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魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

偽の栄光

2013年02月13日 | 新鎖国論

何度も言うことだが、オリンピック精神とか、フェアプレイとか、何故、日本人はこうも、「綺麗事のキャッチフレーズ」に弱いのだろう。

日本のスポーツ選手はオリンピックを信じ、そこを目標に、日夜、涙ぐましい鍛錬をしている。スポーツの精神は、人間の生み出した、あらゆる創造行為と同様、尊いものだ。
しかし、どの分野であれ、それが、何らかの組織によって「見世物」になると、創造行為は本来の創造の意義を失う。

もっとも、あらゆる創造行為と言うなら、「見世物」商売もまた、一つの創造行為には違いないが、これは芸術やスポーツと比べ、あくまで、金を稼ぐのが目的であり、食うための狩猟と同じことだ。

創造とは人類が成長するために必要な、試行錯誤であり、目的を持たない行為は、一見ムダに見える。そのムダを、見世物小屋の商品にすれば、有意義に見えるが、創造は商品価値だけに限定される。

美術であれ、文学であれ、美術展や文学賞となると、組織と審査員が決定する価値で選別され、逆に、そこからはみ出した価値や可能性は、無価値なものと決めつけられることになる。

これは、スポーツイベントも同じだ。勝ち負けのあるスポーツでは価値観など関係ないと思われるかも知れないが、ルールーを決めるのは、やはり見世物小屋の興行師だ。

純粋なものは、いずれ汚れる
古代オリンピック精神の復活をうたった近代オリンピックは、当初は確かに、高邁な精神で始まったかも知れないが、今や、完全に「見世物小屋」の商売だ。今や、オリンピックを経済抜きで語る人はいない。

商売は、農と武の徳川幕府が最も嫌ったように、物を作り自らの命を懸ける、士・農・工を食いものにする生き方だ。
他人のフンドシで金を稼ぐ、右のものを左にやって利ざやを稼ぐ、ハイエナか泥棒のような根性だ。(少なくとも徳川幕府はそう思った)

日本の文化が、「金儲け」を嫌うのは、徳川300年の武士文化によるものだが、これは、島国という、外敵に邪魔されない恵まれた環境で育まれたものであり、自己研鑽と相互信頼で成り立つ社会に、「銭」は不要だった。

しかし、他人を信じられない大陸では、金だけが頼りだ。金さえあれば、地位も力も手に入れることができる。
技など磨いている暇の無い大陸だが、金さえあれば技も手に入る。
その信念が、日本人から見れば、賄賂とパクリの「汚いやり方」、つまり、「商」の、泥棒ハイエナ根性としか映らない。

日本の中でも西の文化は大陸の影響が強く、この「商」の原理が浸透している。その商人のモットーは「汚く稼いで綺麗に使う」だが、綺麗かどうかは別にして、効果的な使い方に徹している。

ヨーロッパの貴族の道楽で始まったオリンピックは、結局は、世界の大原則である「儲け主義」に収まっている。
何から何まで金が物を言う世界の原理で動いていることは、今や論を待たない。

東京にオリンピックを再び招致しようというのも、結局は経済問題であり、カジノ建設と何も変わらない。
にもかかわらず、スポーツ団体あるいは日本人は、相変わらず精神的にとらえている。オリンピックは既に、日本人の思うような精神主義で動いてはいない。

昨日まで、韓国はテコンドーが競技種目から外れる心配をしていたが、フタを開けてみると、テコンドーが残り、代わりに日本が得意なレスリングが除外対象となっていた。
レスリング協会は、オリンピック精神の伝統レスリングは、切り離されないと信じていたが、まったく違う原理を突きつけられた。

一方、韓国サッカーの明らかなオリンピック憲章毀損に対し、IOCは「注意」だけで、事実上のお咎め無しだった。また、先の冬季オリンピックでも、不可解な採点が相次いだ。

日本や中国のように、自分の原理に拘る国は実に扱いやすい。
朝鮮半島のように、強国の狭間で鍛えられた国は、「生き残り」の技を徹底的に体得して世知辛い。北朝鮮と韓国は全く同一の民族であることを忘れてはいけない。国際組織において、韓国の進出は目覚ましい。

媚びずに惹きつける
日本人の夢見るような、オリンピック精神はとっくに死んでいる。
それでもまだ、日本人はIOCを信じ、東京にオリンピックを呼びたいのだろうか。

鎖国精神に基づく文化立国を目指す観点から、個人的には・・・
IOCの不条理を徹底的に糾弾して脱退し、日本にあらゆる競技施設を整え、各競技のワールドカップを毎年開催して欲しい。
ちょっとズレるが、相撲は日本だけの競技で成り立って、しかも内容的には国際化している。

柔道だって、外国に迎合するから、今回のような焦りに繋がる。日本本来のルールを貫き続ければいい。
外に押しつけない文化として、徹底的に護るべきだ。

知術貿易


日本地方

2012年11月24日 | 新鎖国論

新鎖国論で何度も言ったことだが、大企業はコア技術、基礎開発を残し、生産拠点を海外に移し、母国日本は、徹底的に農林水産国家となり、学術芸術、国際機関、観光で生きていってほしい。

TPPなどの経済協定の話が出て来ると、必ず農業が問題になるが、おかしな話だ。
工業貿易立国のために、農業には食管やバラマキをして、いわばモルヒネでごまかしてきた。その結果、農林2000年の島は劣化して、ほぼ死に絶えている。

紙と木の家に暮らしてきた、これだけの森林王国が、輸入材しか使えない流通システムとなり、都会生活者のほとんどの実家は農業でありながら、安いからと、輸入農産品を食べる。

もし、自分や身内が農林業に直接従事していても、輸入材で家を建て、輸入米を食べるだろうか。
工業製品を売るための経済協定だから、ひきかえで流入する農産品が問題になる。しかし、経済協定が有ろうが無かろうが、貿易に頼らない、売りも買いもしない社会なら関係ない。

