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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



晩になって、クラスの男の子から娘に電話があった。
娘がいつも一緒に遊んでいるうちのひとりだ。

明日、がんばってね、
と言われたそうだ。

いいな~~~~(^o^) 

キミ、女子校、合格したら本当に行くのぉ(^_^;)?

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娘はきょうも普通通り、学校に行った。
明日から入試なんだがなー(^_^;)。

昨日、塾も最後の通塾日だったのだが、
娘の塾は最後と言っても淡々といつもと同じ授業をしただけで、
壮行会もなければ、ハチマキを配付するなどのイベントもなかった。
ま、この塾のそういう万事につけて力まないところが長所でもあり、
いかにも「らしいな」と思ったのだけど。
娘は、ついに二年間の塾通いが終わったと、喜びをかみ締めていた。
まったく、小学生にとっては就寝時間みたいな9時10時まで
よくぞ毎回、外で勉強して来たものだと私だって思う。
偉かったな~。よしよしっ

明日からの入試には、多分、各進学塾の先生方も、会場にいらして、
塾生たちを最後に励まして見送って下さることと思うが、
娘の塾に限っては、「どこ・・・(^_^;)?」というくらい、
地味ないでたちで、先生方が立っていらっしゃることだろう。
一斉握手とか鉛筆配りとかは、娘の塾ではなさそうな感じがする。
またうちの娘が、あーぱーなくせに変なところで内気なものだから、
先生方を見かけたらかえって目を伏せてこそこそしそうな気がする。

そういえば、18日に一緒にポゴレリチを聴きに行った友人は、
某高校の国語教諭なのだが、彼女が言うには、最近は、
センターテストの日には三年担任と進路指導教諭らで、
試験会場に朝から行って、やって来る生徒を激励し、
キットカットを配る、ということをやっているのだそうだ。
今時は公立学校も予備校っぽいサービスをするのだな(^_^;)。

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明後日が入試の初日だ。

変な風邪でも貰ってはいけないし、
小学校の先生も大変に理解のある方なので、
もう、大事を取って今日明日くらい、家にいてもいいのでは、
と私は、正直なところ、思わないことはなかったのだが、
娘には、全然、そういう考えはなく、
「行って来マンモス」
と、今朝も学校に行った(^_^;)。
まあ、今更、家でアガいても結果は一緒やけども(逃)。

それどころか昨夜は、
「いやー、ホントに、無事に18日が済んで、つくづくホッとしたよ」
と娘に言われた。
18日とは、勿論、ポゴレリチの大阪公演のことだ。
娘にとっては、1月18日が、ハハの入試みたいなもんだったらしい。
変なプレッシャーを与えて、すまんかった(^^ゞ。

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あと数日だ。
ここまで来ると、もう、何を始めるわけにもいかないので、
娘は漢字のテキストをやっている。

娘「『○がすわる』、・・・○に体の部位を表す語を入れる、
 って言うんだけど、なんだっけ?」
私「意味は?指定されてるの?」
娘「『落ち着いていて何事にも驚かない』。『腹』かな?」
私「『目』ってのもあるが」
娘「えっ、ほんと?」
私「・・・・冗談だ(^_^;)」

そういえば、キミ、きょうは社会の問題で答えの欄に、
『ポーランド』と書こうとして『ポーラン』と書いていたな。
それでも諦めきれずに、
「そういう国があるかもしれん!」
とか言って地図帳を探して、
「なかった(T.T)」
と落胆していたが。
漢字も良いが、カタカナのお稽古もしときなよ?

娘はそれから、実にテキトーに答合わせして勉強を終わり、
入浴しようと脱衣場に行った。
体重計に乗っているらしい気配がして、娘の溜息が聞こえた。

娘「腹、引っ込めても体重は一緒なんだよね~。
 だって体積が変わってないもんね」

つーか、体積と質量は直接関係ないじゃん(^^ゞ。
要は密度の問題で。
まあキミの場合は、息を吸って腹を引っ込めても、
カタチが変わっただけで、別に体積も減ってないがな。
理科のお勉強も、マダマダー。

娘は腹がすわっているようだが、
私はもはや、目がすわっている。

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昨日が和央ようかコンサートの初日だったのだが、
なんだかこれが、ネットの評判を見る限り、やたらと良さそうなのであるっ(T.T)。

元宝塚宙組・和央ようか、退団後初コンサート(SANSPO)

ポゴレリチの来日公演も、『なんで今、来るかね、今っ(T.T)!!』
という事態だったのだが、彼のほうは大阪があったから無理矢理行った。
だがたかこさんに関しては東京公演しかなく、このあと千秋楽まで、
娘の入試日程と全部重なっているので、私はもう、身動きが取れない。
こういうときに限って、見逃した舞台というのは、
後々語りぐさになるような出来映えだったりするのだよな~(T.T)。

