転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今月の国立劇場は『坂崎出羽守』『沓掛時次郎』という、
人の呼び名がそのままタイトルになった芝居の二本立て。
松緑の坂崎出羽守は、題材としては純情な男の恋心が発端なのだが、
行き着きところは濃くて重くて昏くて、見終わって心身ともにぐったり。
こういう独自の暗さを描出できるようになったのは、
松緑が青年でなくなった証しだろうと思った。
何か、80年代終盤のポゴレリチのような、突き詰めた重苦しさで、
私は結局、こういうものに惹きつけられて、寄っていってしまうのだな、
と納得したりも、した。
「見終わって疲労感、後味の悪さを残せれば」
と松緑自身が発言していることを、観劇後に以下の記事で知り、
つくづく、「畏れ入りました」と思った。

尾上松緑、もがき続ける…十二月大歌舞伎で対照的な2つの大役演じる(スポーツ報知)


順序として後半が『沓掛時次郎』なのは有り難いことだった。
そうでなければ、『坂崎出羽守』の世界のまま、
どんよりと昏いところに沈んだ状態で帰らなければならないところだった。

その梅玉の時次郎、私は不勉強なうえに世情にウトくて、
どういう芝居なのかほぼ知らないまま劇場に行ったのだが、観始めて、
「これって、『赤城の山も今宵限り~』の世界では(^_^;?」
と感じたのは合っており、新国劇の股旅物の代表作と知ったのは、
帰宅してチラシを読んでからだった。
梅玉はそれはもう、いい男で恩義に厚く、腕は冴え、
その懐の深さにも感じ入ったが、あまりにも品格があるので
「渡世人とは世を忍ぶ仮の姿……」
と、壮大な種明かしが用意されているのではないかとさえ、
観ながら期待してしまった(爆)。
私にとっての梅玉はそういうのが多くて、
前に「一力茶屋」の寺岡兵右衛門を演ったときも、
貫禄があり過ぎてただの奴さんには見えず、
どこかで「実ハ」が出るのではないかと心待ちにしてしまったものだった。

魁春の若妻ぶりが、瑞々しくてなかなか良かった。
最近、少なくとも私が観るときの魁春は、
ある程度、年齢の高い女性を演じていることが多かったのだが、
今回は幼子を抱えて夫を失い、支えてくれる時次郎と力を合わせて
生き抜いて行く日々の中、いつしか彼を真摯に慕うようになり、
……という過程が、芯の強さとともに健気さもあって好ましかった。

ときに、松緑の長男・左近は既に、子役ではなくなりつつある。
背も高くなり、芝居の設定よりもっと「お兄ちゃん」に見えた。
子供の成長は早いものだ。
いずれ辰之助襲名の話が出てくるだろうが、
どんな役者になって行くかとても楽しみだ。

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