イマジン
地域循環型の田園風景に、学術研究や芸術があり、大量生産をせず、知財を輸出する。そういう国であれば、原発で大量発電などする必要がない。(農業工場は知らないが)
地産地消に組み込まれた農産品は、値段で買うのではなく、地域の生活の一部として消費する。つまり、誰もが農業に関係している社会だ。

ならば、経済協定など必要ないではないか。そう言われるかも知れないが、そうではない。
魂胆はどうであれ、関税障壁の撤廃は、国家を乗り越える、ぎこちないが第一歩だ。だからこそ、そこに、欲から積極的に参加するのではなく、消極的に参加することで、仲間になりながらも、翻弄されない日本であることに意味がある。

遅かれ早かれ、近代国家は崩壊する。そのときこそ、日本という地域文化、アイデンティティが重要になってくる。
今から、その時代を見越した、国のあり方を堅固に打ち立てようという話だ。

いま、日本がどんなに拒否しても、時の勢いは経済協定に向かっている。小田原評定で、終いには国を失うようなことになるより、積極的に打って出ることを前提で考えるしかない。
であれば、日本はどこのグループなら加われるのか。

理由があるから加われない。なら、真っ先にその理由を解決することが、「生き抜く」と言うことではないのか。


冬が来る

2012年09月08日 | 新鎖国論

8月、ニュースで、今年の稲の作柄が報告されていた。おおむね平年並みらしい。昔からこの季節になると報道されていたので、何か久々に聞いたようで、懐かしい気がした。

以前は毎年、豊作続きで、『本当にこれでいいのかなあ』と不思議に思うことがあった。学校で習った歴史では、昔は日照りに雨乞いをしても雨が降らず、凶作で餓死する人が多くいたのに、何でこんなに豊作が続くんだろうと、ぼんやり思うことがあった。

米の豊作が続くようになったのは、たゆまぬ品種改良や農業技術向上のおかげだが、実は、戦後の天候が相対的に恵まれていたこともあった。

戦後の日本の発展は様々な幸運に恵まれていた
冷戦の狭間の民需に、地震の小康期、天候の温暖期に恵まれ、比較的順調に、と言うより、極めて順調に発展できた。
この幸運に気づかず、日本人の才能や努力だけのおかげだと思っていると、寒い冬が来れば、また、とんでもない悲劇に遭うことになるだろう。

戦後の、いわゆる経済発展に浮かれて生まれたのが、放漫福祉や利権経済、大量消費と保守安全の内向き思考だ。
豊かさを、何か、当たり前のように考える、「過剰医療」や「トコロテン就職」。何かと言えば泣き、海外冒険を嫌う内向きの若者。
企業は、付加機能とコテ直しだけで、白紙から商売を考えられない。

こういう、冒険心を失った社会では、ゲームさえ、勝つために「アイテム」を購入する。知恵と工夫を面白いとは考えない思考停止だ。
毎日、野をさまよって獲物を探す野生動物ではなく、与えられる餌しか知らない養鶏場のブロイラーだ。しかもその餌がどこから来るのか考えもしない。

冬の足音
日本の米の消費と小麦の消費が逆転した。パン、麺、スナック、日本人は米を噛むより、こなれの良い小麦を食べるようになった。
しかも、その小麦の90%を輸入に頼っている。
食用油、豆腐、味噌、醤油、飼料の大豆に至っては、95%が輸入だ。

もう、食糧自給率もクソも無い

経済大国の実体は、結局は、工業生産と引き替えの、「身売り」だ。
工業で金を稼いで、輸入食料を贅沢に食べ、余った金を、食べない米、食べない魚の、農水産業に適当にまいて、青物、果物の周辺農業に追い込み、農本の根を枯らした。輸入に頼る漁業も同じだ。

こんなことは、気候温暖で地震もなかった時代だからこそ可能だった。84年の冷酷な周期は、再び気候不順と大災害の時代を連れてきた。

昭和初期の世界激動の根本は、天候不順だった。一刻も早く冬の時代に備えなければならない。
資源と労働力を必要とする企業は海外に出てもらい、日本は農本で小さくきらりと光る国になるべきだ。企業が無ければ生活を失う人は付いて出ればいい。外国に出たくない人は、農水産業か学芸に仕事を変え、100%自給自足できる国造りで生きる。

農本でコンパクトな国には、原子力発電の電気は要らない。石油も食料も輸入する必要がない。空気はきれいで、就活も無い。地元就職、地産地消、家族は一体、コミュニティは充実。
ああ、良いことだらけじゃないか!

そりゃあ、問題をあげれば切りが無いだろうが、どの道を選んでも問題はある。大切なことは、「どこに行く道か」と言うことだ。


主戦論者

2012年08月28日 | 新鎖国論

コーヒー好きなのだが、実は飲むたびに、後ろめたい気持ちになる。
毎日飲むコーヒーは、一粒も一滴も、国産ではない。
コーヒーを味わって飲む時ほど、そのことを思い出す。
地産地消と言いながら、現代の経済システムにどっぷり浸かっている。

もとより、今の時代、完全な地産地消など、できるはずもないし、まして島国日本では、空気のように輸入の恩恵にあずかっている。
どうしても、輸入品完全ボイコットで生きようと思うなら、横井庄一さんのように、山奥で布から織って、ガマやヘビを食べ、糞尿のリサイクルをして暮らさなければならない。

それでも、日本が完全鎖国をして、経済発展を遮断し、地産地消の独立採算をするなら、やってやれないことは無いだろう。しかし、世界の経済発展を知りながら、こぢんまりと暮らしていくことなど、とてもガマンできないだろう。
例えそれが、いつか崩壊すると分かっていたとしてもだ。

