魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

専守防衛

2009年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

米上院はF22の追加調達を削除した。
金回りが悪くなれば、アメリカといえども軍備を切りつめるし、金さえあれば、覇権体質の中国の軍事費は拡大する。

戦後日本の経済発展は、軍事負担が少なかったことも大きい。

これまで、アメリカは、ドガジャガ生産をしてきた。
力任せ、金任せの製造で、自動車産業もとうとう行き詰まったが、当然、軍需産業も同じラインの上にあると考えるべきだろう。

見てくれと仕組みは大層だが、効率や機能性を真剣に考えているとは思えない。物量と科学技術におぼれた、知恵のない「雑な兵器」だ。
それを、言い値でいくらでも買う日本に売りつけてきた。
こんなにうまい商売はない。

ところが、アメリカ自身、自分の台所に火が点いたら、もうこんな高い物は使っていられないと、中止した。
せっぱ詰まれば、自分でも止めるような物を売りつけてきたわけだ。

冷静に考えれば、世界最高の兵器とは、「アメ車」ではなかろうか。

今回の「世界最高の最新鋭ステルス戦闘機F22」にしても、ミサイル防衛システムにしても、何か、根本的に間違っているような気がする。

戦争は互いに生き残りを賭けて知恵を絞る。
物量と、戦闘員の数が勝敗を分けるのではない。集団の文化が勝敗を分ける。

アメリカの発想は、押し一辺倒だ。
ミサイルを防ぐのに、ミサイルで撃ち落とすという発想。
矛盾どころではない。 矛、矛、矛の矛だ。

南北戦争の激戦地ゲティスバーグに、空中で衝突して、一つになって落ちた銃弾が陳列されているそうだ(見たことはない)。
そういう、アメリカ伝説が、アメリカ人の脳裏にはあるのではなかろうか。

兵器も文化の結晶だが、
一方で、極めて現実的な対応をとるアメリカは、特攻機に対処するのに、弾のバリアを張って、以後ほとんど寄せ付けなかった。もちろん、先手を打つ情報戦では、大きな戦果をもたらした。
結局、実際の戦争で、もしアメリカが受け身に回れば、そういう動きをするだろう。

現実を前にすれば、兵器より知恵と発想で対応するアメリカの兵器は、始めからでくの坊で、そんな物を売りつけるのは、純粋に戦争ビジネスだ。

逆に、臨機応変の戦い方が下手な日本は、作戦や兵器の企画では結構、優秀だ。
専守防衛の兵器や作戦は、むしろ、日本こそ得意とするものかも知れない。