞆の浦観光のみやげ品などが並ぶ。「鞆の浦観光情報センター」
もあり、一角がミニ鉄道資料館。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/58/d43d7d064cc370f533099f0a47da3385.jpg)
大正12年(1913)から昭和29年(1954)まで福山~鞆間12.5㎞を運行し
た鞆鉄道の、SLの写真や当時の資料、道具などが、こじんまりと展示してあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/62/b2f4074a53ed7586cd3c6b60412e1b87.jpg)
海沿いの道路を南へ向かい、福山市の鞆支所や消防署の横を通過する。仙酔島行き渡船
のりば↑のそばの崖下に「むろの木歌碑」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/03/bd8b8d25ef9dba63f4bf8ceb5968ca17.jpg)
万葉の時代、鞆の浦には遣唐使や遣新羅使(けんしらぎし)などが立ち寄り、幾つもの
歌が詠(よ)まれたようで、歌碑は天平2年(730)に太宰府の任を終えて立ち寄った大
伴旅人の歌だという。そばに「鞆の浦」と「福山城」と名付けられたバラが、花を開いて
いた。
その崖地の上にあるのが、天暦年間(947~)の創建と伝えられる福禅寺(ふくぜん
じ)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/a0/3ef1319fc219cb657a7738b8b7fc902f.jpg)
本堂や隣接する対潮楼(たいちょうろう)は、元禄年間(1688~)の建立で国史跡
になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/9c/eed94225f458102c31a9fae806d2ddbb.jpg)
対潮楼は江戸時代、朝鮮通信使の迎賓館や宿舎となり、窓枠を通しての弁天島や仙酔島
などの眺めは素晴らしく、正徳元年(1711)の朝鮮通信使は、「日東第一景勝」と賞
賛したという。いろは丸沈没をめぐって、坂本竜馬と紀州藩士との話し合いが行われた場
でもあるらしい。
弁天島などの島々や観光船を眺め、楼内の展示品なども見て本堂に参拝し寺を去る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/29/345a0f23cdee36aa1a977ccd2dacb8bf.jpg)
観光船 平成いろは丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/12/267c48af41561a0c3543b5ac0296f96e.jpg)
古い家並みの続く細い路地を西に抜けて、T字路を右折してその先の駐車場横を上がり、
「鞆の浦歴史民俗資料館」↓に回った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/2a/bd5f04358585acb89f5c4d0350629fc6.jpg)
館は、戦国時代に毛利氏によって築かれ、関ヶ原合戦後に安芸・備後領主となった福島
正則により大改築されたという鞆城跡に造られ、鞆の浦の歴史や祭りなどの資料が展示さ
れているようだが、連休後の休館日だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/da/a6b21d0202d33e524473d0ca141fd54b.jpg)
建物前の広場からは、鞆湾や古い家並みなどの展望が広がり、新緑みずみずしい木の下
に父親が鞆町出身という箏曲の楽聖・宮城道雄の座像があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/f6/462c46ae3a4f1a87a5ff3fe93d8e10f8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/9d/5c0e85eb0d3bbd6d6fe62711f2fdaf2e.jpg)
背後の山並みや公園の豊富な新緑の彩りも気持ちよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/57/6d25aeb5a67acb5a9c9219e6e20c228e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/1d/f71ad4093606405129edaf8323f02bcd.jpg)
花壇に様々な花の咲き競う横を南西に下る。そばの地蔵院の墓地には、サクランボが実
っていた。細い通りに入り、こちらにも残る古い家並みを眺める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/a7/4ea46af9da091554343fcea77df1ace2.jpg)
古い井戸ポンプと道しるべの立つ三差路から、西側の山腹を南北に走る通りへ。通りに
沿って寺院が幾つか並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/83/c91bc650f4d6b29b9a0acfa14ea803c5.jpg)
独特の山門を入った南禅坊の本堂前にも、サクランボが実る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/9e/d22914ddd2b8bbc48561373ed8dffe2e.jpg)
隣の阿弥陀寺には「鞆の浦古寺めぐり」ののぼりが立つ。「鞆の大仏」で知られた寺の
ようで、境内の一隅でテッセンが大きな花を見せていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/da/207b2bcd8c89f3a85f81fafe5b1ab054.jpg)
三差路を右折して西側高台にある医王寺に向かう。中腹の妙圓寺(みょうえんじ)の山
門には、花飾りを背に乗せた白象の像が立っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e8/5813d18646d25e1f269d0d8bd74c72ec.jpg)
通りの左手石垣に、「景観茶房セレーノ」の看板があり、挽きたてのコーヒーが味わえ
そう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/e0/e20343961c286bbbbf7cbee2c8d98c4c.jpg)
立ち寄ることにして、迷路のような小路を二度ほど曲る。民家の間の曲がり角に、壁面
にツタを這わせたその茶坊があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/34/d3af2083fd51ea0d195b1b79ec363a5d.jpg)
狭い玄関を上がると、鞆湾が一望できるテラスにテーブルと椅子が並び、展望を楽しみ
ながらゆっくりとくつろげる空間がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ff/c1dcad6450523150945285d4e563243a.jpg)
コーヒーと手作りケーキを注文し、爽やかな風を感じながら島々や行き交う船、鞆港や
鞆の古い家並みなどを眺める。
店主の高橋善信さんが、間近に見える島々や、今日は霞んで見えないが対岸の四国各市