********************

先夜、ポゴレリチの弾いたベートーヴェンのテレーゼが、
私にとってはあまりにも鮮烈だった。
あの瞬間、確かに物凄く楽しかったし興奮した気がするのだが、
今となっては、果たしてあれが良くできた演奏だったのかさえ、
頭で考えるとかえってわからなくなりそうだ。
私はあの曲のとき魔法にでもかけられたのではないかという感触が、
今も拭い去れないので、ひとつでも解決の糸口を見つけたいと考えて、
今朝からブレンデルのベートーヴェン・ソナタ集を聴いている。
実に見事なベートーヴェンで、私は本来、こういうのが好きだと改めて思った。

だがポゴレリチがテレーゼから引きだして見せたものは、
これとは相容れない、全然別世界の、別の秩序で成り立っている何かで、
たとえて言うなら、いつもは自分が二次元世界にいて、
平面上の点として移動することしか経験していなかったのに、
あの演奏によって一瞬だけ三次元世界に連れて行かれて、
いきなり周囲に開けた、空間で成り立つ世界を見て、
ええっ!?何これ!?どうなったの!?と驚愕しているうちに、
再び、さっと扉が閉じられて、もとの二次元世界に戻されてしまった、
みたいな感じだったと思う。

もう一回ポゴレリチの演奏を聴くことができれば、
今度は心の準備があるから、もう少し掴めるかもしれないのだけれど。
次の来日を待つしかないか(T.T)。

********************

私「『近年、農業の機械化が進んできたが、その結果、
 農業収入が現象してしまうことを何と言うか』」
娘「産業の空洞化?」
私「ぶー!『機械化貧乏』。産業の空洞化とゆーのは、
 企業が人件費や土地の安い海外に進出した結果として、
 国内工場を閉鎖する等の現象が起こって、雇用不安が生じる、
 などの国内の問題のことを言う」
娘「にゃるほど」
私「次。『僻地の村落、離島などで人口が大きく減少して、
 地域の機能が低下し、住民の生活水準が下がる現象をなんというか』」
娘「ドーナツ化現象?」
私「ちゃう、過疎化!」
娘「そーか!」
私「ちなみに市街地の空洞化のことをドーナツ化現象という」
娘「ああ!街中には住宅がなくなった現象ねっ」

娘の感性は、相変わらず、微妙に「ねじれ」の位置にある。
このほかにも二・二六事件と五・一五事件はよく間違えるし、
高杉晋作と高野長英も彼女の中では半分くらい同一人物だ。
五千円札になっているのは新渡戸稲造だとか、
オマエ何年生まれだと訊きたいようなことを平気で言うし。
そうそう、先日は平塚雷鳥の『青鞜』を『青い鳥』と書いてたよな。

娘の勉強につきあって、一問一答みたいなテキストを読まされ、
私のほうはここ数ヶ月で、結構、賢くなったような気がするのだが、
肝心の娘がエラくならないんじゃ、このテキストは役立たずだ。

娘「おかーちゃん何でも知ってるね、ドラえもんみたいだね!」

ドラエもんは、ポケットに何でも入っているのであって、
頭の中にではない。
キミのたとえは、やっぱり微妙におかしいんだってば。

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・昨日のPCの不具合は、どうにか復旧したようだ。
まだ先のことはわからないが、今は接続が安定している。
お騒がせしましてすみませんでした<m(__)m>。

・昨日のポゴレリチのリストを聴いていて思い出したこと。
「昔、家の前の電柱を直撃した、落雷」。
ビックリしたのと、耳が割れるかと思ったのと(爆)。

・同じく、昨夜のポゴレリチのベートーヴェン作品111だが、
二楽章のアリエッタ、CDの演奏は勿論、以前聴いたときも、
これは「完全な、死の世界の音楽だ」と思ったものだった。
死の絶望ではなく死の安らぎ、一切が永遠になる、といったような。
でも、昨日のアリエッタは死んでいなかった。
息があって、何か、こっちに意思表示をしていた感じがした。
ちゃんと生きているのかどうかわからず、ちょっと気味が悪かった。

・昨日のポゴレリチは、特に前半、御本人はとても静かだった。
定番のはずの、鼻息もオブリガードもついていなかった。
後半になると、さすがに「しゅ~~」「しゅ~~」と唸っていた。
雰囲気は北斗神拳の使い手!?という感じで鬼気迫っていたが、
顔は、『柔道部物語』の三五くんが集中しているときみたいだった。

・前半が終わったとき、ピアノを弾かない友人が、予備知識もないのに
「エリーゼのために、って可愛い曲だと思ってたのに、陰鬱だった。
きょうのは40歳過ぎの男性が恋したエリーゼ、っつー感じした。
エリーゼは登場してなかった。不幸な身の上の男性。失恋した?」
と言った。彼女の慧眼に畏れ入った(そこまで伝えたポゴレリチにも)。

