魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ロウ・エネ

2009年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

隣のオトウサンも独居老人だ。確か90歳前後のはずだが、250坪の庭を一人で管理して、花や作物を見事に整えている。
さすがに、近頃は、休みのたびに子や孫が手伝いに来ている。子と言っても70歳近い。孫もアラフォーだ。

昨夜は夜更かしをしてしまって、3時頃に寝た。
クーラーを使わないので、寝苦しい夜だった。
ようやく寝付いたと思った頃。
グァーン、グァーンと、強烈なエンジン音で目が覚めた。
[6:52]だ。

初めてではなかったので、すぐ解った。隣のオトウサンが草刈り機で草刈りをしているのだ。
負けずに寝るぞ!・・・と、目をつぶっていると、
今度は、グァーン、バリ、バリっと、生け垣の刈り込みが始まった。
たまらず起きあがって、トイレに行ったり、横になったり、立ち上がったりしていると、「プッ」とエンジンが切れて、音が止んだ。

『やれやれ、もう一度寝よう』と、気を緩めたとたん。
庭いっぱいにラジオを鳴らして、ラジオ体操が始まった。
8:40から、毎朝の日課だ。

あの元気、あのパワー、
あやかりたいものだが、魑魅魍魎族のコチトラは、太陽老人のパワーにはじき飛ばされてしまう。あの年まで、生きるかどうかもあやしい。

年金問題は、
若い世代が大量の老人を背負う、と問題になっている。
年金そのものの存廃の問題もあるが、何より、年寄りは全部寝たきりで、医療費、年金の垂れ流しだとすることに、大きな問題がある。

年寄りが全員「面倒をみてくれー」と言ってるわけではない。
働きたくても仕事がないのが大半だ。
「引退して、趣味や娯楽が楽しみだ」という、老後の図式は、それしか選択肢がないこともある。

子供が大人と同じようには働けないように、年寄りも青壮年と同じ事は出来ない。しかし、社会は様々な機能を必要としている。

大家族の時代なら、一族郎党として、年寄りは様々な責任を負っていた。生活の知恵の伝授、孫の世話や教育、ちょっとした手伝いなど、年寄りは無駄でも邪魔でもなく、不可欠の存在だった。

核家族化して、生活や福祉が、専門化され、それぞれの職能が、単一目的になったことで、専門職として切り出せない社会の機能が失われ、様々な社会的不備が生まれた。そして、本来それを担う年寄りや子供が、ただのお荷物になってしまった。

それにお金がかかると、言う前に、先ず、年寄り子供を活かすことを考えてはどうだろう。
年寄り子供が、責任意識を持てるだけでも、社会は健全化する。