魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

地産鎖国

2010年05月14日 | 新鎖国論

「松阪牛」ブランドが、中国で商標登録されている上、松坂市が抗議したら、ただの肉と変わらないと回答され、それではと商標登録しようとしたら、既に登録済みと拒否され、日本政府に何とかしてもらわなければと焦っている。

ブランド・ビジネスが消える、一つの過程ではあるが、
いかにも中国。笑うしかない。

これこそまさに、新鎖国主義を考える問題だ。
「松阪牛」は中国で、それだけ認知されているということだが、
青森リンゴも、関鯖も、大間のマグロも、一切、中国の市場に出さないことを宣言すればいい。

日本産のものは、日本からの直販でないと買えないことにすれば、「絶対の本物」として、もっと値打ちが上がる。
物流、情報の時代、金持ちは何としてでも手に入れたいと考える。
日本の狂牛病を理由に輸入禁止したら、松阪牛は密輸されていた。

古代ながらの人治の国中国は、裏取引が当然のルールとして存在している。日本の「本音と立前」より、ハッキリしたルールだ。
立前の「商標」など、知的財産権は、スポーツのルール程度だ。
競技場ではとりあえず守るが、生活とは関係ない。
(だから、スポーツでもドーピングなど当たり前)

「特別なルート」という差別化のほうが、ラベルより価値を持つ。
リンゴやイチゴはどうか知らないが、「松阪牛」は、絶対量が限られることにも価値がある。狭い日本でカウボーイが追っかけながら松阪牛を育てるわけではない。

新鎖国主義の姿と価値
工業生産品なら、誰でもマネできる。なにしろ、機械が勝手に作るのだから。工業に関しては、大量生産企業は海外に出て、国内は製造機メーカや研究開発に徹すればいい。

農産品のように、ノウハウこそが商品であるものは、ベールに包み、一切、海外進出をしない。直売だけを心がけ、食べたい人は、立前上、日本でなければ食べられないようにする。
これにより、日本観光の価値を上げ、ネット購入者の満足度を高める。

「名物に美味いものなし」と言うが、実際その通りだ。
その理由は、観光客用の土産物仕様にするからでもあるが、
何よりも、料理はその風土で食べてこそ美味しく感じるものだ。

北海道出身の人が、故郷から送ってきた大好物の「ニシンの麹漬け」を「美味しいよ」と言って食べさせてくれたが、自分でも「美味しくない」と言って、悲しそうな顔をしていた。

地産地消
何でもかんでも流通させれば良いわけではない。
近年では日本国内でも、様々な名産品が、地元で食べられなくなった。良い物から大都市に出荷され、地元でも大都市と同じ割高になり、それでいて、出回った先で美味しく食べられているわけでもない。

国内でも、地産地消で、「一番美味しい物はその土地に行かなければ食べられない」という常識に戻すべきだ。
それが、国内旅行を活性化させるし、外国にも、そのルールを徹底すれば、日本観光を増やせる。

中国人が、パクったコシヒカリを、「日本のコシヒカリとまったく同じだ」と、自慢していた。
ブランド農産品を売っての儲けと、来なければ食べられない付加価値とどちらが儲かるか考え直してはどうだろう。

新鎖国主義とは、地産地消立国のことでもある。