魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

専門分野

2020年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム
「ヘウレーカ」で、又吉直樹が土木の先生に、(素人の自分もそれなりに)土木建設への感謝も知識もあるから、そんなに一生懸命説明しなくても・・・と話していた。
昔、京都大学の原子力専門の先生のところに、新聞記者が取材に来て、こんな話は素人には解るはずが無いと思ったが、聞かれるままに答えて、後で記事を見たら、「良く解っているな!」と驚いていたそうだ。
専門家というものは、自分が特別な世界にいるという自負心から、門外漢には解ってもらえないと思い込んでいる。

専門家とは専門知識を持っている人であって、特別に理解力がある人という訳ではない。どんな分野であっても理解力のある人は、知識さえ与えられれば、専門家、あるいはそれ以上の理解ができる。
優秀であればの話だが、全くの門外漢の政治家でも、簡単なレクチャーを受ければ、問題の本質を容易に理解する。ある意味では、岡目八目の観点から、専門家が気づかない、より重要なことを発見する。もちろん、論文を書いてノーベル科学賞をとったりすることはないが、専門家のできない行動を起こすことができる。

詳しくは知らないが、コロナについて、雑音に悩まされる医療の専門家が、素人は語るなと言ったらしい。気持ちは良くわかるが、逆に言えば、医療専門家は政治家や医療関係者以外には語るなと言うことになる。医学生さえ医学書を読み始めると、自分は病気に罹っていると思ってしまう。
世間の素人に、医療専門家の知識と気持ちで、様々なことを伝えようとしても、逆効果だ。人々に伝達し行動を起こさせるのは、政治家の仕事であり、専門家の言葉は、むしろ不安を増幅させる。世間が求めるのは、「良い」のか「悪い」のかだけだ。
コロナ不安が広がるのは、専門家の言葉とメディアの増幅の一方で、政治が覚悟を以て安心や希望を伝えないからだ。
日本人はバカではない。正しく状況を説明し、何が問題で、政府としてどういう対策を打つのかを話せば納得する。それをしないで、マスクだ、三密だと、国民への要求ばかりし、一方で、医療関係者に説明責任を負わせる。
ドイツのメルケル首相の、国民への呼びかけは高く評価された。良い顔ばかりしたがる、お為ごかしの政治家は、非常時の役に立たない。
この国には、優秀な政治専門家はいないのだろうか。