魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

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2009年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

これで、600本目。原稿用紙にすればどれぐらいになるのだろう。

ブログというものが、どれほどの重みを持つものなのか、いまだに、よく解らない。
多分、大通りで、「なにか」しているようなことなのだろう。

ある人はチラシを配り、ある人は花を抱えて売り歩く、ノボリ旗を立てて呼び込みをする人もいれば、ただ座っている人もいる。のぞきカラクリを回す人もいれば、あちこちでケンカも始まる。

このブログは、場末に座り込んで、ぶつくさ言いながら日暮れを待つ占いじじいだから、派手なパフォーマンスやケンカをする気は毛頭無い。

「ちょっと、そこを行くあなた・・・」と、誰かをつかまえて、聞かせる気も体力もない。ただ、ひたすらボヤいている。
大声を出して、ケンカを売られてもまずいから、ブツブツと・・・

聞きたい人がいれば、そばに来て良く聞いてくれなければ、意味がわからないだろう。わざとそうしている。
誰にでも聞こえるように話すと、ワケのわからないイキのいいのが噛みついてくる。クワバラ、クワバラ・・・

(でもね・・・聞いてくれたら、損はさせません・・・かな?)

占い師のブログとして書いていることには、長短がある。
好き放題言っても、「所詮、占い師のいうこと」と、バカにされて終わるだけの、気楽さもある。
それでも、中には、何かの参考にしてくれる人もいるかも知れない。

占いをまじめに考えている人に対しては、それなりの責任もあるし、占いへの誤解も、少しでも解きたいとも思う。

面白いことも書けないが、いい加減なことも書いていないつもりだ。
ただし、占いは初めからいい加減なことと承知の上で。


ロウ・エネ

2009年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

隣のオトウサンも独居老人だ。確か90歳前後のはずだが、250坪の庭を一人で管理して、花や作物を見事に整えている。
さすがに、近頃は、休みのたびに子や孫が手伝いに来ている。子と言っても70歳近い。孫もアラフォーだ。

昨夜は夜更かしをしてしまって、3時頃に寝た。
クーラーを使わないので、寝苦しい夜だった。
ようやく寝付いたと思った頃。
グァーン、グァーンと、強烈なエンジン音で目が覚めた。
[6:52]だ。

初めてではなかったので、すぐ解った。隣のオトウサンが草刈り機で草刈りをしているのだ。
負けずに寝るぞ!・・・と、目をつぶっていると、
今度は、グァーン、バリ、バリっと、生け垣の刈り込みが始まった。
たまらず起きあがって、トイレに行ったり、横になったり、立ち上がったりしていると、「プッ」とエンジンが切れて、音が止んだ。

『やれやれ、もう一度寝よう』と、気を緩めたとたん。
庭いっぱいにラジオを鳴らして、ラジオ体操が始まった。
8:40から、毎朝の日課だ。

あの元気、あのパワー、
あやかりたいものだが、魑魅魍魎族のコチトラは、太陽老人のパワーにはじき飛ばされてしまう。あの年まで、生きるかどうかもあやしい。

年金問題は、
若い世代が大量の老人を背負う、と問題になっている。
年金そのものの存廃の問題もあるが、何より、年寄りは全部寝たきりで、医療費、年金の垂れ流しだとすることに、大きな問題がある。

年寄りが全員「面倒をみてくれー」と言ってるわけではない。
働きたくても仕事がないのが大半だ。
「引退して、趣味や娯楽が楽しみだ」という、老後の図式は、それしか選択肢がないこともある。

子供が大人と同じようには働けないように、年寄りも青壮年と同じ事は出来ない。しかし、社会は様々な機能を必要としている。

大家族の時代なら、一族郎党として、年寄りは様々な責任を負っていた。生活の知恵の伝授、孫の世話や教育、ちょっとした手伝いなど、年寄りは無駄でも邪魔でもなく、不可欠の存在だった。

核家族化して、生活や福祉が、専門化され、それぞれの職能が、単一目的になったことで、専門職として切り出せない社会の機能が失われ、様々な社会的不備が生まれた。そして、本来それを担う年寄りや子供が、ただのお荷物になってしまった。

