転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は、紀宮清子内親王殿下のご結婚式だった。

嫁ぐ朝、強く抱きしめ「大丈夫よ」…皇后さま(読売新聞)

私自身は、そういう感動的な「別れ」を経ないで、
いつヨメに行ったか定かでない(by父)、という娘だったので、
我が両親が私に対して、どういう感慨を持っていたかいなかったか、
今となっては謎なのだけれども、私は、自分が娘を手放すとしたら、
やはり、万感が胸に迫り、とても平静ではいられないかもしれない、
などと、この皇后さまの御言葉から、想像したりした(^^ゞ。

そして、
『いや、皇后陛下や内親王殿下のお気持ちを、
我々シモジモに引き比べたりするなんて畏れ多いことだ』、
と思い直し、更に、
『いや待て、どうして私はここで畏れ多いなどと思ったりするのだ』、
とまた立ち止まって考えた。

皇族も我々も、なんら区別のない同じ人間ではないか?
彼らが尊く、我々は下々、と考えることには全く科学的根拠が無い。
にもかかわらず、不思議なことに私の中には、
やはり、皇室を敬愛する気分があり、
それもかなり色濃く、根強いものとして存在している、
ということのようだった。

私はもともと、皇室にさほど関心がないし、知識もないのだが、
そうかと言って、『皇室なんかなくしてしまえ』という意見には、
到底、賛同できないものが自分の中にはあると思う。
また、『国民の税金で養っているんだから』式の主張に対しても、
私の中には『そーゆー次元と一緒にすんな(--#)』と言いたいものが、
何かしらある、と自分で思っている(すみません、田嶋先生・逃)。

これは我ながら不思議なことだ。
例えば誰かのファンになるときのように、
目の保養になるからとか、芸術的感動が得られるからとか、
ましてや、金払っても見たいくらい芸があって面白いから、
などという理由で、私は皇室を肯定しているのではないのだ。
また、日本国憲法に『日本の象徴』だと定義されているから、
法を遵守する精神でもって皇室を尊重している、
というのでも勿論ない。

そのような世俗的な理屈でない、もっとずっと観念的なところで、
私は皇室とか王室とかいうものへの敬愛を持っているのだと思う。
一部の?人間の普遍的な心理として、
『何かを高貴なものとして定義し、それを崇める』
ことを好む、という面があるのだろうか。

私がこうなったのは、断じて、教育の成果などではない。
ヒロシマで公立学校に通っていたら「天皇陛下バンザイ」なんて、
絶対に習わない(爆)。
また、私はテレビが大嫌いだし、女性週刊誌も滅多に読まないから、
メディアの皇室ネタの影響を受けてこうなった、とも考えにくい。
まったく、自分のこの心理はどこから派生して、これからどうなるのか、
我ながら興味深いことだと、昨日は思った(^^ゞ。

ちなみに昨日、紀宮さまをお見送り・お出迎えするのに、
日比谷周辺には6000人が集まった、とニュースで言っていた。
平日の昼に、凄い人数だな、とは思ったが、同時に、
でもこれは、東京宝塚劇場における、
宝塚トップ男役退団の日のパレードよりは、
若干、少ない人数だな、とも私は反射的に考えた(殴)。

ついでに、披露宴のあった帝国ホテル孔雀の間って、
和央の会・お茶会が開かれている、あの宴会場だよね(^_^;)。
仕切らず、テーブルを入れなければ、2000人は入れます(蹴)。

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1.除籍謄本編

先日、区役所で取った舅の戸籍(除籍)謄本は、
果たして『A郡○○町より転籍』で始まっていた。
つまり、最後の本籍地だけでは決着が付かず、
思った通り、「前」があったという訳だ。

私は既にたくさん学習した。
とにかく、役所というところはいきなり行っては駄目だ。
役所は、ヒトに平気で無駄足を踏ませる。
ので、今回も私は電話でなんとかしようと考えた。
だが、A郡などという名称は、現在の広島には、無い。
仕方がないから、Aなんとかという似た名前の区の役所に、
あてずっぽうで電話してみた。

