魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

三分の理

2009年07月23日 | 兄弟関係

千葉のストーカー殺人。犯人がつかまり次女が保護された。
これも、下の子に振り回された事件だ。
「被害者はいつでも正義」とは限らない。何で逃げなかったのかと言う疑問に、それだけ恐怖心がすり込まれていたからだろうということになっているが、それ以前の問題があることは誰も見ようとしない。

出会い系で出会い、同棲し、暴力から逃げ出し、親に頼り、兄姉に頼り、警察に頼り、それでいて、周りのアドバイスに従って、兄姉の所や、避難場所には移らず、与えられていたGPSを身につけていたわけでもない。連れ回られて逃げるチャンスがありながら、逃げなかった。一番の被害者は家族だ。

被害者を責める気は毛頭無い。また、責めてはいけない。
被害者は被害者だ。

ただ、一般論として、「泥棒にも三分の理」の逆説として、被害者がいつも完全に正義とは限らないこともある。
「罪作り」と言う言葉は、冗談のように使われるが、「責められはしないがあんたも悪いですよ」と婉曲に言うものだ。

長子の場合、逆に、全部自分で始末しようとして、事態を悪化させてしまうことがあるが、下の子は自分で始めたことを、困れば、周囲に持ち込み、周囲が尻ぬぐいをさせられることが少なくない。
(反省や感謝はないが、助けてくれなかった場合は恨む)

今回なども、次女にとっては自身の、痴情のもつれレベルの事件だったのだろう。もちろん、そうは認識していない。
客観性が無いから、常に自分は「大変なこと」に必死だからだ。

総裁選ショー