それにお金がかかると、言う前に、先ず、年寄り子供を活かすことを考えてはどうだろう。
年寄り子供が、責任意識を持てるだけでも、社会は健全化する。


暑い夏が始まった

2009年07月14日 | 星の流れに

富士山でまた、落石。火星が双子座の時に、駐車場のキャンピング・カーを直撃。犠牲者は筒井さん。

サントリーとキリンの合併話。キリンは空を飛ぶ竜の親戚のようなもので、これも水瓶座。

ホンダの新社長は、
これから益々ハイブリッドで、20年後には車はハイブリッドになる。と言っていた。

ハイブリッド車は、リリーフピッチャーだ。どう展開するかはわからないが、初めから、リリーフで終いまで行こうと考える監督などいないだろう。

ホンダも、燃料電池など様々な研究開発をしているから、単純に現在のハイブリッドではないだろうが、新社長が語るには何とも夢がない。
どうも、この社長自体がリリーフピッチャーなのだろう。

もっと情けないのがトヨタ。
「蜘蛛の糸のカンダタ」のように、ホンダのハイブリットにイラだって、大声を上げている。
現状のハイブリッドは、元祖争いをするほど、立派なものじゃろか。

前にも言ったが、フラットテレビで薄型テレビのじゃまをしたSONYは、結局、本格薄型テレビ時代に乗り遅れてしまった。

トヨタは最初の目の付け所はよかったが、ハイブリッドにこだわっていると、本格エコ時代に乗り遅れてしまう。
日本人としては気がもめる。がんばれニッポン。

いよいよ
7月22日。皆既日食が46年ぶりにみられる。

子供の頃、おそらく1955年6月20だと思うが、学校でススを付けたガラスで全員が待ちかまえて観た。
日食が始まると、誰かが「下敷きでも見える!」と言うので、みんなが下敷きで見始めた。大人になって、その頃の話をすると、学校によって、「下敷きでなんか見なかった」と言う人もいて、猿のイモ洗い現象より伝わってなかったのか?と、おもしろかった。
(世界のどこかで猿がイモを洗って食べ始めると、全く繋がりのない他地域の猿も洗って食べ始めたのだそうだ)

この日、学校の中庭に座って観ていたのだが、太陽から目を離して、ふと下を見ると、目の前の花に虫がとまった。何だろうと手を伸ばして捕まえたら、刺された。ハチだった。
この日のことは、色々なことを良く憶えている。

今度の7月22はカニ座の新月だが、ほぼ、獅子座のようなものだ。
直後に、月も太陽も獅子座に入り、水瓶座の木星と対峙する。
政治と投資が、しばらく大混乱だ。


ポン太ナビ

2009年07月13日 | 探訪・紀行

先日、野暮用で、久々に遠出した。
若い頃と違い、運転は少しも楽しくない。
ETCは魂胆が気に入らないので、意地でも付けないつもりでいる。
もっとも、この日行ったのは、ほとんど、高速の無い所だった。

帰りは、引け時だったので、メイン国道は混むだろうと、ナビが距離優先で推奨した道を行くことにした。
このナビは「お体裁屋」で、裏道の生活道路や抜け道は拾ってくれない。王道しか行かない頑固者で、イライラさせられてきた。
距離優先と指定しても、名のある幹線しか探してくれない。

指定した道は、走ったことも聞いたこともない道だったが、途中の地名には聞き覚えがあったし、番号のある幹線道路だから、あまり躊躇することもなく走り出した。実はこの日の「方位」も良かった。

走っているうちにすっかり夜になった。
やけに、ビュウビュウと聞こえるので、「あれ、窓が開いているのかな?」と、確かめるが、閉まっている。よく見ると、木立が猛烈に揺れている。
そのうち、ハンドルにも風の手応えが感じられ、台風並みの暴風となって、小枝が飛び始めた。

既に、相当な山中だが、立派な道が奥へと続いている。
やがて、巨大な谷間を煌々と照らした、ダムの工事現場が現れた。
もう、ずいぶん車とはすれ違っていない。
それでも道は続き、道路標識が次々と現れるから、やがて抜けるだろうと、何の疑いも持たなかった。

すると、突然。道は古めかしい一車線になって、下り始めた。
「え、え~っ!」と、思いながらナビを見るが、なんの躊躇もなく
「一本道にござります!」と、誘導線を引いている。
もう、行くしかない。

下りだからもうすぐ幹線に合流するのだろう、そう思いながら進んで行くと、道はどんどん細くなり、極端なウネウネ道に変わった。
風は益々強く、車幅ギリギリの道が、飛び散った小枝、大枝で埋まっている。
外灯一本無い、漆黒の山中を、前照灯だけを頼りに行くのだが、谷と絶壁に遮られて、道の行方がまったく把握できない。