だから、地産地消とは、あくまで、輸入に頼らない基本的な衣食住財のことであって、全面シャットアウトの意味では無い。

そういう観点から見ると、いざという時は、コーヒーなど、真っ先に断てる心の準備をしておかなければならない・・・のだが、想像すると、なかなか難しい。

戦時中は、コーヒーの輸入が不可能になり、大豆を煎るなど様々な代用コーヒが生まれた。
コーヒーぐらいならまだ良かった。現代戦争に欠かせない「石油」の無い国が戦争を始めたのだ。

ボイコット
相互依存の現実を理解しない人は、簡単にボイコットを叫ぶが、この延長が、「石油の無い国の戦争」のような思考停止だ。
さすがに、現代の日本ではこういう偏狭思考は少ないが、「大国」中国は、単純にこう考える若者が少なくない。

確かに、何でも資源のある「大国」中国なら、独立採算できると思ってしまうのだろうが、そんな「大国」でも、尖閣の地下資源は欲しい。
大量生産大量消費の、産業革命パラダイムの中で生きる限り、全てを一国でまかなえることなどあり得ない。(脱産革で鎖国なら別だが)

「大国」中国の陥りやすい錯覚は、このような、全て自分の国が勝っているという思い込みであり、戦前の日本人もそう考えていた。
中国でも教養のある人は、現代の現実を知っていそうなものだが、国が、レアアースを制限したりするところを見ると、実際の政治は、相当、稚拙なレベルで動いている。

中国政治の粗雑な動きは、結局、軍人が力を持つ軍事政権だからだろう。海外との摩擦が起きるたびに、脅迫的な言論をあげ、逆に、他国の動向を全て脅迫と見なす。その国の若者は、他国への不満に短絡的にボイコットを叫ぶ。自国の意志を、圧力で一方的に通すことができると考える短絡は、主戦論と何も変わらない。

日本での中国製品拒否は、中国に圧力を加えようとするものではない。毒餃子や農薬野菜など、製品そのものに対する不信であり、主戦論的ボイコットとはまるで違うものだが、主戦論の中国からすれば、中国製品ボイコットと受け止める。


以和為貴

2012年08月19日 | 新鎖国論

天王星→水瓶座の時は 北海道とロシアに苦難があった。
天王星→魚座の時には 宗教テロ戦争でイスラム圏が苦難。
天王星→牡羊座に来て ヨーロッパに苦難が起こっている。

苦難は改革への通り道だ
北海道もロシアも、その後、むしろ発展に向かっている。イスラム圏はまだ苦境を脱したばかりだが、イスラム革命など大きな変化が始まり、ミャンマーを始め東南アジアも、変化が始まっている。
一方、EUはまさに苦難の最中、まだ、10年は苦しむだろう。

牡羊座のヨーロッパの場合、ただ天王星が来ただけではなく、土星が牡羊座と180゜の天秤座にいたから、他動的要因であるマネー=土星から、実態以上に「風評被害」で苦しめられている。

天秤座の日本は、この逆の立場で、土星の直撃に苦しめられてきたが、土星が去ればとりあえず陽が差してくる。天王星は天秤座を直撃ではないから、他国の事情に苦しめられ、評判は上がったり下がったり、勝手に言ってくれと言いたくなる。(天王星は注目=人気を表す)

双子座のアメリカは、天王星の60゜と土星の120゜で、リーマンからの脱出チャンスとなっている。そこへ木星も来たから、世界の混乱を尻目に、反転攻勢に打って出る。

日本は、84年前のように、手近な東アジアをゴールドラッシュの猟場だと思っているが、84年前とその後を振り返って、反省してみる必要があるだろう。これからの100年に向けて、どう進むのか、ここが正念場だ。

日本から生まれる世界企業の意味
日本は大借金を抱えながらも、世界最大の債権国になっている。
本国日本は、こぢんまりと小さく、牧歌的で文化的な島国に変身し、
大企業はすべて、研究開発を本国に残し、世界で仕事をすればいい。
コアな基礎研究や開発は日本で、商品開発とビジネスは海外で、現地の産業としてやればいい。

日本にその才能があるなら、金融国になれば良いのだが、これは無理な気がする。
むしろ日本は、文化やサービス産業を通して、人道や平和主義を広めていくことを、ビジネスモデルにしてはどうだろう。

こんなことを言えば、中韓からは「そんなバカな、日本のような非道国家に、そんなことができるわけがない」と罵られそうだが、日本に住み、実際の日本を知った中国の人は、日本こそが古代中国哲学を実践していると、口を揃える。
実際、今の中国は、相手を非難するために人道を口にする。「人道に反する」と。

日本の平和主義や和の精神は、聖徳太子の時代に生まれたものではない。当時は、来たばかりの渡来文化で、殺伐としていた。だから「以和為貴」と、わざわざ言わなければならなかった。(和をもって貴しとなす)
「思いやりと優しさ、隠蔽と事なかれ」の、表裏一体の文化が生まれたのは、平安や江戸で繰り返した、鎖国と停滞だ。
明治以後の日本は、また、殺伐としたが、それでも他の国と比べれば、根底には、やはり、和の精神が残っている。

企業の社会的責任と言うと、経済効果が思い浮かべられるが、世界への「生き方やモラルの提案」と言うことも、結果的に、あっても良さそうな気がする。


海外進出

2012年07月20日 | 新鎖国論

18日、インドのスズキ工場で暴動が起こり、死傷者が出た。
どういう経緯かは知らないが、労使問題らしい。
カニ座の新月で、山羊座のインドは180゜
インドは労使問題で以前からもめている。現在、日本を表す天秤座で、まだ、土星が活動中の上、火星も入ったから、日本も過激になっている。スズキの対応のまずさもあるのだろう。
欧州、中国、日本、インド
いずれも、十文字の一角だ。 「7月4日」「触らぬ神

尖閣問題にしても、過激な日本に、カニ座の中国としても慌てているのでは無かろうか。慌てるカニ座と言えば、不倫問題の橋下大阪市長や、いじめ問題の越大津市長もカニ座だ。

