魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

苺と西瓜

2015年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム

言うまいと思えど今日の暑さかな
大暑だから、暑いのは当然ながら、明らかに昔とは違う世界になっている。
今の季節は、汗を拭きながら丸いスイカをぶら下げて歩く人や、井戸で冷やしたスイカを縁側でかじりながら、種を庭に吹き出す光景が定番だった。
生活スタイルが変わって、そんな光景は見られなくなったが、気候そのものが変わってしまった。

甲子園の歌、「雲はわき光溢れて・・・」と歌われた頃は、暑い日中と、毎日のように降る夕立が、気温のバランスを保っていたが、近頃、「夕立」という言葉を聞かない。
毎日続く「茹でガマ」に、突然、ヒョウや竜巻が起こり、災害になる。
台風は日本列島の目の前で発生し、急激に膨張して襲ってくる。

百年目の甲子園も、「球児達が暑さに耐えて・・・」などと、昔のように試合できなくなっていることをわきまえ、開催の時期をずらすか、ドームにするか、場所を移すかしなければ、今後、選手や観客から、必ず死者が出るだろう。もう、かち割り氷の時代ではない。

気候変動は、地球自身の営みもあるだろうが、人間の果たした役割も大きい。
大気に酸素を増やし、人類がここまで増える原因になったのも、シアノバクテリアのような、大量の排酸素活動が原因だと言われている。大きな意味で生体は、極端に栄えたものの自滅を導き、世代交代をする。おごれる平家久しからず。人間のおごりは、産業革命パラダイムのこの200年ほどで歯止めが利かなくなり、人類の舟は、もう壇ノ浦にさしかかっている。平家20年、人類200年か。

夏が昔の夏ではなくなった証拠は、イチゴが初春の、スイカが初夏の果物になったことだ。もう「夏」という季節はない。これからは「熱」の季節と呼んで、地下生活か海底生活をしなければ、人類は生き延びることはできない。
それとも、地球を他の惑星と見なして、宇宙開発をするかしかないだろう。
こうなったのも、イチゴ農家、スイカ農家のせいだ???