あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

深谷駅の南側一帯をカントリーウオーク(埼玉)

2014-05-21 12:13:02 | カントリーウオーク
 前後のレポートが先になりましたが、10日前のカントリーウオークの報告です。

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 2014年5月11日(日)

 爽やかな快晴となり、いつものメンバーがJR高崎線の深谷駅に集まる。東京駅に似た
赤レンガの駅舎をバックに記念撮影後、4組に分かれて10時11分に出発した。


 ちなみに、この深谷駅は平成8年(1996)に竣工された。東京駅が深谷産レンガを
使用していることから東京駅をイメージして造られたもので、深谷出身の実業家・渋沢栄
一の顕彰とレンガを活かした町づくりを進める、深谷市のシンボル的な存在となっている。

 == 新緑の桜並木と仙元山公園 ==

 
 線路の南を平行する流れ沿いに続く桜並木を西進し、近くにあった滝ノ宮神社に入る。
うっそうとした木々に囲まれた境内は、ツツジが花盛り。モミジの若葉もよい彩り。



 拝殿の左手にりっぱな演舞台↓があり、その前にご神木のケヤキが立っていた。


    
 さらに緑陰の流れに沿って進む。赤鳥居が並び小さい社殿の稲荷神社前を過ぎると、大
きなアカシヤが花をいっぱい付けていた。
    

 流れはやがて、線路から離れて90度左にカーブする。すぐ先の清信寺境内に、平氏き
っての知勇に優れていたという平薩摩守忠度(たいらのさつまのかみただのり)の五輪塔
がある。
    
 12世紀、源平一ノ谷の戦いで、この地の武将、岡部六弥太忠隅(ろくやたただすみ)
が薩摩守忠度を討ったが、その菩提を弔らうため、領地内で一番景色の良いこの場所に建
てたのだという。

 流れ沿いに戻り、さらに桜並木の続く右岸堤防を南下する。川沿いに、「家庭からの生
活雑排水を少なくしてきれいな川にしよう」という深谷市の大きな看板が立っていた。埼
玉ガスのガスタンク横までで桜並木は終わる。

 深谷南中の横を過ぎて間もなく、住宅が途切れる。川を離れ、南に延びる広々とした畑
の間の農道を進む。


 南東に、これから上がる仙元山公園の森が近づいてきた。シャクヤクの咲く畑もある。
    

 柏合集落を少し通過して、北西端から広葉樹に覆われた仙元山公園に入り、石段横の土
の道を中心付近のピークに向かって上がる。


 稜線に出て広がった遊歩道を仙元山の頂上まで進むと、富士浅間神社があった。

 創立年代は不詳だが、深谷上杉氏第5代房憲(ふさのり)から第9代氏憲(うじのり)
まで、代々の深谷城主が深く崇敬しており、近在の人々には安産の神として古くから信仰
を集めたという。小休止した、境内のがっちりした造りの東屋の屋根下には、木彫りの仏
像が祭られていた。


 長い石段で公園の南端に下ると、正面に上越新幹線の高架が横切る。公園下を左に回り
込み、開放的な境内の昌福寺へ。


 左手の植え込みのそばに小さい三重塔が立ち、近くには典座和尚と若き日の道元禅師像
があり、台座にその由緒を記した自由詩が刻まれていた。
    

 独特の造りの仁王門を出て、陸上競技場の横で上越新幹線の高架下を南に抜けて人見集
落へ。深谷特産のネギ畑が現れ、大きなビニールハウスをのぞくと、たくさんのシャコバ
サボテンの鉢が並んでいた。
    

 一乗寺に北側の墓地から入ろうとしたが、境内を囲む柵があり入れない。戻って藤沢小
の西側に回る。墓地には、田中島家具センターの設立者、田中島俊雄氏の新しい碑があり、
氏の生涯が記され、横に胸像も出来ていた。