もう完全に抜き差しならなくなった。
引き返そうにも、車をターンさせる余地が全くないのだ。
何度も、何度も、ナビの間違いだろうと確認するのだが、確かに道に沿って、誘導線が続いている。
「こんな時に、この道かよ!」と、ナビに突っ込む。
狐か狸にバカされてるんじゃなかろうか。そんなことまで考える。

近頃多い、「ナビ事故」が頭をよぎる。ナビに従って崖を回ったとたん、真っ逆さま・・・を、念頭に置きながら、コーナーをそっと回る。
山側の反対がどうなっているのか、まったく見えない。見えない方が救われる。
前照灯の向こうに、丸木橋のような橋が見え隠れする。
「路肩崩落注意」の板が、次々と現れる。
ここで転がり落ちても、まず、2、3日は見つけられないだろう。

何度も何度も「今日は方位が良いはずだ」と言い聞かせ、
信じて前進あるのみだ。
頭の中では、なぜか、
「♪花も嵐も踏み越えて~比叡を独り行く」が聞こえてくる。
(YouTube旅の夜風 附:泉詩郎流行歌説明

 

どれぐらい走っただろうか、ポッカリと広い道に出た。
ところが、ナビのやつは、それをさらに細い方へと向かわせる。
「ええい、毒をくらわば皿までだ!」と、ナビに従った。
すると、また小枝、大枝が散乱した細道に入って行った。
「ああ、まただ」と思った時、前照灯に「タヌキ」が飛び込んだ。

 

ギ、ギーッと、パニックブレーキ!
轢いた様子はないので、おそるおそる発進した。

崖を曲がると、木立の下の方に、灯りが見える。
ようやく、幹線道路のトンネル出口に合流した。

後で落ち着いて地図を見てみると、昔、難所とされた峠を、十キロぐらい走っていたことになる。
もちろん、一台の車もすれ違わなかった。

結果的に、時間を得したかどうかは、わからないが、
久々に、冒険をして脳を活性化。普通なら行かない。

方位は良かったのだろう。
タヌキの落ちまで付いた。

 

※王道しか行かないポン太ナビの好きな道は、十王峠・31号・119号
(35.498273,134.387856)


雨の日

2009年07月10日 | 写真

近所の空き家(留守宅)で、ネコが子育てをしている。
Photo_4

親ネコの右上に、エアコンの外扇機があって、その裏が隠れ家。
白、黒、ブチ、三毛。四色にキッチリ別れているから驚く。

昨日、これに長い記事を書いて、上げようとしたら、手違いで消えてしまった。
ネコの怨念だ。

ガッカリしたから、写真だけにした。


落下 2

2009年07月08日 | 星の流れに

相変わらず「落下」が続いている。(水瓶水瓶満月
あちこちで、壁が倒れたりクレーンが倒れたりしているが、七夕には、三菱商事ビルの、上から4枚目のガラス窓が落下して、会社の株まで落ちた。

一方、
中国では、かに座の太陽に←射手座の月が満月の山羊座に近づいた5日、今度はウイグルで大暴動。満月をピークに150人以上の死者。本当はもっと出ているだろう。

中国のピークは上海株の高騰にも出ているが、実はかなり危ない。
中国(かに座)にとっては幸運な、魚座の天王星が7年続いたが、天王星が牡羊座に移ると、急転直下、苦境に立たされる。

冥王星も山羊座、土星は天秤に入り、四面楚歌(グランドクロス)状態になる。そこにインドもEUも、日本も巻き込まれる。
漁夫の利を得るのはアメリカで、息を吹き返すチャンスとなる。

魚座の終わりになって、Microsoftは、Windows「7」を売り出すらしいが、名前からすれば、これが最後のWindowsになる。たとえ後を出してもうまくいかないだろう。


願い事

2009年07月07日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は七夕だが、七夕と言えばいつも雨が降るので、織女の涙とか言うらしい。しかしこれは、どう考えても、最近の「とって付け」だろう。

本来の7月7日は旧暦のことだから、梅雨も終わった夏から秋の頃だ。
大抵は良い天気で、しかも上弦の半月が、宵の頃には傾き、空いっぱいの天の川が見える。
織女・牽牛を泣かせるのは、明治以降。機会均等の太陽暦だ。

織女・牽牛だけではない。
真冬に「初春を言祝ぎ」、桃の節句は「♪お花をあげましょ梅の花」になってしまう。
さらには、サマータイムなる、インチキ時間を設けようと言う人までいる。