そうしたら、そこの直接の管轄ではなかったのだが、
A区役所○○出張所、というところが係だとわかった。
この時点で私は、そこへ直接出向くことは諦めた。
物見遊山で電車でも乗って行ってみるかと思っていたが、
私の実家みたいな僻地だったらエラいことだ。
暗くなる前に帰って来られないじゃないか。

で。
そこへ電話をして、郵送で除籍謄本が欲しい、と言ってみた。
以下、○○出張所の返答。

1.除籍謄本が必要と明記すること。
2.筆頭者として舅の名前を書いておくこと。
3.A郡○○から昭和○年に除籍になった者、と書くこと。
4.出生からのものがすべて必要、と書くこと。

以上を、直系の者(我が家の場合は主人)が自筆で書き、
やむをえずパソコン文書になるのであれば印鑑を押すこと。
昼間連絡可能な電話番号を書いておくこと。
こちらの送付先も併せて書いておくこと。

除籍謄本は一通750円。郵便小為替を組むこと。
更に除籍謄本が必要になる(これ以前の本籍地がある)場合を
考えて、三通分くらい同封するとよい。
除籍謄本はかさばるので、返信用切手50円を二枚、10円を四枚、
白い小袋に入れ、「切手在中。50円×2 10円×4」と明記。


2.固定資産税評価証明書編

話はまだ終わらない。本当にエンドレスなのだ。
固定資産税の支払い者も決めなくてはならないので、
「固定資産税評価証明書」なるものも、取らなくてはならない。

これは広島バスセンターの市役所サービスセンターでは駄目で、
市内区役所に出向かなくてはならない。
こっちが何か貰えるという話ではなく、
こちらが納税させて頂くために、手間暇かけて交通費払って、
わざわざ手続きをせねばならないのだから、大変だ。
私だから、ブーたれながらも真面目にやっているけど、これ、
じーちゃん本人が行動してたら、タダじゃ済まんよ?

こっちも例によって「直系」でないと手続きができないので、
私が出向く場合は、いちいち主人からの自筆委任状が要る。
それと、舅と主人の関係が証明できる、戸籍謄本、または、
除籍謄本を持参すること。


3.国民年金・厚生年金・老齢基礎年金編

社会保険事務所ともあれっきりになっているのだが、
それというのも、死亡診断書に区役所の証明が要る、
というところが、まだ整っていないからなのだ。
除籍謄本まであるのに、どうして死亡診断書が要るのか、
しかも原本または区役所の証明済みコピーでないといけない、
というほど厳密なことをなぜ言われるのか、私には完全に不明だ。

それと、介護度5で寝たっきりの姑の、
「平成17年度所得証明書」なるものも取りにいかねばならない。
年金収入のほか、名義上、不動産収入があったりするといけない、
ということだろうとはわかるのだが、
ある訳ないことを百も承知している身内としては虚しいよ(T.T)。



私はつくづく思った。
こういう手続きが、理解できない・実行出来ない、
という理由で、相続も納税もせず、放置し続ける人間は、
世の中、ひとりも居ないものだろうか?
あるいは、今お金がないという理由で手続きできないヒトとか。
だって、先日来、謄本類を次々と取ることと、その交通費とで、
私は既に、一万円は支払っていると思う。

まあ、多分、これをほったらかしにしておくと、
とどのつまりは、裁判所かどこかの決定か命令により、
相続人が不利益を被るような結末になるから、
皆、どうにかこうにか、手続きをやり遂げているんだろうとは思うが。

それにしても腹立たしいのは、
ヒトにこれだけの条件を課しておいて、
どこの役所でも窓口業務は月~金の8:30~17:00だということだ。
しかも、土日祝日は例外なく休み。
直系でないと手続きできないとかなんとか、いちいち細かいが、
私以外の誰が、こういうことに時間を費やせるというのか。
これで私がフルタイムで仕事していたら、どうなるのだ。

どの家にも必ず、暇な女がひとりは居る、
というのが、お役所の前提ですか?


