転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日の歌舞伎。
私はいつものように三階席で観ていたので、
背後に、大向こうさんたちが陣取っていた。

夜の部最初の『陣屋』で、まず登場したのは、
熊谷次郎直実の妻・相模、演じていたのは秀太郎。
花道に登場するとすぐ、拍手が起こり、私の後ろからは、
大向こうさんのよく通る太い声が、すかさず、
松嶋屋!

これを出迎えたのは堤軍次の愛之助。
松嶋屋!
相模と堤軍次とが挨拶を交わし、近況を尋ね合っているところへ
次にやって来るのが、敦盛の生母・藤の方、演じるのは孝太郎。
松嶋屋!

そしてついに、一家の主であり物語の主人公である
熊谷次郎直実が登場、勿論、片岡仁左衛門だ。
松嶋屋!

おまえもか!と思いませんか(殴)。
いや別に大向こうさんがフザケているわけではなくて、
舞台上にいるのは本当に松嶋屋ばかりなのだった。
初見でご覧になった方や外国人観光客の方々は、かなりの確率で、
屋号についてカルい誤解をなさったのではないかと思う(汗)。

松嶋や ああ松嶋や松嶋や(爆)。


そして、夜の部の次の演目が、私のお目当てであった、
『黒手組曲輪達引』。
歌舞伎十八番の『助六』のパロディそのものの内容だ。

まず、三浦屋の白玉(菊之助)が花道に出て来る。
音羽屋!
白玉に惚れている、さる大店の番頭・権九郎(菊五郎)が一緒で、
ふたりはこれから、連れだって江戸から京か大坂へ逃げよう、
という算段をしている。
思いっきり三枚目につくった、菊五郎。
音羽屋!
と、そこへ、ふたりの様子をうかがう、スリの牛若伝次(松緑)が
じわりじわりと近寄って来る。
音羽屋!

今度は本当にみんな音羽屋なんですってば~~。

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前に来たとき、完全に勘違いして新歌舞伎座に行ってしまい、
「川中美幸特別公演」と書いてあってギョーテンしたことがあったので、
今回は地下鉄を降りたときから、
「道頓堀・カニ道楽!」と唱えつつ、迷わず来ました(汗)。

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歌舞伎役者 尾上菊五郎「江戸香る男の色気」 (産経新聞)

きょうはこれから、大阪へ行く予定だ。
梅田で宝塚歌劇宙組『雨に唄えば』を観て、
夕方からは引き続き、大阪松竹座『七月大歌舞伎』へ。
音羽屋さんの『黒手組曲輪(くるわの)達引(たてひき)』を
観るのが主目的だが、仁左衛門の陣屋も楽しみだ。

実は、更に私には野心があった。
せっかく丸一日の休日を手に入れることができたのだから、
梅田の映画館ブルクで『QUEEN ROCK MONTREAL cine sound ver.』も、
この際、なんとかして観られないかと、前々から考えていたのだ。
東京と大阪で、この期間限定でしか上映されない、
クイーンの81年モントリオール公演の映像だ。

しかし。タイムテーブル詳細が発表されてみると。
一回目の上映が14:30、二回目が19:20。
一回目に間に合いたいなら『雨唄』の最後が観られず、
二回目のほうは『黒手組』とかぶりまくり。

無理っっ

たとえ『どこでもドア』があったとしても、解決しないことがある、
・・・と、よくわかった。

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NHKラジオ『まいにちスペイン語』8月号テキストが発売された。
6ヶ月が1クールとなっているこの講座、いよいよ5ヶ月目突入だ。
4月以来、うっかりと聞き逃したのが一回、
旅行のために、聴こうにも聴けなかったのが二回、
と、私にしてはかなり真面目にここまでやって来ている。

が。
ますますオチコボレ状態な、わたし

現在の私の状態は、そーですね英語で言うなら、アレですね、
haveとhasが同じ動詞の活用形だということに気づかないまま
現在完了の用法を覚えようとしているようなもんですね(爆)。

では放送を聴いても全然理解ができないのかというと、
そうではなくて、放送そのものは、講師の下田先生が毎回、
学習済みの文法事項でも語彙でも、大変丁寧に解説して下さるので、
その場では一応、わかって、ついて行けるようには、なっている。

だが、週末の練習問題の回になると、
本文の通りでなく、ちょっと応用が入って来て、
人称が変わったり、主語の性別が違ったりするので、
自分が本当には、学習中の項目について、
ちゃんと使いこなせるようになっていない、とわかるわけだ。