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イーヴォ・ポゴレリチ大阪公演。

2005年の東京公演のような圧迫はなかった。
それが演奏家として良いことなのかどうか、私にはわからない。
外見的には、御本人は穏やかに落ち着いて見えた。
若いときに長所とも短所とも言われた箇所が、
ある意味さらに徹底的に拡大されたような演奏会だった。

そして、もうひとつ、
ひとりの演奏家を、なんと長い間、私は聴き続けているのだろう、
という深い感慨を持った演奏会でもあった。
一貫していることは、私は常に、彼の選択する作品を通して、
目の前で描き出される演奏家の自画像を聴き続けてきたのだ、
ということだった。

振り返れば、私は、ポゴレリチの、様々な時点での演奏を
どうかすると二十年にも渡って、聴く機会に恵まれてきたのだ。
これほどつぶさに追跡した演奏家はほかに居ないし、
多分、今後も現れないだろうと思う。

アンコールの、ショパンの夜想曲作品55-2が始まったとき、
私は、88年広島公演の、やはりアンコールで聴いた同曲を
懐かしく懐かしく思い出さずにいられなかった。
そして91年東京公演の、これもアンコールで弾かれた、同じ夜想曲のことを。
この曲には、演奏家としてのポゴレリチの、
ときどきの姿ひとつひとつが、深く、刻印されていると思った。

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昨夜から、天中殺か何かに陥ってしまったかのような
不幸(爆)に見舞われている。

まず、昨夜ネット発表になった娘の塾成績が、
この期に及んでドツボだった(T.T)。
冬休みの後半、私がカクランして、
すべてがストップしてしまったのが
娘の受験勉強にとって大打撃だったのではと
あまりにも申し訳ない気持ちだ。
……にも関わらず、きょうの私は
ポゴレリチの演奏会に行くという(爆爆)。

更に。
昨夜からネット接続の具合がおかしくなってしまった。
なかなかアクセスポイントへの接続ができず、
できても信号強度が微弱で、すぐに切れてしまうので、
事実上、全く使い物にならない。


…というわけで、今後しばらくは更新作業ができないかもしれません。
とくに@niftyのメールは全く見ることが出来ませんので、
御連絡その他おありの場合は、
サイトトップページのyahooのメアドのほうに
頂ければと思います。
こちらは携帯から見ることが出来ます。


ポゴレリチの公演中、いろいろと話題の多い毎日でしたのに、
このような事態になり、サイトをご利用下さっている皆様には
大変申し訳なく、心よりお詫び申し上げます。
しばらくは可能な範囲で携帯から更新その他を行いたいと思います。
どうかよろしくお願い致します。
BBS等への書き込みもご遠慮なくお願い致します
復旧し次第、またご報告を申し上げます。

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共学中学の受験票も無事に届き、これで四校とも、
出願手続きが完了したことが確認できた。
その共学中学の試験日まで、ちょうどあと一週間だ。

私「お弁当が要るのは、A中以外の三校だね」
娘「うん!あのね~、B中のときに、卵焼き入れて」
私「いいけど?」
娘「勝負弁当っっ!!」

卵焼きに勝負を賭けるというのがそもそも意味不明だが、
とにかく一事が万事、食いモノの話・・・・(^_^;)。

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数日前のことなのだが、夜9時半頃、電話が鳴った。
私は急に立ち上がるとクラクラ来るので、
ゆっくりした動作で電話のところに向かっていたら、
留守電に切り替わってしまった。
ああ、間に合わなかったな、まあ、いいか、
・・・と思っていたら。

「もしもし?私、Y田N子です。よしこさんと、
大学のときご一緒してた者です・・・・・」

留守電に吹き込まれ始めたメッセージの声を聞いて、
私は、もうもうもう、貧血も忘れて電話に飛びついた。
あの、国連難民高等弁務官事務所に勤めるN子ちゃんだったのだ!!!

私「もしもしもしもしもしもしもしもし!!!」
N「うわっ!もしもし!?」
私「Nちゃん?Nちゃんだねっ?今、どこから?」
N「きゃ~!わたしNちゃん。今、京都。覚えてる?」
私「勿論勿論(T.T)!懐かしいっっ!!」
N「声、全然変わってないね~(T.T)!!懐かしいっっ!!」

変わってないのはNちゃんのほうだった。
下宿でなんだかんだと電話していた頃と全く同じだった。

Nちゃんは、ここ数年は、年に一度帰国しているそうなのだが、
それがだいたい年末年始の時期にあたっていて、慌ただしく、
今回も明日にはまたジュネーブに戻るとのことだった。
毎回、同窓生にもほとんど会っていないそうなのだが、
今回は、私が3月に出した手紙に住所と電話番号を書いていたので、
それを頼りに、こうして、連絡してくれたのだった。