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姑はあれから、とても機嫌が良く夕食も完食だったので、
結局、病院に行くのは止めて、様子を見た。
今朝も元気で、お腹も壊していなかったので、
多分、大丈夫だったのだろう(^_^;)。

で、きょうは昼に姑を介護タクシーで特養まで送り、
レンタルの介護ベッドと車椅子を業者に返却し、
洗濯機を二度まわして何もかも洗って干し、
舅宅の中も外も掃除した。・・・夕方までかかった(^^ゞ。

最後に、そうだ、仏壇を綺麗にしてお線香をあげて帰ろう、
と思って仏壇の扉を開いたら、
・・・・そこには、昨日供えた和菓子が、あった
私が自分で供えたのに、危うく忘れて帰るところだった。
このタイミングで仏壇を開けたのは大正解だった。
ということで、お茶淹れて、一服した(^^ゞ。

やはり、信心はせねばならんなと思ったことであった(逃)。

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午後、昼食の片づけが済んだし、ちょっといいかな、
と思って私が一時間ほど昼寝したあとのことだった。
例によってご機嫌さんな姑のところに行ったら、

・・・・ん(^_^;)?

にほひが、すべてを語っていた(T.T)。
それからの私はオムツと格闘した。
コトはオムツだけでなく、パジャマにも、シーツにも
及んでいたので、それはもう、大変なことになってしまった。

すべてをなんとかして、大量のゴミを出し、
洗濯機を二度まわしたあとで、改めて姑のそばにいってみたら、
姑はニッコリして言った。

姑「痛い」
私「どこがですか!?」
姑「右のね、おっぱいの下あたり」
私「おなかが痛いんですか!?」
姑「うん」
私「いっっ、いつからですか(T.T)!?」
姑「あれはね、1月頃からね

熱はないようだが、ここしばらく、変わったことが続いて、
姑なりに疲れたということなのだろうか。
法要で大勢の親戚に会ったり、仕出し弁当を食べたりして、
普段しないようなことばかりしたのが悪かっただろうか。

しばらく右胸の下あたりをさすってみたが、
良くならないみたいで、姑はやはり痛いと言った。

私「お腹が痛いですか?」
姑「ダイコブをね、これをねこれをね、どういうたらええかね」
私「ダイコブ?」
姑「首が好きじゃ言うたんです?」

こーゆー話って、どこまで本気で聞けばいいのか、
私は未だにわからない。
折悪しくきょうは日曜日だ。
電話一本で往診、という訳にはいかない。

どーするだ~。
救急外来に行くような事態かどうか、迷う(^_^;)。

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法要も無事に終わったし、きょうは日曜日(^^)。
主人と娘は、市街地のほうに遊びに出かけたので、
私は舅宅で、ばーちゃんと二人、お留守番だ。
少し寒いが、お天気の良い休日で有り難い。

ばーちゃんは寝ても覚めてもご機嫌さんだ。
施設と違って静かだからか、やはり家は落ち着くということなのか、
ばーちゃんはご飯が済んだらすぐお昼寝をしてしまうのだが、
眠っていても、ニコニコしていて、歌など歌っていたりする。

「さぁ、腰に手をあてて。そうそう。
あちらでこちら、せっせっせ~♪
あなたもららら、ぴっぴっぴ~♪


オモシロ過ぎ(T.T)。
姑は夢の中で、お遊戯の指導でもしているのだろうか。
若い頃、姑は幼稚園の先生をしていたと言っていたから・・・。

私がクックッと悶絶していると、
ばーちゃんは目を開けて、
姑「あんた、お風呂入った?」
私「いえ、まだですよ~(^^ゞ」
姑「入りんちゃい」
私「ありがとうございます」
姑「コロちゃんは、ねんねしときんちゃい」

