魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

とも倒れ

2021年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

小池都知事が入院したことで、失言王麻生副総理が、「自分でまいた種だ」と言ったらしく、またまた非難の的になっている。
今回も、口は悪いが間違ってはいない。何でも自分でやりたがる小池知事のタチが災いしたという意味だろう。
小池知事はいろいろな意味で今年は転機の年になり、そうでなくても多重苦の中にあったことは間違いない。そんな中で、入院の引き金になったのは意外にも、愛犬の死だ。

東京での入院騒ぎは余り興味が無かったが、余談で、20年連れ添った愛犬が死んだことを聞いて、「あ、これだ!」と思った。
人によっては、ペットの死は親の死より衝撃が大きい。
そうでない人には信じられないことだが、ペットに溺れる人は自己愛の強い人だ。
幼少期から多くのペットを飼った人や、牧場などで育った人は、多くの死を見ているので、動物の死を環境として受け入れるが、自己投影の対象として集中的に可愛がっていたペット、それも犬が死ぬと、ペットロスで自分も死んだようになる人がいる。猫の場合は勝手な行動を互いに認め合っているので、犬ほど喪失感がない。

夫婦でお店をやっていた60代の男性は、ほとんど奥さんが切り回していたので、花壇の手入れと愛犬の世話に明け暮れていた。人と会うと、男性は何も言わずに先ず犬に挨拶させるので、近所の人は犬に挨拶しなければならなかった。
世話が良かったのか愛犬は20年も生き、市から表彰までされたが、流石に寿命には勝てず、とうとう死んでしまった。
すると、男性は起き上がれなくなって入院し、もう長くないから店をやめると言い張り、やむなく、奥さんが店も花壇も始末して、引っ越してしまった。
その後の話では、退院したものの抜け殻のように何もせず、働き者の奥さんは、家にいるのもうっとうしいので仕事に出ているとのことだった。

小池知事は犬に記者会見をさせていたわけではないが、コロナ、オリンピック、都議選と追い詰められた状況で、自我のよりどころである愛犬に支えられていたのだろう。嘘のような話だが、向こう意気の強い人は、意外と芯は弱い。
同じ時、バイデン大統領の愛犬も死んだが、バイデンは子供もおり、子供を失った経験もある。ペットの存在意義がまるで違う。


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