ところで、「スズキ」は何座か解らないのだが、もともと「鈴木」は伊勢の神官の姓で、実った稲穂を意味する。収穫の頃だから、やはり天秤座では無いかと思う。日本で最多の姓とも言われるから、これも天秤座の象徴だ。
ちなみに、これが何の意味があるのかと言えば、例えば、自分の太陽の180゜の位置に金星が来れば、鈴木さんというお客が現れたりするといった具合に応用する。もちろん、愛田さんや美子さんかもしれない。

グローバル企業
海外進出を迫られる日本企業だが、世界は複雑だ。異邦人には理解できない歴史的な感情背景がある。
規模が大きくなるほど、現地の管理は現地人に頼らざるを得ないが、「こういう所では、こういう風にやるものですよ」といった、定石と思われるような、運営慣習を安易に採用すれば、強圧や不正の悪慣習も採用することになる。

総じて見れば、日本企業は上手く海外進出をしている方ではないかと思うが、スズキのように上手くいって存在感が大きくなれば、かえって、思いがけないターゲットになりやすい。
大統領やスターが、売名のために意味なく狙われるようなもので、何がなくても、パフォーマンスの標的になる。

また、文化的無神経で、セクハラ訴訟を受けたり、身代金誘拐にあったり、  異境で生きていくことは並大抵のことではない。
日本式の押しつけでも無く、現地丸投げでも無く、現地に支持される存在になる方法は、結局は、人としての誠意だろう。

と言っても、誠意というものは曖昧なものだから、日本式の誠意と、人としての誠意を間違えると、これも問題の火種になる。性善説だけではない、人間の本性を見据えたやり方が必要だ。
ユダヤ人の冷徹と、日本人移民の愚直で当たれば、日本企業は必ず世界で支持されるのでは無かろうか。

日本に渡って来て、2000年掛けて醸成させた「日本人の開拓精神」が、今また、世界に渡ろうとしている。
新鎖国主義と矛盾するように思われるかも知れないが、これこそが「新」鎖国主義だ。

世界交流、グローバル化とは、ただミックスすることでは無い。
多色を混ぜてしまえば汚い黒だが、常に原色を保存していれば、新しい色を作る素になる。
日本で世界を混ぜ合わせるのではなく、世界に出て行って日本式開拓精神を素に、新しい色を作れば、世界に現地融合の文化を創出し続けることができる。

日本文化そのままを持ち込むのではなく(日本軍はこれで失敗)、2000年の適応精神を世界に紹介することで、混乱の地球村に、日本式の「調和」が生まれてくる。


ましな道

2012年07月10日 | 新鎖国論

近頃の若い人は「釣書」を知らないという話を聞いた。
確かに、半世紀前、始めて聞いた頃でも、既に馴染みの薄い言葉になりかけていた。関西のみで、関東では「身上書」と呼んだらしい。
結婚相談所や紹介センターでは何と呼ぶのだろう。「紹介書」とか「プロフィール」とか呼ぶらしいが、「履歴書」と言っていた人もいた。

「釣書」と初めて聞いた時、なぜそう呼ぶのか考えた。
聞いた瞬間は、結婚相手を釣るための餌かと思ったが、何か公の所に吊り下げておくとか、胸や首からぶら下げて名札のように表示しておく意味に擬えたのかも、とも考えた。
結局、出すことも貰うこともなかったので、解らないままになった。

婚姻制度は改めるべきだと思っているので、迷っている人には、「結婚は必要ですか」と問うて見るのだが、世間のルールに従う真面目な人には、進学、就職、結婚で子孫を残す・・・という方法しか、生きる道はないと信じられているようだ。
そして当然、そこには自ずとランクが生ずる。

釣書は、見合い結婚が常識だった頃の便利アイテムで、必ずしも必要ではなく、上司など信頼おける人が薦める場合などは、何も考えずに見合いした。

見合いの始まりは江戸らしく、古典落語にも「たらちね」など、結婚にまつわる話も多い。
幕府としては、社会安定策として、檀家寺の寺請制度などと共に、町人には暗に見合いや紹介を奨励したようだが、大多数の農民は今以上の自由恋愛、フリーセックスだった。

本格的に見合いが始まったのは明治、西欧式の価値観に、儒教のモラルを加え、厳格な一夫一婦制の文明国にしようとした時だろう。

今の日本人は、西欧牧畜文化の財産管理、キリスト教の一夫一婦の結婚が正しいものと考えており、これは、今日の世界経済の基本思想にもなっている。極論すれば、財産は個人のものと言う考え方だ。
(結婚とは、愛ではなく財産管理の問題だ)

これに対し、武士を除けば、明治維新以前のほとんどの日本人の価値観の実体は、これも極論すれば、財産は集団のものだった。

共産主義は失敗したが、産業革命パラダイムの、機械的大量生産に向かなかっただけで、平和と文化を主体とする国民総幸福を目指す社会には、農耕文化をベースにする江戸の価値観は、間違っていたとは言えないだろう。

日本的因習と考えられがちな「お見合い」は、実は、近代の産革パラダイム・システムに合わせた、日本的な合理主義で、富国強兵や工業立国の基礎になる、一つの社会制度だった。

この、一夫一婦制をバックアップする制度が崩れると共に、日本の組織力が薄れ、少子化が進み始めたとも言える。
産革パラダイムの国際競争に打ち勝つには、何としてもお見合い制度を復活させることが必要かもしれない。

しかし、一夫一婦制という、軍団化社会によって争いの種を育てる産革パラダイム世界より、母系的な財産共有、妻問婚社会で、地産地消の鎖国と、地域文化交流による精神グローバル化に向かう方が、これからの人類の選択としては、父系競争社会より「まし」ではなかろうか。


文化商品

2012年05月22日 | 新鎖国論

今日は東京スカイツリーが開業したニュースで賑わっている。
地震国である東京都心の建造物としては、大変な高さであり、デザインも美しいが、「世界一、世界一」と、連呼するのは恥ずかしい。

