魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

丸わかり

2015年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

米国家安全保障局から日本政府機関が通信傍受されていたことで、世間は騒いでいるが、日本政府は問題ないと言っていた。おまえが言うなの中国にまで、日本はアメリカに抗議もできないと揶揄されている。

世界の常識から言えば、とんでもないことだから、マスコミが騒ぐのは当然だが、本当は日本政府も焦っていたのだろう。だから、よけい「深刻な影響は出ていない」と、冷静を装っていたが、米国側が気を使って謝罪電話をしてくると、「深刻な懸念」とおずおずと表明した。

しかし、日本政府は、焦ることはない。日本は元来、秘密など無い国だ。
アメリカの手前、秘密保護法なども用意したが、古来、何から何まで筒抜けの国、個室を持たない襖と障子の家、露天混浴まである。プライバシーを知らない筒抜けの文化だ。
世界の駆け引きは、麻雀の世界だから、互いに手の内を知りたがる。しかし、日本の駆け引きは将棋の世界だ。互いが承知の、見たままで駆け引きをするのが得意技だ。

戦時中、アメリカに完全傍受され、作戦が全部筒抜けになって負けたのは、欧米式の軍事を学んだからだ。秘密を前提の駆け引きに慣れていないのに、形だけ欧米式の前提で作戦を行ったため、秘密保持が最も弱点となった。つまり、相手の土俵で負けたわけだ。
現在のサイバー・マネージメントに、間抜けな対応をしているのも、秘密を前提とする、不慣れな仕組みに首を突っ込んでいるからだ。

これからの時代は世界中、どんなことをしても、秘密など保てなくなる。つまり、地球そのものが古来の日本になるのだ。
日本の村社会では、互いが全ての手の内を知っている。今でも、少し古い共同体では、知り合いの家に勝手に上がり込み、冷蔵庫に何が入っているかまで知っていて、勝手に飲んだり食べたりする。

古代宮中の秘密などは全部筒抜けで、偉い人は、それを承知で、庶民に何を言われようが気にしなかった。「知らしむべからず寄らしむべし」は、共同体一揆で懲りた武士、家康の愚民政策から始まったことで、情報統制による力支配は、中国共産党が今もやっている。
古来共同体の日本は周知の事実を前提で、ことが進んでいたが、「知らしむべからず」の圧力が加わったことで、「何となく」の空気を読んで、行動する社会になったのだろう。

日本が宣戦布告をせずに戦争を始める国と認識されたのも、日本流の「空気を読めば当然だろう」と、夜討ち朝駆けをする、保元の乱以来の武士の戦争作法が残っていたからだ。急襲戦法は古代にもあったが、王朝時代ではそれを否定する見方が広まり、逆に武士時代では、何でもありの現実主義が美化された。
日本官僚の秘密主義は、中国共産党と同じ、武士の力支配の名残で、アメリカが求める「機密」とは方向性が逆であることを知らなければ、秘密保護の話はできない。

日本は、手の内を公開して進める、「読み」の戦術、戦略には長けているのだから、これからの時代には、むしろ、互いに、知られていることを前提の外交を積極的に始めると良い。丸見えを逆手に取るのが本当の社交術だ。
「知らないとは言わせない」という武器は、意外に強力だ。