太陽暦はありがたい。地球の尺度として必要だ。
しかしこれ以上、サマータイムなどという、屋上屋を重ねるような「狂奔」は止めて欲しい。

それより、自然動物としての人間らしさを取り返し、自然のリズムに従って生きることに、心を砕く時だろう。

太陰太陽暦は古くさいと言われるだろう。実際、ややこしい。
しかし、昔ながらのしきたりは、人間が自然と調和することを前提に営まれてきた。
節気行事が、生活を整え、心を整えた。

サマータイムにするなら、不定時法で、季節に比例させて時間の長さを調整する方が合理的だ。近頃の時計技術なら簡単なことだ。

まさか、そこまでとは言わないが、
せめて、古来よりのしきたり事は、旧暦で行った方が、季節感も健康も、とりもどせるのではなかろうか。

「今年の七夕は、8月26日です」なんて、ニュースがあっても楽しいではないか。

/どうか、日本に季節を返してください/  〆


働き過ぎ(2)

2009年07月04日 | 日記・エッセイ・コラム

今頃の季節。田園地帯を行くと、あぜ道に立って、田植えの終わった自分の田んぼをじっと見渡している人がいる。
水や、稲の生長を点検しているのだろうが、それだけではない。
顔や態度をみると、実に幸せそうだ。

ペットの世話は、誰に言われなくとも、金を貰わなくても、みな喜んでする。それと同じように、農業には、作物の成長を見守る幸福がある。
日本人は、そうやって、仕事を喜びとしてきた。
だから、仕事は、苦役と言うより、喜びを見いだすワンダーランドだ。

仕事に生き甲斐を発見する習性が、日本人の物作りを生んでいるのだが、金のために働くものだと思っている人たちには、そこが理解できない。

だから、どんどん結果を出す日本人は、危険な存在であり、早く正しい道に導くよう、布教してやらなければならい。
規則正しく仕事をセーブし、定期的に休み、ワークホーリックの危険を教えてやり、仕事を離れた「自分の時間」のすばらしさを教えてやらなければならない。

こういう肉食獣の「休み」布教は、かなり功を奏したが、ハゲタカやハイエナライオンに獲物を横取りされて、はたと我に返った。

今や、すっかり肉食獣に帰依している世代から見ると、
「デートより残業を選ぶ」新入社員はかわいそうに見えるのかも知れない。

しかし、この新しい世代は、仕事あっての恋や家庭だと言うことを、男女のお互いが解る世代になる。
今までの、「デートに来られないなら別れる」と言い出すような、自己中なゲーム恋愛ではなく、お互いの仕事を理解して、互いに思いやる、大人のつきあいができるようになるだろう。

残念なことに、満ち足りた平和の中では大ロマンは生まれないが、戦争や苦境の中で、人は良い恋をする。
苦境の中でこそ、本当に大切なものが見えてくるからだ。

草食動物の逆襲
日本全体としても、産業革命パラダイムから目覚め、草食動物のパラダイスを実現しなければ、やがて、また、肉食獣の餌食になってしまうことになる。

先ず、自給自足のテリトリーを固め、肉食、草食の功罪を見極めて、独自の道を生きる。そのうち、草食動物のルールを、逆に布教することも、やがてあるかも知れない。


働き過ぎ(1)

2009年07月03日 | 日記・エッセイ・コラム

日本生産性本部が1972年から続けているアンケートによると、
「残業とデートのどちらを選ぶか?」では、「残業を選ぶ」が82.8%で過去最高になった。

しかも、男78.6%に対し、女88.4%で、10%も多かった。
他にも、共稼ぎ派(男49%、女63%)、婚活の必要(男35%、女26%)等もあって、面白かった。

この結果には、いろいろの見方があるだろう。
経済環境の厳しさ、女性の置かれた環境の厳しさ。という見方が出そうだが、それだけとは思わない。

むしろ、日本人が本来の姿に目覚めてきた。そういうことだと思う。
日本が経済発展している頃。どこからともなく「日本人は働き過ぎだ」という声が聞こえてきた。

草食動物
産業革命後の欧米社会で始まった、大量生産と労働搾取の弊害を改革しようとする動きから見れば、日本ほどひどい社会は無いことになり、「休め」「個人生活を優先しろ」の布教が盛んになった。

