転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



社会保険事務所に言われて、
厚生年金の遺族年金移行の手続きに必要だからと、
舅の死亡診断書コピーが、原本と相違ないことを証明して貰いに、
某区役所まで行ってみたらば、
まず、そういう「コピーに証明をつける」などという手続きは無い、
と断られた。役所で出来るのは死亡届の写しを発行することだそうだ。

だったら、それでいいから発行して下さい、と言ったのだが、
今度は、死亡から一か月を経過した人の死亡届は、
既に区役所にはなく、こういう証明が出せるものかどうかは、
法務局に訊いてくれ、とハネられた。
しかも、法務局でもすぐ出せるかどうかわからない、と区役所は言った。
これから法務局に電話して必要書類を尋ねてみろ、と。

・・・わたし本当に怒りますよっ

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昨日は、紀宮清子内親王殿下のご結婚式だった。

嫁ぐ朝、強く抱きしめ「大丈夫よ」…皇后さま(読売新聞)

私自身は、そういう感動的な「別れ」を経ないで、
いつヨメに行ったか定かでない(by父)、という娘だったので、
我が両親が私に対して、どういう感慨を持っていたかいなかったか、
今となっては謎なのだけれども、私は、自分が娘を手放すとしたら、
やはり、万感が胸に迫り、とても平静ではいられないかもしれない、
などと、この皇后さまの御言葉から、想像したりした(^^ゞ。

そして、
『いや、皇后陛下や内親王殿下のお気持ちを、
我々シモジモに引き比べたりするなんて畏れ多いことだ』、
と思い直し、更に、
『いや待て、どうして私はここで畏れ多いなどと思ったりするのだ』、
とまた立ち止まって考えた。

皇族も我々も、なんら区別のない同じ人間ではないか?
彼らが尊く、我々は下々、と考えることには全く科学的根拠が無い。
にもかかわらず、不思議なことに私の中には、
やはり、皇室を敬愛する気分があり、
それもかなり色濃く、根強いものとして存在している、
ということのようだった。

私はもともと、皇室にさほど関心がないし、知識もないのだが、
そうかと言って、『皇室なんかなくしてしまえ』という意見には、
到底、賛同できないものが自分の中にはあると思う。
また、『国民の税金で養っているんだから』式の主張に対しても、
私の中には『そーゆー次元と一緒にすんな(--#)』と言いたいものが、
何かしらある、と自分で思っている(すみません、田嶋先生・逃)。

これは我ながら不思議なことだ。
例えば誰かのファンになるときのように、
目の保養になるからとか、芸術的感動が得られるからとか、
ましてや、金払っても見たいくらい芸があって面白いから、
などという理由で、私は皇室を肯定しているのではないのだ。
また、日本国憲法に『日本の象徴』だと定義されているから、
法を遵守する精神でもって皇室を尊重している、
というのでも勿論ない。

そのような世俗的な理屈でない、もっとずっと観念的なところで、
私は皇室とか王室とかいうものへの敬愛を持っているのだと思う。
一部の?人間の普遍的な心理として、
『何かを高貴なものとして定義し、それを崇める』
ことを好む、という面があるのだろうか。

私がこうなったのは、断じて、教育の成果などではない。
ヒロシマで公立学校に通っていたら「天皇陛下バンザイ」なんて、
絶対に習わない(爆)。
また、私はテレビが大嫌いだし、女性週刊誌も滅多に読まないから、
メディアの皇室ネタの影響を受けてこうなった、とも考えにくい。
まったく、自分のこの心理はどこから派生して、これからどうなるのか、
我ながら興味深いことだと、昨日は思った(^^ゞ。

ちなみに昨日、紀宮さまをお見送り・お出迎えするのに、
日比谷周辺には6000人が集まった、とニュースで言っていた。
平日の昼に、凄い人数だな、とは思ったが、同時に、
でもこれは、東京宝塚劇場における、
宝塚トップ男役退団の日のパレードよりは、
若干、少ない人数だな、とも私は反射的に考えた(殴)。

ついでに、披露宴のあった帝国ホテル孔雀の間って、
和央の会・お茶会が開かれている、あの宴会場だよね(^_^;)。
仕切らず、テーブルを入れなければ、2000人は入れます(蹴)。

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