確かに、タワーでは世界一かも知れないが、建造物としては、UAEのブルージュ・ハリーファーに遥かに及ばない。中東では、かつてのニューヨークのように、高層ビル競争が起こっているほどだ。

昔、外国を回っている人が、「華厳滝とか那智の滝とか言うけど、ナイアガラのあるアメリカ人には笑われるだろうなあ」と言っていた。
それは全くその通りで、その時は特に言う言葉が無かった。小国日本は、何であれ、スケールで競って、勝てるわけが無い。

しかし、日本の価値は「質」であることが、内外ともに認知されてきた。
盆栽のように、むしろ、コンパクトな中に価値を詰め込んでいるのが日本であり、日本のものなら、サイズを言わない方が値打ちがある。

サイズだけでは無い、技術が飽和状態になった今では、ハイテク高性能を、新興国の工場で簡単に実現できる。
サイズや性能では勝てなくなった日本だが、サービスやセンスでは未だに存在価値があり、今後とも、劣ることは無いだろう。

文化商品
アニメや日本食など、高度成長で日本人が忘れていた、日本の文化力に、むしろ世界が注目するようになった。
すると今度は、それで商売しようと、政治家や役人が色気を出した。

ところで、今日はまた、ダルビッシュがイチローに完敗したそうだ。
WBCの韓国戦、メジャーデビュー戦、イチローとの対決と、ダルビッシュと言えども、意識すると実力が発揮でき無くなる。

日本人が自分達の生き方に合わせて、作り出したものが持つ価値は、日本人のためにだけあり、それを珍しがる外国人に、「それなら、これなどいかがでしょう」と、売りつけようとしても、それはもう「日本」の価値を失ってしまう。

「名物に美味いもの無し」は、生活風土を切り離して商品化されているからだ。売らんがために、防腐剤を加えて真空パックをすれば、もう、元の味はしない。
日本のものが「クール」なのは、日本人のためにあるからだ。日本のサービス、日本のアニメ、日本の味は、日本に来なければ味わえないのであり、そのまま海外に出しても受け入れられないし、迎合して姿を変えたものも受け入れられない。

日本式サービスもアニメも料理も、現地で現地化してこそ受け入れられてきた。その上で、初めて「本物」の価値が出る。

商売は恋愛術と同じだ。相手に知ってもらい、興味を持ってもらい、惹きつける。
韓国のように、騒ぎまくり裏から手を回し既成事実化するのも一つの方法だが、箱入り日本はそんなテクを持ち合わせていない。

そっと近づき、知ってもらい、黙って誠意をアピールして相手に選んでもらい、精一杯サービスする。
それこそが、実質の魅力を磨く、地産地消の鎖国精神だ。
憬れのマドンナに、厚化粧でナンパしてこられたら、誰でも興ざめするというものだ。

東京スカイツリーは「世界一」を口にすべきでは無い。
招待された王さんも、「世界一だから」が、言いにくそうだった。
大坂の通天閣ではないが、あくまで「エリア」の象徴として文化を生み出す媒体とすべきであり、場合によっては、東京タワーとセットで、「東京姉妹」物語をプロデュースしてはどうだろう。色々面白いことができそうだ。


冬の到来

2011年11月26日 | 新鎖国論

いよいよ、冬らしくなってきた。
この、4、5日不調で、こんどこそ風邪かなと思っていたら、久々に余震が続いた。今日は天気も良くスッキリしているので、このまま、何事もなければいいのだが。

しばらくニュースを見てなかったが、ますます、世界は波高しだ。
大きな波が押し寄せても、相変わらず、コップの嵐に明け暮れている人々もいる。

オリンパスは魚座で、東京巨人は乙女座。どちらも土星・天王星が去った後で、嵐の後ガラガラと家が崩れるような事態だ。
解任されたマイケル・ウッドフォード社長や清武代表の顔と、菊川剛オリンパス元会長や桃井恒和球団社長、渡辺会長の顔を見れば、
人相を見ただけで、くまのプーさんのようなウッドフォード氏や、清武代表に軍配をあげてしまう。二人とも善良の見本のようだ。
顔に年のハンデはあるかも知れないが、新時代の公開棒で突ついたら、古狸や狢が、穴の中で大騒ぎだ。

菊川剛氏は愛媛生まれの愛知育ち、大王製紙の井川意高社長も愛媛育ち。愛の魚座の縁だろうか。薄膜のティッシュや紙も魚座。
なお、井川社長はギャンブルの獅子座のうえ、自動車人間では、負けず嫌いのシャーシ。

オリンパス問題が、日本企業の信用に関わると言っても、ソブリンリスクほどの問題ではない。ソブリンリスクのソブリン(sovereign)は国家主権者の意味で、国や王様が保証する金や国債のことを指すが、その信用が危なくなっている。国家破綻の危機だ。

ソビエト連邦の「Soviet」は、忠告や評議会(Cовет)のことだそうで、一見関係ないように見えるが、「上から」目線でものを言う意味だから、同じ語源だろうか。

あれだけ大きく怖い存在の、ソビエト連邦も崩壊した。
世界に冠たる国々が崩壊しない保証はない。
借金世界一の日本は、自国民からの借金だから大丈夫と高をくくっているが、近代国家破綻の大波は、油断している人から襲ってくる。

性能の良い車が安全とは限らない。幼稚園生が運転したら崖から落ちる。肉食獣が狙うのは、先ず子供からだ。
世界中がマネー獣に狙われているが、マネーを殺せば逆に国家が困る。

資源消費の自転車操業=産業革命パラダイムの虚構が、マネーの姿で、国家を滅ぼし、国民を滅ぼす。
何度も言うが、産革パラダイムはグローバル・カジノだ。負けた奴から巻き上げて、勝っているつもりの奴も、結局は、勝ち逃げは出来ない。賢いはずの仕組みなど信用できない。大王製紙の社長を笑えない。