神様も7日に1日休む、西欧社会からすれば、「休日」の無い社会は、野蛮な異教徒そのものだ。
「文明人」は、必ず、神様のルールに従わなければならない。

確かに、産業革命も、神の賜物であれば、神の声に従うことで、破滅から救われる。大量生産には、ほどほどの生産調整が役に立つ。
肉食獣は毎日は食べないものだ。

栄養吸収の少ない草食動物は常に食べ続けなければならない。
ところが、肉食獣に追いつめられた草食動物は、肉食を始めた。
すると、草食と同じように、休むことなく肉食をする。それでは獲物がいなくなり、共食いをするしかなくなるではないか。

日本の生産効率を見て、西欧の神の子羊たちは、休まない労働は神を冒涜するものだ。と言いだした。

農耕は労働時間を自分で決められない。収穫が終わるまでは、定休など取れない。お天道さんと相談しながら、合間、合間に休むしかない。
日本人が休まないわけではないが、7日に1日の、決まった休日はなかった。

災害列島日本
お天道さまどころか、台風がしょっちゅうやってくる日本列島には、地震まである。「定期的に休む」など、思いもつかなかっただろう。

こうして、一時も気を抜けない環境の中で、日本人はちゃんと休んでいた・・・たぶん。
人間、休みが無くては働けるはずがない。
日本人は、どうも、働くこと自体を慰安としていた。と思われる。
その逆説的な証拠は、今日、休日ともなれば渋滞も恐れず遊びに出かける。大変なエネルギー消耗の大仕事をする。


3者乗り

2009年07月02日 | 日記・エッセイ・コラム

いよいよ、3人乗り自転車が解禁になり、様々なタイプが売り出された。
しかし、どう考えても高過ぎだ。 (電動自転車3人乗り

そう文句を言っているうちに、とうとう売り出されてしまった。
注文が殺到しているそうだ。

子育てをしているお母さん達に、便宜を図っているとは「到底!」思えない。
業界とつるんでいると言われても、言い訳できないだろう。
政治、警察、業界の「3者乗り」だ。

前にも言ったように、車両タイプの発想転換から、法規制に至るまで、知恵を絞れば、いくらでも方法はあるはずだ。

どうしても、あんな物を買わせるのなら、
少子化問題で騒いでいるのだから、経済対策も含めて、2万円以上に全額補助金を出しても、だれにも恨まれない。


六白・乙女座

2009年07月01日 | 占いばなし

占いで見れば、マイケル・ジャクソンの死は、世相の必然だ。

マイケル・ジャクソンは六白の乙女座。
見上げる「天」のスターの星=六白の中でも
1958年=昭和33年の六白は特別だ。

マドンナもマイケルジャクソンと同年同月生まれ。日本では「花の中三トリオ」など、書ききれないほど、きら星の有名タレントがいる。
プライドの高い負けず嫌いと、見せ場の集中力が、見る者に強いインパクトを与える。
さらに、戌年だから、木星は天秤座とサソリ座にある。天秤座の「ショー才」とサソリ座の相続運が影響している。

この世代は、70年代後半から80年代、バブル崩壊まで、世界の夏の時代とも言えるような、娯楽の黄金期に活躍した。
情報機器の発達。娯楽ビジネスの隆盛に伴って、コンテンツとしてのスターが次々と現れ、1958年の六白には最高の環境が整っていた。

相続運とは、この場合、こうした初めからある環境のことでもあるが、実際、マイケルのように、初めから家族の環境の中から出発したケースも多い。

今年は、九紫の年。三碧、六白、九紫は運命転換の要注意の年。

一方、西洋占星術では
乙女座のスーパースターの典型でもある。
矢沢永吉、井上陽水など、自らスーパースターを演ずることでスーパースターになっているように、乙女座は、自分自身がメルヘン世界のスターに成り切っていく。

ことに、マイケル・ジャクソンの場合は、冥王星と太陽が一体化(合)して、魚座の月の満月で生まれている。
乙女座のメルヘンが、魚座のファンタジーと融合して、絶対的な魅力となって一世を風靡したわけだが、同時にそのことが、彼の生まれ変わり願望(冥王星)をエスカレートさせた。

結局、土星が医療の乙女座、天王星が薬物の魚座にいる時に亡くなったわけだが、これは体力減退と薬物のアクシデントで、特に犯罪とは関係ない。
ただ、
乙女座の医療好きが災いした。という側面は否めないから、自ら命を縮めたとも言えるし、
世相的に見れば、まさに、星の配置通りの事件が起こったと言うことになるのだろう。