前々から実は疑問に思っていたのだが、
「人名用漢字」を制定する意義というのは、大きいのだろうか?
先月、法制審議会が発表した578字の人名用漢字追加案について、
国民の非難が集中した字がいくつかあり、再検討がなされるらしいが、
私は正直なところ『んなこた、どーでもいいんだよ』と思っている。
どうしてこんなわかりきったことを、お上にいちいち検討して頂かなければならないのか。
国民が各自、自分の頭で普通に考えたら、良い字か悪い字か、わかるだろう?
もう、それでいいではないか。
もしも「呪彦」とか「怨子」とか「痔郎」とかが、
我が子の名前にふさわしい、と本気で思う親がいたとしたら、
その人たちがおかしいのは何も名付けのセンスだけではなくて、
現代日本に生きる社会人としての感覚そのものが、既に破壊されているのだから、
「子どもの社会的不利益や無意味な社会的混乱をもたらす」
などと周囲が心配してやる以前の問題だと思う。
そもそも戸籍法は、「常用平易な文字」を名付けの要件としているらしいが、
従来、「人名用漢字」として通用して来た字で、意味合いが悪くなくても、
実際の人名としては、「常用」もせず「平易」とも思えない字はたくさんある。
私の本名の漢字なんて、日常の読み書きではまず使うことはないし、
音読みはできても訓読みできる人は普通居ないし、
どこが人名漢字の要件にかなっているのか、我ながらはなはだ疑問だ。
そうそう、直接関係ないが、ひとつ、思い出したことがある。
娘が生まれる直前に、名付けの本を見ていたら、
男の子の名前の良い例として「樺男」というのが出ていたことがあった。
なんと読むのか忘れたが、字面の通り素直に読んだら、
「かばお」か「かばおとこ」じゃないだろうか。
「白樺」は美しい姿をしていると思うし、意味合いとしては全く悪くないが、
これって「絶対に学校でいじめられない」と言い切れるのかな?
安易に人に勧めたらいかんぜよ。
そういえば、昔『わたしはアキ(=火へんに華)』というテレビドラマがあった。
主人はこれを画面で観るたびに、心の中で、
『わたしは カバ』
と読んでいたそうである(^_^;。
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