子孫達のためにと言うなら、賢明な道は、経済永世中立だ。
島国日本なら不可能ではない。


新鎖国論

2011年10月29日 | 新鎖国論

このブログを書いているうちに、いつの間にか、主たるテーマになって来たのは「新鎖国論」だ。

子供の頃、「何で世界は戦争ばかりするのだろう。どうすれば戦争を無くすことが出来るのだろう。そうだ!国や民俗や人種と言われるものを無くしてしまえばいい。世界中が混血すればいいんだ!」
素朴にそう思った。

これは、結構、20代初めまでそう思っていた。
しかし、いろいろな人々と接するうちに、それが、如何に素朴で横暴な考え方であるか、と言うことに気がついた。

世界は一家とか、八紘一宇とかと同類で、独善的な「和合」概念に組み込もうとする考え方であり、自分では優しさと謙りのつもりでも、相手の意志や納得を全く配慮していない。正に、一人っ子日本らしい発想だ。

お互いが、平等に尊重しあえるためには、各々が個の立場を確立し、明らかにし、それを互いが侵さず認め合うことこそが、平和のバランスの基礎になるのだ。と、そう思い始めた。

大転換の時
日本はどうやって生き残れるのか。世界の秩序はどうすれば生まれるのか。そもそも、日本は何によって日本であり続けられるのか。
そういう問題を前に、「そうだ、もう一度鎖国だ」と思いついた。

人にとって先ず重要なことが、自己の確立であるように、集団にとって先ず重要なことは、やはり「自立」だ。
集団の単位が何であるか、国か民俗かのようなことは、後で付いてくる。その前に、最小単位の自己完結こそが先決だ。
そこから連携を拡大していくことで、地域や世界が形作られていく。
「新鎖国」は、世界から隔絶することではない。むしろ統合手段だ。

そうこうしている内に、地域主権や地産地消が叫ばれるようになり、鎖国の考え方と、つながるような気がしてきた。
地域主権や地産地消が、大から小への回帰であるのに対し、新鎖国論は、小から大への方向性で、相反するようだが、これは、結局は同じ理想を秘めているように思う。

実際、具体的にどうすれば、この理想は実現可能なのか、そういう思いをつらつら考えてきたのが「新鎖国論」であり、少しずつ変化している。

回数も増えたので、カテゴリーに「新鎖国論」を加えることにした。本当は、鎖国論にも関係しているが、「古代アメリカ」など、日本の成り立ちに関することや、国別兄弟関係は、一応、別にした。
今まで「新鎖国論」のカテゴリーがなかったので、どの文章にも、「何度も言うが」とか「くどいが再び」とか書いているので、やや、目障りかも知れない。


無風無評

2011年04月05日 | 新鎖国論

放射性物質による農産物の出荷制限。
風評被害とにらみ合わせて、地域や作物を細かく別けて、出荷停止や許可をすることにしたそうだ。

これでは、ますます分かりにくくなくなって、風評被害という点ではかえって、全体的な拒否が広がるのではなかろうか。

一連の原発事故の対応は、コネコネと、いかにも日本的だ。
細かい事にこだわり、そのつじつま合わせで、事が処理できていると思っている。

正確なつじつま合わせに関しては、今の日本の中堅世代が、偏差値受験世代であることと関係あると思う。あらゆる事の正確さにこだわり、大局が見えない。(当人達は無自覚だが)

森、麻生、菅、仙石など、前世代の、大局を求める「雑さ」が、理解できず、細かなことに噛みついて、全部潰してしまった。
(もっとも、この面々は、自動車人間のエンジンだから、極端に脇が甘かったが)

それでもまだ、日本ではつじつま合わせも通用するかも知れないが、日本語の機微を解さず、遠くで又聞きをしている海外の人々には全く理解できない。
「何か分からないが、日本ではとんでもないことが起こっている」
としか思えないだろう。

海外どころではない。日本でも、よく分からないから、とにかく県名を見ただけで買わなくなる。

地産地消
今回の大災害は、東京一極集中の「不都合」も、洗い出した。
電気や交通のみならず、「食と職」の地域別機能分化の不都合も大きい。

他府県に出荷するために栽培するから、地元の実態を知らない人に風評が広がる。また、特産地域が全滅すると、消費都会も産地も困る。
だから、スパッと全域停止ができず、現在のようなヤヤコシイ出荷制限になる。

地産地消の自給自足なら、風評など関係なく地元で選り分けて消費すれば良いことだし、もし、その地域消費用の作物が全滅なら、その地域全体の作物を廃棄し、他の地域から少しずつ必要なだけ融通してもらえばいい。

日本社会は、完全分化して、日本列島が一つの工場システムになっている。一カ所で配線が切れると全滅する。
そして、今や、それが世界にも広がっている。

新鎖国論は、地域分権、地産地消サイクルを進めることで、複合社会のしなやかさを再生し、日本という文化的独立を保つことを可能にする。
さらに、世界中が細分複合化することで、国家枠を解消し、逆の形で、真のグローバル化を可能にする。


上品国(1)

2011年03月01日 | 新鎖国論

今回の中東革命の原因にもなった、世界的な若者の失業は、中国の低賃金の大量労働力が世界の雇用を奪ったからだと言われている。

それは全くその通りだと思うが、もっと着目すべき、根本問題は
産業革命パラダイムの末期症状ということだ。

過去300年。大量工業生産品を売りつける消費地が有った時は良かったが、資源国で大量生産が始まった時から、権利ルールという新資源が加わり、チェーン店舗展開の矛盾が始まった。

ルールとは、国際法や知的所有権であり、チェーン展開の矛盾とは、世界中が一つのチェーン店に統一された時のことを想像すれば解る。
共産主義や独占とは違う観点でみても、バランスを欠いた生産消費の問題が起こるだろう。