『コロちゃん』というのは、およそ十年くらい前、
舅が飼っていた茶色のメスの柴犬の名だ(^_^;)。

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本日、舅宅の地元の浄土真宗寺院で、四十九日の法要をした。
仏さんになったじーちゃんを思って、娘が、また泣いていた。
私も、ちょっと泣いた。

じーちゃんは、この世での肉親の縁は薄い人だったが、
たくさんの友人知人同僚に恵まれた。
きょうも、そうしたお仲間や、数少ないが親戚にも集まって貰い、
とても和やかな会になった。

それにしても、
仕出し屋さんは料理の数を間違えるし、
介護タクシーは「今、向かってます」と言いつつなかなか来ないし、
もしもこの場にじーちゃん本人がいたら
タダじゃ済まなかったであろう不手際の連続だった(^_^;)。

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舅の法要のため、今夜から佐伯区の舅宅に来ている。
姑もきょうから三泊四日の外泊。
玄関を入った途端、ばーちゃんが
「おとうさんが死んじゃった?そんなこたぁないよね?」
と言ったので、私は返事が出来なかったが、
幸い、その話は続かなかった。よかった。

そのかわり、ばーちゃんの話題はなぜか『写真』のことになり、
「増税と滞納のきょうだいの写真を撮ってあげんといけんから。
あなたが忙しい言うてなら、私が撮ってあげますよ。
恋愛がどうかはわからん。好きかどうか」
と深いような深くないようなよくわからないテーマで、
かなりテンション高く一時間ばかし語ってくれた(^^ゞ。

では、『写真』にちなんで、若かりし頃の舅のポートレイトを
四十九日の記念に(?)ここに掲げておこう。
この人だって三十年前から「じーちゃん」だったわけではなかった、
ということがよくわかる写真だ。
ってゆーか、もしかして、カタギじゃなかったとか!?

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出かける前に、社会保険事務所に電話をして、
どういう書類を持っていけばいいのか訊ねてみた。これが大正解だった。
いきなり行ったら完全に無駄足になるところだった。

まず、舅の年金の種類と、基礎年金番号と氏名・生年月日を確認され、
「少々お待ち下さい」
とかなり待たされたあと、長い長い説明が始まった。
舅が亡くなったことで、年金がこれ以上振り込まれないよう、
資格取り消しか何かの手続きが要るのだろう、
ということは、さすがの私にもわかっていたのだが、
社会保険事務所の話では、姑への遺族年金移行の手続きがあるので、
コトはそう簡単ではない、というのだった(^_^;)。

必要書類と準備するものは、以下の通り。
1 舅・姑それぞれの、年金手帳・年金証書
2 舅が亡くなったことが証明できる舅の戸籍謄本
3 舅を筆頭に家族全員が記載されている住民票
4 姑の預金通帳と認め印
5 舅の死亡診断書原本または役所の証明を受けたコピー
6 姑の平成17年度所得証明書
7 姑が直接窓口に行けないならば姑からの委任状
8 窓口に来る者(私)の身分証明書と認め印

これらを持参してしかるべき窓口に行ったら、
『それから、改めてご説明申し上げます』
とのことだった。ご説明は何時間でできるのかな。
よくもこんだけ煩雑な手続きを思いついた人がいたもんだ。
厳重っていや厳重で、そりゃ結構だけれども。

もうつかれたよパトラッシュ。
・・・・・・・・・・・・・_| ̄|○ ガクッ 

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朝起きたら頭痛がして、いきなり不調だった(T.T)。
だいたい、私の体調不良というのは、このところ、
頭痛・鼻炎・腹部不快のどれか、またはセット、時には全部、
というもので、漢方のほうで言えば、つまり、
「冷えている」のと「体に力がない」というのが原因なのだろう
(それ以前に、更年期だから、というのは絶対アリだな(^_^;))。

中医クリニックK先生からは、
『肉親が亡くなったりすると、そういうの、当然ありますよ。
そっち(広島)にはおいしいものがいろいろあるだろうから、
いいもん食べて。人間は、良い食べ物と綺麗な空気から力を得る。
それ以外に取り込むところがないんだからね。漢方は助けているだけ』
と言われた。ああ、料理嫌いが命取りだな私の場合。

