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占いという もう一つの眼

社会家族

2020年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム
テクノロジー大爆発
婚姻や家族をどう変えようと、親と子の関係が存在するのはまだ、現在の科学技術を前提にした話だ。今、押し寄せているテクノロジーの大波は、その前提を全て覆す。
ロボットとAIによる生産、臓器培養、人工子宮など、生産労働と生殖出産の基本が変われば、人間の行動が変わり意識が変わり、社会が変わり、生産のための人口はむしろ障害になる。これは、SFの遠い未来ではない。

人の寿命は延び、生産労働から解放され、環境マネージメント(政治)や、認識アレンジメント(科学や芸術)などの創造分野の知的労働のみが残り、ベーシックインカムやポイント付与のような生活保障で、将来は、人生そのものが余暇になる。
不老不死に近づけば、子供を産む必要がなくなり、出産は無くなるが、子供を「生産」することは続くかもしれない。性的快楽は別の手段に替わるが、動物である限り子供が欲しい衝動は残るだろうし、類の活性化には必要だからだ。
もしかすると、今ある技術、あるいはその萌芽を見れば、現在の子供たちが生きているうちに実現する可能性すらある。

ただ、それを選択する社会のコンセンサスが定まらなければ、実現しないので、それなりの時間は必要だろうが、性行為や妊娠によらない子供は確実に出現する。出来れば培養器にして欲しいが、豚などに代理出産させる可能性もある。
どういう技術によるかは別にして、そうなると、血縁の親子関係など無意味になり、強いて言えば、個々のアイデンティティーは、DNAのトレーサビリティー次第になる。代を重ねれば、血縁の親は完全に消滅し、動物的な「親子」の概念そのものもなくなるだろう。
親と子の関係は、社会と子供の関係に変わる。社会という大きな家族が子供を育てる、社会家族の時代になるだろう。

未来志向の政治
今考える未来投資は、こうした途方もない時代を念頭に、力点を配分すべきだろう。つまり、想像を絶する未来ではなく、その移行期への投資だ。
人口対策のための、妊活支援や婚活支援、移民政策は時代に逆行している。今急がれるのは、ロボットやAIによる労働代替を整え、農業輸出より食糧自給を優先して、自己完結型の循環生産を基本にすることだ。食糧自給率の回復は一刻の猶予もない。
教育は、知識・技術教育より創造教育で国全体の知力・思考力を高め、文化・知力貿易で、知の発信地を目指す。

過去、産業革命パラダイムで必要とされた、人間のロボット化を目的とする、読み書きそろばんの学校教育は、情報機器の発達で不要になる。むしろ、それを使いこなす能力=発想力こそが必要だ。
様々なものに興味を持ち、自由なヒラメキが湧く能力は「遊び」が育てるから、これからの学校は、上質な遊び場でなければならない。情報機器も有効だが、重要なのは、自然の中での体感を通した、好奇心と人格形成だ。道徳は教室で教えるものではない。
この学校には、子供だけでなく、時間とゆとりの出来た大人も参加すべきだろうし、逆に、現在の親の職場見学のように、子供が大人社会を常に見学出来る仕組みも必要だ。

こうした将来が見えていても、二番煎じで型式重視の日本は、結局、どこかの国が先行して、成功するまでは動かないのだろう。「出る杭は打たれる」が国是の国だから。