魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

中華文明

2015年06月27日 | 星の流れに

24日に、火星がカニ座に入った。アメリカに替わって中国がイラつく。
中国株が乱高下している。利下げを続けるが、なかなか効果が出ない。南シナ海問題に反発し、日本にも歴史問題を改めて牽制している。高速鉄道売り込みも、やたら日本の新幹線をこき下ろしている。
TPPが進展しそうで焦りが増す中、AIIB57の署名式を行うが、互いが互いを当てにするAKB48のようなもので、ただの空騒ぎになりそうだ。

中国が、アジアの逆襲の主役になれないのは、頭の中が、三国志のままで、グローバル時代の「類的発展」が全く理解できていないからだ。
もはや、国家や民族の時代ではない。政治も経済も、硬直的なトップダウンでは続かない。

確かに、大転換期の混乱社会では、一時的には、塊であることが強力に見える。それは、先進国のシステムが弱体化して、未だ次の形が定まらない中では、対抗軸(敵)が無いからだ。
中韓のような古代的トップダウンは、上手くいけば行くほど、崩壊に向かうしかない。

資本主義は、タコが自分の足を食っているようなもので、一見ごちそうにありついたように見えるが、次には食べる主体も、食べられる客体(足)も無い。
大量生産、大量消費に頼る、経済発展という幻想は、ある日突然、悲惨な現実に目覚めることになる。
自然破壊、気候変動、食糧難、飢餓、戦争、滅亡・・・逃れられるのは、ノアの家族だけだ。

「損して得取れ」という。みんなが競争をしている時。勝ち負けに加わらないものが生き残る。株高の時は、「まだまだ上がる」と言われている時に退散する人が、生き残る。
国家競争の概念で戦えば共倒れになる。一人、全く違う道を歩み出すものだけが生き残る。

近代欧米からの「アジアの逆襲」とは、覇権のことではない。経済文化の逆転だ。
経済文化のエネルギーがアジアから発せられるのは、権力がコントロールするからではない。むしろそれは邪魔になる。地域全体の生命力が可能にするのだ。
抽象的に聞こえるかもしれないが、元来、経済や文化は抽象的であり、景気や文化と言われるように、「気」や「化」なのだ。法律や協定のような形に縛られるものではない。

国家が経済をコントロールできる時代は終わった。文化は言うに及ばない。
軍隊でさえ、トップダウンから、連携システムが重視されるようになった。
グローバルマネーが経済を動かし、ネットが文化や意志を形成していく。コンピュータを動かすのも、プログラムから、有機思考に向かっている。

アメリカという、人種や政治における、近代の実験システムを通して、21世紀は、アナーキーやユートピアと言われたような世界に向かっていく。もはや、単純な国家統治や覇権を前提とした方式は、無用の長物であり、中華人民共和国のような覇権ゾンビは自滅しかない。
中国人が、もし、自由な情報の中で暮らせば、現在のような馬鹿げた言動はあり得ないだろう。一度、麻原彰晃に引っかかったら、なかなか「サティアン」からは抜け出せない。

政治家が、議員定数や議員報酬を減らせないように、国家は国家を否定するようなシステムを受け入れることは出来ない。しかし、時代は確実に、国家を必要としない世界に向かっている。
どういう国家であれ、国家を構成する「人」が、そこから抜けていけば、やがて消滅する。
現代は、国家を超越する人の連携が、明らかに広がりつつある。
そうなった時、本当の意味で、偉大なる中華文明が復活するのかもしれない。