で、具をたくさん入れたみそ汁をつくって、ご飯を炊いて、
変な時間に朝食を取り、コーヒーはやめて漢方薬を飲み、
ギーゼキングのモーツァルトを聞きながら、午前中は、寝た。
先生は、食べものと空気のことを話題になさっていたけれども、
私の場合、『良い音・楽しい音を聴く』というのもクスリだから。

ギーゼキングのピアノは、本当にどうしてこんなに良い音なのだろう。
彼の頭の中では、いつも天上の音楽が奏でられていたのだな。
それを自分の手で音にして行くことが出来たなんて、
どれほどかけがえのない、美しい作業だったことだろうか。
こんな大家なのに、ギーゼキングは無邪気な面があったそうで、
オフでは蝶々の収集が大好きで、ひらりひらりと遊んでいた、
というのをいつだったか武川寛海氏の本で読んだ記憶があったっけ。

さて、さきほど目が覚めたら、ギーゼキングは終わっていて、
頭痛はすっかりなおっていた。良かった♪
さあ、これから社会保険事務所に行って来なければ(^_^;)。

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この週末に舅の四十九日の法要があるので、
その準備で今日は一日、忙しかった。

まず、お世話になるお寺さんに電話をして、出席者の人数の連絡と、
車を何台まで停められるかの確認、料理の搬入時間の打ち合わせ、
等々を済ませ、
それから仕出し屋さんに電話して、『二重折寿司付き』17名分の注文、
合わせて、ビールとお茶の手配、当日の受け渡しと支払いの段取り。
次に、福祉用具レンタル業者さんに電話をして、
姑が三泊四日で自宅に滞在する間の、介護ベッドと車椅子の手配
(私は、これらのレンタル料は月単位だということを初めて知った)。
そして、この三泊四日の間、一日三回のヘルパーさんを頼み、
姑が今いる施設にも電話して、外泊予定の連絡と手続きをし、
送迎のための介護タクシーが空いているかを確認し、予約。

これらがひとあたり済んだあとは、相続や保険書き換えの手続きのため、
戸籍謄本類を取りに役所へ。
舅と姑と主人の戸籍謄本に、主人と姑の住民票、
主人と姑それぞれの印鑑証明などなど、発行代だけで5000円超。
このほかに、まだ、舅の除籍謄本と改正原戸籍謄本が揃っていないし、
土地の登記関連で、固定資産評価証明書も必要だ。これらは明日。
前者ふたつは本籍のある区役所まで行かないと駄目だろうし、
後者は、・・・・どこだ?区役所?それとも法務局??
あ、それに舅の印鑑証明は廃止・削除みたいな手続きが要るのか?
もう私の頭はパンク寸前だ(^_^;)。

法的な手続きは、四十九日が終わってからにしたかったのだが、
国民健康保険は姑の名前で書き換えないと病院も施設も困るというし、
舅あてに国民年金の振り込みが済んでしまったので、
これはこれで、社会保険事務所に申し出て返金しないといけないし、
固定資産税の支払者を早く決めろと役所から言って来ているし、
ほんとに、世の中の仕組みは、遺族を疲弊させるようになっている。
防犯への配慮から手続きが煩雑になっているうえ、
各方面から『早くしろ』と文書が来るのだからたまったものではない。
いや、疲弊するほど忙しいからこそ、日常に引き戻されて、
居なくなった人のことをいつまでも思い続けなくて済むのだろうけど。

これらのほか、舅の墓をどうするかが、未だに決まっていない。
あと、舅の車を売却するという話も、そろそろなんとかしなくては。

茶の子の発送手配と、喪中葉書の注文は、主人がやってくれたので、
これらは一安心だが、高額の御香典を下さった方へのご挨拶の品が、
まだ決まっていない。あまり遅くなっては格好にならないのだが。

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