下田先生が仰るには、
この四ヶ月で、大学のスペイン語授業1年分の文法を
かなり駆け足でやって来たことになるのだそうで、
そういうものを、放送時間だけでなんとか覚えようというのが
どう考えても無理なのだ。私の頭では。
つまり、先月も書いた通り、
放送時間外に、自主的に復習をやっていないのが敗因だ。

語学が上達しない場合、その原因は、
つまり努力不足にあるのだ、
ということを、身をもって体験中&実証中~~(がっくり)。

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近況  


私なりに、清志郎の一件が衝撃的だったうえに、
9月の野音も必然的に中止になったので、
つい先日まで、あちこちとチケットを探していたのが、
急に、することがなくなって、力が抜けてしまった。
そんな私の落胆とは無関係に、梅雨が明けて、
世間は、本格的に、夏になった。

主人はこの7月からお弁当を持って出勤するようになったので、
私は朝のお弁当作りが、娘のと合わせて二人分になったが、
そのかわり、昼食に主人が帰宅しなくなったので、
時間的には、なんだかちょっと、ラクになった。

・・・と思ったのも束の間、
考査から引き続き学期末の臨時時間割になった娘が、
午前中だけで帰ってくるので、
私は、やっぱり昼食の支度をせねばならなくなった。

その娘、明日は終業礼拝で、とうとうこれで一学期が終わりだ。
連休中、美術部の遠足で、安来の足立美術館に行くというのは聞いたが、
その後の部活はどうなるのか、娘の予定が私にはよくわかっていない。
明日にはきっと判明するのだろう。

学校にすっかり慣れ、受験生でもない娘は、限りなく暇で、
美術部の部活のほかは、お友達と映画を観に行くこと、
一番の仲良しの同級生がうちに泊まりに来ること、
あとは、学校の宿題で、教会礼拝に出席することと、
市内の被爆建物や原爆関連施設を訪ねてレポートを書くこと、
・・・が、彼女の用事らしい用事だ。ほかには特に無い。

8月の後半に主人は休みを取る予定だそうで、
家族で、下関~別府のコースで旅行しよう、と言っていた。
私は是非とも見たい舞台がそっち方面には今ないのだが、
うまく行けば、博多座で宝塚歌劇を観られるかもしれない。

自分の身近に、のっぴきならないことが起こっていない、
という今の日常に感謝しなくてはならない、
と思いつつも、気が晴れないワタクシなのだった(涙)。

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ちょっと前に、ヒルビリー・バップスのことを書いていて
(『宮城宗典~!!1』~『宮城宗典~!!6』)、
昔の映像を検索していたときに、YouTubeで、偶然、
プリンセスプリンセスのライブ映像をいくつか見かけた。
とても、懐かしかった。

彼女たちの『M』という曲は、宮城宗典がモデルなのでは、
という説があるのだと、私はかなり後になって知ったが、
89年当時は、そのような噂は私の周囲にまでは届いていなかった。
ただ、『Diamonds』と『M』とが、
確かシングルCDでカップリングされていたので、
私はこの曲自体は、発売当初から知っては、いた。

PrincessPrincess - M(YouTube)
プリンセスプリンセス Diamonds~世界でいちばん熱い夏(YouTube)

私は世代的にはまさに彼女たちと同じで、
彼女たちが活躍した頃、私もまた二十代だったわけだが、
同性の同年代の私の目から見て、
彼女たちは本当に格好良かった。
女の子達だけで、こんな巧くてオシャレで元気なバンドが
実現できるものなんだと、いつも痛快・爽快に感じていた。

彼女たちは、カワイイ系や美貌系、クール系、姉御系など、
メンバーそれぞれ、容貌の点でも目を引く個性を持っていたが、
中でも、ヴォーカルの奥居香が、どう見ても痩せていなかった、
というのが、私としてはとりわけ気に入っていた。
いや、私自身が肥満体だったから、という理由によるのではなく(!)、
テレビに出ている女性歌手や芸能人たちが、
誰も彼も右に倣えでスレンダーだったときに、
奥居香みたいにパワフルでエネルギーに満ちた魅力を持つ女の子は
ちょっとほかでは見たことがなかったので、物凄く惹かれたのだ。

