魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

同じ素材

2016年04月04日 | 占いばなし

芸能界では、双子のタレントはシンクロしていることが前提になっている。そのため、世間では、双子と言えば全く同じで、学校や職場、あるいは結婚や恋愛でも、どっちでも代役が成り立つと思われている。

一卵性の場合、DNAまで同じなのだから、そう思われやすいし、実際、それを前提の医学的研究も多い。
占いでも、ほぼ同じ時間に生まれる双子、あるいは同じ時間に生まれた他人(運命的双子)も、同じチャート、同じ命式になる。従って運命も同じ事になる。

しかし、同じ一卵性双生児でも、置かれた環境で、異なる性格、異なる人生を歩む人がいるし、同じ時間に生まれた人でも、異なる性格、異なる人生を送る。
双子の場合は、一般には同じ環境で育てられるから、ほぼ同じような人生を歩むように見えることは多いが、実際には、やはり異なる人生を送っている。

同じDNAでも、環境で違う結果になる。同じ時間に生まれても、やはり同じ人生ではない。
何だ、じゃあ、運命論なんか意味が無いじゃないか。そう思われるかも知れないが、それは表面的な結果であって、DNAも運命も無意味なものではない。つまり、銅像も、硬貨も同じ銅でできているということだ。結果がどうであれ、それは本質のもたらした作用であり、銅は銅貨になり、銀は銀貨になる。どんな結果であれ、本質は変わらない。

違う人生を歩んだように見える、同じ時間生まれの人生には、必ず濃厚な共通性がある。
逆説的に、同じ時間、同じDNAの双子が、全く逆の性格であることは珍しくない。
有名タレントの双子でも、互いに相手との性格の違いを吐露していることは多いし、一般人の双子となると、ほとんどが逆の性格だ。

全く同じはずの人間が逆になることは、占い的にも、やはり、極めて興味深いことだ。
生年月日の持つ要素には表裏がある。だから、生年月日だけ聞いても、断言できないことが多い。
例えば、自動車人間シャーシは、自我が強い。これが良く出ると、積極的で人前に出たがり、友達も多く、発展的な人生を送る。ところが、裏の面が出ると、自意識過剰で人見知り、時には自閉症や鬱的になる。前者は、タレントや営業マンに向き、後者は職人的な生き方に向く。一人の人で、人生の時期によって、この性格転換が起こる場合もある。

ところが、双子の場合、これがそれぞれに現れ、相反する性格になる。おそらくは、二人で過ごすうちに、互いに補い合う関係として、確立してしまうのだろう。
しかし、周囲の人の多くは、双子は同じだとの思い込みがあるから、これに気づかない。

この例のように、見た目や条件が同じでも逆の場合もあれば、全然違うようでも、本質が同じ場合もあると言うことだ。
いずれの場合も、ものの表裏や結果の見た目の違いに過ぎず、肝心なことは、やはり特定の本質が、そこにあると言うことだ。