魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

大琉球

2010年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

No.937

菅総理が、昨年、喜納昌吉民主党参院議員に沖縄独立を語ったと、著書で語った・・・と、中国の新聞が伝えた

なんだか、何処まで、どうなんだか解らない話だが、
中国国内からの一般のコメントは、「琉球は元来中国の属国だから、独立させて、また中国の属国にせよ」と言った意見が出ているし、日本国内からは菅売国奴と誹謗が出ている。
みんな聞きかじりで勝手なことを言っている。

喜納昌吉議員の著書を読んだこともないし、読む気もない。だから、菅総理の発言趣旨がどういうものだったか知らない。

ただ、内容の如何に関わらず、先日、沖縄独立について少し触れたので、自分なりに補足したい。

先ず、中国が沖縄を中国の属国とすることは、まったく認められない。
歴史には様々な経緯があるが、歴史的な話をネタに「自分のもの」と言う論理は、侵略主義以外の何ものでもない。
その上、言語文化、血統的に、沖縄は明らかに海洋国日本の系統であり、漢字などの借用文物は別として、中国とは遠い存在だ。

いまだに、日本の侵略主義を非難する中国は、チベットやウイグルだけでなく、一般庶民とは言え、沖縄にまで欲を出す。
同様に、韓国は古代、自分たちが追い出した百済難民を理由に、野蛮倭国を文明化させてやったのだから、日本の文明や対馬は韓国のものだと、学者まで唱えている。

そんなことを言うなら、日本こそが百済だとも言えるので、追い出され、奪われた故郷を奪い返さなければならなくなる。
こんなミソクソ論こそが、侵略マインドだ。(アホ言うもんがアホ

一方で、沖縄が、必ず日本国であるという前提も賛同できない。
日本は多くの集団の複雑な集まりであるという点で、包括的に一つであり、同時に、個々の地域が独自の文化を持っている。

沖縄の人が子供の頃、標準語を使わなければ叱られた話をしていたが、同じ事は津軽などでも起こっていた。明治以後の共通語としての標準語の強制は全国的にあったが、日本語統一を実現させたのはテレビだった。皮肉なことに、そうなった今、郷土の言葉が見直されている。

先日の沖縄独立の話は、あくまで交渉術であって、他のどの県も基地を受け入れないのであれば、沖縄は勝手にさせてもらうと言う「切り札」のことだ。
しかし、仮に本当に沖縄が独立する場合の、沖縄独立の意味と現実性を考えてみた。

沖縄の独立提案は、日本人に改めて「国家とは何か、日本とは何か」を考え直させる機会になるし、何より、道州制を後押しするきっかけになる。

よしまた、琉球国が実現するようなことになれば、琉球の黄金時代が再来するかも知れない。

大琉球
米中の覇権の狭間で、日本を含め、周辺の弱小国はいやでも軍事的脅威にさらされている。
かと言って、現実に全面的な軍事力行使ができるような時代でもない。
しかし、また、だからと言って、日本のように「戦争はしません」と宣言するだけで、尊重してくれるような国が周りにはいない。
平和憲法の理念が実現するとしても、今日明日のことではない。

現実問題として、何らかの軍事バランスに依っていなければ平和を保てないわけだが、米中ロのどこの用心棒に頼るか考えると、究極の選択としては、米国が無難だろう。とても、中ロにはなりたくない。

日本の、完全自主防衛を米国が許すとしても、とんでも無い負担であり、米国のように軍事産業と一体化しなければ、日本経済が成り立たない。それは誰も望まない。かといって国内に米軍が来られるのもいやだ。

沖縄はどっちにしても米軍が居座っているなら、居直って、組事務所を貸して、米国から、家賃をもらえばいいし、米国は日本や韓国からみかじめ料をせしめればいい。気を遣いながら、日本から家賃をもらうより、よほど気楽だ。

そのうえ、独立国であれば、独自の経済政策をうてる。
韓国や台湾の経済発展には、隣に日本がいたことが大きいが、今後の展開を考えれば、中国の発展も利用できるし、グローバル化の時代にはシンガポールのような方法もある。第一、観光資源が莫大だ。

アメリカの傘下で経済発展した日本と比べても、軍事費が一切いらない。いっそのこと、第二の平和憲法国家になればいい。一切、軍事力を持たないのだから、日本よりすごい。

仮に独立したとしても、琉球と日本は、台湾以上に上手くやれるはずだ。どう考えても、琉球王国時代に勝る発展が可能だ。

それでもなお、日本のままが良いなら、最低限、特区の条件は欲しいし、出来れば自治区にして欲しいところだ。
企業所得税を0%にすれば、一気に経済発展する。