魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

食い違い

2013年09月20日 | 兄弟関係

長子は基本的に、少数派だ。その上、原理主義で融通が利かず、人間関係づくりが下手だ。
その結果、理解されず、孤立しやすい。一方で、「いざという時」には、相談相手や、責任者として頼られる。

ここで言う長子の原理主義とは、生まれた時から手本のない長子が、何ごとも自分でやり方を考え、「多分、こうあるべきだろう」と、自分の仮説に従おうとすることだ。
そして、それが通用しないとなると、新しい方法論を立てるまで時間が掛かる。

これに対し、生まれた時から参考対象がある下の子は、自分で方法論を考えることなどしない。とりあえず上の子のやり方を真似て、上手く行かなくなったら、参考になる他の人を探す。それは、友達であったり、行きずりの人であったり、とにかく、使えるものを探す。
スターや偉人に憧れるのも弟妹型だ。

ただし、下の子であっても、上と年齢差があったり、親に特別に可愛がられたり、初めから祖父母などに預けられたり、兄弟から隔離されると、長子と同じ方法論者になる。

教育も、弟妹型には、現在の学校のように、やり方を教えるのが良い。ホメてオダテて育てるのも弟妹型向きだ。
しかし、長子には逆効果になることがある。長子には、自分で考えさせる。考える時の心得や、ヒントを与え、自分で考えたと自信が持てることが大切だ。

この点、アメリカ式の、議論と考察で学ぶ教育は長子向きで、日本を始め東洋式の、記憶と熟練は弟妹型に向いている。
このことが、国においても、主導国と追随国となって現れている。
日本でも戦後数年アメリカ方式が行われたが、結局、学校は元通りの手習い教練場に戻ってしまった。

弟妹型の親
親の生い立ちによって、親子関係も変わってくる。
当然、夫婦のどちらが主導権を取るかによってもパターンは変わってくるので、以下は主導権のある親を前提とする。

長子に育てられる子供は、長子も弟妹も、それほど大きな問題は無いが、弟妹型に育てられる長子には、厳しい環境になる。

長子の親は子供の自主性を尊重しようとする。自分で考える力を付けることが教育だと思うからだ。
ただし、母親はどうしても手を出し過ぎてしまう傾向がある。
また、教育好きのO型の親にもこの傾向がある。

一方、弟妹型の親は、とにかく指導しようとする。型にはめ、手本を見習うことが成長だと思うからだ。しかも、中には本気で子供に勝とうとしたり、負けた子供をバカにする親までいる。弟妹型ならこれで負けん気を出すが、長子はすっかり嫌になる。

この結果、長子はとりあえず結果を出すことだけに追われ、じっくり考える時間を与えられず、自信を失う。本来の思考力は学習に向かわなくなり、他のことに興味を持つようになる。
逆に、弟妹型は、結果が出ることに喜びを見いだし、学校学習にも、さらに興味を持つようになる。

甚六と呼ばれる長男や、母親や家政婦のように無視される長女は、大方、こんな環境が多い。
可愛そうなのは長子長女で、母親代わりとして横暴と思われたり、欲も能も無いお人好しと位置づけられてしまう。

弟妹型の親が、長子のことを評価しないので、弟妹達もやはり評価しない。しかも、それでありながら、最終責任は長子が取るものと、暗黙のうちに決まっている。

親との関係
親の介護などでモメるのも、弟妹が先走って介護レベルや介護方法を決めながら、長子がそれに応じないと怒ることが多い。
事象を外見から考える弟妹型は、病気でも老化でも、病名やレベルなど、既成の基準にこだわり、中身を吟味するより、既定の対処法を徹底的に行わなければならないと考える。

何ごとも自分で判断しようとする長子にすれば、専門家が言うことや病名より、自分の見る頃合いや、親や病人の意思の方が大切で、お互いの間合いで考える。惚けていようと瀕死であろうと、「どうする?」と尋ねながら動きたい。

来る時が来たら、つまり、親本人か、外部の専門家から言われたら、どっちみち動かなければならないのだから、介護などは進んでするものではない。それは、親の人格を認めることでもある。そう思っている。

長子には、親は「親」という特別の存在ではなく、自分と対等の人格であって、介護においても、先ず、それを認めることが大前提だ。介護対象は物でもペットでもない。

ただし、介護される本人が長子型か、弟妹型かで、これも受け止め方が分かれる。看護されるのが弟妹型の場合は、弟妹式の介護を喜ぶし、長子型の場合は、やはり長子式の介護を喜ぶ。