コロナは「風邪」ではない。吹き荒れる「風」だ。
今世界を覆っているコロナ禍は、病の軽重にかかわらず、世界の景色を変える「春一番」、あるいは「木枯らし一号」だ。
暴風や竜巻は、好天の時に突然起こることが多いので、驚かされるが、台風のような壊滅的な被害はない。しかし、春一番が春を告げるように、コロナの風は世界を変える。
春一番が吹くのは、季節環境が変わってきたからだが、コロナ・ショックも時代環境が変わってきていることを告げている。
目先の風の強さに驚くより、何故それが起こっているのかを考えると、今何を覚り、何をしなければならないかが見えてくる。
強い風に慌てふためくより、今やるべきことは春支度、次の時代への備えだ。
コロナ禍は、産業革命パラダイムが爛熟し、不適切に拡張したことにある。産業革命テクノロジーが域外にメルトダウンをしたのだ。
産業革命テクノロジーのゆりかご
産業革命は、長い時間をかけて、一神教のモラルと教育が生んだ科学技術の結果であり、大戦争や公害など、様々な葛藤を抱えながらも、調整をしながら発展してきた。
日本が、いち早く参加できたのは、神に代わる精神的規範を天皇とし、法治主義のモラルを、技術と共に導入したからであり、技術だけ導入したわけではなかったからだ。
ところが、産業革命パラダイムが飽和状態になると、中国のような全く異次元の世界に技術が流れ込み、モラルや法治の無い運用が無制限に拡大した。
悠久の古代帝国中国に、産業革命パラダイムのモラルを受け入れる余地など無い。技術を手に入れれば、古代からの動きを再開するだけだ。
これは、映画「BIG」の大人子供に、宝くじが当たったようなものだ。大金を持った子供が日頃の夢を叶えるために、兵器のおもちゃを山のように買い、札束を持って近所の子を子分にしようとしている。
覇権帝国の周辺国への威圧が、今では世界の脅威になった。
そして、古代の生活様式がコロナを生み、札束がコロナを運んだ。まさにコロナは時節を告げる、季節風なのだ。
ノストラダムスは告げていた
コロナが日本に気づかせてくれたことは、社会経済の「老化」だ。春が来るのに、日本はまだ冬の厚着のまま、布団に潜り込んでいる。
欧米先進諸国が気付いたことは、「異世界」の訪れだ。これは歴史上の潜在的「東の脅威」、まさに、ノストラダムスの1999年「7の月=かに座=中国」。
21世紀に、アンゴルモアの大王は蘇っていたのだ。
はたして、コロナの「風」は春一番なのか、北風一号なのか。
日本は先進国なのか、アンゴルモアの臣民なのか。
今世界を覆っているコロナ禍は、病の軽重にかかわらず、世界の景色を変える「春一番」、あるいは「木枯らし一号」だ。
暴風や竜巻は、好天の時に突然起こることが多いので、驚かされるが、台風のような壊滅的な被害はない。しかし、春一番が春を告げるように、コロナの風は世界を変える。
春一番が吹くのは、季節環境が変わってきたからだが、コロナ・ショックも時代環境が変わってきていることを告げている。
目先の風の強さに驚くより、何故それが起こっているのかを考えると、今何を覚り、何をしなければならないかが見えてくる。
強い風に慌てふためくより、今やるべきことは春支度、次の時代への備えだ。
コロナ禍は、産業革命パラダイムが爛熟し、不適切に拡張したことにある。産業革命テクノロジーが域外にメルトダウンをしたのだ。
産業革命テクノロジーのゆりかご
産業革命は、長い時間をかけて、一神教のモラルと教育が生んだ科学技術の結果であり、大戦争や公害など、様々な葛藤を抱えながらも、調整をしながら発展してきた。
日本が、いち早く参加できたのは、神に代わる精神的規範を天皇とし、法治主義のモラルを、技術と共に導入したからであり、技術だけ導入したわけではなかったからだ。
ところが、産業革命パラダイムが飽和状態になると、中国のような全く異次元の世界に技術が流れ込み、モラルや法治の無い運用が無制限に拡大した。
悠久の古代帝国中国に、産業革命パラダイムのモラルを受け入れる余地など無い。技術を手に入れれば、古代からの動きを再開するだけだ。
これは、映画「BIG」の大人子供に、宝くじが当たったようなものだ。大金を持った子供が日頃の夢を叶えるために、兵器のおもちゃを山のように買い、札束を持って近所の子を子分にしようとしている。
覇権帝国の周辺国への威圧が、今では世界の脅威になった。
そして、古代の生活様式がコロナを生み、札束がコロナを運んだ。まさにコロナは時節を告げる、季節風なのだ。
ノストラダムスは告げていた
コロナが日本に気づかせてくれたことは、社会経済の「老化」だ。春が来るのに、日本はまだ冬の厚着のまま、布団に潜り込んでいる。
欧米先進諸国が気付いたことは、「異世界」の訪れだ。これは歴史上の潜在的「東の脅威」、まさに、ノストラダムスの1999年「7の月=かに座=中国」。
21世紀に、アンゴルモアの大王は蘇っていたのだ。
はたして、コロナの「風」は春一番なのか、北風一号なのか。
日本は先進国なのか、アンゴルモアの臣民なのか。
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