今日は、「ちちの日」だそうだ。
学生の頃、サークル合宿で、隣の部屋から「ギャーッ!」と、女子の絶叫が聞こえた。
覗いてみると、大阪出身の男がキョトンと座り、その周りで男女10人ほどが声も出せず、逃げ腰で引いている。
その場では、誰も二の句が継げず、尋ねても答えない。浪花男に直接聞くと、
「男の人は女の人のどこを見るの?言うから、『やっぱり、おちちやね』いうたんや」
それを聞いて、また、女子が悲鳴を上げる。男子は真っ赤になる。
その後の、漫才ブームやバラエティで、関東人もそれほどショックを受けなくなったが、新幹線が走り始めたばかりの半世紀前は、東西文化にはまだ、大きな違いが残っていた。
大阪人にしてみれば、精一杯、礼儀正しい言い方をしたのだろうが、時代の先端を気取る東京の常識は、全ての古い言葉を、「古い」と避けたがり、言葉の持つネガティブ部分だけが印象として取り残された。
こうしたことが、今日の言葉狩りや、女を女性と言い換えるような、「言語差別」の土壌となった。
「乳(ちち)」は、日本語として、少しもイヤらしい言葉ではなく、母性の象徴として、むしろ敬意さえ含まれた言葉だ。
裸をいとわない日本人は、乳房と性を結びつけず、「♪お乳欲しがるこの子が可愛」と、自然に話が出来た。それが、欧米の性嗜好が入ることで、古来の「乳」という言葉を避けるようになり、幼児語の「おっぱい」を使うことで、日本文化をカモフラージュするようになった。
当時は、戦後20年だったが、既に、欧米の価値観で育った若者の間では、乳房も性器に準ずる対象となっていた。しかし、伝統的な日本の意識からすれば、特別なものではなく、話題にすること自体には抵抗がなかったので、簡単に話題にされたが、その時、当たり障りのない言葉として、「おっぱい」に言い換えられたと思われる。
つまり、これによって、「ちち」は卑語に貶められた。いまの「おんな」のように。
この当時でも、関西では、母乳の出を良くするための「ちちもみ」の看板を普通に見かけたが、さすがに、戦後育ちの若者には、驚愕の文字だった。
今や、「乳(ちち)」は、「○○」に近い地位にまで貶められたが、
戦前、もし、「ちちのひ」と聞けば、おそらく誰もが「乳の日」と聞き、母に感謝する日のことだと思っただろう。
言葉や価値観は、ジェスチャーと同じで、時代や場所で変化する。
そういえば、古代の日本語では、沖縄で花のことを「pana」と発音するように、母を「papa」と発音していたそうだから、「父(ちち)」が貶められるのも、時間の問題なのかもしれない???