魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

曲がり角(3)

2020年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム
極まれば転ずる
何事も、発展が極まれば衰退に転じ、衰退が極まれば活路が開ける。
グローバル化が行き過ぎた結果、コロナをきっかけに、反グローバル化に向かい始める。
しかし、単純に世界が鎖国化に向かうのではない。情報化社会の前提の中で、人は大移動を止める。もちろん、コロナが収まれば、一見、元に戻ったように人は動くだろうが、大きな流れは進む。

輸送機関は物流を主体とし、人の長距離移動は副次的になる。観光は国内や近場を前提とし、海外の観光リゾートは滞在型になり、観光産業はオンライン体験などの情報発信が主体になる。
娯楽施設や宿泊施設は世界のトレンドがローカルに出現し、世界中に似たような物が出現する。それは、現在、東京の生活文化が全国共通になったようなものだ。
世界中に食材が出回り、たがいの料理を楽しむようになったが、それぞれにローカライズされている。寿司が世界的にブームになったのも、各地の好みに合わせて変化したことが大きい。新鮮な食材を食べ飽きている地方の人にとっては、江戸前の寿司より地元の方が美味しく感じる。

人類の選択
今年もサンマが不漁だという。イカも値上がりが激しい。
貝殻節もソーラン節も、今では何の歌かわからない。昔、鳥取の海にホタテ貝、北海道にニシンが押し寄せたなど、嘘のような話を石狩挽歌は語る。それでも北海道には名残のニシンは時々来るが、鳥取のホタテ貝は、今では影も形もない。わずか百年ほど昔の話だ。
やがて、佐藤春夫の「さんま苦いか塩っぱいか」も、百年もすれば、学者しか理解できなくなるだろう。
地球的変動に人類も、「あれから人はどこへ行ったやら・・・オンボロロ」だ。

コロナは大転換の引き金になったが、根本原因は気候変動だ。したがって、農水産業もすっかり変わり、住居も地下か海中でなければ暮らせない。その日が来るまでに、宇宙進出は間に合わないだろうから、現実的に、今から動かなければならない。地球上で暮らすことがすでに、宇宙生活の準備になるだろう。
魚は陸上養殖、野菜は地下栽培、肉は人工肉、住まいは地下、ファッションはバリア服(ほぼ宇宙服)、エネルギーは地域・個別発電、・・・と、遠からず、日本の風景は、がらりと変わる。地下から地上に出てみれば、南国の景色が広がり、そのままリゾートだ。
元々、弥生人が塗り替えた日本の景色だが、産業革命後の人類総がかりで、地球を塗り替えてしまうことになりそうだ。
産業革命は人類の価値観を変えたが、その結果も、さらに大きく人類を変える。
とにかく、「美しい日本」はもう守れない。守ろうとすれば病気になる!?
あらゆる変化に、柔軟な対応をする気構えを持ち、新天地にやってきた開拓者として、生きる時が来た。これは人類全体の問題だ。

こんな時代に、地政学的な侵略を試みる、愚かな中国共産党に理解させることも、大きな課題だ。理解さえすれば、動くのは早いのだが、理解しないとすれば、人類滅亡の引き金を引くのは実は、墓を暴かれた、始皇帝の怨霊なのかもしれない。