産革パラダイムの流れは
1.(欧州)工業生産品を資源国に売る。
2.(米国)資源国が自国の資源で生産して先進国に売る。
3.(日本)資源国から資源を取り寄せ、加工生産して先進国に売る。

米・日までの発展段階は、工業生産国の人口が、資源国の資源生産人口によってまかなわれ(支えられ)ていたが、資源国の大人口がいきなり工業生産人口に転換することで、工業生産人口が飽和状態になり、同時に、資源生産人口が枯渇する。

米・日方式で活性化した新興国が、先進国として新消費国となれば、さらなる世界発展が進むように言われているが、冷静に考えればそんなことはないと、すぐ解るはずだ。

先進国と新興国だけになり、資源生産国が無くなれば、ガス欠のエンジンだ。最も重要な資源は食料だが、日本方式は食糧資源を捨てて工業化した。日本に習った中国も韓国も、農業人口が減少し、食料の国外依存を前提にしようとしている。

つまり、世界中がグローバル化と称して、同一方式のチェーン店になれば、生産過程の何か一つ狂えば、全滅することになる。
何よりも大きなカギは食料だ。

例えば今、日本全国のコンビニも行き詰まり、独自性に活路を見いだそうとしている。あらゆる業種のチェーン展開は必ず行き詰まる。
「極まれば転ずる」それが自然のバランスというものだ。

現在、世界に起こっている混乱は
産革パラダイムの大量生産、大量消費のワンパターン、チェーン店が、行き詰まりを迎えていることを告げている。

一斉倒産に巻き込まれる前に、チェーン店から離脱して、
独自商品による独自店舗、ご用聞きや会員販売のような独自商法、昔ながらの自己完結型の生計を確保すべきだ。
少子化を恐れるのも、工業生産を前提とするからだ。
派手な工業生産から外れて、「負け組」と思われようと恐れることはない。

新鎖国主義とは、小人口、高機能、ハイクオリティー、高価値の、
上品国になることだ。

生き残る」、「三題噺


百年の計(5)江戸

2011年01月26日 | 新鎖国論

産業革命パラダイムからの大転換を先取りするには、産革パラダイムの屋台骨である、国家と大量生産から離れる必要がある。

大量生産が無くなるわけでもないし、国家的な地域集団も残るだろう。
しかし、その枠で考えていては、世界の趨勢に取り残される。

今でも、産革パラダイムしか見えない人々と、次のパラダイムに目を向けている人々がいる。
領土や国防論で国際関係を考える人々と、投資やNGO、果てはウィキリークスまで、国を越えた枠で行動する人々がいる。

真にこの日本の島を、この島に住むわれわれの子孫を守りたいならば、現状を捨てる、国家を超える発想をしなければ、かえって全てを失うことになる。
豊臣家を守ろうとした淀君が豊臣家を滅亡させたように、時代を読み誤ってはいけない。大阪城の寄せ集め浪人のような政治家の、党利党略の政争をしている時ではない。

百年先の世界での、日本のあるべき姿を見て、その上で今の政治を考える。すぐにはできないだろうが、目標が有れば着実に進んでいく。

新江戸時代
日本が最も充実していた時代は江戸だろう。今の日本が帰るべき時代も江戸だ。もちろん、全く同じではない。
江戸の、鎖国・循環社会を、グローバル時代に実現するには、それなりの形と仕組みが必要だが、要は原理を復活させることだ。

大企業の生産工場は国外に移し、研究開発部門を日本に残す。
無関税経済連携により、国内の下請け、および特殊技術の中小企業を保護、育成する。
(関税障壁が無ければ、国外工場に国内同様に納入できる)
通信が発達し大工場がなければ、大都市は不要だから解体し、地域主権で、人口を分散する。

サラリーマン社会から、コミュニティー社会*へ変え、年金や健康保険は止めて、最小でも絶対保障にし、仁徳と話し合いで、本当に困っている人を救い、元気な労働を自慢できるような、だれでも働ける社会にする。例えば高齢労働者を表彰する。
*(大家族制度の代わりに、地域全体が大家族になる)

地産地消の農業を基本とした地域経済を確立する。
特産品は現地で食べれば安くて美味しく、土産にもなる。そんな、昔の当たり前を取り戻す。
地域工業は江戸時代とは違い、外国を相手にできるメリットがある。
中小企業や付加価値手工芸も、地域経済の支えになるし、日本人の資質を発揮できる。大企業では日本人の多彩さが死んでしまう。

中央集権解体に抵抗するであろう優秀な官僚は、地域行政に分散し、地域間競争をすればいい。縄張り意識の強さを活かしてガンバルだろう。
中央政府はむしろ、地方政府によって支え、国防と地域間格差の調整だけする小さな小さな政府でいい。ただし、百年先も、国防の軍隊が必要とは思えない。世界警察なら必要だろうが。

タイ製の日産車を日本で買うように、工業製品は全て外国製でいいので、素材、ノウハウ、開発人材を、確実に押さえる。
そして、世界中が憧れる、農業と文化の美しい島ジャパンでありたい。


百年の計(4)心都

2011年01月25日 | 新鎖国論

昔、水洗便所の無かった頃。排泄物は近隣の農家が肥担桶(こえたご)で汲み取りに来て、農地にある野壷に貯めて発酵させ、それを肥料に使っていた。農家はそれがなければ肥料に困るので、汲み取りをさせてもらう礼にと、自家製の野菜や餅などを持ってきた。

ところがある時、農家の働き手が病気で倒れたために、汲み取りが途絶えてしまった。便所の肥壷は満杯になり、近所に来ている別の農家に頼んでも、一軒だけではないので、もう手一杯だという。
あちこちの農家に頼み回って、少しずつ汲んでもらい、何とかしのいでいたが、どうにか回復した元の農家が来てくれた時には、家中が大歓迎をして喜んだ。江戸方式が残る、半世紀前のことだった。

産業革命パラダイムの矛盾は、
植民地から、開発途上国へと、押しつけられてきた。
先進国という食物連鎖の頂点が、工業という草食動物から、金融や知財権という肉食動物に進化した時、牧草に限界が見え始めた。

