星や神殺、型など、占いの分類は何れも、一つの特質に過ぎず、何か一つで、全体像が決定されるわけではない。
何事であろうと、ものごとは、単体で成り立つものなどほとんど無い。物も、心も人格も動きも、全て複合体であり鑑定とはそのプロファイル創りだ。
占いを問題解決の手段として真面目に用いようと思えば、可能な限り多くのパターンを習得し、その多くの類型パターンの複合作用を観て、物事の本質を見極める必要がある。この点は、他の方法と何ら変わりない。
ただ一つ違うことは、実用性を重視し、再現性にこはだわらないことだ。つまり、占いは科学ではない。
複合体に向かい合う
例えば恋愛問題ひとつとっても、
相手がいて、自分がいて、環境がある。
今の状況はどうなのか、進むべきか、退くべきか、何一つ決まった答えは無い。すべてが複合体の相互作用だからだ。
型や星と呼ばれるパターンが複雑に絡み合い、何一つ同じものは無い。唯一、答えがあるとすれば、方向性だけだ。
複雑な人間同士の出会いは、銀河宇宙の衝突のように、激しく光を放って爆発するかと思えば、何事もなくすり抜ける。全てがぶつかるわけでもなければ、全てがすり抜けるわけでもなく、新しい星が生まれたり、消滅したりする。
相性が良いとか悪いと言うが、全てが良いわけでもなければ悪いわけでもない。また、状況次第で、良くも悪くもなる。そもそも、良し悪しには基準が無い。現象だけがそこにある。
占いの様々な要素も、素の姿がそのままあり続けるわけでもなく、出会いの相互作用で変化する。その時、変化する個々の基本要素が、いわゆる、星や型で説明されるものであり、巷で絶対視されるような、単純な固定の姿ではない。
物事は人体さながらに、単体の集積した複合体であり、同時にそれは一つの固体でもある。
したがって、ここで、占いの諸要素について語っている時は、その個々について決めつけや確信を持っているわけではない。一応、そう定義されているとか、そう仮定しての話の展開であり、その検証だ。何ら、趣味や感情を持たないつもりで語っている。
ただ、予断を持ってはならないと意識するあまり、時に、自らに関わる分類特質に、やや厳しくなり過ぎてしまうことがあり、却って、誤りのもとになったりする。
意識すればするほど、逆に完全な客観とか中立的立場というのは、やはり、あり得ないものだと実感する。
お化け屋敷
したがって、もしかして、占いに関する事柄で、自分のことが悪く言われていると感じる人がいるとすれば、魯生と同類なのかも知れない。
ただ、何であろうと、ここで語られることは、仮説や試行錯誤、考察であり、決定的に決めつける目的を持っていない。
ここで、予言のようなことをしないと、何度も断っているのも、そうした意図からだ。
また、パクパクを取り上げて、いい加減な迷信を言うなと言われても困る。
ここは、始めから市民権の無い、占いの世界の見方であり、お化け屋敷の客から「人を脅かすな!」と言われたら、お化けも困ってしまうだろう。