中国を表すカニ座は、父祖伝来の土地やルーツを表す
「縄張り」意識が強く、地域管理に熱心で、パトロールする警察や、地回りするヤクザの体質を持っている。カニ座は町内会に熱心で、自分達だけの価値観で理解できる「お笑い」を愛し、近隣の同業者に異常にライバル意識を持つ。
また、「食」のカニ座は、飲食店を表し、近くに同業の飲食店ができると異常に気にするが、中華街のように、仲間と解れば身内意識を持つ。
獅子座が、英雄や王様のように孤高のヒーローに憧れるのに対し、カニ座は、庶民の人気者になりたがる。
お笑い界や芸能界が上下意識が強いのも、カニ座だからだ。
カニ座は「繁殖力」で、最も好色だが、意識過剰で、立て前は色事を最も嫌い、他人に秩序を押しつけ、近隣や身内にうるさいことを言う。
古代秩序の共産国家
昔、毛沢東がヒーローだった頃、東京の大きな中華店創業者のお爺さんが、言葉に気をつけながら、「毛沢東は中国をまとめたことは偉い」と繰り返して言った。よほど、言いたいことがあったようだ。
今となっては、中国こそ、分散した方が良いと思うのだが、中国人にとって、あるいは中国共産党にとって、国とは中華概念の大きな「一家」としか考えられないようだ。(世界は一家)
国家は領域と考えるテリトリー概念は、大きいほど良いと考える、膨張主義の張り子の虎だ。(カニは自分の甲羅に似せて穴を掘る)
民主主義は、個が自治する組織であり、レゴ・ブロックの組み合わせのように、結果として生まれるのが国だ。
一方、古代帝国・中華人民共和国は、縄張りの中に、人を放り込んで国だと考える。だから、中身が崩れたり、はみ出したりしないように「管理」しなければならないし、大きくしなければならない。
東洋流の「一家」は、宿命的血縁であり、個々の意思とは関係なく、縁によってまとまっているはずのものだ。だから、個々の意志ではなく、「民族」など、理屈の無い同一意識で結びつく。
これに対し、民主主義の国は個々の意志によって成り立つものであり、一家や兄弟ではなく、他人同士の友達だ。
「兄弟は他人の始まり」と言うが、逆に、「他人は友達の始まり」だ。
「一家」で考える国家は、中にも外にも上下の序列を付けたがる。
それは、「父は父たり、子は子たり」のように、動物の序列を見習い、人間の道徳秩序に進化させただけだからだ。(覇権主義)
東洋的天地の秩序は、人間と自然が一体であり、人はまだエデンの園に暮らしているが、西洋的平等の秩序は、神の管理から離れて、人同士が自立して暮らしている。
神(天)が定めた上下の秩序を信じる東洋に対し、エデンの園を追われた、西洋の人間だけの世界には上下が無い。
(一神教の立て前は、神の前の平等)
東洋の自然観は、人の生き方としては素晴らしいのだが、人工的な人間社会のルールには、必ずしも万能とは言い難い。
アメリカンクラスと中華丼一家
西洋の理想を実現しようとしたアメリカは、現実はともかく、個の可能性を前提に、「友達社会」を創ろうとしているが、
天地の理、「人道に基づく共産社会」を求める中国の共産とは、あらゆる上下の序列を前提にした秩序だ。
中国が、いかに民主主義や平等の形を見せようとしても、すぐに滑稽な馬脚を現すのは、本質が天の道徳を信じているからであり、人間個人の自立心や可能性を信じていないからだ。常に、人民をマスとして、扱うもの、管理するものと考えている。
その結果、為政者は個人を信じることができず、平等な共同体意識が持てず、個人はうかつにそんなもの(共同体や国家の法)に巻き込まれては損をすると思い、個々が極めて利己的になり、直接利益につながる賄賂や、身内の利益に走る。
アメリカのような「友達社会」が成立せず、友達間のルール=法治ではなく、地縁、血縁、金縁の「一家社会」つまり、むき出しの欲と力と感情が支配する巨大な「中国組」の、渡世が営まれている。
渡世人との付き合いは、常に、義理と人情と力のバランスに気を配らなければならない。代紋は共産主義だが、親分の意志が組の行動を決定する。
ところで、全ての家系がどこかで天皇家につながる日本って、どうよ
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