N「次からはお正月に帰るのはやめて、時期をずらそうと思ってる。
 それで、広島にも行ってみようかなって。行ってもいい?
 広島って、京都からどのくらいかかる?東京行くより遠い?」

国連職員のNちゃんは、どうやら日本の事情にウトかった(^_^;)。
東京より北・神戸より西には、ほとんど行ったことがないらしかった。
私が、南座には日帰りで遊びに行ける距離だというと驚いていた。

N「そんなに近いって知らなかった~。じゃあ、行く行く!」
私「うち泊まってってよ。それかホテルもいろいろあるし。
 良かったら同窓会広島支部で講演会やって(^_^;)」
N「ええ~。話すのは嫌いじゃないけど、でも畏れ多いな~~」

数年前に帰国したとき、Nちゃんはビザの手続きの関係で
東京に行かねばならない用事が出来たので、
思い切って、母校の大学のあたりまで足を伸ばしてみたそうだ。
そうしたら、私たちがいた二十年前は畑だらけだった場所が、
今や、きちんと住宅が建ち並んで、全く昔の面影がなく、
見覚えのない景色ばかりで、仕方なくNちゃんは方角だけを頼りに歩き、
自分の下宿だった場所を探し出すのに結構苦労したのだそうだ。

私「Nちゃんの下宿って、バス通りに面したとこで、
 スーパーの斜め前くらいの場所だったよね」
N「そうそう!結構、下宿の多い場所で、お風呂屋さんとかも・・・」

おっ、お風呂屋!!
私の頭に、Nちゃんの「風呂問題」が瞬時に蘇ってきた。
今、今これを訊かないでどうする!!

私「Nちゃん、あの頃、毎晩お風呂に入らないと寝られない、
 って言ってたよね。アフリカでのお仕事のときは、大丈夫?」
N「あはは。今もそれ変わってないのよ。入ってる。スーダンでも」

なんと、Nちゃんは、紅海の彼方でもきちんと入浴していたのだった。
恐るべし、Nちゃん!

彼女の話によると、難民救援活動が行われるのは、
首都から遠く離れた小さな村だったりすることが多いが、
組織の努力で、職員のためには最低限の生活環境が整えられ、
プレハブ住宅と自家発電装置と簡単なシャワーくらいは、
どんな場所でも、ほとんど揃えられているのだそうだ。
Nちゃんはそれらの御陰で、毎晩のシャワーは
どうにか欠かさずに、きょうまでやってこれた、とのことだった。

N「あとねー、今はどんなところに行っても、
 インターネットはできるのよ。これは凄いよ。
 だから本部との連絡はEメール。便利になったよ~。
 アフリカに赴任しても、私のアドレスは基本的に変わらないから、
 これからもメールで連絡して?」

一昔前までは、電話があってもなかなか通じないとか、
本部への連絡はテレックスとか、あればファクスとか、
通信手段には本当に苦労したのだそうだが、
ここ何年かで、世界中どこの国に行っても、
ネット環境だけは、最も手に入れやすいものになったそうだ。

私「良かった。本当に元気そうだね~」
N「いやでも最近は、やっぱりトシを感じるっていうかね。
 無理がきかなくなったし、若くないなって思うことが多いよ。
 疲れが残るのよ、翌日に」
私「Nちゃんは学生時代から体力があって丈夫だったけど、
 それでもそんなこと思うんだ?」
N「いやほんと、お陰様で病気はしないんだけどね。風邪くらいでね。
 同僚の中には、現地で寝込んで大変なことになる人もいたけどね」

それから我々は、しばらく、大学の頃の思い出話や、
同窓生・先生方のその後の活躍や消息についての話題で盛り上がった。
同じクラスだったMちゃんは、ボストンで大学院を終えたあと、
帰国して結婚し、今は二児の母だということ、
Yちゃんも今は結婚して会社をやめ、大阪に住んでいるということ、
SちゃんやBちゃんとは連絡が途切れてしまって残念だということ。
1年基礎セミナーのN教授が早くにお亡くなりになったこと。
2年の講読A担当だったT名誉教授は90歳くらいだがご存命だということ。
言語学のI教授は某専門学校の理事としてご活躍だということ。

N「じゃあ、次はお正月じゃないときに帰って来るようにするから、
 できたら何人かで会えたらいいね」
私「こっちから関西くらいまで出て行ってもいいんだよ?
 どのあたりなら集まれそうか、考えてみるね」
N「ありがとー。ほんと、会いたいねー」
私「きょうはありがとう。体にだけは気をつけて行って来てね」
N「ヤマコこそ元気でね、今度、絶対、会おうね!」

Nちゃんはそう言って、名残惜しそうに、でも元気よく、
「じゃ、ばいばい」
と言った。学生時代と、やっぱり、同じ声だった。

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