のちに彼女は髪を切って、もっと大人びた感じになるのだが、
私としては、↑の映像にあるように、
派手にくくり上げたロングソバージュを振り回し、
ステージで跳ねて歌っていた頃の彼女が、一番好きだった。
今でも、奥居香というと、私はこの当時の彼女を
どうしても最初に思い浮かべてしまう。
私は、だいたいが、楚々とした儚げな存在よりも、
むしろ、周囲を蹴散らし、なぎ倒すような、
破格の生命力にあふれた人に、強く惹かれる傾向があるのだ。


余談だが私は、奥居香の夫となった岸谷五朗についても、
80年代からかなりよく知っていたほうだった。
映画『月はどっちに出ている』よりも、ずっと以前からだ。
なぜなら彼は、80年代初頭以来、私が大好きになった、
劇団スーパーエキセントリックシアターの、若手俳優だったからだ。
まさかプリプリとSET隊が結婚するとは、
『M』を聴いていた当時は夢にも考えたことがなかった。
業界って、本当に狭いんだと思ったものだった(汗)。

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昨日、清志郎の完全復活DVDを観ていて、
前々から書いておこうと思っていたことをひとつ、思い出した。

武道館から始まった、この一連の復活祭ライヴでは、
最後に、清志郎を初めとする出演者の名前と似顔絵が、
会場スクリーンに次々と映し出される演出があったのだが、
そのとき、バックにかかっていた音楽が、
なんとクラシックの室内楽で、シューベルトのピアノ五重奏曲『鱒』だった。

私が行った3月2日京都公演でも、終わって、この音楽が流れ始めて、
でもその時点では、復活祭は京都が初見だったし、
まさかシューベルトがここで出るとは、全く考えてもいなかったので、
「なんでこんな、『鱒』かなんかみたいな音楽が流れるワケ?」
と、私はエラソーにも、友人に言った。

私は室内楽の素養などほとんどないのだが、
『鱒』だけは、高校のとき掃除の時間に必ずかかっていたせいで、
雰囲気に馴染みがあり、つい、そういう例えになったのだ。
友人も同じ高校の同窓生なので、この話はすぐ通じた。
そして、席を立つ準備をしながら、しばらく聴いていたら、
明らかに、レッツお掃除な、聞き覚えのある旋律が出てきて、
やはりこれはピアノ五重奏曲『鱒』そのものだとわかったのだった。


忌野清志郎と、シューベルトのピアノ五重奏曲『鱒』。

この五重奏の元になった歌曲の『鱒 Die Forelle』の歌詞は、
澄んだ川の流れを、漁師が、わざとかき回して濁らせ
視界の利かなくなった鱒が、他愛もなく釣り上げられてしまう、
・・・という情景を歌っている。
聞いた話では、この歌詞は、文字通りに風景を描写するだけでなく、
男は、このように女性を釣り上げるのだから、お嬢さん方、注意しなさい、
という意味のことを言っているのだそうだ。

清志郎の復活祭のエンディングに、どうして『鱒』が選ばれていたのか、
隠された意味があったのか無かったのか、私などの知る由もないことだが、
私は確かに、清志郎にあっけなく釣り上げられたので、
歌詞の暗喩は、当たっていたと言えなくも、ない。
ここ何年かは、もう、気力体力を消耗するライヴというものには
若い頃ほど行かないようにして、心穏やかに暮らしていたのに、
復活祭だからと京都まで出かけたために、
清志郎に存分に引っかき回されて、
私はこのあと、またぞろエラいことになってしまったのだ。


ワタシが『青春の黄金の泉』の只中にいる『お嬢さん』とは
カケ離れたオバちゃんであったことは、
返す返すも残念だったが(逃)。

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『忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館』のDVDを、
きょう改めて、観た。
ああ、ほんの数ヶ月前に、こんな幸せな瞬間が、あった、
・・・と感傷的になるかと思ったが、とんでもなかった。

清志郎が、あまりにも格好良くて、物凄く元気を貰った。

こんな清志郎を、できるだけ早く、もう一度、観たいか?
答は勿論、イエスだ。私は大ファンだから。

でも、それ以上に、今私が思っていることは、
『なにごとも、全部、清志郎の思う通りが、いい』
ということだ。

『一日も早く、二度目の復活祭をやろう!』
と清志郎が望んでいるなら、私も、そうなるように祈ろう。
逆に、前に筑紫哲也のインタビューに答えて語っていたように、
『このまま、復活も何もしない人生も、いいかな』
と、清志郎が考えるなら、私もまた、
そのような生活が思い通りに彼のものになるよう、祈ろう。
どちらでもいい、なんでもいい、
清志郎の望みが、そのまま、ファンとしての私の望みだ。