や石鎚山の方角、季節により移り変わる月の上がる方向などを教えて下さる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/83/77afb9eda7413b50b307c18398c1d881.jpg)
鞆湾に計画された道路について聞くと、湾の半分以上を埋め立てられてしまい、古くか
らの景観が全く消えてしまうことが分かった。
なんと、高橋さんは「鞆の自然と景観を守る会」の事務局長をされ、道路計画が中止に
なるまでは反対運動でご多忙だったとか。お陰でこの素晴らしい歴史的景観が残されるこ
とになったのだ。
当然鞆の歴史にも詳しく、関連の活動で全国を回られ、川越市での会議にも行かれたと
いう。お若い頃には9年?ほど、首都圏での生活もされていたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/30/4710096ed42f20f5f11b6b6605b3f3d5.jpg)
室内のテーブルには、地元や各地で求められた小さい焼き物や置物などが並び、8段飾
りの古いひな人形も飾られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/8b/7e5a65fc2aa1d3c5fa438eab78c08b96.jpg)
「2階に上がるとさらに眺めが良い」と言われたので上がり、より広がる視界を一望す
る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/7e/3b510e9f23978d6ef1ccfba88a0c9c24.jpg)
高橋さんも協力されたという「鞆の浦を歩く」という冊子を分けていただき、1時間
20分近く滞在したセリーノを後にした。
南側の崖沿いの細道を、医王寺の仁王門に向かう。中ほどに「平賀源内生祠(せいし)」
という三輪塔が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/98/6a09b750e71a5fbf26f3c11d78fd0749.jpg)
江戸時代の蘭学者・平賀源内が、長崎で学んだ帰りに鞆の浦の溝川家に立ち寄って陶土
を発見し、源内焼の製法を伝えた。瀬川家は感謝して生存中に神としてまつる生祠をここ
に立てたのだという。
医王寺の仁王門には、大小のわらじがたくさん奉納されていた。医王寺は弘法大師の開
基と伝えられ、本尊木造薬師如来立像は県の文化財。鐘楼は寛永20年(1642)の建
立、本堂は貞享2年(1685)の再建と伝えられているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/dc/68b84db6d38fdfe4861aa78856e0d116.jpg)
本堂前にはツツジが花盛りで、愛宕台権現の建物は独特の造り。鐘楼付近からは鞆の浦
の景観が一望でき、眼下には鞆のシンボル、常夜灯も見下ろせる。
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境内には、大友旅人の「鞆の浦亡妻挽歌」中の一首を刻んだ歌碑もある。
山門を出て細い参道を下り、鞆港西側の海沿いを走る県道に出た。港の中心の常夜灯に
向かう道筋に、「渡守神社御旅所」があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/3d/cc97da795f6cc86391e7ea1bcbda0082.jpg)
神功皇后朝鮮征伐の折、海中から湧出した霊石ゆかりの地という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/ba/79a33199abd0c04619a41fbe71f4001f.jpg)
もち米と16種の和漢植物などで造る鞆の銘酒、保命酒の醸造元の一つの、塔のような
高い建物や、白壁造りの鞆交番前を過ぎる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/2f/94ad144180fa54d9fe44713f4ed04902.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/0e/423574fe491ec0c497399536793ef691.jpg)
細い路地に昔のままの民家の並ぶ通りを進んで、鞆の浦のシンボル、常夜灯の立つ波止
場に行く。常夜灯は、海中の基礎から高さ約10mあり、石造りの常夜灯としては日本最
大とか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/fd/86ec1efb1015b80d4b39aee6d181d33f.jpg)
安政6年(1859)の建造で灯台の役目を果たしていて、セレーヌの高橋さんの話で
は、夜は四国側からも明かりが見えたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/46/35f505b719c6c893df6b369f9a0aa63e.jpg)
そばに、江戸時代に建てられた大型土蔵↑を利用して、いろは丸事件の資料や沈没・海
底発掘調査の状況を模したジオラマなどのあるという「いろは丸展示館」があるが、時間
が無いので入館は省いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/d6/f1a0834bcd71adde5b82615ed05ac55b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/01/306336148861cc47934685569c5f81eb.jpg)
近くの、尊皇攘夷を主張して都を追われた三条実美など7人の公家ゆかりで国重要文化
財の太田家住宅や、保命酒の店、「鞆町並み つくろい空間」の建物、鞆町出身で森下仁
丹の創業者、森下博氏ゆかりの建物、坂本龍馬談判の町家・旧魚屋萬蔵宅、「鞆ノ津の力
石」の傍らなどを巡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/1d/ce18136592355fe2c871484679c117d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/55/9981ab99372937fe313b34ea28ffce5d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/a4/30683ee9fb90669e9896441c5a72fa7d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/81/2bb7a0537398526e037ede97f2539551.jpg)
予定より1時間以上経過して、鞆港バス停に16時33分に着く。5分後の鞆鉄バスに
乗り、福山駅には17時10分に戻った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e5/ff3982385d8b09d6e7c48de5298da2ed.jpg)
17時28分発山陽新幹線下りさくら56号で広島駅に17時52分に着き、今宵の宿、
南口に近いビジネスホテルに18時過ぎに入る。
夕食に入った駅前のデパートの10階に、ワンフロアを占める大型書店ジュンク堂があ
り、全国の地形図も販売していたので、鞆の浦やこの後訪ねる岩国と周防大島の2万5千
分の1地形図を購入した。
(天気 晴、地図 手作りイラストマップ鞆の浦、パンフレット「福山 鞆の浦」の鞆の
浦マップ、歩行地 広島県福山市)
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