魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

でだいん

2015年08月08日 | 日記・エッセイ・コラム

東京オリンピックのエンブレムが盗作だと訴訟を起こされたが、盗作だとは思わない。
しかし、良いデザインだとも思わない。
新国立競技場にせよ、エンブレムにせよ、それ以前に、オリンピックそのもののデザインがお粗末だ。

皮肉にも、話題のエンブレムが、今回の東京オリンピックのバラバラ感をよく表している。「東京オリンピック64」のエンブレムも意識したようだが、64年のそれは、極めてストレートで、いかにも骨太の気骨が伝わってくる。

それに比べれば、2020は技巧ばかりで、気概がない。モチーフそのものが、64年の日の丸を意識した枠から出ておらず、そのことは、逆に言えば、盗作でない証だが、極めて意気地の無い、つまり、今回のオリンピック推進組織同様、芯の無いデザインだ。そういう意味では、意図を良く汲んだデザインとも言える。

推進組織の方向性に芯があれば、デザインも自ずと芯のあるものに収斂していただろうが、まとまりがない組織がまとまりのない案を採用したのだ。
日本の復活という明確な目的意識のあった64年だから、日の丸が強調されたが、今回の必然性が解らない2020では、描くものも解らない。

ムリからに開く、意味の無いオリンピックの危険。しかし、誘致した以上は、今からでも明確な目的を持つべきだろう。
そういう意味で、64年の日の丸に替えて、家紋に使われるようなシンプルな桜や富士にすれば良かったのではなかろうか。これなら、盗作で訴えられることもなかったはずだ。

ところで、地方によっては、「象さんどうぞ」を「どうさんどうど」としか言えない地域がある。特に年寄りにその傾向が強く、「デパート」は「でばーと」、「デザイン」は「でだいん」と言ってしまう。訛りによる言葉の地方化だが、2020のエンブレブも、妙に国際的な「design」ではなく、限りなく日本的「でだいん」の方が、インパクトが強くなる。