とりあえず、今、一ファンに過ぎない私にわかっていることは、
直筆メッセージの中で、清志郎本人が、
『応援してくれ!』
『夢を忘れずに!』
とファンに呼びかけていた、ということだ。
だから、私も自分自身の夢をいつも忘れず、
これからも、ひたすらに、清志郎を応援する。
『すぐに帰ってくるから』
と清志郎は書いたのだから、彼のその気持ちが変わらない限り、
ずっと私は、ファンとして、彼の復帰を、待つ。

清志郎の、望みが、夢が、
いつでも、きっと、現実のものとなりますように!

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娘の期末考査がゾクゾクと返却されて来ている。
きょうは、国語・生物・英会話・家庭科・歴史、
の五科目が返ってきて、中でも生物はドツボであった(--#)。
一目で「あひる確定」とわかった。
それどころか、もしかして「えんとつフラグ」が立っとるかも。

(まあ、ガッコの勉強が出来るの出来ないのという話が
大問題であるなんて、考えようによっては平和の極みなワケだが)

娘は歴史の成績も前々からロクなものではなく、
今回の答案でも、漢字をミスして何点も落としていた。
それでも彼女なりには、前よりきちんと正しい字が書けたそうだ。

「『曹洞宗』の『曹』の字が、最初、書けんでね~。
なんべん書いても、なんか、変な感じがしたんよ。
で、そうかクルル曹長(@ケロロ軍曹)の『曹』だと気づいて、
曹長・曹長、って書いてみたんだけど、やっぱりどうも違う。
で、『軍曹』って書いてみたら、わかったんよ~!!
横棒が一本、足らんかったんよ!!!」

そーなのか。わかって良かったな。

「全くだよね!考えてみたら、クルル曹長のことは、いつも、
クルル、クルル、って名前だけで、曹長とは書いたことなかったんよ。
でもケロロのほうは、タイトルにもなっとるし、
タママも『軍曹さん』って呼ぶし、書く回数が多くて、
『軍曹』だったら書けたってことなんよね~!!」

そんな分析は詳細にせんでもええから

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忌野清志郎より(忌野清志郎Official Website 地味変)

『妙に前向きになるのはなぜだろう。
腰にガンが見つかった。
心配はしないでくれ。
このくらいのことは覚悟してたんで
ぜんぜんヘコんでないから。
ブルースはまだまだ続いているというわけだ。
残念ながら夏のイベントはキャンセル
治療に専念します。
楽しみにしててくれたみんなにはゴメン
でもすぐに帰ってくるから
応援してくれ!
もう一度言おう。
夢を忘れずに!』


(14日夜 追記:公式サイトはきょうの昼過ぎからダウンしてしまった。
アクセス数が急増してサーバーが落ちてしまっているのではないかと思う。
清志郎の直筆による上記の文章がアップされていたのが、
今のところ復旧していないようで、見られなくなっている)

*********

腰ということは骨転移だろうか?
骨に来ても直接には生命予後に影響しないと
舅が入院していたときに主治医から聞いた記憶があるが、
遠隔転移であることには違いないので
今後は、全身的な治療と観察がいっそう大切になって来るはずだ。

『すぐに帰ってくるから』
という清志郎の言葉は本当だと思う。
でも、言うまでもないが無理したり焦ったりはしないで欲しい。
うちの舅も言っていたが、
『この病気は、一生の付き合い、っちゅーことよの』
というのは正しいと思うのだ。

悪いところが出てきたら、その都度、最善の治療を考え、
良くなったときも、注意をし続けないといけない。
簡単に治るなどと根拠のない楽観をしてはいけないが、
勝負の早い病気とは違い、ほとんどの場合、治療経過は長いのだから、
段階に応じて、打つ手があり、選択肢もある。
ときに、悪いニュースも良いニュースも、あって当然だ。


また、待ってます、清志郎!
もちろん武道館・野音で、またまた完全復活祭を!

完全復活を性懲りもなくまたやるヒトもファンも、前代未聞(爆)。


追記:新聞記事によると左腸骨への転移だそうだ。
足の痛みがあり、検査で判明した、と。
<忌野清志郎さん>がん転移で公演中止(毎日新聞)
忌野清志郎、夏の音楽活動をキャンセル(ORICON)

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