 藤沢小付近から一乗寺の大きな本堂を眺め、近くにある昼食地の藤沢生涯学習センター
に12時8分に着いた。建物は深谷特産のレンガ造りで、予想以上に大きい。

 南側にあった緑陰のベンチで昼食にした。

 
 == 開拓集落と花植木センターへ == 

 
 食事後にミーティングを済ませ、13時18分に出発する。病院と老人福祉施設を併設
の「あねとすホームケア」の大きな建物の横から畑の中の農道を西に向かう。

 南側には、私が毎年9月、バザーのために古切手や書き損じはがき、未使用の衣料品な
どを送っている「養護盲老人ホームひとみ園」の平屋の建物が見える。


 県道62号に出て、少し先の櫛挽(くしひき)排水路に接した宝積寺に寄る。堂々たる
本堂で、傷んではいるが鐘楼も大きい。よく整えられた植栽の間に、青銅の観音像や弘法
大師像が立っている。


 境内には、明治末期この地に生まれ、上京してタクシー・ハイヤー業を興し、バスやレ
ストラン業などの事業を拡大して年商350億円の事業に発展させたという、富田金重氏
の墓があり、家訓と業績を記した説明板もあった。

 本堂裏手にクジャクがいるという。回ってみると、何種類かの鳥もいる飼育舎があった
が、羽を広げたクジャクは見られなかった。


 櫛挽排水路に沿って西進する。周囲の展望が開け、北には霞む榛名山↑が、南に外秩父
の笠山や堂平山などが望まれる。1㎞ほどで開拓集落の櫛引に入った。

 昭和22年(1947)から入植が始まった開拓地で、北東から南西へ帯状の樹林が何
条か走り、これと農地とが交互に配置されていて、樹林は家屋と耕作地を荒天の被害から
守る防風林として保護されてきたという。

 開拓当時の樹林はヒノキ、スギ、アカマツが主だったようで、地形図上も針葉樹マーク
だが、現在はクヌギ、ナラなどの広葉樹が多い。


 2本目の樹林に沿って西南に向かう。500m足らずでひとつ南の樹林帯に回ると、開
拓当時のものらしい建物が一つだけ残っていた。


 近くの緑あふれる幼稚園の前にも、当時のままらしい素朴な畜舎が残されている。


 進むにつれ大きなビニールハウスが増え、こちらのどのハウスにも数知れぬほどのシャ
コバサボテンの鉢が並んでいた。
    


 ツツジの咲く樹木畑の前を進み、「ふかや緑の王国」に正門から入る。


 「市民がつくり市民が守り育てる市民の森」をテーマに、自然の大切さや素晴らしさを
再発見し自然と人間が共生できる町造りを目指す、市の憩いの施設とのこと。

 森の音楽祭や梅まつり、ホタル鑑賞会、ピザ焼き、芋煮会、紅葉ライトアップなど、季
節ごとに多彩な催しが行われているようだ。

    
 新緑の樹木が広がる園内、はなみずき通りを進むと、大きなシャクナゲが花を見せてい
た。本館の建物付近で小休止する。




 南門を出て花植木センターの横を通過して、南東に向かう。珍しいピンク色のアカシア
が咲く。
        


 戸田川に沿った田園地帯を通過し、立野集落の桑名野神社前に出る。開放的な能舞台が
あるが、先を急いで寄らずに通過する。


 ユリ苗を育てる幾つかのビニールハウスの間を進み、広々とした畑作地帯を過ぎる。




 北根集落を抜けて、交通量の多い国道140号バイパスを車の切れ目に斜めに横断し、
ゴールの秩父鉄道永田駅に16時23分に着いた。


 仙元山公園以外は平坦地だったが、カントリーウオークとしては少し長めの距離になっ
たので予定の16時8分発には間に合わず、次の電車で帰路についた。

(参加 16人、天気 快晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 深谷、三ヶ尻、寄居、
 歩行地 深谷市、歩数 26,200)




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