草食動物が滅べば、肉食動物も共倒れする。
屎尿処理方式を変えずに、農家が化学肥料を使い出せば、都市住民はたちまち生活できなくなる。(実は農家もだ)

牧草地から現れた草食動物の中国を、餌のつもりでいると、肉食獣の先進国も共倒れする。所詮、肉食獣は草食動物に依存している。

農家が化学肥料を使うなら、都市も変わらなければならない。
最近、屎尿処理から肥料生産という、新江戸方式とも言える循環が生まれつつあるが、これは素晴らしいことだと思う。

中国という巨大な草食動物の出現に、大きな餌が出来たと喜んでいる肉食獣は共倒れする。
もし、産革パラダイムが続くとしても(続かないが)、中国を食い物にしようと企めば、逆に運命を握られる。
もう、動物の食物連鎖から解脱して、牧畜の道を歩み出す時だ。

牧畜をするには、まず、餌と排泄が大切だ。
餌は資源精製の方法であり、排泄は産業廃棄物の処理方法だが、それを相手の勝手にさせてはならない。
牧畜をするなら、ノウハウと素材は、絶対に手中に収めておかなければならないのだが、日本は、それを安易に譲り渡そうとしている。
日本が何で生きるのか、明確なヴィジョンがない。

中国に自動車を何台売ったとか、新幹線をパクられたとかはどうでも良いことだ。

百年の計
日本は、明確な百年の計を持って、陰の管理人たるべき、資源精製やリサイクルの技術力を、整備促進しなければ、ストローで吸われるように、何も残らなくなる。

そして、もっと重要なことは、学術・芸術の無形の力を発展させる「人集めの環境」作りだ。
ヨーロッパの、バチカン、フィレンッエ、ウイーン、パリのように、心の都としての「地球のジャパン」を目指す。

世界の生産工場から脱却し、経済永世中立とでも呼ぶべき、産革パラダイムからの鎖国によって、一国循環型経済を基本に、聞いて楽しい見て楽しい、情報発信の「ジャパン・テーマパーク」という生き方を選択する。
それは物を作らないモノ創りであり、一つの防衛の方法でもある。

小堺一機が、脅されたら笑いで逃れると言っていたが、芸は身を助けるとも言うし、かわいいお姫様は誰でも助けたくなるものだ。


徳川家康 2

2010年10月30日 | 新鎖国論

徳川家康は12月26日生まれだが、太陽暦では1月31日で水瓶座だ。
水瓶座も山羊座も、元来、支配星は土星で、家康も土星の人となる。
坂本龍馬は11月15日だが、これも1月3日で山羊座の土星だ。演じている福山雅治も水瓶座。

「坂の上の雲」の秋山好古は太陽暦2月9日の水瓶座。
秋山真之は牡羊座。正岡子規は天秤座。二つの星座とも現在、土星の影響を受けていることは、今さら言うまでもない。

歴史は元々、時を司る土星の仕事だが、天秤座の日本に土星が来ると、大河ドラマには土星の人が登場して、一世を風靡する。
これを偶然と考えたのでは、占いは成り立たない。
小説・徳川家康の連載も、やはり土星が天秤座に来た昭和25年に始まっている。

土星は、時代のターニングポイントに影響する
山羊座・水瓶座は、十二支では丑寅の季節であり、丑寅は一年の入れ替わりの季節から、代替わり=世代交代の時を表す。

山羊座・水瓶座に惑星が来ると、その惑星の周期に応じた「転換」が起こる。逆に、土星が訪れた星座の人物や事柄に、やはり「転換」が起こる。

周期250年の冥王星が山羊座に来た今、産業革命パラダイムの「大転換」が起こっていることは、繰り返し話しているが、
周期30年の土星が天秤座に来ると、天秤座の人や天秤座の日本は方針転換を余儀なくされる。

還暦60年では、上昇の30年と下降の30年と、土星が2回転する。
60年前の昭和25年の土星天秤座から上昇し、30年前から反転下降。
今回、「どん底」に到来した土星は、中韓の経済攻勢や、尖閣問題で、おそらく、日本人を覚醒させるだろう。

戦後日本の高度成長パラダイムは、根底から転換せざるを得ない。
戦後、農業から貿易工業に人口移動し、工業で農業を養ってきた日本の生き方を、全面転換しなければならなくなった。

TPP問題は日本のターニングポイント
しかし、どこに向かうのか、政治家にはヴィジョンが無い。
農業を捨てて、工業立国に再挑戦するのか・・・
農業を工業と並ぶ輸出産業とするのか・・・
議論は、いつも、過去を前提とした話しばかりだ。

しかし、今こそ、全く新しい概念が無ければ、日本という国はここで滅ぶ。(世界に国が無くなるというなら、それはそれで歓迎だが)

またまた、自論
日本は今こそ、島国の鎖国精神を目覚めさせ、グローバリズムから一線を画して、「独特の日本」を徹底的に築きあげるといい。

工業技術は簡単にパクられるが、手仕事や感性は簡単にはマネできない。ハイテクは機密保持し、技術移転などしない。工業会社は海外移転し、食料は完全自給する。
完全な自由貿易となっても、国内の地産地消を奨励するため、輸入食品は特定の業者でなければ扱えないようにし、複雑で厳格なルールを設けて、結果的に割に合わない商売とする。
知恵を絞れば、恐れることはない。輸入品の浸食は防げるはずだ。

加工貿易から足を洗い、GDP決別宣言をして、開国以前のような蓬莱の島、「徳」の日本に帰りたい。
芸能、観光、医療、学術で立国し、雇用創出をする。国際会議場や情報センターを誘致して、将来の地球の首都をめざす。

牡羊座のイギリスがルール創りとリーダーシップに長けているなら、
その真反対の天秤座の日本は、受け身の接客術を発揮したい。