3月半ば以来、一度も化粧をしていない。
3月17日に、会社でマスク着用が決まってからは、
メイクは止めて、眉毛を申し訳程度に描くだけで出社していたのだが、
4月14日に会社に申し出て、5月末まで私は勤務しないことを認めて貰い、
更に緊急事態宣言を受けて、17日からは会社自体が臨時休業に入ったので、
私は自分の眉毛のことさえ今は全く気にしなくなった。
顔に一切、何も塗っていないので、肌は絶好調のツヤツヤ(大袈裟)である。
化粧をしなくて良い、というのはなんとラクで快適なのだろうか。
洗顔や歯磨きなどは、時間があるので丁寧にやっている。
出勤時間が迫り、時計を見ながらバタバタしていた頃と異なり、
歯磨きなど、日に三度、時間を気にせずブラッシングして、フロスもやっている。
終わると、イソジンを薄めてうがいをし、更に水だけで数回うがいを繰り返し、
鏡で、口蓋扁桃の変化を念入りに観察する余裕まである(爆)。
何にどれだけ時間を使っても、今日も明日も明後日も一切、外出しなくて良いので、
準備に追われることもなく、気持ちが常に解放されていて、体の隅々までもがラクだ。
夜もぐっすりと眠れて、朝まで一度も目覚めない。
日がな一日、音のしない部屋で、本を読んだり
愚にも付かない思索にフケったりして、
時間を自分の思い通りに空費し続けたい、という私の願望が、
Stay Homeのかけ声のもと、完全に肯定されるようになり、
私は未だに、夢じゃなかろうかという幸せな毎日を送っている。
自分は社交が嫌いで、インドア派である、という自覚は前からあったが、
最近は世のすべてが私にとってラクなほうへラクなほうへと流れており、
これを機会に、もう本格的に仕事も辞め人付き合いも断って家に籠もり、
完璧な隠遁生活に入ろうかと思ってしまう、今日この頃である。
考えてみたら、55歳は若くない。
過去数年やってきたように、ただただ出ずっぱりの多忙で
ひたすら小走りし続けたままで、人生を終えることになっていたら、
私はどんなに不本意で、不幸だったことだろう。
期せずして、私は天から今、宝物に等しい時間を与えられたのだ。
私はこのところ、日に幾度も手帳を取り出しては、
何の用事も入っていない、真っ白な予定表のカレンダーを、
信じられない思いで繰り返し確認し、幸せを噛みしめている。
まったくもって、このような毎日は、私がこれまで、
「いつの日か、隠居したら」「私に老後というものがあったなら」実行したい、
と、心の中で思い描いていた過ごし方そのものだ。
なんと、COVID-19の世界的流行という、とんでもない災禍の真っ最中、
明日をも知れぬほどの暗い日々の中で、
私の狭い、個人的な世界だけは、一度にすべての理想が叶ってしまった。
禍福は糾える縄のごとし、……というか、二者は糾われてさえおらず、
想像だにしていなかった禍と、夢にまで見た福の、両方ともが、
完全に同時進行で、今、目の前に実現している。
……現実には、今の私は単に失職したに等しい状況なのだ、
とは重々わかっておりますけれどもね(爆)。
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