魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

暇人自粛

2016年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム

ミランの本田圭佑が、熊本地震と、それにまつわる自粛ムードを心配していた。
阪神大震災の時から、自粛ムードが問題になり、東日本大震災では、積極的な消費や観光が支援になるのだと言われ始めた。
確か、本田圭佑は父親が熊本出身だったと思うから、事情の分からない外国で、よけい心配しているのだろう。

異国の本田さえも心配するように、日本の多くの人もかなり、自粛ムードには否定的になってきた。相次ぐ大震災で、日本社会はかなり学習してきたように思う。
しかし、それでもなお、いまだに、不適切言動を探して回っているネット住民や、それを喧伝しようとするマスコミがいる。

本田が心配していたのは、叩かれることを恐れて、自粛する人々が現れることだが、日本では、そろそろ、叩く側を抑制する言動が出てきても良い頃だ。
自粛する人が保身のために自粛するのに対し、叩く人は被災者の立場を借りて他者に加害しようとする人だ。
つまり、どちらも卑怯者だが、先ずはこの「加害者」を抑制しなければ、ネガティブな自粛が広がってしまう。

災害は不用意に起こるものであり、突発事態に驚いた失言や、勇み足は誰にでもあり得る。この言動を捉えて叩く暇があったら、自分の成すべき事に励むべきだ。
他人の言動に異議があるなら、自らの信念を表せば良いのであって、他人の言動の揚げ足取りこそ自粛だろう。