魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

トンネル

2016年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

臨死体験の多くのパターンは、「トンネルを抜けるとお花畑だった」が有名だ。
これが何を意味しているかについて、昔から二つの可能性を考えている。

一つは、出生体験の記憶が、最も下層に眠っていて、全ての意識が無くなるときに、甦ってくるのではないか。
産道を通って明るいところに出るとスッと楽になる。胎児から新生児になるときの体験は、光を目で見るのではなく、体感しているのではないか。
その時の、「トンネルの向こうに気持ちの良い明るい世界があった」記憶として、眠っているのではないか。それが甦ってくる。

もう一つは、穴の向こうの明るい光は、実は、日常、瞳孔を通して見ている、もう一つの感知状態ではないか。脳は瞳孔の外だけを認識しているが、本当は、望遠鏡で外を見るように、暗い筒の周辺も感知しており、脳が機能しているうちは選択的に見ていない。
しかし、認識機能が弱まると、感知した通りの風景を見る。暗いトンネルの向こうに明るい世界が見える。
眠りから覚めると、切れ切れの情景を夢の物語にまとめ上げるように、臨死状態から蘇生すると、トンネルとお花畑として理解するのではないか。

何が本当か分からないが、トンネルとお花畑が実在しないことだけは、信じている。